揺れる水面
王都・中央市街。
偶然だった。
本当に偶然。
リシェルは書物を探しに来ていただけ。
理論強化用の魔導論文。
それだけのはずだった。
噴水広場。
視界に入った銀。
白いワンピース。
そして、その隣に立つ氷の少年。
「……は?」
足が止まる。
隠れるように柱の影へ。
見間違いではない。
セラフィナ・インフェルナ。
象徴。
完全にオフ。
笑っている。
ほんの少し。
それを、グレイスが見ている。
近い。
距離が、近い。
息が触れそうなほど。
⸻
胸の奥が、ぎゅっと締まる。
「何これ」
水が乱れる。
冷静に分析しようとする。
偶然だ。
たまたま会っただけ。
そうだ。
そうに違いない。
でも。
子供がぶつかりそうになり、
グレイスが自然に庇う。
一瞬、距離がゼロになる。
セラフィナの耳が赤い。
それを見てしまう。
完全に、見てしまう。
「……最悪」
逃げるようにその場を離れる。
足音が荒い。
自分でも分かる。
嫉妬だ。
はっきりと。
⸻
翌日。
訓練場。
グレイスはいつも通り。
何も変わらない顔。
それが余計に腹立たしい。
「今日、暇?」
唐突。
グレイスが瞬きをする。
「訓練後なら」
「じゃあ付き合いなさい」
強い口調。
レオルが吹き出す。
「お、なんだなんだ」
「黙って」
即答。
水弾が飛ぶ。
⸻
午後。
市街。
今度はリシェルが前を歩く。
妙に背筋が伸びている。
今日はいつもの制服ではない。
淡い水色のワンピース。
肩下の髪を少し整えている。
普段より、ほんの少しだけ柔らかい雰囲気。
「……珍しいな」
グレイスが言う。
「何が」
「その格好」
一瞬、固まる。
「変?」
「いや」
少し間。
「似合ってる」
直球。
何の悪気もない。
リシェルの思考が止まる。
顔が一気に熱くなる。
「……そ、そう」
声が小さい。
耳まで赤い。
⸻
露店。
焼き菓子。
「これ買いなさい」
「俺が?」
「いいから」
半ば強制。
二人で並んで座る。
沈黙。
いつもは理論がすぐ出るのに、言葉が出ない。
「昨日」
思わず口に出しかけて止める。
見ていた、とは言えない。
「何だ」
「……別に」
誤魔化す。
悔しい。
だが引けない。
⸻
「私も強くなる」
唐突。
「もっと」
グレイスが見る。
真剣だ。
「守られる側は嫌」
昨日の自分と同じことを言っていると気づいて、少し驚く。
「一緒に、強くなる」
小さく付け足す。
“隣に立つ”とは言わない。
だが意味は近い。
グレイスは頷く。
「そうだな」
自然な笑み。
それだけで、胸がまた騒ぐ。
⸻
歩く。
人混み。
今度はリシェルが少し躓く。
石畳。
バランスを崩す。
とっさに腕を掴まれる。
距離が近い。
支えられる側。
一瞬、目が合う。
心臓が暴れる。
「……離しなさい」
声が震える。
だが手は、ほんの少しだけ強く握り返している。
無意識。
自分で気づいていない。
⸻
「今日はどうした」
不意に聞かれる。
核心。
逃げられない。
少し沈黙。
そして。
「……たまには、二人も悪くないでしょ」
精一杯の平静。
だが頬は赤い。
視線は逸れている。
グレイスは深く考えない。
「悪くない」
それだけ。
だが優しい。
⸻
別れ際。
夕陽。
「また誘う」
思い切って言う。
後悔する前に。
「そうか」
あっさり。
「暇なら」
少し考えてから、付け足す。
その一言で十分。
リシェルの胸のざわつきが、少しだけ和らぐ。
完全な勝ち目はない。
でも。
逃げない。
⸻
夜。
部屋。
水を浮かべる。
今度は、揺れは穏やか。
「……負けない」
誰に、とは言わない。
でも分かっている。
炎と水。
距離は違う。
けれど。
自分は自分のやり方で。
好きになった以上、引かない。




