竜と勇者のいろいろあった因縁
手持ちの金は全て無くなってしまったし、余計なおまけも拾ってしまったため、千裕達は街の散策も出来ぬまま神殿に戻ることになった。
「で、お前は何を考えているんだ?」
神殿までの道の中(案内はイギナ)、はしゃぎながら先頭を歩くイギナを横目に、千裕はアルに問い掛けた。
「まぁ、少しな。あの女に恩を売るのもいいかもと考えただけだ」
そう本人が言う以上、そうなのかと納得しておくことにする。
「どーしたの? 二人とも! ほらそこに神殿が近づいてきたわよ!」
うひゃー! でかーい! とはしゃぐイギナ。
「やっとついたか」
はぁ、と一息つく千裕。
なにせ、戻ると決めた後に、一度アルがずんずんと先を歩いたとき、いつのまにか神殿が遠ざかっていたことに気がついたイギナにストップをかけられたほどだからだ。
しかも、この神殿自体もデカイため、敷地から入り口までの距離もまた遠い。
「なさけないな。少々遠回りしたぐらいで」
「いや、肉体的に疲れたわけでなく、精神的にな。いまさら思ったんだが、初日にやった、ワープとか使えばあっというまだったんじゃないか?」
「ふん、もともとの目的はお主と歩くことだったからな。少しぐらいは――と、思うワシを笑うか?」
強がっていながらも、どこか照れたような表情をするアル。
さすがにそこでその表情をされては何もいえなくなってしまう。
「……」
「……」
「おーい、お二人さん?」
見詰め合った形になってしまったところに、イギナが声をかけてくれたことで、千裕もアルもはっと我にかえる。
「いや、すまん。それではお前が会いたがっていた魔女に会わせよう」
「おー、待ってました! ここまで間近に来ると、妖精の香りが強いが感じられるし、これはマジ期待が大ね」
テンションが上がってきたのか、ぶんぶんと鞄を振り回すイギナ。
あの中に相棒が入っているのに、その扱いはいいのかと思う千裕。
「ついてこい」
すたすたと歩きだすアルの足は少々早歩きだった。
そして、神殿内にやって来た時――
「でけぇ! マジでけぇ!」
その巨大な空間に圧倒されるイギナに、俺も初めてここに来た時こんな顔をしていたのかなとほほえましく眺めていた千裕だったが、ふとアルの方に目を向けてみたら、なぜか先ほどまでのゆるい表情から一転、なぜか険しい顔つきになっていた。
「どうした?」
「ん――お主は何も感じないのか?」
「何を?」
「そうか――いや、なんでもない。ほら半妖精、行くぞ」
「おう!」
マグナを間近にして、意気揚揚と歩くイギナは気がついていないのだろうが、千裕は思わずアルから距離をとってしまった。
リノアの部屋に近づくにつれてアルの周囲の空気が、次第にぴりぴりと痛々しいものに変質していくのを感る。
そして、
「おや、お前たちは」
リノアの部屋へ行こうと通りかかった応接室の前。立っていた女性が驚いた表情をして、千裕とアルを見た。
その女性は今朝方喫茶店で絡んできた真っ黒人の連れ。
きりっとした目つきで、姿勢は正しく、いかにも真面目そうな性格をしている。そして何より、喫茶店では見なかった、金色の竜の刺繍が縫われている黒服を着ていた。
千裕はまだ知らないが、彼女が身に付ける竜の刺繍は、エルミュシア王国の紋章である。
さて、どういう事だろうと千裕は考えていたが、アルはなにやら不適に笑い納得していた。
「やはりあの男がいるのか……」
誰に聞かせるともなく、小さくつぶやく声は、とても不気味なものだった。
「皆、巫女の客か? すまないが少々待っていてもらいたい。今大切な話し合いの最中なのだ」
生真面目な女性の態度に、アルは小さく笑う。
「なに、気にするな。ワシらの仲ではないか。それに、大切に話し合うほどの内容の会話ではないだろうに」
応接室の中で行われている話しの内容が聞き取れたアルにとって、くだらないと失笑してしまう内容の話しがどれほど大切なのか。それよりも今自分が気になることを優先したいと、ドアノブに手をかけるアル。
「本当に待って下さい。先ほどのちゃらんぽらんな様子から想像もできないと思いますが、あの方はとても凄い方なのです。あまり逆らうような真似は……」
「いや、知っているさ。あの男竜殺しなのだろ」
ずばりと言いあてられて女性は驚く。イギナもそのような存在がいることに驚く。
だが、千裕だけは、その言葉の意味に嫌な予感がした。
「よ、よくご存知ですね。そうです、あの方は四百年前に竜を殺し、勇者となった方なのです」
四百年前、竜殺し、勇者。
そのキーワードで連想される事柄は――
「そうか」
もう一度、そうかと低く唸るアルの声は、その場にいた三人を凍りつかせるほどの恐ろしさがあった。
固まる皆をおいてアルは一人堂々と入室。
「だから、俺は覇王竜が本当にいるのか、確認したいだけ――って、おりょ? あんた」
ソファーに踏ん反り替えるように座る真っ黒人。
そして、アルが現れたことで、あちゃーという顔をするリノアと、もう知らんとばかりにそっぽを向いたマグナ。
「あれー? あんたは――」
「お前が、王都からの使者ったのか」
不適に微笑むアル。今にも胸倉を掴みかかるほどの勢い。
「それほど覇王竜に会いたいか?」
「ん、お嬢さん、なにか知っている――ぐはっ!」
言葉が言い終わる前に、アルのボディブローが突き刺さっていた。
「いつまで寝ぼけている。さっさと目を覚ましてワシに気づけ」
「がはっ――そ、そうか……お嬢さんが……げほっ」
よほど強烈な一撃だったのか、ひゅーひゅーとおかしな呼吸になりながらも、何とか状況を把握したのか、さてどうしたものかと真っ黒人は思案し始めるが、
「さて、目がさめたところでワシから話しがある。少し表にでてもらいたい」
「んー、俺としてはあんまり話すことはないんだけど」
「なに気にするな、ワシが問答無用で喧嘩を売るだけだ。ただし、代価は命で貰うがな」
「本気なんだな」
「当然。先代を倒した勇者と聞いてはな」
やれやれと本気で迷惑そうな顔をする真っ黒人のことなど無視し、一方的に。
その光景をみていたリノアはやっぱりこうなったかという顔で、せめて神殿内でやって下さいねと言うほか無かった。マグナはただ、神殿をあまり壊すなよとあまり意味のない忠告。
そして、とんとん拍子に喧嘩――という名の(アルにとっては)殺し合いが始まろうとしていた。
状況についていけない真っ黒人の連れとイギナは何が始まるのかと二人の行方をはらはらとした表情で見守り、千裕はただ右目が強く疼く感覚に囚われていた。
真っ黒人ことルードは、眼前の竜に対してどこまで本気で相手をすればいいのか悩んでいた。
目の前の覇王竜と、自分が殺した覇王竜との間にどんな因縁があったのかは知る由が無いのに加えて、王の使いとしてこの場にやってきたため、いきなり殺し殺されの展開になるとは予想外の事態。
だが、目の前の竜が本気で殺意を向けてきており、そのプレッシャーは昔対峙した覇王竜と変わらないほどのもの。
そのため、本当に殺す気でいかないと逆にこちらが本気で殺されそうな気配がひしひしとしていた。
「たく、覇王竜を名乗るぐらいならもう少し懐の広いところ見せてくれよ」
歴史に残る初代の覇王竜は、どのようなことがあっても人の味方であり続けたことを聞いたことがあるし、ルードが殺した竜も、もろもろの事情が絡み合った結果、自ら首を差し出してくれた。
苦い思い出を抑えながらも、ルードはおどけた口調でアルに問いかけてみる。
「悪いな、ワシはたかだか四百年しか生きていない子供でな。覇王竜の称号も先代から勝手に引き継いだに過ぎん」
アルの言葉に、ルードは「あんた、まだ幼竜だったのか」と苦笑をする。
結局のところは、ただの子供のわがまま。何を言っても無駄なんだなと悟り、ルードは覚悟を決めることにした。
真っ白の空間。何も無いだだっ広い祭壇と呼ばれる部屋の中央で二人は立ち止まる。
「さて勇者。覚悟はいいか?」
「なんの覚悟だよ。命を取る覚悟も取られる覚悟もまったく無いんだが」
「ふん、それは竜心炉を持つ余裕か?」
「お嬢さんはそんなことまでわかるのか」
「ふん、人と竜の血が混じった臭いがぷんぷんする」
忌々しいと吐き捨てるアル。
「先代の仇とワシの私怨の下、ここで朽ちろ勇者よ!」
号! と、アルが吼えた瞬間、神殿内の空気が一変した。
「精霊ども! ワシの力を糧に働け!」
「ちっ!」
爆発的にアルの力が増幅したのを感じ、ルードは素早く言葉をつぶやくと内に眠る竜の力を目覚めさせる。
この瞬間、覇王竜と勇者の戦いが始まった。
千裕がその場で見た光景は、単純に言えば、ただの殴り合いでしかなかった。
素早く懐にもぐりこんだアルがルードの体めがけて拳を突き出す。狙いなど定めずただ振り回すだけ。
だが、普通の人間相手には、どこに当たろうと全てが一撃必殺の威力を持っているであろうその拳は、ルードにヒットするたびにすさまじい衝撃音を響かせていた。
ルードもただ殴られるだけに終わらず、アルが人の姿であることを逆手にとり、人体の急所である部分を徹底的に狙っていく。
互いの持つ竜の魔力が瞬時に肉体の損傷を修復するため平然と殴りあえているが、時折ミスをして拳が地面や壁に突き刺さった時にできるクレーターが、その威力のすさまじさを物語っている。
腹に顔面にと、とにかく殴り続ける二人を見つめる千裕を始めとした観戦者達はただ戦々恐々としていた。イギナとルードの連れは、既に振るえが止まらず真っ青な顔になっている。
いや、リノアとマグナはこの喧嘩の後片付けどうしようかとそっちの意味で戦慄していたのだが。
千裕はただ一人、恐怖と同時に、どこか懐かしい光景に囚われていた。
それは千裕の記憶にない、昔の出来事。
まだ目の前の男が黒い姿でなく、自分が男を見下ろしている光景。何かを訴えるように叫ぶ男に、自分はいったいどのような答えを出したのか。
思い出そうとするほど右目の疼きがいっそう酷くなった。