第72話 司法局最大の爆弾娘、到着す
「叔父貴ィィィィ!!」
詰め所を飛び出したかなめは、誠とカウラの制止を完全に振り切って隊長室のドアを蹴破る勢いで飛び込んだ。
「なんであの変態がうちに配属なんだ!? 理由言え!今すぐ言え!ブチのめす前に言え!」
かなめの怒りの沸点は完全にマックスを超えていた。嵯峨は両手を上げて、机越しに白旗のポーズをとった。
「いや〜……ほら、泣きつかれたのよ。義兄貴に。『何とかしてくれ』って。かえでのやっちゃった『マリア・テレジア計画』がバレて以来、甲武海軍からいろいろ言われてるんだってさ、義兄貴も。それでゴタゴタ起こす前に、前線にでも放り出しとけってね。あっはは……いや、冗談冗談。あれ?なんで誰も笑ってないの?」
嵯峨はいかにも作り物の涙目で見上げてくる。先ほどのかなめに対する変態行為を見ていても誠にもかえでの問題行動の内容の予想はついた。第一、24人の人妻に自分のクローンを孕ませると言う『マリア・テレジア計画』なるどう考えても問題にならない方がおかしい計画を実行に移してしまうようなかえでである。その準備段階でいろいろと揉め事を起こしていたことは、うぶな誠にも容易に想像がついた。
「あー!腹が立つ!親父か!すべてを仕組んだのは親父か!そんなにかえでの問題行動が気になるならどっかの辺境国の大使館付き武官にでもして飛ばしちまえば良いんだ!そうすればアタシはアイツの顔を見なくて済む!」
かなめはやり場のない怒りのはけ口を求めてこぶしを誠の腹に叩き込んだ。
誠の息が止まって前のめりに倒れる。手を出して介抱するカウラもすべての元凶である嵯峨をじっと見つめていた。かなめとカウラ。今の二人に共通するのは死んだ魚のような視線だった。
「そんな目で見ないでくれよ。俺もできればこの事態は避けたかったんだけどな……アイツも仕事は出来っから役には立つし。それに優秀な法術師が戦力に加わるんだよ?これまで神前一人じゃ心もとないってかなめ坊も言ってたじゃないの。これからはそんなことは無くなる。神前の負担も減る。なあ、神前。美人が増えてうれしいよな!」
そう言うと嵯峨は書類の束を脇机から取り出す。表紙に顔写真と経歴が載っているのがようやく呼吸を整えた誠にも見て取れた。
「これまでの話は冗談としてもだ。うちは失敗の許されない部隊だ。まあどこもそうだが長々とした戦略やリカバリーしてくれる補助部隊も無いんだからな」
そう言いながら嵯峨は冊子に手をやる。突然まじめな顔になる彼にかなめやカウラも黙って彼の言葉に耳を傾けた。
「となればだ、どうしたって人選には限定がついてくる。それなりに実績のある人材で法術適正があってしかもうちに来てくれるとなるとメンバーの数は知れてるわけだ。しかも来年からは西モスレムの提唱した同盟機構軍の教導部隊の新設の予定まであるってことになると……ねえ……優秀で問題の無い人材はあっちに行きたがる訳だ。うちは『特殊な部隊』と呼ばれるくらいだから。それに、司法局って同盟機構内では冷遇されてるんだ。人材の取り合いに負けたお偉いさんが悪いの。今回の件は」
誠もある程度状況が理解できてきた。実績、能力のある人材を手放す指揮官はいない。さらに同盟機構軍教導隊にはオイルマネーで潤沢な資金を持つ西モスレム首長国連邦の肝いりということもあって、司法局実働部隊の数倍の予算が計上されているという話だった。そんなおいしい話が有るというのにこんな僻地に喜んでくる人材に問題が無いはずが無い。だが、それ以上にその責任をすべて司法局上層部に持っていこうとする嵯峨の姿勢には疑問を持たざるを得なかった。
しばらく沈黙するかなめとカウラだが、二人の言いたいことは誠にも理解できた。腕はまだしもかえでの人格にはかなりの問題がある。ただでさえ『特殊な部隊』と陰口をたたかれている実働部隊にこれ以上問題児を増やしたくない。二人の目がそう物語っていた。
そこで突然、嵯峨がしおれたように机に伏せた。
「ああ、そうだよ。俺は上に信用無いし、今回の件で醍醐のとっつあんや忠さんの顔に泥塗ったから甲武からの人材の供給はこれ以上は期待できないし、他の国は未だに法術関係の人材の取り合いでうちに人を出してくれるような余裕はないし……」
嵯峨はすっかりいじけてぶつぶつつぶやき始める。そんな彼をにらみつけながらかなめはこぶしを握り締めている。一方、カウラは呆れて嵯峨のいじける姿をまじまじと見つめていた。茜も、子供のように机にのの字を書いている父親に、大きくため息をつくだけだった。
それから30分後、隊長室にノックの音が響いた。その30分間はひたすらかなめにしては珍しい冷静な嵯峨批判とかえでの異常性の説明が長々と続いていた。付き合わされる誠もカウラもさすがにその状況には飽き飽きしていた。
「叔父貴、誰か入って来るぞ」
かなめが声をかけるが嵯峨はいつもは無駄な発砲を説教する相手のかなめに一方的に説教されている状況の中、完全にいじけ切って黙って机の上に積もった埃でなにやら絵を描き始めていた。
「どうぞ!」
いつまでもウジウジと端末のキーボードをいじっている叔父を見限ったように、かなめは大声で怒鳴った。そしてそこに入ってきたのはかわいらしいクバルカ・ラン中佐の姿だった。
司法局実働部隊の指揮官待遇のランが冷たい目線で嵯峨を見つめながら部屋に入って来た。その後ろからはこれも鬼の形相の嵯峨の娘である法術特捜主席捜査官嵯峨茜警部が続いていた。
その視線が冷たく刺さるのを感じているらしい嵯峨が突然立ち上がった。
「ラン。まず言っておくことがある!」
突然そう言った嵯峨に一同は何事かと驚いたような顔をした。誠も指揮官達と嵯峨の顔を見比べながら何が起きるのかと目を凝らした。
「ごめん!俺の実力不足だ。かえでの配属は防げなかった。お前さんは反対してたよな?いくら実力があってもあれは問題児のレベルが違って扱いかねるって」
嵯峨の言葉でランはかえでの人事には反対していたことを誠達は知った。
「謝られても……もう決まっちまったことだ。気にすんなよ。あるものを使うのが遼州人気質だろ?それにもう過ぎた話だ。今更どうもこうもできるわけもねーわな」
そう言うランの目は笑っていなかった。
「それが気にすんなよって面か?『全責任を負わされるアタシの身にもなって見ろ』って顔に書いてあるよ」
嵯峨の指摘の通り、ランの表情にはそれ以外の感情は浮かんでいなかった。
「でも、どうなさるの?かえでさんの甲武での悪行。伺ってるわよ。『マリア・テレジア計画』……ここ東和でも同じことをされたら、最悪司法局実働部隊解体なんて話もあり得るんじゃなくって?」
怒りに任せてまくし立てる娘の茜を嵯峨は手で制した。
「それは無いな。アイツの悪行を煽った張本人である康子義姉さんはここには居ない。多少の変態的な行動は取るかもしれないが、島田の盗癖に比べたらかわいいもんだ。さらにかえでには鳥頭の島田と違って学習能力もある。それに聞いた話だと寝取られた旦那衆は立場の弱い婿養子ばかりで事件が露見すると全員逆にそのかえでに惚れた女に三下り半を突きつけられて家を放り出されたそうだ。義姉さんも考えたな……俺も念のために東和で何かしたらあいつが一番恐れている義姉さんに告げ口するって吹き込んであるから。無茶なことはしないと思うよ」
嵯峨はそう言ってなんとかその場を収めようとした。
「その『多少の変態行為』が問題なんだ。それにその様子だと、それも収まりそうだって隊長は言いたげだな」
親子喧嘩に割居るようにランは嵯峨に向けてそう言った。
『いやいや、『多少の変態行為』ってどのライン基準の『多少』ですか……』
誠は机に突っ伏してうめき声を漏らした。もはや胃が痛い。
「そうなんだよ……あてはあるの。まあ、それもすべて神前。お前さん次第ってとこかな。義姉さんが言うにはお前の母さんとお前さんとかえでを『許婚』にしたって話じゃないの。さすがに嫁入りしたとなったら大人しくなる……かもしれない」
嵯峨はそう言うと静かにタバコに火をつけた。嵯峨の言葉にこの場にいる全員の視線が誠に集中した。
「それは母さん達が勝手に決めたことです!僕は知りませんよ!隊長、なんでも僕に振らないで下さいよ!」
反射的に誠はそう叫んでいた。かなめの冷たい視線が刺さる。カウラは相変わらずの無表情を変えてはいないがその目は驚きに満ちていた。茜は誠に同情するような視線を送っていた。
「コイツに何ができる。恋愛経験ゼロの童貞だぞ。相手は女を24人も孕ませた色男……じゃ無かった色女相手にコイツがどうできるって言うんだよ。それに『許婚』ったって親が勝手に決めたことだろ?アタシが首を突っ込む話じゃねーが、神前に日野を操縦するような技量はねー!それ以前に神前に恋愛はまだはえー!とりあえず根性を付けて一人前の『漢』になってからもっとまともな嫁を取れ!」
かわいい純粋な部下とランが思っている誠が穢されるかもしれないと言うことにランは不快感をあらわにした。
「さあてね……男と女の関係に他所から口出しするのは野暮のすることだよ。それこそ馬に蹴られて死ぬしかない」
嵯峨はそう言ってまるで誠とかえでが結ばれることが決まっているかのような顔をしてゆったりとタバコをくゆらせた。
「お父様。恋愛話は置いておいて、かえでさんの人事は康子伯母様のご意向が働いたのではないですか?かえでさんは確かに腕の立つ法術師ですが独断専行は姉であるかなめお姉さま譲りですから。うちなら神前君と言うフォローが利く人材もいる。しかも前線勤務が希望のかえでさんもトラブル満載の司法局なら文句は言わない……と」
思いついたように口を開く茜に図星を指されたというように嵯峨は頭を掻いた。そしてその視線がランに向けられるとこの部屋にいる茜の視線は彼女に向いた。
「『甲武の鬼姫』か……厄介な奴が出てきやがった。アレはアタシでもどうにもできねえ。アイツの意図と言う話になると……やっぱ、日野の馬鹿が何かしでかしたら、アタシが全責任を負うことになりそうだわ。損な役回りだわ」
ランはそう言って大きなため息をついた。
「そんなに心配しなさんなって。俺が甲武に居る間に俺の世話をしてたのはかえでだぜ。その時は俺が問題児扱いだった。つまりアイツにもそれくらいの常識はある。ただ、色恋が絡むと暴走するところがあるだけだ。まあ、被害がこの『特殊な部隊』に限定されるってことなら、司法局のお偉いさんも逆に褒めてくれるんじゃないの?」
嵯峨は感情を殺した表情でランと茜を見つめた。
「それが迷惑だって言ってんだよ!アタシ等は司法局の生贄か!なんでアタシ一人がかえでのセクハラの生贄にならなきゃならねえんだ!」
自分達は甲武国軍と司法局に生贄として選ばれた。その事実を知ってかなめはそう叫んだ。
「でもかなめさん。半分はあなたの責任ではなくって?三歳でその体にされた腹いせにかえでさんの性癖を捻じ曲げた責任はちゃんと取っていただきますからね」
茜は今度は責任の矛先をかなめに向けた。かえでの性癖を歪めた自覚があるだけにかなめには何も反撃することが出来ない。
茜は腕を組んだまま、冷ややかな目で部屋を一望した。
「お父様。これで『司法局実働部隊=特殊な部隊』という汚名の返上は、当分難しそうですね」
そこまで言って、わざとらしく一呼吸置いてから言い放った。
「……いっそ名称を変えては? 『愛の流刑地』とかに」
茜が皮肉めいた笑みを浮かべてそう言ったその瞬間、タバコをくわえていた嵯峨の手が震え、灰がぽとりと落ちた。




