厄介ごとが起こるのはお約束
「腹減った……」
目がさめて、千裕が開口一番つぶやいた言葉がそれだった。
考えてみれば、自分のいた世界で昼飯を食べたのが最後、家に帰る途中でこちらに呼び出され、その後はずっとこの世界をうろうろしただけで食事は無し。朝になって、精神的に余裕が出てきたところで、強烈な空腹感に襲われた。
リノアになにか食べるものが無いか聞いたら、
「あぁ、そう言えばそうでした」
とマジボケをかましてくれた。
聞けばリノアとマグナは、水だけあれば生きていられる体らしいため、すっかり忘れていたらしい。そんな状況だったため、当然食料の備蓄もあるはずがない。
「ならばワシらで外へ行く。金をくれ」
居合わせたアルも、今は人の姿のため食事が必要だから千裕と共に食べに行くと提案た。
千裕もアルも当たり前に手持ちが無いので当然の請求だろうが、もうちょっとオブラートに包んでもいいんじゃないかな? と言いたい気分になる。
「そうですね。ですが、無駄使いはやめてくださいよ」
そう言いながら手を出したアルでなく千裕に渡された皮袋。ズシっとした重みに、本当にコレだけ朝食を食べるだけに必要なのか疑ってしまう。
「なぁ、俺この世界の金銭の相場を知らないんだが、本当にコレだけ必要なのか?」
「いえ、食事だけでしたらその中の硬貨一枚で十分おつりが来るのですが、その他にも、身の回りに必要な生活必需品も購入してきてください」
その服では目立ちますよ、と今更ながらに学生服のことを指摘されてしまったが、それならそうと早く言ってくれと内心あきれる千裕。
「今日は私は共についてゆけませんので、お二人で街の中を見回ってください」
「ふん、むしろ望むところだ。お前がいても邪魔にしかならん」
「それは失礼しました、ではごゆっくり」
そう言われて、千裕とアルは外へ送り出された。が、
「さて……どこへ行けばいいんだ?」
昨日案内してもらった範囲の中に食事ができるところなどは入っていない。
「ならワシが案内する」
「できるのか? ここにいたのは昔の話だろ?」
「ワシの鼻任せれば問題ない」
「人の姿なのに?」
「ふふん。ワシは人間の姿でもハイスペックだ」
「なら、期待しているぞ」
まかせろ、と自信満々で歩き出すアルの後ろを千裕はついていくことにしたのだが……
「おい、どーゆーことだ。生肉がないぞ生肉が」
「普通の店にそれは無いだろ」
喫茶店を見つけたのはいいが、メニューを見て、生肉が無いことにアルはご立腹。
ちなみに最初、まだ開店前の生肉店に突撃しかけたのを見て、やはり野生の獣と言うことを思い知らされた。その時に解体中の肉を見てしまって、千裕はしばらく肉は食えない気分になった。
「しかし、考えたら俺、メニューが読めない」
「安心しろ、ワシは料理の内容がわからん。だが、腹に入れれば何でも一緒だろう。なにせワシが山にいたころは、ある物全て生で食べていたぐらいだからな」
それは獣特有の考えで、人間にはまったく当てはまらないんじゃないのかと千裕は言いたかった。
「まぁ、オススメを頼めばいいだろう。店を出しているくらいだ。不味いモノはあるまい」
「……そうだな」
と千裕は相槌を打っておくが、その考えで姉に連れて行かれた店で地雷を踏んでいる実績があるためいまいち信用は出来ない。
「いらっしゃいませ。ご注文は決まりましたか?」
にこにこと笑顔でやってくるウエイトレス。すかさず、肉を出せ、と言いかけたアルの口を千裕は手で塞ぐ。
「店のおすすめを二人分を」
「かしこまりましたー。それにしてもお二人は旅人ですか? 珍しい服装をしていますが」
「あぁ、北からな」
ウエイトレスとしては何気なく聞いた質問だったのだろうが、アルが答えた瞬間、千裕とアルの目に気がついたようで、ものすごく驚き、そそくさと立ち去っていってしまった。
「なぁ、あれって……」
「ワシらが獣人だと思ったのだろう。まったく、めんどくさいな」
「何でそんなに獣人は嫌われている――というか避けられているんだ?」
「それはだな、ワシもリノアから又聞き程度に聞いた話なのだが――」
そこから説明されたのは海を挟んだ北の大陸の話し。
豊富な資源と遺跡から発掘された古代技術を使い発展した、世界最強と謳われる帝国が所持する技術の一つ。
戦場で戦う人間を手っ取り早く強くするための手段の一つとして、人の遺伝子に獣の遺伝子を混ぜて生み出した戦士。
それが“獣人”と呼ばれる人の知能に獣の力を持たせ存在。ちなみに、ここでアルがどれだけ竜を獣人と見るのが愚かしいか力説していたところをみると、昨日のことは随分根に持っていたようである。
そして、獣人は過去帝国軍の戦場に何度も投入され、剣を振るう敵兵士にとっては絶対的な驚異となる。
帝国がこの大陸に侵略した際も獣人は投入され、この大陸の人間達と敵対した。そのことが、この大陸の人間に獣人に対する差別意識をもたらしていると言う。
ちなみに戦争が終結した現在において、この大陸に放たれた獣人は帝国に回収されること無く、大体がこの大陸の北にあるエルベア大森林という場所に身を潜めて、人前には姿を見せないらしい。
そのことを聞き終えた千裕は、人種差別ってどこにでもあるんだなー、と思うと同時に、自分がその立場に立って複雑な気分になる。
「戦争は何百年も前に終わって、被害者や加害者の当人達はとっくにご臨終しているんだろ? しかも、今は森に引きこもって出てこない相手に、なんで差別意識が風化しないんだ?」
「さて。ワシがこの街にいたころは、獣人の差別は当たり前だったからな」
だが、エルミュシア王国としては獣人に対する意識の垣根を取り消そうとしていたらしい。なぜなら、下手に獣人との対立が起きて、それが切欠で再び帝国との争いまで発展してはたまらないからだ。
「まぁ、ワシが山にいた間に獣人が人里に出てきて何かしでかしたのだろう」
その考えが妥当かなと千裕も思う。後でリノアに聞いてみようと、心の中に留めておくことにした。
「ご、ごちゅうもんの品おもちしました」
ウエイトレスはテーブルに手早く料理を並べて、すばやく立ち去っていく。
あまりに慌てていたため、入ってきた客にぶつかりそうになって頭を下げているほど。
「……いいけどさ」
ウエイトレスの態度にちょっと傷つきながら眺めていた千裕。その時、ウエイトレスがぶつかりそうになった男性客と目が合う。
「おぉ! 見ろ、片目だけ違うぞ。獣人の血も随分薄くなったなー」
堂々と千裕の容姿を口にする男。隣にいた女性客はあわあわと慌てだす。
「あんた、何言ってるんですか!? ココで喧嘩でも始める気ですか!」
「別に本当のことじゃねーか。なーなー、にーちゃん。俺と一緒に話ししようぜ!」
なれなれしく千裕達に近づいてくる男。
真っ黒な髪に真っ黒な目。さらに全身真っ黒な服で整え腰に携えている剣の鞘も真っ黒の真っ黒人(千裕命名。でも、肌は逆に白いぐらいだが)。
「あいにく俺は、男にナンパされる趣味は無いんで。あんたの連れと喋ってればいいだろ」
あまりになれなれしいのと、いろいろあって気が立っていた千裕は、思わず喧嘩腰に返事をすると、
「気にするな! おっ、そっちのお嬢さんは両目か。見ない格好だが二人はどこから来たんだ? やっぱり北の大森林か?」
逆に面白がって千裕の隣に腰掛け、挙句に料理に手を伸ばそうとする。
「あんたはちったぁ自重しろ!」
「あべし!」
女性に顔面をテーブルに叩きつけられる真っ黒人。千裕もアルもとっさに皿を持ち上げ被害を回避。
「連れが迷惑をかけて申し訳ありません!」
びしっと、背筋を伸ばし頭を下げる女性。
真っ黒人とは対照的な真面目さに、こっちはこっちで絡みずらいなーと思う千裕。
「さっさと食事をして仕事に行きますよ!」
「いいじゃねーか――あっ、イタイ! 耳引っ張らないで!」
そしてそのまま真っ黒人は女性に引っ張られて別のテーブルへ行ってしまった。
「……なんだ、あの男は」
飄々としていたが、どこか底知れない得体の知れなさを感じた気がした――とか表すとかっこいいかなと千裕は思う。実際のところはインパクトはあるくせに、なぜか空気のように透明でつかみ所のない不思議な印象が正直なところ。
「さてな。だが敵に回したくない類の存在だ」
いつの間にか皿の上の料理を食べ終えていたアルがポツリとつぶやく。
そう言えば、あの真っ黒人が現れた頃から今まで一言も差しゃべらなかったな、と千裕は始めて気がつく。
「アル……?」
「間違いなくアレは……いや、だが、大丈夫だワシの敵では――無い」
なにか自分に言い聞かせるようにつぶやくその姿に、千裕は真っ黒人の姿に視線を向けた。
相変わらず騒がしく、連れの女性に獣人がどうこうとはしゃぎながら言っている。
いったいあの真っ黒人は何者なんだ? と思いながらも、アルがさっさと食べて出るぞ、とせかしながら、千裕は料理の形も味も堪能する前に料理を胃の中に詰め込まれた。
さっさと料金を払い店を出た後も、なぜかアルの機嫌は戻らずぶすっとした顔をしていた。
獣人と言われたことに対する嫌悪感以上に、あの真っ黒人のことで不機嫌なのは明白なのだが、その理由が千裕にはわからない。
「あのさ、何を気にしているか知らないけど、理由を話さないまま不機嫌になられても困るんだが」
「……たしかにそうだな。すまなかった。あの男とはワシ個人で後々決着を付けておくから、お主はなにも心配することはない」
なんだか一方的に因縁を付けている気がしないでもないが、アルが機嫌を直してくれるのなら、あの真っ黒人には犠牲になってもらおうと心の中で合掌をしておく。
「んじゃ、次は服を見たいんだがわかるか? これは匂いではさがせないだろ」
「あぁ、それなら――」
当然、一軒ずつ探して回るという選択になる。
「つーか、人に聞いた方が早くないか?」
「なんだ。お主はそんなにワシと歩きたくないのか?」
「いや、歩きたくないっつーか、ロリコンに見られたくないと言うか……」
現在は人通りの少ない裏道を歩いている(実は迷子)ため、あまり人に見られる心配は無いが、アルと歩いていて実際そう見られてもおかしくないことに千裕は気がついてしまった。
「ろりこん?」
「あー、まぁ、一言で小さい子が好きなやつのことだ」
「ん? 子供が好きなのはダメなのか?」
「いや、親ならいいんだけどね? って、この世界じゃ、大人が子供に手を出すのは倫理的にどうなんだ?」
「その辺りは当人同士の合意なら問題ないだろう。人の子より小柄の種族と婚姻している人間の話しもよく書物に出てくるぐらいだ」
「そうなのか」
変な目で見られるこが無いことには安心するが、だからと言って千裕が幼児体型が好きかは別の話し。
「そうだチヒロ、お主に一つ聞きたいことがある」
「なんだ?」
うむ、と一つめんどくさそうにうなずくと、
「お主は厄介ごとを見かけると、首を突っ込む性格か?」
なぜそのようなことを聞くのか、アルに問う前に気がついてしまった。
日のとどかない建物の影から、なにやらよろしくない雰囲気の男女の声が耳に聞こえてくる。
「ちなみに女は口をふさがれて今にも攫われそうだな。男は人売りだろ、良い値がつくとか言っているのが聞こえるしな」
会話がバッチリ聞こえているアルは、千裕を見ながら、さてどうしたい? と目で問いかけてくる。
「なぁ、お前は俺に何を期待しているんだ?」
「なに、あの異邦人に聞いたのだが、お前のような人間は積極的には善行はしないが、目の前に厄介ごとが現れたらどうしても首を突っ込んでしまうと聞いていてな」
そしてもう一度千裕を試すような目で見る。
たしかに、漫画だとそのパターンは多いし、実際にも目の前で困っているのを無視するの心苦しい。だから――
「あぁ、お前の言うとおりだよ――!」
千裕もまた、そのご多望にもれない人種だった。
(まだこの世界での生活二日目だぞ、喫茶店といい今といい、何で立て続けにめんどくさい事態が発生するんだ!)
そんな苛立ちを抱えながら千裕は物陰へ向かって歩き出す。
「ふふっ、そうか。お前はそういう人間か。なら、ワシも困った時は助けてくれよ」
うれしそうに腕にしがみついてくるアルの姿を見て、なぜ試されたのか納得が出来た。でも、お前は俺の助けなどいらないだろうと突っ込みたいが、そこは乙女心というやつで納得しておく。
とにかく今は、自分に竜の力が本当にあるのか試したい気分と、胸に渦巻くいろいろなもやもやをぶつけるため、八つ当り同然に誘拐犯をぶっ飛ばそうと千裕は心に決める。
そんな千裕の耳元でアルは「ワシもお主が困っていたら絶対助けるからな」と、安心させるように優しくささやくのであった。