第79話 男子制服、女子制服、そして僕の理性
「おはようございます!諸先輩方、昨日はありがとうございました!」
その声は明るく爽やかで、まるで新しい日常の始まりを告げるかのようだった。
室内の全員が入り口に目を向けた瞬間、時が止まったかのように凍り付いた。
そこに立っていたのは、声の主……アン。
……女子の制服姿で。
「アン!なんでお前が女子の制服を……いや、待て。よく考えたら……うん、お前は変態だったな。もうダメだ。今日から脳の処理を省エネモードにする。アタシはこれ以上、異常に頭を使いたくねえ」
予想通り、最初に叫んだのはかなめだった。その言葉からは、これ以上異常を受け入れたくないという切実な願いがにじみ出ていた。
「管理部の方に頼んだら、白石さんという方が『アン君なら似合うかも』って言ってくれて……それで。どうですか?似合ってますか?」
アンはその場で軽やかに1回転してみせた。浅黒い肌と中性的な顔立ちも相まって、誠の目にはただのボーイッシュな女子隊員にしか見えなかった。
「……似合うかどうかと聞かれれば、確かに似合うな。私としては個人の趣味に干渉する気はない。任務に支障がない限り、服装がどうであろうと関係ない。それに言い出せば、日野少佐の男装も問題にされる。そんな面倒には関わりたくない」
意外にも最初に状況を受け入れたのは常識人の代表、カウラだった。誠はその冷静さに驚くと同時に、アンの視線が自分に向けられているのを感じて背筋が寒くなった。
「神前先輩……僕、似合いますか?」
女子の制服姿のまま、アンが誠に歩み寄る。
「あ、えっと……うん。……似合ってると思うよ……たぶん……」
自分の口から出る言葉が信じられず、誠は椅子の上で背筋を伸ばしたまま固まっていた。
『僕は今、何に肯定したんだ……?』
己の弱さを悔やみながら、誠は目を泳がせて椅子の上で立ち尽くした。
「ありがとうございます、神前先輩。クバルカ中佐、この格好で勤務してもよろしいですか?」
アンは今も将棋盤に夢中になって現実逃避しているランに向けて尋ねた。
「いーんじゃねえの。白石さんがOKなら、仕事さえちゃんとしてくれりゃ文句はねー。趣味に口出しするほど器の小さい上司じゃねーんだよ。……てかアンのこと言い出したら、かえでの制服も変えさせなきゃいけなくなるだろ。あの男装趣味、前の上司も手を焼いてたって聞いたし。妙な刺激与えて士気落ちたり、変な方向に暴走される方がよっぽど面倒だ」
言い捨てるように言ったランは、あからさまに逃げるように詰将棋の問題集に集中し始めた。
「はい!僕は頑張りますから!皆さんよろしくお願いします!」
女子の制服を着たアンと、男子の制服を着るかえで。性別も制服も自由なこの部隊を、誠は必死に『バランスが取れている』と自分に言い聞かせるしかなかった。
「誠ちゃーん!今度の同人即売会のビラだけど……って、え、アン君……ついに『そっち』デビュー?また人類の新境地に踏み込んだわね!すごい!これで『男装の麗人』に加えて『男の娘』も揃った!まさに『特殊な部隊』にふさわしいわ!」
アメリアのいつも通りの騒々しい登場に、誠は頭を抱えた。彼女にも『新メンバー』がいることを理解してほしい……そう思いながら、誠とかなめは同時に立ち上がった。
かなめは無言で誠とアメリアの肩を引き寄せ、そのまま部屋を出ようとする。
「西園寺!逃げるな!仕事をしろ!現実から目を逸らすな!」
カウラの怒声に、かなめは苛立ちを隠さず振り向いた。
「ああ、遠隔で片付けとくよ。今さら女装や男装が増えたところで、どうでもいい。それより、今やりたいことがあんだ。アメリア、茜に頼まれた法術犯罪のプロファイリングの件、どうせ下請け仕事あるんだろ?手伝うぞ」
かなめも、アンの登場によって日常が変わることを直感していた。誠はその姿を見て、自分にも覚悟が必要だと感じていた。
「珍しいわね、かなめちゃんからそんなことを言い出すなんて。第二小隊の門出なのに……つまらないわ」
アメリアは取り残されたかえでを見やりながらも、かなめに付いて部屋を出る。
「誠ちゃんの端末にビラのネタ、送っておいたわ。後で確認してね?」
誠の腕の端末を指差すアメリアに、誠はうなずいた。
「ああ、後で確認します。ところで、西園寺さん?」
どうやらかなめは、ただかえでから距離を取りたかっただけらしい。ついでにアンからも。誠はそう察した。
「もう少し、歩こうぜ……な?」
引きつった笑みでそう言うかなめに、アメリアは悪戯っぽい視線を向けた。
「エロゲのボイスの台詞の下読みの稽古中の夜食って必要よね。ピザとか。お腹空くし」
感情が顔に出やすいかなめの性格を知っているアメリアは、ここぞとばかりに揺さぶりをかけた。
「わかったよ。神前と、お前と……サラとパーラとルカの分だろ?ちゃんと用意する。他のみんなの分は?そば?うどん?」
かなめは即答した。アメリアはそれを見て確信した……もっと押せる、と。
「甘いものも欲しいわね……洋菓子。かなめちゃん、甲武一の貴族だし、そういうの詳しいでしょ?」
追い詰めるアメリアに、かなめは観念した表情で言った。
「……駅前のケーキ屋な。コーヒーも付ける。お前の好きなとこのやつ、だろ……」
「サラとパーラとルカの分も買ってくる。ついでに神前の分は多めな」
言うたびに顔を引きつらせていくかなめ。完全に押し切られた。
「だから、もうこれ以上……アメリア、勘弁してくれ」
だが、アメリアの容赦はなかった。
「でも私、エクレア派なの。できれば……」
「買うよ!なんでも買うよ!」
観念したかなめは、アメリアと誠をコンピュータルームに押し込むように連れて行き、セキュリティを解除して中に入った。
「じゃあ仕事に取りかかりましょ。ちょうどかなめちゃんの言った通り、茜ちゃんからの仕事あるし。それにしてもあんなに楽しそうな詰め所から逃げ出すなんて……かなめちゃん、贅沢よ」
端末の前に腰を下ろしたアメリアを見て、誠は救世主を見るような目を向けた。
「面白くなんかねえよ!あんなとこにいたら頭おかしくなる!しかもカウラの奴はかえでの件を全部アタシのせいにしやがって……知るかよ、あんなの!」
怒鳴りながらも、かなめは冷静にコードを首元の端子に接続し、端末を起動した。
画面に現れる傷害事件や器物破損の記録ファイル。
制服も性別も自由、命令よりもノリが優先される部隊……。
これが果たして武装警察なのか。
いや、誰も止めないし、止められない。
『ここが……司法局実働部隊。俺の、職場なんだよな……』
誠の脳裏に、『目で見たものだけがリアル』……『特殊な部隊』の合言葉が浮かんでいた。




