歩くその街
あの後、質問を失った千裕を見て、リノアは気晴らしに街を案内しますと申し出た。
千裕も気分転換にと承諾したが、それにヘソを曲げたのはアルだ。
彼女としてはさっさと自分の巣に戻りたかったのだが、千裕がそれを拒否したため拗ねて駄々をこねたが、結局二人の後をついて行くことで落ち着いた。
「さて、まずは今居る場所。この竜都『ヴァラノワシル』の中心にしてシンボルである降竜殿を案内します」
部屋を出てやはり驚かされるのは、圧倒的な白の空間だった。この空間事態が竜が降臨するべき祭壇であり、この部屋の脇にあるいくつかの部屋は、使用人たちの部屋とか、王と竜の逢瀬のためとか、いろいろ事情がある時に使うとか。
でも今は、リノアとマグナの二人だけで暮しているのだと言う。
だから、これからはチヒロさんも遠慮なくココで暮らしてくだると嬉しいですとリノアが言ったら、アルがさらに拗ねた。でも、千裕に拒否されたばかりなので、どうしようもないもやもやを胸に抱えながら、とりあえずただ吼えておく。いくら人間の姿とはいえその声はバカでかく、神殿中に響き渡るほどだった。
それをリノアはしょうがないですね、とただ苦笑し、千裕はどうすればいいのか困っていた。
「ふん、いいさいいさ。まだチヒロは人としての生活を忘れられないでいるだけだ。いつかはワシと一緒に暮らす気にさせてやる」
「そうですね。がんばってください」
無責任に応援するリノアに、あんたはどっちの味方だと千裕はジト目の視線を送る。だが、当然華麗にスルー。
「まずは、先ほど伝承でも話したとおり、ここは初代“覇王竜”のための神殿なのですが――」
「ふん。こんな場所、初代の存在が伝承通りなら、入りきるはずが無いだろう」
「ですね。聞いた話では三千年以上を生きた竜だと言われています。その大きさは島一つを凌駕する大きさだとか」
「だな。三千年前と言えば法樹の根道の時代だ。あのころは空にとどくほどのデカイ生き物がうじゃうじゃいたと聞くから、初代もそのご多分に漏れなかったのだろう」
また、千裕には分からない用語が出てきたが、今はただ、あのアルよりデカイ生き物がうじゃうじゃいる時があったのかと、その話しだけに驚いていた。
「そのため、人に創ることが出来る限界がここまでだったのでしょう。それにあわせて、初代“覇王竜”は人の姿では何度も訪れたと聞きます」
リノアの言葉に、なにやら腹に据えかねたアルは、ふん、と大きく鼻をならす。やはり、リノアは苦笑するだけだった。
昔話となると、やはり蚊帳の外になってしまう千裕は、一人きょろきょろと辺りを見回す。
本当にただ真っ白で何も無い場所。清潔と神聖しか存在しないのかと思わせる光景に、今でも尚“覇王竜”と呼ぶ存在が、人々にとってどれだけ敬意を払い信仰の対象となっているか、想像に違わぬものだろうと考える。
「チヒロ、なにかめずらしいものでもあったか?」
観賞に浸っていると、アルは不思議そうに声をかけてきた。
「いや、この場所、凄く綺麗だなって思って」
「ふふっ、そのことはマグナに伝えてあげてください。この神殿の管理は彼女一人で行っているのですから」
その言葉に信じられないと言う顔をする千裕。
見た目のずぼらな印象をもさることながら、これだけの広さのものを一人で管理するなど物理的に無理なはずだ。
「正確にはマグナではなく、ヤツが使役する妖精だ。あの女、伊達に“時の魔女”などという二つ名をもっているわけではなくてな」
あと、“聖医”という称号もありましたねとリノアが付け足す。
「この神殿の掃除や点検は、すべて自分の配下の妖精どもにやらせて、自身は妖精には出来ないことをやっているだけだ。だから、この光景もすべて妖精の手柄だ」
敬意や信仰心はまったく関係なかった。千裕は自分の見る目のなさに「あっそ」と呆れながらつぶやく。
だが、こんどは妖精という存在に興味がわいてくる。
「この世界では妖精は当たり前にいるのか?」
「いる。しかし、ワシらと妖精達は互いに干渉できない立場にある」
「でもさっき、妖精達が――って言ってたよな?」
「そこが、マグナが“時の魔女”と呼ばれる由縁だな」
いまいち説明になっていないが、あれこれいっぺんに説明されても、理解できる自信がなかったので、今はそーゆーものなんだなと千裕は自分を納得させておいた。
「では、そろそろ外を見て回りましょうか」
リノアの言葉に、千裕は頷く。やはりここは、ファンタジーのお約束である中世ヨーロッパ風の街並みなのだろうか、などと冷めた考えをしていると、
「さて、ワシがいた頃からどれだけ変わっているか、楽しみだな」
意外にも、アルの方が街へ出ることを楽しみにしていたのであった。
街に出た千裕が目にした光景は、予想したお約束のファンタジーとは違ったものだった。いや、たしかに想像通り、石畳の道にレンガと木の家――といった光景もあったが、街の一部、特に南西側は、中世どころかまるで産業革命期のような風景があった。
鉄筋のマンションがいくつか立ち並び、白煙を吹き上げる工場が存在し、千裕から見れば古臭い型だが、車も数が少ないながら道を走っていた(リノアも所持しているらしい)。
驚く千裕とは裏腹に、アルが冷めたような声で「退化したな」とコメントする。
リノア曰く、異邦人の知識で他国には無い技術革新が一時期は進んだが、資料は戦争で焼かれ、異邦人はいなくなり、何代か前の王がその技術を隠匿するようになった結果、次第に異界の技術知識を持つ人間は減り、マンションを建てられるような建築士はいなくなり、車はアンティークとなり、今では毛織物工場と食品加工工場ぐらいしかまともに機能していない。しかも、その工場も設備を整備できる人間の数が少ないとのことなので、その整備士が倒れたら王都から人を呼ばない限り終わりだと言う。
なんだか自分のいた世界と大して変わりないのかなと千裕は考えていたが、そこはやはりファンタジー。機械には、人の知識と技術だけでなく魔術という、千裕から見れば異端の技術も組み込まれていることを聞いて、どこかほっとしたような、苦笑せざるおえないというか、そんな複雑な気分にさせられた。そして同時に、そのあたりのレクチャーも受けなけなければならないのかと、ちょっとめんどくさい気分になる。
そして神殿から東へ程なく歩いたところで、ここが街の顔である商店通りです、とリノアが案内してくれた。
たくさんの店や露天が立ち並ぶその場所は、想像以上人の活気であふれていた。
「なんかすごくに賑わっているけど、祭りか何かが?」
「えぇ、そうですね。ある意味お祭り――といえるかもしれません。何せ、四百年ぶりに竜の存在を人々が目にしたのですから」
「あぁ、そうだったな――いや、それだと……おい、リノア。この国は今どのような情勢だ?」
「大丈夫ですよ。確かに明日か明後日ぐらいには王都から使者がいらっしゃると思いますが、私の予想できる範囲であるならアルベリアさんが懸念することはまずありません」
「当然だ。いきなりワシの力を借せなどと言って来たら、問答無用で焼き払ってチヒロと共にどこかへ飛び立っている」
「そのようなこと言い出すのなら、それ以前に、わたしとマグナが許しませんよ」
「ふっ、すでに半ば見限り、ここに引きこもっているお前たちが?」
バカにする様に鼻で笑うアルと、何時もの余裕のある笑みではなくどこか暗い笑みを見せるリノア。
相変わらず仲の悪い空気を漂わせる二人だが、千裕はそのやり取りを見ながら別のことを考えていた。
この国は昔、竜が不在になったことで戦争が起きた。そしてその火種はまだあると見受けられる、とリノアから説明された。
だったらこの国にアルベリアという本物の“竜”の存在が確認された今、その力を借りて他国へ――という選択肢もあるのだ。
戦争。
日本で平穏に暮らしていた千裕には、聞きかじった言葉で、曖昧にしか理解することしかできない出来事。
「安心しろチヒロ。もしどのようなことがあったとしても、ワシが全力で守る。というより、お主もタダの軍隊程度なら一人で蹴散らせるだろうが」
「いやいや、俺、普通の人間だよ!?」
普通の人間に、そんなゲームの無双キャラのような真似できるはずが無い。
「何を言っている。お主は竜眼を持つ存在。それが普通であるわけがないだろう。ワシと同等――とは言わぬが、その半分程度の力なら持っている。そしてその力は人間程度に負けるものではない」
まぁ、先代を殺したような“勇者”や、戦場の覇者である“英雄”には通じないだろうがな、と付け加える。が、千裕は思わぬ事態に、少々動揺してしまう。
「で、でもそんな感じ、まったくしないんだけど」
「今は人間の理に引きずられて自覚が無いだけだ。なに、ワシと共に暮していれば次第にその力を自覚するだろう」
にわかに信じられない言葉に、ただ目を丸くするしかない。
だが同時に、自分がマンガのようなキャラになれることに心踊るものがあった。
もし、自分の立場が、時々酷い中二病をこじらせる姉であったらどうだったか。少し想像したら、思わず吹き出していた。
「どうした? いきなり笑って」
「何か面白いものでもありましたか?」
不思議そうに見る二人に、千裕はなんでもないと手を振って答える。
そして再びリノアの案内であちこちと見て回っていると、住人達がリノアに気がつくと「巫女様」「巫女さま」と話し掛けてきて、次第にリノアの周りは人だかりとなっていた。
主に人々が口にする話題は北の山に現れた竜のこと。リノアは声をかけてくる人たち一人一人に笑みを見せて言葉を交わしていく。
当然そうなれば、千裕とアルは次第に蚊帳の外へ追い出されていった結果、二人は人ごみの外からその様子を眺めることになった。
「なんか、凄く人気あるね?」
「あぁ、リノアは“竜の巫女”でありこの街の代表であり領主だからな」
「領主」
「ワシがいた山も含めてここら一帯はリノアの領地だ」
「あんな見た目な子が領主ねぇ。よほど善政を布いているか見た目にだまされているのか」
領主と言うのは、税の取立てや無茶な法の立ち上げなどで、嫌われ役になるというイメージがある。
千裕の言葉にアルがぷふっと笑った。
「リノアとマグナが共に無駄に長い時間を生きていることを民達は知っているよ。まぁ確かに、ただの人間の領主では出来ないことをやっているという――という点でを上げれば善政と言えるだろう。そういった意味では、今まで姿を見せなかった竜よりも崇められている存在だな」
なにやら意地の悪い笑みを見せるアル。
千裕は詳しく聞いていないが、リノアもマグナと同様アルが生まれる前より生きていた存在だ。
今はまだ、いろいろとこの世界に対して知らなければならないことが多すぎるためその辺りは後回しにしているが、いつかは彼女達の出生も聞いてみたいところだなと思った。
「――それではすみません。今日はこちらの旅の方達をご案内しておりますので」
街の人たちに頭を下げながらリノアは話しを打ち切った。
そして、そそくさと逃げるように人ごみから遠ざかったところで――
「ふむ、旅の方達――と」
アルが皮肉っぽく言う。
「まさか、本当のことを言えるわけもないでしょう」
「ワシは別に構わんが?」
挑発じみたアルの言葉に、はいはいと軽く受け流す。
さて、次はどこを見て回るのかと思っていた千裕にだったが、リノアはすみませんと謝ってきた。
「街をじっくり見て回るのはまた次の機会にお願いします。今日は、チヒロさんの世界には無い施設を紹介しておきたいので」
「俺の世界には無い施設?」
「はい、次に案内するのは冒険者ギルドと申します」
冒険者ギルド――その名前はを聞いた瞬間、いよいよもってファンタジー感が出てきたなーと、施設の内容を千裕が想像していたら、
「なんだ、あの乞食連中まだ生きていたのか」
呆れた声でアルが言う。その率直な意見にリノアが苦笑い。
「まぁ、アルベリアさんが街にいたころは、確かにそのように言われても仕方がない集団だったんですけどね」
「仕方がないもなにも、力自慢のいい大人が、大言壮語ばかり吐いてわ日銭を稼ぐ程度のやつ等ばかりで、ワシが知る中での本物の冒険者など両手で数える程度だったぞ」
「ですが、昨今ではアルベリアさんが言う、本物の冒険者が多数いるのですよ」
「なに? どういうことだ」
予想外の言葉だったのか、アルは目を丸くする。
「約五十年ほど昔になるのですが、西方の大陸に広がっていた“死界の霧”が突如晴れたのですから」
「なっ!? あの霧がか!」
「えぇ。ですから今の時代で冒険者というのは、何でも屋であると同時に未知の地を開拓する先駆者であるため、国にとっては必要な職種なのです」
と、後半の言葉は千裕に向けたもの。多少専門用語を出したが、要はこの世界には冒険者がいるのだと、リノアは伝えたかったのだ。
「でも、そんなこと話すなんて、俺と何か関係あるのか?」
「んー、チヒロさんに――というよりも、お二人に、関係がありますね」
「「???」」
千裕だけでなく、アルも関係があると言われ、二人は同じタイミングで首をひねった。
「その辺りの事情はおいおい話していきますが、今現在において注意していただきたい点は、冒険者の中には幻獣――つまり、竜種を相手にする冒険者もいます。お二人が何も知らないまま、冒険者の方が口にした言葉に反応して、いざこざに発展はしてはほしくないからです」
リノアの言葉に、千裕は、あぁ、と思わず納得してしまう。
自分はともかく、隣で「冒険者程度に負けるものかよ」とアップを始めているアルの目が、どこか獲物を狙うように輝いているのを見て、何も起こらなければいいなーと考える千裕だった。
とりあえず、騒ぎになるようなことは控えてくださいね、と、あまり意味の無さそうなクギをアルにさすリノアだった。