後編
シルヴィアを庇うようにその前に立ったリュシアンは冷静に言葉を発した。
「それについては俺と話をしましょう」
リュシアンは内心ほっとしていた。天然なのか違うのか、シルヴィアはノースラン殿下を慕い、崇める言葉を吐きながら彼の評判を地の底まで落としてしまっている。リュシアンは颯爽とシルヴィアを救うナイトでありたかったのに今まで出番が無かったのだ。
「リブロー男爵令嬢、暴漢に襲われたのはいつの事だ?」
「ええ? えっとー……あ、先月の十二日ですぅー」
「先月の十二日……」
リュシアンは手元の手帳をぱらぱらとめくる。
「ああ、リブロー男爵令嬢がランプ伯爵令息と〝黒薔薇の館〟に行った日だな、その日はシルヴィアは王子妃教育でずっと王宮にいたが」
「へはっ」
変な声がリブロー男爵令嬢から漏れてノースラン殿下は「は? ランプ伯爵令息だと?」と腕にしがみつく愛しい令嬢をまじまじと見る。
「ち、違うかもー。十日だったかもぉ―」
「その日はミスージ男爵令息と———」
「ごはっ! ち、違う、十五日、十五日でしたぁ―」
「えーと……その日は……ああ、あたりの日だ。その日はノースラン殿下と〝黒薔薇の館〟に行ってるね」
「ああよかったー……じゃなくってどうして全部知ってるのよ———」
(そりゃあ、義父上に許可を取って侯爵家の影をつけていたからさ)なんてことは言わない。リュシアンはにっこり笑っただけだ。これが事実だって今、リブロー男爵令嬢自ら言ってくれたしね。
「しかしノースラン殿下と一緒なのに暴漢に襲われたのか?」
その問いにリブロー男爵令嬢は詰まってしまった。一人の時に襲われて怖かったとノースラン殿下に泣きついていたのだから。
リュシアンは答えを求めず淡々と話を進める。
「それからドレスを破られたんだったな。そのドレスはラミハー子爵から贈られたドレスだと聞いているが、ドレスを破られた夜会にそもそもシルヴィアは出席していない」
「はあ? ラミハー子爵? 中年のスケベ爺じゃないか!」
ノースラン殿下は叫び声をあげてリブロー男爵令嬢に縋りつかれている腕を振り払った。
「それから噴水に落とされたといって濡れた服のままイッチーボ教授と彼の私室に消えたとか」
「イッチーボ教授は父上より年上だぞ!!」
ノースラン殿下は首をぶんぶんと横に振りながらリブロー男爵令嬢から離れようとする。
リブロー男爵令嬢は離されまいと必死にしがみつく。
既にシルヴィアがリブロー男爵令嬢を苛めたとかそれは冤罪であるとかの問題から遠ざかってきている。それでも名前の挙がった数名を除いて生徒たちは、教師も含めてこの滑稽な見世物がどういう決着になるのか興味津々で壇上を見守った。
「ミラ! お、お前は……お前はそんな女だったのか!」
「えーん、ノースラン殿下は私の事信じてくれないんですかぁー」
「たった今お前は〝何で知っているのか〟と言っただろう?」
「えー聞き間違いですぅーぅー」
「もしかして苛められていると言ったのも嘘か?」
「あーん、ノースラン殿下、酷いですぅー」
「胸を……胸を押し付けるな! 離れてくれ!!」
「殿下は他の女の人より私の胸が一番好きだって言ったじゃないですかぁー」
「だ、黙れ! それは内緒だ!」
ノースラン殿下はやっとリブロー男爵令嬢を引きはがし、眼下のシルヴィアに必死な目を向けた。
「シルヴィア! 助けてくれ! 私は騙されていたんだ!」
そんな縋りつく目のノースラン殿下を見上げてシルヴィアはにっこり微笑んだ。
「ノースラン殿下はいつも至らない私を指導して下さるご立派な御方ですわ。そのノースラン殿下が〝真実の愛を貫く〟と仰ったのです。それは私など考えもつかない深謀遠慮がおありなのでしょう。是非、真実の愛をその傍らのお方と貫いてくださいませ。私、応援しておりますわ」
「うふふーありがとうシルヴィアさまぁー」
嬉々としてタコのように腕に縋りつくリブロー男爵令嬢を振り払いノースラン殿下が出口に向かって「助けてくれー」と走り出す。
まさに扉から外に出ようとした時に戸口に現れたのは王宮から緊急の呼び出しの使者。
ノースラン殿下は使者にもろにぶち当たり「がるびっ」と謎の言葉を発して伸びてしまい運ばれていった。そうしてこの婚約破棄劇は幕を閉じたのであった。
ーー♦♦♦ーー
きっかけは国王が呟いた何気ない一言だった。
「ノースランに新しい爵位を用意してやらなければならぬかのう……」
誰ともなく呟いた一言、しかしその言葉はノースランの耳に届いた。
(新しい爵位? 私はローサイン侯爵家に婿入りしなくても良いのか?)
ノースランとシルヴィアの婚約は五年前に結ばれた。
第一王女、第一王子、第二王女、第三王女の次に生まれた末っ子第二王子がノースランである。
見た目だけは王家の王子王女の中でも極上、甘え上手の末っ子王子は甘やかされて我儘に育った。可愛いと思いつつ国王はこのポンコツな末っ子王子が心配だった。
だから国内でも有数の力を持つローサイン侯爵家と縁を結ばせたのだ。ローサイン侯爵家の子供は娘一人だが、その娘は優秀だと聞いているし、第一王子は健康で堅実、ゆくゆく第一王子が結婚して男児が生まれればノースランは臣籍降下することになる。それにはローサイン侯爵家は打ってつけだった。
しかし三年前にローサイン侯爵が再婚をし、連れ子ではあるがリュシアンがローサイン侯爵家に入った。そしてローサイン侯爵はこの義理の息子を甚く気に入り、様々な場所で自慢し褒めて回っているらしい。だから国王はローサイン侯爵が跡継ぎをその義理の息子にするのではないかと思ったのだ。
ノースランとシルヴィアの婚約は王家と侯爵家の正式な契約だ。しかし、将来ノースランが侯爵家に婿入りすることは口約束だ。
シルヴィアとノースランの婚約を渋る侯爵に国王が言ったのだ。第一王子が結婚し男児が生まれれば二人の籍をローサイン侯爵家に入れるから跡取りの心配はいらないと。
それでも渋る侯爵にローサイン侯爵家を公爵家に陞爵すると約束した。そんな地位などいらぬという侯爵に最後は昔の恩まで持ち出して婚約させた。
とはいえ第一王子はその当時十五歳、男児の誕生などいつになるかわからなかったので(第一王子は来年結婚、今現在でもいつになるかわからない)婚約以外は口約束だった。
その後ローサイン侯爵が結婚し連れ子とはいえローサイン侯爵家に男児が誕生し、ローサイン侯爵が彼をべた褒めしているというので跡継ぎを彼にするつもりなのだと国王は考えたのだ。
実際はローサイン侯爵は国王との口約束を律儀に守るつもりでいた。
だから気に入ったリュシアンに良い入り婿先を探そうと方々で褒めまくっていたのだった。
国王はノースランのローサイン侯爵家への婿入りを諦めたが、シルヴィアとの結婚をあきらめたわけではない。シルヴィアは優秀で気に入っていたし、ローサイン侯爵家の後ろ盾も必要だ。万が一、第一王子に何かあってノースランが立太子することになってもシルヴィアがカバーしてくれてローサイン侯爵が導いてくれれば甘ちゃんのノースランでもなんとかなるだろうと考えていた。
しかし国王の呟きをノースランは違う意味で捉えた。
今まではシルヴィアとの結婚は絶対だった。
シルヴィアは優秀でそして何より従順でそこに不満はない。でもノースランはその決められた道に窮屈さを感じていた。だから奔放な女性を求め、様々な遊びに興味を持った。
それでもシルヴィアは文句を言わず出まかせのようなノースランの言い訳を信じ、ノースランに尽くした。
だからノースランはシルヴィアを次第に侮り踏みつけてもいい人間だと思うようになっていった。
そんな時にミラ・リブロー男爵令嬢と知り合い、彼女に溺れたノースランは思ったのだった。
将来新しい爵位を賜るなら伴侶はシルヴィアでなくてもいいだろうと。
ノースランとて一応は悩んだのだ。
(うーん……シルヴィアは何でも言う事を聞いてくれて便利なんだよなあ。しかし……しかしだ、ミラのあの胸は捨てがたい……シルヴィアは触らせてくれないしなあ……見た感じまな板だし……うーん……うーん……)
結局ノースランは従順でつまらないシルヴィアよりミラとの刺激的で楽しい生活を選んだ。だからミラに『シルヴィアに陰で苛められている』と相談を持ち掛けられていい機会だと公衆の面前での断罪を実行したのだ。シルヴィアに罪がなければ婚約を破棄することは出来ない。
みんなの前で発表してしまえばノースランに甘い国王なら折れてくれるだろうという腹積もりもあった。
ーー♦♦♦ーー
王宮に運び込まれたノースランは気が付くなり国王の私的談話室に連れていかれた。
そこでノースランはかなり待たされていた。待って待って……お茶を五杯飲み、お菓子も食べつくし、自分が仕出かしたことも棚に上げ、怒りが込み上げてきた頃室内に二人の男が入ってきた。
一人はノースランが見たことも無いようなガーゴイルのような表情の国王。傍らに王妃はいない、ノースランの仕出かしたことを聞いて臥せってしまったらしい。もう一人は苦り切った顔の第一王子だった。後はこの部屋にいるのは信頼できる侍従と護衛だけだ。
国王たちは今まで学園で起こったことの詳細を聞き、ローサイン侯爵家の面々と話し合いをしてきたのだ。頭を抱えるしかない事柄でローサイン侯爵の怒りを鎮めるのも一苦労だったというのに暢気にお茶を飲み菓子を食べていたノースランを見たら国王は怒りを通り越して一気に力が抜けた。
ノースランの正面にどっかりと腰を下ろすと国王はため息をついた。
「なんてことを仕出かしてくれたんだ」
「父上! 僕は騙されたんです! ミラが僕以外の男と関係を持っていたなんて……僕はあの女があんな阿婆擦れだと知らなかった。ミラがシルヴィアに苛められていると言うから……その様が哀れで……可哀そうで……何とかしなくてはと……」
「そもそもあんな見え透いた誘惑に乗ること自体がありえないんだけどな」
国王に必死に言い訳するノースランの顔を呆れたように眺めながら第一王子が呟いた。
「わしはお前がそこまで愚かだとは思っておらなんだ……はあ……甘く育てたとは思っていたが……わしも見る目が無かったという事だな」
「ですから! 僕は騙されていたんですよ! 悪いのはあの女で僕じゃな———」
「黙れ!!」
国王の怒気にノースランは息を呑んだ。
「お前は何が悪かったのか分かっているのか? 取るに足らない小娘が誰と関係を持とうがそんなことはどうでもいい。お前は何の瑕疵もない侯爵令嬢を、それもお前の婚約者を公衆の面前で貶めようとしたのだ。つまらない冤罪で」
「だからそれはミラが言ったからで……」
尚も言い訳をしようとするノースランに第一王子は噛んで含めるように言った。
「あのね、あの男爵令嬢が本当に嫌がらせを受けていたとしてもそんなことでシルヴィアを罪に問えるわけないだろう。シルヴィアは侯爵令嬢でお前の正式な婚約者だ。シルヴィアが『婚約者に無礼に言い寄る令嬢がいる』と訴えれば男爵家ごと潰されて終わりだ。だけどシルヴィアはそんなことはしていない。少し調べればわかるような見え透いた嘘に騙されるお前は王家の顔に泥を塗ったんだよ」
ノースランはがっくりと項垂れるがハッと顔を上げ国王を見つめる。
「では……それならシルヴィアと婚約を続行すれば———」
「お前は馬鹿か? 公衆の面前で婚約破棄を言い渡されたシルヴィアがそんなことを承知する訳無いだろう。ローサイン侯爵も酷く怒っている。もう一度婚約を結ばせてくれなど言える訳がなかろう」
都合のいい言葉は言い切る前に国王に遮られた。国王はこのバカ息子にアッパーカットをお見舞いしたい気分だった。
肩を落としながらもノースランはまだ希望を捨てていない。今日は怒られても明日母上に泣きつけば父上も許してくれるかもしれない。一縷の望みを抱いてノースランは問いかけた。
「それでは……僕はどうなるのです?」
「お前は王族から籍を抜く。あの男爵令嬢は侯爵令嬢に冤罪をかけたとして既に捕らえてある。リブロー男爵家も責を負うだろう。それに比べれば穏便な処置だ」
「穏便……臣籍降下ですか……僕は公爵になるのですか? それとも侯爵……」
ノースランはちょっと安心した。まだ王子でいたかったがどうせ数年後は公爵になる事が決まっていたのだ、数年早まったと思えばあきらめもつく。
「馬鹿者! お前は一代男爵になるのだ。それからあの男爵令嬢と結婚することも決まった。あの娘が刑期を終えてからだがな。それから子供を儲けることは許さん」
「へ?」
国王の言った言葉はノースランには理解できなかった。
イチダイダンシャクって何だ? 公爵の上か?
それにあの阿婆擦れと僕が結婚する? そんなの御免だ。母上に泣きつかなければ……
「言っておくがこれは決定事項だ、誰が何と言おうと覆らん。ローサイン侯爵がというよりシルヴィアがそう望んでおる。お前の〝真実の愛〟が見られれば慰謝料はいらないそうだ」
「そんな! シルヴィアは僕の事が好きなんです! きっと話せばわかってくれる。シルヴィアはどこです!?」
「シルヴィアはローサイン侯爵と共に先ほど王宮を辞した。縋りつくような無様な真似を晒すなよ」
面倒ごとを起こして、という苦々しい表情の奥に馬鹿で可愛い弟への同情を少し宿しながら第一王子が釘を刺すがノースランの耳に届いたかどうか。
「ああ、それから恩情で学園だけは卒業させてやる。お前は自分の課題さえシルヴィアに押し付けていたそうだな、残り半年の学生生活は死ぬ気で勉学に励め。西の僻地に小さな男爵領を用意した。卒業後にそこに向かえ」
国王は苦虫を嚙み潰したような表情でそう言うとノースランを退出させようと侍従に合図した。
下を向いたままブツブツ言っているノースランに侍従が近づく。
が、ノースランはその手を払いのけて立ち上がった。
「シルヴィアが……シルヴィアなら僕をわかってくれる……いつものように僕の言う事を素直に聞いてくれる……シルヴィアなら……」
そのままノースランは部屋の外に走り出る。
慌てて追いかけようとした護衛を国王が制した。
「よい、あちらにも護衛はついているしあいつは何もできぬだろう。いや、ローサイン侯爵家の養子に殴り倒されねば良いがな。ああ、もしそうなっても咎めるでないぞ」
走って走って馬車乗り場に向かう。ノースランはシルヴィアに会えれば全部解決するような気分になっていた。
今までも面倒ごとは全てシルヴィアが引き受けてくれた。いつも微笑んで「私はノースラン殿下を信じておりますわ」と言ってくれた。
だからシルヴィアが全て解決してくれる。素直なシルヴィアなら……
そしてノースランは馬車乗り場で今まさに王宮を辞去しようとするローサイン侯爵家の面々を見つけた。
「シルヴィア!! ……うえっぷ」
ここ最近無いくらい真剣に走ったせいで先ほど食べたお菓子が戻ってきそうになりながらノースランが叫ぶとローサイン侯爵家の三人が振り返った。
冷たく見据えるローサイン侯爵、拳を握りしめたリュシアンを押さえてシルヴィアが一歩進み出た。
「ノースラン殿下、何の御用でしょうか」
「うぐん、はあ……はあ……シルヴィア、僕が悪かった。ちょっと間違えてしまったがシルヴィアとやり直そうと思う」
お菓子を胃に押し戻し息を切らしながらもノースランはそう言い切った。
「ノースラン殿下、申し訳ありませんがシルヴィアと呼ぶのはご容赦ください。どうかローサイン侯爵令嬢とお呼びいただければと」
真顔でシルヴィアに返されてノースランは目を瞬いた。いつもと声のトーンが違う。でもまだノースランはシルヴィアが自分を好いていると確信していた。
「拗ねているのか? だから謝っただろう。今回の事で僕も目が覚めたよ、シルヴィアに少し甘えすぎたかな? 今度ドレスを贈るよ、だから機嫌を直してくれないか」
ノースランとしては精一杯下手に出たつもりだった。なあにシルヴィアは僕の事が好きなんだ。
しかしシルヴィアはニコリともしなかった。
「別に機嫌を損ねてなどおりませんわ。それより名前で呼ばないでくださいませ、気持ち悪いわ」
「気持ち……えっ? シルヴィアは僕の事が……好きだろう? だからもう一度婚約を結ぼうじゃないか」
「好き? いいえ、全くですわ。寧ろトリハダもの……あっ失礼」
呆然とするノースランをシルヴィアは冷ややかに眺めている。
「そんな……嘘だ……シルヴィアはいつだって僕の事を褒めて、僕の言う事を信じて……」
「ああそれはノースラン殿下が婚約者だったからですわ」
あっさりとそんなことを言うシルヴィア、ノースランは意味がわからない。
「私、自分の伴侶になる方の言葉は全て無条件で信じると決めてますの。夫婦は一蓮托生、運命を共にする相手、だから一生を共にする相手の言う事は全て信じようと決めていましたの。でも殿下は婚約破棄をなさったのでもうすでに将来を共にする相手ではないのですわ」
「だからやり直そうと……」
「いいえ、今現在婚約者ではない殿下のお言葉を信じるつもりはございません。自分の課題や仕事を私に丸投げして女性たちと遊び三昧、挙句に男爵令嬢といかがわしい場所に入り浸る殿下のどこを信用すればよろしいか教えていただきたいですわ」
「そんな……」
ノースランはもう言葉を紡ぐことが出来なかった。それほどにショックだったのだ。シルヴィアからは褒め言葉しか聞いたことがない。いつだってシルヴィアはノースランの言葉を素直に信じてくれたのだ。
呆然とするノースランをその場に残し、シルヴィアたちは馬車に乗って帰って行った。
「シリガル男爵令嬢……じゃなくてリブロー男爵令嬢とお幸せに」という言葉を残して。
ーー♦♦♦ーー
シルヴィアが婚約者を信じると決めたのは亡き母の影響だ。
ローサイン侯爵は事故で両親を早くに亡くし、十八歳で当主となった。そしてその継承の混乱と若輩である甘さを突かれて脱税と人身売買の容疑者にでっちあげられた。
仕掛けたのは親の代からの政敵の侯爵家だったが、一時期は本当に危なかった。誰もが白い目で見る中、唯一信じてくれたのが当時は婚約者だったマリーナ、シルヴィアの母だ。
『私は貴方を信じています。世界中の人が貴方を疑おうと、敵になろうとも、私だけは貴方の味方です』
ローサイン侯爵はその言葉に勇気づけられて地道に証拠や証言を集め冤罪を晴らしたのだ。
そしてローサイン侯爵の努力を認め、最後に後押ししてくれたのは当時の王太子、現在の国王だった。
ちなみにその侯爵家は冤罪をでっちあげたことがバレて今は没落している。
そしてシルヴィアは幼い頃、亡き母に繰り返しその言葉を聞かされていたのだ。
『あなたが将来大人になって一生を共にする相手が出来たら、その人の事をあなたは信じてあげなさい。もしその人が窮地に陥って他の誰かに謗られようとあなただけは信じ続けてあげるのですよ』
ーー♦♦♦ーー
「義姉さん、また釣書が届いたんだって?」
ノックの音と共に仏頂面で部屋に入ってきたリュシアンの顔も見ずに書類にペンを走らせていたシルヴィアはおざなりに「そうね」と答えた。
ため息を一つ落としてソファーにどっかりと座ったリュシアンは重ねてシルヴィアに問いかける。
「まだかかるの?」
「そうね……え? あ、リュシアン、迎えに来てくれたの?」
そう、リュシアンはこの生徒会室に来る前に役員の人達に会って頼まれていたのだ。
「新生徒会長は根を詰めすぎるので程よいところで仕事から引きはがしてください」と。
「もうそろそろ帰ろうよ。今日は義姉さんの好きなサーモンのパイ包みだって」
「それを聞いたらお腹が空いてきちゃったわ。帰りましょうリュシアン」
手早く書類を纏めてシルヴィアが立ち上がる。
リュシアンがシルヴィアと馬車乗り場に向かって歩いていると物陰からじっとこちらを見ている恨めし気な瞳に気づき小さく舌打ちした。幸いにシルヴィアは気が付いていない。
恨めし気な瞳はノースランだ。
あの婚約破棄劇の前まで学園の人気者だったノースランの評判は地に落ちた。おまけに卒業後は一代男爵になる事が発表されて近づく者は誰もいない。
残念ながらミラとの婚姻は叶わなかった。ミラは百日間のどぶ攫いという刑罰を終えると監視の兵士を誑かしてすたこらさっさ(死語?)と逃げ出してしまったからだ。今はどこでどうしているかわからないが王家も真剣に探すつもりは無いらしい。
そんな訳で結婚相手がいなくなったノースランは相手が承諾すればどこかの貴族家に養子に入ってもいい、と言われているが、いくら見目だけ良くても評判も能力も女癖も悪く、断種された元王子など迎え入れる家があるわけない。
という訳で、僻地に行きたくないノースランは手当たり次第に令嬢たちを口説き、撃沈してはシルヴィアに縋りに来る、という毎日を送っている。
リュシアンがいる時はリュシアンが拳で撃退するが実はリュシアンがいない時の方がシルヴィアに言葉でズタズタにされているノースランなのだった。
リュシアンが小さく拳を持ち上げるとノースランはすごすごと帰って行った。
それに安堵してリュシアンは気になっていた釣書のことをシルヴィアに聞いた。
「今度はどこの家からの申し込みなの?」
「さあ、知らないわ、興味ないもの」
シルヴィアの答えは素っ気ない。でもシルヴィアとて結婚しなくてはならないのだ。ノースランとの婚約が破棄になった今シルヴィアはローサイン侯爵家の跡取り娘として婿を迎えなければならない。
「私だってわかっているわ。だけど今度は自分自身の目で見極めたいのよ。信じるに値する人かどうかをね」
そんなシルヴィアの手に一枚の釣書がポンと載せられた。
「リュシアン、これ……」
「あー、その、シルヴィアの目で見てしっかり見極めてくれ。その……自分で言うのもなんだけど結構お買い得物件だと思うよ。それに俺は生涯シルヴィアを愛し続ける。大事にするし、裏切らないよ」
暫くパチクリと瞬きをしていたシルヴィアはふっと笑った。
「そうね、お買い得物件だわ。この方のお母様とも上手くやっていけそうだしね。ふふっ、じっくり見極めさせてもらおうかしら」
「そうしてくれ。シルヴィアに囁きたい愛の言葉はいっぱいあるんだ」
「楽しみにしているわ。あのね……私は生涯を共にする相手を一生信じ続けると決めているけれど」
「そんなの、俺も同じだ」
「もし裏切ったりしたら……悪気無く素直にその人の秘密を暴露しちゃうかもしれないわよ」
リュシアンは一瞬ぐっと詰まった後にシルヴィアの肩を抱いた。
「俺はシルヴィアを裏切らないよ。秘密も無いし。だけどもしそんな時が来たら存分にやってくれ。そんなシルヴィアも好きだから」
裏切らない、生涯愛し続ける自信がある、と思いながらノータリン王子をやり込めたシルヴィアをもう一度見たいと思うリュシアンだった。
お読みくださりありがとうございました。
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