第1話
カラルスの館には、魔物が居るって知ってた?
‘人’は近づいたらいけないよ?きっと心がもたないから・・・。
魔物の相手が務まるのは、‘魔物’だけ・・・。
人は直ぐに‘壊れちゃう’からつまんなくて、ずっと退屈してたんだ。
・・・今日までは・・・。
*
「えぇ、そうです・・・、なるべくお早めにお願・・・え?明日?明日ですか?あー・・・分かりましたぁ・・・お願いしますぅ・・・」
どでかい館には弱々しい中年の男の話し声が響いていた。赤を連想させるヨーロピアンな内装はとても豪華で、しかし薄暗く不気味なオーラを醸し出している。蝋燭のような小さくオレンジのランプが数十個、幻想的な非現実感を誘っている。深夜の長電話に男は興奮と緊張で葛藤していた。
「・・・はぁ・・・」
これは幸せなため息。けれどもどかしい感覚が胸をくすぶる。欲しいものがすぐ目の前にあるのに手に入れられない。得られると分かっているが待ち遠しい。そんな幸せな葛藤が、3分だけ続いた。
「やぁ」
「!?」
あまりにも唐突な来客に息をするのも忘れて驚いた。
ここは屋敷の最上階のプライベートルーム。高層ビルの真ん中位の高さで眺めは良いが、窓からの風景は決まって大自然で周囲には全くと言って言いほど何もない。そんな所の窓からひょこりと‘女の子の姿をした人物’が平然と顔を覗かせていた。愛らしい外見でニコリと笑うが気味が悪い・・・。
「あ・・・あ・・・・・・っ。・・・ハーー・・・。脅かさないでください・・・」
深呼吸をし、落ち着いた。
「あの、先ほど明日と言いましたよね・・・?」
この少女は先ほどの電話の相手だった。
「言ったよ?でももう昨日で言う明日になってるから」
「・・・・・・・」
なるほど日付が変わってる・・・。電話を終えたのは23時55分頃だった。
「アンタが依頼主だね?おどおどとした小さい性格とは不釣合な大きさの家に住んでるもんだ」
窓枠に両足をかけて両手はその足の間に挟み込み、猫が座るような態勢で落ちないようにバランスをとりつつゆらゆらと揺れ、本人は愉快そうに言った。はは、と情けなく笑うことしか出来ない・・・。だって、
この娘は恐ろしいから・・・
すぅっと着地すると、相変わらずニコニコと笑っている少女は口を開いた。
「でー、どこにいるの?‘やんちゃ坊主’は・・・」
「はい・・・、こちらに」
そう言うと、男は地下に向かって歩き始めた。
*
「・・・・・・誰だ・・・・・」
漆黒の闇に響き渡る低い声。湿気の多いこの地下牢に捕われているのは、述べ一万人を喰らった凶暴な魔物だ。全身御札でグルグル巻に封印され、体をいくつもの鎖で拘束されていて姿形が全く分らない。蚕が繭に包まれているような姿だ。
少女は不のオーラ溢れるその牢獄に近づいた。
「お、お気をつけくださいよぉ・・・。封印から三百年は経っていますから・・・、効力が弱くなっています・・・。」
「ふっ。だから私を呼んだのだろう?カラルスよ。」
「はいぃ・・・。代々カラルス家ではこの魔物の封印を国王より仰せ付かって参りましたがぁ・・・、私には才がなく・・・」
「見れば分かる」
「はぁ・・・、」
「例えアンタに才があったとしても、その内気な気持ちじゃぁ瞬殺だろうけど」
随分な言われようである・・・。物言いがハッキリしすぎな少女だ。と言うより毒舌だ・・・。
「はぁ・・・全くです・・・」
「鍵は?」
「はい・・・」
少女は鍵を受け取り重い扉を開くと、中から「くくくっ・・・」と笑い声が聞こえてきた。
「この俺様に直々に会いにくる馬鹿な奴はどんなモノかと思えば・・・、その声・・・。ヘレン・ルートフィアだなァ?」
「あぁご名答。いいザマだね、ティラン・ハラウェルエム。よく似合ってるよ」
「ひひっ、ありがとう。闇の歴史上に名を馳せる大物に褒められちゃった」
ヘレンと呼ばれた少女は、この魔物ティランと知り合いだった。しかしヘレンの詳しい生い立ちを知る者は誰もいない。純粋な魔物なのか、はたまた魔術師なのか・・・。しかし何千年も生きる魔術師などいるはずもなく、魔物説が有力である。が、人間に手を貸す魔物もそうそういないのでは・・・とも言われている謎に包まれた存在だ。ただ、王室関係者や魔物達に関わる者の中では知らない者はいないくらい有名で、その実力も計り知れない。
男は後をヘレンに頼み、再び外から封印の結界のなされた重く響く鍵をかけ、不のオーラに侵食されかけた自身の身を引きずるかのように戻って行った。歩きながら、ようやくティランがこの家からいなくなる喜びを噛みしめていた。
「まさか君から逢いに来てくれるなんて思ってもみなかったな」
「もちろん逢いたくなんてなかったよ。でも、アンタを殺す為だから」
「ははっ♪俺を殺す、かー面白いなーァ。それより、君の顔が見たいな・・・。この邪魔な御札、なんとかしてくれる?魔力が使えないからせっかくの千里眼が役たたずなんだよね」
「必要ない。直ぐ、殺すから・・・」
言った瞬間、ティランの腹には刀が刺さっていた。全く躊躇せずに一突きだ・・・。
「ぐふっ・・・」
有無も言わさず刺された箇所とティランの口辺りの御札からは赤い染みが増してきた。抵抗も出来ない相手をなぶるのは趣味じゃないが、楽なのは大好きだ。
「ふ・・・ふふふっ・・・」
血反吐を吐きながら気味悪く笑ったティラン。
「そんなくらいじゃ死なないなぁ?もっと刺激的に殺らないと・・・ね?」
「!」
刺した所から両腕が御札を破って迫るように勢いよく出てきた。その両手はヘレンの首目掛けて伸びてきたが、簡単にかわされ、互いに距離をとった。
「助かったよヘレン。御札が一枚でも消えたら自由になれるくらいになってたんだよね、この封印。でも誰も近づかないからどうしようもなくって。後五年位で紙が崩れるかなーとか思ってたとこだけど、君のおかげで俺は早々と自由だ」
ジャラジャラと全身の鎖を外し、ビリビリと御札を忌々しげに剥がしてゆく。そこから覗く四肢は三百年の断食地下ライフが応えたのか、細く白く、病人のようであったが、いよいよ見えたその顔は快気に満ちていて、余裕気な笑みを浮かべていた。伸びた白髪のような銀髪のような美しい髪がゆらりと揺れる。着ているものはボロボロの白い布切れ一枚だ。
「やっぱ‘身ぐるみ’剥がされてたか。そんなんじゃ私には到底及ばないね。それにだいぶ痩けて不細工になったんじゃない?弱々しいねぇ」
一見すると華奢な美青年にみえるその外見・・・。様々な所に艶けが感じられる魔力はティラン特有の色っぽさだ。ティランのアイデンティティと言っても過言じゃない。それを愚弄するヘレンもなまめかしい外見である。ヘレンはティランとは正反対に、バンダナや勾玉、変わった柄のパーカーなど様々なモノを身につけている。
「君は老けたんじゃない?あれ、今何歳だっけ?アハハ」
気さくに笑い貶されるも動じない。ただにこやかに笑っているだけだ。
「‘私みたいなの’がいちいち年を気にすると思う?」
「じゃあ君の正体教えてよ。万が一の時の冥土の土産にするから。」
「誰にも教えるつもりはないよ。にしても、見てるだけでイライラさせられるのはアンタの特技かな」
「美しいものを見てイライラするなんて、それは君が至らないのだろう」←自信家
「全く口の減らない・・・。その減らず口、二度と叩けなくしてやる」←超自信家
言った瞬間、ヘレンはサッと右手を目の高さまで上げ、バッと手を開いた。動作と同時に空気が激しく揺れ、平いた手を中心に波紋が広がった。かと思えば、瞬間的にしゃがんでよけたティランの後ろの壁は粉々に粉砕された。
「あっぶねー。いきなりマジかよ、気の早い女だぜ」
ハッと笑うと、ティランも反撃すべく片手で宙を切った。が、自分でも分かるくらい動きが鈍くなっている上に魔力が少なく、あっさりと片手で弾かれ、宙を切った左手を折られた。さらに壁に十字架の体制で叩きつけられ、四肢を特殊な刀で壁と共に突き刺され動きを封じられた。
「・・・いやぁー参ったねこりゃァ・・・。ここまで力が落ちてるとは思わなかった。―――ここに来たのが君じゃなければ勝てたのに」
「とんだ戯れ言だ。今のアンタじゃ‘赤子’にも遅れをとろう」
「さすがにそれは―――・・・ふっ。かもね」
自嘲気味に笑うと、項垂れた。
「・・・時間だ。精々私を裏切った事を後悔するがいい・・・」
冷ややかな目でそうニコリと言うと、何処からともなく対魔の剣を取り出し、この瞬間を惜しむようにゆっくりと高く掲げる。
「じゃあね」
短い一言の後、怪しく光る剣が振り下ろされた―――。
「待てぇぇえ!!!!!!」
「!?」
・・・寸での所でピタリと止まった。
太い声のした方向を見ると、六人の黒いスーツを着た男と一番後ろにカラルスと、最前列にはその声の主の体格の良い男がずかずかと歩いて来た。
項垂れて下を向いていたティランも顔を上げ、男たちの方を見た。ヘレンは今日初めての真顔で男たちに振り向いた。
「何だアンタら・・・」
その声音からも分かるように、ヘレンは機嫌を悪くしたようだ。
「私たちは国王の命でやって来た者だ。まだ殺すな。お前たち二人にはやってもらいたいことがある」
「は?」
檻の外から悠々とこちらを眺めるその男、名はヴェルデン・リガル。要は裏舞台のトップだ。ヘレンは冷酷な眼差しでヴェルデンを見下す。
「二人で組み、アヴェルダンの『血の涙』を収集してきて欲しい。その魔物は伝説に詳しいそうだからな」
「・・・・・・・」
その申し出に、今度は真っ直ぐヴェルデンを真剣に見つめるヘレン。一度深く呼吸してから、重々しげに口を開いた。
「何の為に」
闇に響くヘレンの低い声は、その場の空気を一転させた。
「最近、国王の奥様、エンデリー様がご不調でな・・・。不治の病とのことであり、誰も手がつけられん。そこで伝説に聞くアヴェルダン『血の涙』を持って帰って欲しいのだ。あれは万能薬であり、病を治すだけでなく、神秘の力を身につけると言うではないか」
その答えにヘレンはまた深く呼吸をした。
「・・・分かっているのか?その先の伝説の続きを・・・」
「何を言っている。伝説はここまでではないか」
「・・・・・・」
ヘレンは睨むようにヴェルデンを見つめている。すると横からヒヒッと奇妙な笑い声が聞こえた。
「いんじゃない?行こうぜヘレン。久々の旅じゃねーか。・・・‘最期’が見物だぜ?」
「アンタはこの状況から脱出したいだけでしょうが」
呆れた感じにそう言うと、ヴェルデンは口を開いた。
「ともかく、成るべく早めに頼みたい。尚、ティランには我々とお前にしか外せない特殊な首輪をつけ、力を制御させる。無論、何も殺す事は出来ない。‘身ぐるみ’も返そう。どちらもお前に牙を向くことは出来ない」
そう言って文字の彫られた金色に輝く首輪を牢の隙間から渡した。ヘレンは取り敢えずその首輪をティランにつけた。チッと舌打ちしたティラン・・・。首輪をつけると魔力がほぼ零にまでに落ちてしまった。その様子を見てヘレンはフンと笑みを漏らした。
「・・・まぁ、いいけどさ。私には関係無いしね。その代わり、報酬はそれ相応なんだろうね?」
「あぁもちろんだ。島三つは買えるだろう」
「ふっ。島より山のほうがいいけど」
そう言いながらティランを押さえつけていた刀を抜いた。
アヴェルダンには骨の折れる魔物ばかりだ。それも『血の涙』の影響だろう。常人なら間違えなく即死だ。弱い魔物も近づけない。完全なる弱肉強食の世界だ。
「その前に、ヘレンに散々やられたその傷と、その衰弱しきった体をなんとかしなければな」
交渉成立して気分が良いのか、ふふんと笑って言ったヴェルデン。
「私の馴染みの病院に案内しよう。ついて参れ」
再びガチャリと重たい鍵を開け、外に出た。コツコツと響く靴の中から、ペタペタと歩く音が聞こえてた。
――今日をこの退屈な日々から抜け出せた記念日にしよう――
その音の主は口に弧を描くと、そんな事を思った。