第80話 覚悟のない者は、帰れない
「法術特捜の下請けか……まあいい。しばらくここで時間を潰せる。それで少しは心の準備もできるし、覚悟も決まる」
かなめはそう言うと端末の前に腰を下ろし、首筋のスロットにコードを挿し込んでネットワークに直結した。目を閉じたまま硬直し、脳に直接流れ込む情報に集中している。その様子は、アメリアの前のモニターにも反映されていた。
「かなめちゃんは単純でいいわね。これからはかえでちゃんをけしかければ言うこと聞くんだし。暴力馬鹿が大人しくなってくれて、かえでちゃんには感謝しかないわ。いい操縦法が1つ増えて、私としては嬉しい限り」
運航部と機動部隊。物理的にも心理的にも距離を取っていられるおかげで、アメリアは気楽だった。第二小隊という18禁存在から目を背けていられる日常。それが何よりありがたかった。
かなめが作業を続ける間、アメリアは立ち上がり、後方にいた誠の方に向き直った。
「誠ちゃんも部隊にはもう慣れてきたでしょ?まあ、あの18禁三人衆が第二小隊として現れたのは気の毒だけど。何事も前向きに考えるのが一番よ。プレイのバリエーションが増えたと思えば気が楽になるわ」
紺色の髪をひるがえしながら語るアメリアに、誠は思わず見惚れてしまった。その一方で、問題の第二小隊の責任が自分にのしかかってくる未来を想像して戦慄した。
「ええ、今まではなんとかやってこられました。でもそれは、第二小隊が来る前の話です。あの三人、明らかに……性的におかしいんです。しかも狙ってくるのは、全員僕なんですよ。アメリアさん、なんとかできませんか?」
誠はつい本音を漏らしてしまった。そして、よりにもよってアメリアという『人間拡声器』に話してしまったことを即座に後悔した。
「そうねえ……でも勤務中は問題ないでしょ?かえでちゃんも仕事では有能な『斬弾正』だったし、アン君も消極的な方だからアプローチは控えめよ。後は誠ちゃん次第。ドS調教師として快楽に翻弄されるもよし、アン君と禁断のボーイズラブに進むもよし。面白い選択肢が揃ってるじゃない♪」
アメリアにとって、どのルートでも誠が『餌食』になる未来は確定しているようだった。面白ければ全てよし……それが彼女の信条だった。
「アメリアさん。完全に他人事だと思ってません?もしかしたら、かえでさんはアメリアさんも狙ってくるかもしれませんよ?『ラスト・バタリオン』ですし、人造人間フェチの可能性も……」
誠は、できるだけ多くの犠牲者を巻き込もうと必死だった。もはや“死なばもろとも”の境地だった。
「それも悪くないかも。結婚が無理なら、かえでちゃんと愛し合ってクローンを産むってのもアリね。高性能で美人な娘、最高じゃない?シングルマザーとして生きるのも面白そう」
そうだった。アメリアはどんな状況でも、前向きに楽しむ達人だったのだ。
「そんなアメリアさんの家族計画はどうでもいいんです!こっちは目の前に『あの』クバルカ中佐がいるんですよ!あの人がかえでさんと一緒にいるんです!『恋愛禁止令』の張本人と!」
『一人前になるまで恋愛禁止』。ランによる鉄の掟。誠は、破れば命の保証すらないそのルールの重圧に苦しんでいた。
「あんなちびっ子が作ったルールなんて破っちゃえば?夫婦の愛を破壊できるかえでちゃんなら、その程度の規則なんて無視して誠ちゃんに迫ってくるかも。だって二人は『許婚』でしょ?ランちゃんも粋を信条にしてるなら、そんな無粋なことしないはずよ」
アメリアにおもちゃにされている現実に腹が立った誠は、思わず隣の棚を叩いた。
「うっせえんだよ!テメエら!アタシが仕事してる間くらい静かにできねえのか!子供か!それにな、アタシはかえでが神前の『許婚』だなんて認めてねえ!かえではアタシの言うことなら何でも聞く。それなら破棄させりゃいいだけだろ!」
かなめが声を荒げた。だが作業中の身体は微動だにしないため、怒鳴られても迫力が半減していた。
「かなめちゃん、終わった?急がないと茜ちゃん来ちゃうわよ。締切あるんだから、頑張って」
アメリアはかなめの怒りなど意に介さず、モニターに視線を移した。
「終わったぞ。後は好きにしろ。それとようやく覚悟が決まった」
かなめはコードを外し、軽く伸びをしながら、すっきりとした顔でそう言った。
「ふーん、『近藤事件』以降、法術犯罪ってむしろ減ってるのね。ありがと、かなめちゃん。これで茜ちゃんに顔が立つわ。それとさっきの約束、忘れないでね。サイボーグの脳には忘却という言葉が無いから便利よね」
データチップを手に、アメリアはコンピュータルームを後にした。
「西園寺さん、覚悟が決まったんですね……僕はまだ……」
「かえではアタシの言うことを聞く。アンもたぶんお前に従うだろう。変わった後輩が増えただけと考えればいい。単純だろ?」
かなめのすっきりとした表情に、誠はどこか割り切れない思いを抱いた。
「なあ神前。覚悟は決まったが、あの部屋にまっすぐ戻る気にはなれねえ。どっか寄るか?ハンガーでも?」
かなめは不機嫌そうに誠を見上げてきた。その目には、まだ迷いが残っていた。
誠もまた、困っていた。かなめと二人きりの帰還は、いずれかえでにバレる。あの『許婚』を名乗る存在に何をされるか分からない。かなめの方がまだ感情が読める分マシだった。
「西園寺さん、今月の銃の訓練は?撃てばストレス解消になるかも」
「月頭に全部撃ち尽くした。予算の都合でこれ以上は無理だ。予算と言えば菰田だ……で、なんでこんな時に菰田の野郎を思い出すんだよ!P23の操縦できるとか言っといて、何の役にも立たなかったくせに!ただ弾が飛んでこなかっただけじゃねえか!結局アイツは何もしてねえぞ!」
思いつきで射場を提案した誠だったが、かなめの苛立ちを誘ってしまった。
「じゃあ、タバコでもどうです?僕もご一緒します」
酒は危険すぎる。せめてタバコなら無難だと踏んだ。
「喫煙所に行くには、機動部隊の詰所の前を通る。つまりかえでに会う。……まだその覚悟はねえ。少し待とう」
完全に詰んでいた。第二小隊の魔の手からは逃れられないのだ。
「もういい、ヤケだ。まっすぐ戻る。腹は決まった。じたばたしても仕方ねえ」
かなめが立ち上がったその時、コンピュータルームの扉が開いた。
「仕事だろ。手伝うぞ」
偶然を装うように、カウラが入室してきた。
「終わったんだよ。空気読め、小隊長」
かなめが吐き捨てるように言う。
「そうか。なら詰所に帰るぞ。中佐がご立腹だ」
そう言いながら、カウラはかなめの襟首をつかんだ。
「離せっ!」
「貴様が詰所に行かない可能性が高いからな」
カウラは遠慮なくかなめの制服を引っ張る。
「分かったよ、行けばいいんだろ、行けば……」
しぶしぶかなめは部屋を出た。誠もその背後に付き従った。
誠は思った。このドタバタはいつまで続くのか。そう思いながらも、心のどこかで『モテ期』に頬が緩んでいる自分に気付いていた。
どう見ても普通には見えない第二小隊設立……逃げ場はない。せめて、ほんの少しでいい。適応する時間が欲しい。誠は心からそう願った。
了




