人生によくある劇的な出来事、でも大概本人は蚊帳の外から始まる
場面はもどり、千裕と竜の邂逅後。
「し、死ぬかと思った……本当に死ぬかと思った……!」
大事なことなので二回言いました。
あの後、竜の腕に握られ(ここでも握りつぶされないかと本気でビビった)て地上に降ろされたため、激突は避けられたのだが、地面に立った瞬間足が震えだし、今も止まらない。
なにせ、夢とも現実とも区別がつかない間に、気がつけば強制スカイダイビングをやらされ、さらに巨大生物の突進を目の当たりにしたのだ。
おしっこちびらなかったことを逆にほめてほしいぐらいだと千裕は思う。
「よく来てくれたな、ワシ花嫁よ。あやつの約束を信じ、待ちわびた甲斐があったぞ」
ぶふん、と木々を靡かせる鼻息を出しながら、かわいらしい少女の声で巨大な竜が喜ぶ光景は不気味を通り越してシュール。
だが、千裕にとってはその巨体がちょっとでもぶつかるだけで押しつぶされそうになる光景が目に浮かんでは消えるため、竜の機嫌を損ねないようにどんな言葉をかけるのが適切なのか必死で探す。が、千裕の理解の範疇を超えた出来事を体験した後のパニックを起こした頭では、とてもこの場に適した言葉が浮かばない。
「ん? どうした、先ほどから震えて。あぁ、お主は人の身だしな。空の風はさぞ冷たかっただろう」
絶対違うから! といつものノリで突っ込みを入れたくなったが、恐怖が言葉を飲み込ませる。
「フム、初対面同士、緊張しているはわかるが、もう少し肩の力をぬけ。などといいつつワシも緊張しているのだがな」
わはは、と笑う竜。
いつもなら、嘘だ! と瞳孔開いて突っ込んでいるぞ、と、千裕は内心思いながら、なんだか緊張が解けてきた気がした。
なにせ、目の前の竜はいつもどこかで相手をしている人物そっくりに見えてきたのだから。
どこか傲慢な態度でありながら、ピントのズレたボケた言葉。ソレでありながら憎めない気安さ。まるで、いつもべったりと張り付いて、友人にはブラコンだなと笑われていた姉を千裕は思い出していた。
これなら何とかなるか? と勇気を出して話しをしようとしたら、
「しかし、うむ。お主の右目、似合っているぞ」
「は?」
思わぬところで思わぬ言葉。
千裕の人生において、右目単品を指してほめられたことなど一度も無い。むしろ、ほめる意味が解らない。
あまりの突飛な言葉に、思わず訝しげでありながら間抜けな声が出てしまった。
が、出た後でしまった、と千裕は慌てて口を閉じるが、竜の方気にした様子も無くあっけらかんと言う。
「お主の竜眼だ。いや、正確には先代のだがな」
「????」
千裕にとって意味不明の専門用語が出てきて、無意識の内に顔をしかめていると、こんどは竜の方が驚いた声を出す。
「何だお主、こちらに来る時、あやつから何も聞いていないのか?」
聞いていないも何も、事故にも等しい切欠で来てしまった為、竜が誰のことを言っているのかすら理解が出来なかった。
「ならば鏡か何かで自分の目を見ることだな。ワシと同じ美しい金色をしているぞ」
そう言われて、千裕は慌てて持ち物を探ろうとして始めて自分が何も持っていないことに気がつく(たぶん、空に放り出されたときに全て手放してしまったのだろう)。とりあえず、制服の内ポケットに入っているケータイ(コレだけはポケットをボタンでとめていたから無事)を取り出す。
その取り出したブツを見て「うわっ、趣味の悪い色……」と竜自身は小声でつぶやいたつもりだろうが、地声がデカイため、千裕の耳にはしっかり耳に届いていた(ちなみにショッキングピンクと蛍光黄緑のマーブルカラー。姉に塗装された)が、そんなこと今さらなので無視。
ケータイに張り付いている鏡で自分の顔を見た瞬間、
「何じゃ、こりゃあ!」
まるで自分の手についた血に驚いた刑事の様なリアクションを千裕はしていた。
なにせ写っていた自分の顔の右目が、日本人特有の黒目ではなく、まるで獰猛な肉食獣のような鋭い金色の瞳に変わっていたのだ。
「お主、何をそんなに驚いているのだ?」
「いや、だって、マジでワケわかんない。どうしてこうなった?」
「だからそれがワシの花嫁となる証だろ」
「だから、そもそもなんで俺が花嫁なわけよ!?」
もう、恐怖もおびえもすっ飛び、とにかく思うままに言葉を口から出していることに気がつくが、この際いけるところまで言ってしまえと開き直っていた。
「?? あやつは、ワシの花嫁となるにふさわしい人物を捧げると言っていた。そしてワシの期待に違わぬワシ好みの人物をくれたではないか」
あれ? いつの間にか俺この竜に気に入られてる? と、ここで始めて千裕は始めて事態の重大さに気がつき始めた。
「いやいや、捧げるとか違うから。俺、偶然金色の玉を拾って、気がついたらここにいただけだから」
「うむ、その金玉が先代の竜眼だな」
うれしそうに金玉言うな。と千裕は内心で突っ込んでおく。
目の前の竜に言われると、なんだか股の辺りがキュッ縮み上がる思いがした。
「詳しい事情は知らんが、どんな切欠であれ竜眼を所持してワシの前に現れたのだ、ワシの花嫁になってもらうことは約束されているのだ、そこは諦めろ。だが、ワシはお主を気に入っている。お主の寿命が尽きるその時まで、一生可愛がってやるぞ」
ぐふふと、スケベオヤジが舐め回すように視姦する時のような下卑た声で竜が笑う。
可愛い声なのにすごくもったいない、と残念な思いが一瞬でも千裕の頭によぎった時点で、もはやこの場に完全に適用してしまったのだろう。
しかし、現実問題として、この竜の勘違い――つまり花嫁ではなく、花婿であることに関して突っ込もうとした時――
「むっ、やはり来たか」
いきなり竜が怪訝な声を出した。
視線も千裕から、その後ろの先へ。何事かと千裕もそちらを振り向けば、現れたのは一人の女性だった。
明らかに手入れを怠ってぼさぼさの赤銅色をした長い髪の女性。よれよれの白衣を羽織り、タバコを銜え、やる気のなさそうな表情をしながらも、ただ、妖艶で美しい顔つきとナイスバディが、全てをプラスへ持っていくズルイ大人の見本というのが千裕の第一印象。
だから、彼女の持つ紫紺の瞳の奥に見えた、言いようのない不気味な感じは、千裕の勘違いだと思いたかった。
「おーおー、やっぱり来てたか花嫁――……あれ、花……嫁?」
おいおい、アイツ明らかに男だろという、まさに確信を触れている目で千裕を見つめる。
千裕は、あの人は俺が男だって分かるんだとなぜか感動してしまった。
「久しぶりだなマグナ」
「あぁ、お嬢もな」
微妙に親しげではないものの、知り合いっぽい会話が始まるので、何とか女性に誤解を解いてもらえるよう一縷の望みを託し、この先の成り行きを見守ることにした。
「こうして顔をあわせるのもずいぶんになるな」
「そうだな、最後に顔を会わせたのはざっと三百年も前になるか」
あれ? なんだかおかしな年単位が出てきたぞ? と思いながらも、今は黙って話しを聞いていることが得策だと千裕は自分に言い聞かせる。
「相変わらず何も変わっていないお前その顔、何度見ても気持ちが悪い」
「仕方があるまい。それに、お嬢とてあれから変わった様子が見られないが?」
「人の枠組みから外れ、種の持つ寿命から百倍近く時の止まった日々を生きる貴様とワシを同じにするな。それにワシは四百年近くしか生きておらん。種の寿命から見ればあと百倍は生きられる。これからが成長時なのだよ」
なんだかいろいろと突っ込みたい気分になってきたが、今はまだ我慢。
「まぁ、いいさ。それよりお嬢、それが例の――?」
「あぁ、あやつは約束を果たした。この通りワシの下に花嫁がやって来たのだ」
「あー、でもそいつ男だぞ?」
「?? オスだと何か問題があるのか?」
「いや、男だとあの異邦人が話していた花嫁の定義には当てはまらない気がするんだが」
待ちに待った言葉がキター! と千裕は内心で小躍りを始めた。が、
「そうなのか? だがワシはこやつを気に入った。問題は無い」
あれ?
「そうか、なら問題無いな」
なに?
「そういうわけだ、残念だったな少年。これから末永くコイツと暮らしてやってくれ」
女性はニヤリと不適な笑みを見せて、千裕の肩を叩いた。まるで始めから答えを知っていたかのような、意地悪い笑み。
この時の千裕の絶望感ときたら、もう言葉で語れるものではなかった。
「さて、マグナがここに来ているということは、アレもここに来ていると思うのだが?」
「あぁ、来ているよ。だが、なれない山登りでヘバっている」
「おいおい、なんでその程度でへばることがある」
「まぁ、めっきり動くことが無かったからな――と、ウワサをすれば、だな」
「お、おまたせ……ぜー、しました……はー、な、なんで山の入り口までしか転送出来ないのかし……あぁ、貴方が、花嫁、ですね……ぜーはー」
顔面蒼白でひーひー言いながら現れたのは、小柄な身の丈に合わないダボダボとした黒に金縁の黒衣を羽織った金髪の少女。ただ、マグナと呼ばれた女性とは正反対に、清楚(汗だくでそうは見えないが)で可憐(疲労でひどい表情だが)、それにどこか神聖な空気を持つ。まるで友人が話していたモニターの中の女の子みたいだと千裕は思った。だが、少女が持つその青い瞳は、まるで目の前にいる竜に似ていた気がする。
「遅いぞリノア。この別界からやってきたお客さんに、あれこれ説明するんじゃなかったのか?」
マグナのその言葉に、千裕は本当の意味で我に帰った気がした。そう、強制スカイダイビングとか竜との邂逅とか、常識外れの体験の連続だったため思考がバカになっていたが、よくよく考えなくても、千裕の暮らしていた場所に竜なんて非常識な生き物は存在しない。
それなのに、なぜその生き物が目の前にいるのか――?
多くの娯楽フィクションで語られた設定の出来事が、いつの間にかノンフィクションの現実になっていたことに気がつく。
「ええ、そう……です、ね……ぜーはー……ふぅ」
大きく深呼吸をすると、リノアと呼ばれた少女は落ち着きを取り戻し、その青い瞳でしっかりと千裕を見つめた。
その小柄な容姿からは想像も出来なかった恐ろしいまでの威圧感。
千裕の背中には嫌な汗がにじんでくる。
鼓動も早くなり、息が詰まる。聞きたくない、聞きたくないと頭で拒絶をしながらも、現実を受け止めるため聞かなければならないと理解している。
「貴方も既に、うすうすと感づいていらっしゃるとは思いますが――」
その先の言葉は、耳をふさぎたくなる。でも、そうしたところで現実は変わるわけではない。
「――ここは貴方の知る世界ではありません。あなた方の言葉で言うところの“異世界”にあたる場所です」
目の前が暗転した気がした。
(俺は一体どうしてこんなところにいるんだ……)
それは偽らざる千裕の本音だった――