第71話 『家族』って、なんですか?
誠はかえでから逃げるようにして機動部隊の詰め所に飛び込んだ。
「おい、遅えぞ。まさか叔父貴にまた変な任務でも押しつけられたのか?あれは思いつきで人を使うタイプだからな。何頼まれた?」
そう尋ねてきたのがかえでの姉であるかなめだったので誠は思わず飛び上がりそうなほど驚いた。
「神前の反応が奇妙だ……何があったのか?また降格でも食らったのか?」
こちらも誠の反応が気になるようで、カウラが誠に尋ねてくる。
第二小隊の三つの机の隣に、もう一つ島ができていて、そこの末席にアンが座ってすることもなく心配そうに誠を見つめていた。
「ただ、人を迎えに行ってきただけですよ。それ以上の事は何も頼まれていません」
誠は直感でそれがかえでだと話すとかなめがまた暴れだすことを察して誤魔化すようにそう言った。
「人を迎えに?運転の下手なオメエが?誰を迎えに行ったかくらい教えてくれても良いじゃねえか……誰だ?今度管理部に来るって言う背広組の偉い人か?どんな奴だった。言ってみろ」
誤解しているかなめに誠は安心のため息をつくと自分の席に腰かけた。
「普通の人ですよ、変な人じゃありませんでした。じゃあ、僕は今回の出動の報告書を作ろうかな!」
明らかに自分の不安定な感情を誤魔化そうとしたその言葉が誠にとっては逆効果だった。
「その反応からして、テメエ嘘をついているな?まさか……アイツじゃねえだろうな?神前、怒らねえから正直に言え。いいから言え!言わねえと射殺する!言うか、死ぬか。どっちか選べ」
誠は自分の隠し事のできない性格を恨んだ。
「そうですよ!西園寺さんの予想通り、日野かえで少佐と副官の渡辺リン大尉です!僕が車で豊川の駅まで迎えに行きました!全部僕が悪いんです!謝ります!途中で事故でも起こして西園寺さんが覚悟を決める時間でも稼げばよかったんですか?仕方ないでしょ!最初から決まってたことなんだから!」
この言葉を聞いてかなめはそのまま机に突っ伏した。
「来ちゃったよ……この時が……先延ばしにしてくれってあんだけ叔父貴には頼んどいたのに……なんで今来るんだよ……決まってたのは分かるけど……心の準備ってもんがあるだろうが……」
髪の毛を掻きむしって嘆くかなめを心配してか、カウラは立ち上がってかなめのそばまで行った。
「いつかはこの時が来るとは知ってたんだろ?それに日野少佐は優秀な法術師だと聞いている。神前の負担も減る。むしろ喜ぶべきことなんじゃないのか?確かに人格面、特に性的嗜好に問題があるらしいがその問題は甲武で解決済みだと聞いている。それならば今更貴様がどうこう言う話では無いではないか?」
カウラの言葉が逆にかなめの神経を刺激した。
「全くオメエは仕事の話しかしねえんだな!アイツと一緒にこの部屋で始業から終業まで顔を突き合わせて暮らすんだぞ?その度にアイツが色目を使ってこっち見てきやがる……それに一日中耐えろって言うのか?それに、アイツの手の早さは性犯罪者並みだ。その責任は全部アタシのせいだってことになる。そのことを考えると……ウワー!」
かなめの尋常ではない反応に誠は自分のしてしまったことの重大性を認識した。
「アイツの性的嗜好の一例をあげるとだな。時々、待ち針とか持ってきて『僕の乳房にこれを刺して虐めてください』とか言って来るんだぞ?アタシは縛るのも鞭で打つのも良いが血が出る系はお断りしてるんだ……どんな教育したらあんなマゾが育つんだよ」
「乳房に待ち針って……それ、拷問の部類ですよね!?」
誠は思わず書類を机に落とした。だが、誰も突っ込まない。みんな無言で現実を受け入れていた。
『これが、『第二小隊の現実』なのか……『男の娘』の次は『男装の麗人』の姿をしたマゾヒスト……しかもそのマゾヒストが僕の『許婚』……何かおかしい、今日は厄日を通り越して何かおかしい日なんだ。これは現実じゃない!夢だ!きっと車の中で西園寺さんにいつもみたいに殴られて気絶している僕が見ている夢なんだ!そうであってくれ!』
誠もかえでがバイセクシャルであることは理解したが、マゾヒストでもあることを知ってなんとなくかなめの言うことが分かった。ただ、そんなかえでに教育したのはほかでもないかなめ自身であるとこの部屋の全員がツッコミを入れたかった。そしてその現実を『許婚』として受け入れなければならないということに言葉が無かった。
「それは貴様が小さいころから日野少佐をおもちゃにして遊んでいたからだと私は聞いているぞ。庭の木に裸で縛り付けたり、何かというとぶったり蹴ったり……普通だったら虐待として訴えられるのは貴様の方だ。日野少佐をそうしたのは貴様だ。自業自得だな」
正論を言うカウラだが、かなめとかえでの姉妹にはその正論は通じないだろうと誠は確信していた。
「そうですよ!どうせアタシが悪いんですよ!それもこれもうちの食客に甲武でも禁書になっていることで有名な作品で知られる高名なSM小説の大家が居てな。その食客に言われる通りに仕込んだらアイツは立派なマゾに育った。ただ、アイツもその食客に人の責め方を教わってるからアイツはサディストでもある。どっちもいける口なんだ……カウラ、気を付けろよ。オメエがその餌食にならねえって言う保証はねえ。アイツは男だろうが女だろうが関係ねえからな。いつの間にか縛られて蠟燭を垂らされて快感に打ち震えてる自分に気付いた時には遅いんだからな!」
突っ伏していたかなめは顔を上げると目の前の机のカウラに脅すようにそう言った。
「私にはパチンコがある。それだけで十分だ。それに私にはそんな趣味は無い。日野少佐が持ちかけてきても断るつもりだ。それこそ隊長が甲武四大公家末席を継がせる養女にと選んだ人物だ。話くらい通じるだろう」
カウラはそう言うとかなめを慰めることをあきらめて端末に入力された今回の出動に関する報告書の作成に取り掛かった。
「アタシの前で縛るとか蠟燭垂らすとか……オメー等大概にしろ!」
ここで機動部隊の主、クバルカ・ラン中佐がキレた。彼女はどう見ても8歳女児である。そしてその性的知識も8歳女児に近かった。誠が顔を上げると機動部隊長の席で聞き耳を立てていたランがそれまで読んでいた新聞を放り投げて怒りの表情でかなめをにらみつけていた。
「すみません、さすがに聞いてる僕も胃が痛いです……」
そう誠が小声で呟いたが、誰にも届かなかった。
「姐御は良いよな……かえでの奴は幼女には興味ねえから。アイツはロリコンでもショタコンでもねえからそっちの方で警察のお世話になる可能性は少ねえ。クバルカの姐御は楽ができて良い身分だ。うらやましい限りだよ」
かなめはそう言うと逃げるタイミングを計るべく、いつも携帯しているホルスターの銃にマガジンを叩きこんだ。
「げ!」
突然のかなめの絶望を帯びた叫び声に自分の作業に集中して話を聞かないようにしていた誠は驚いて顔を上げた。
そこでは机に置いた銃に向けていた視線を上げたかなめが部屋に入ってきたかえでの姿を見つけたところだった。
誠はかえでの顔がそれまでの退屈したような無表情から感激に満ちたものへと変わっているのを見つけた。かえでがかなめのところまで飛ぶような速度で走っていくと胸に手を伸ばそうとするのをかなめはかえでの頬に平手を食らわすことでかわした。
「テメエ!何しやがんだ」
そう叫ぶかなめにかえでは打たれた頬を押さえながら歓喜に満ちた表情を浮かべる。
「この痛み、やはりかなめお姉さまなんですね!」
ぶたれた痛みで相手を認識するというかえでの認知方式に誠は頭痛がしてくるのを感じていた。かなめの前の席に座ってキーボードを叩いていたカウラは何が起きているのかわからないという表情を浮かべていた。
「これよ!これこそがかえでさんよ!」
かえでの一言がツボに入ったのかかえでを隊長室から機動部隊の詰め所まで案内してきたアメリアが感動に打ち震えていた。
そんな人々の視線を気にしてなどいないというように、かえではそのままかなめの手を握り締めるとひきつけられるようにかなめの胸に飛び込もうとする。
「おい!やめろ!気持ち悪りい!」
まとわりつくかえでをなんとか引きはがそうとするかなめだが、サイボーグのかなめの腕力を知り尽くしているかえでは上手くその腕を交わしつつかなめに抱き着き続けた。
「ああ、お姉さま!もっと罵ってください!いけない僕を!さあ!」
その初対面の時の凛とした面持ちのかけらも残っていないかえでの言葉に誠は頭を抱えていた。カウラはそんなかえでとかなめのやり取りを汚いものを見るような視線で見つめている。かなめは自分の行動がただかえでを喜ばせるだけと悟ったように、口元を引きつらせながら誠に助けを求めるように視線を送っていた。
誠もさすがにアブノーマルな雰囲気をたぎらせるかえでを見て、すぐにアメリアに向けた。アメリアはと言えば、完全に他人事と言うようにこの状況を楽しんでいた。
その様子を今にも火が付きそうな表情で見つめる視線が有った。
この部屋の主、クバルカ・ラン中佐である。彼女の新しい部下が日常的にこのようなセクハラを姉に対して繰り返すことになることを想像するとランの腸は煮えくり返りそうになった。
それを察したようにアメリアがかえでに向き直った。
「日野かえで少佐。もう少しお静かになさった方がよろしいのでは?あくまでもここは職場ですので、愛し合うならホテルでも押さえておきましょうか?」
アメリアの気の利いた提案に、かえでは我に返って再び誠が最初に出会った時の凛々しい青年士官のそれに戻った。
「そうだな。今は勤務中だ……お姉さま、勤務が終わったら是非……お姉さま……」
恍惚の表情でかなめを見つめるかえでを見て誠は一瞬『美しい』と感じてしまった自分を恥じた。
「断る!断固としてだ!」
妹に振り回されるのは御免だと言うようにかえでは即答した。
「かなめちゃんはつれないのね。では私が隊の施設をご案内しましょう。それと……茜ちゃん!逃げないでよ!」
アメリアが笑顔でドアのところに立っていた茜に視線を向けた。茜は明らかにドアの陰で部屋の中から見つからないようにしていた。その表情は誰から見てもかえでのセクハラを不愉快に感じていることがありありと分かるほどこめかみに青筋を浮かべながら茜は従姉妹を見つめていた。廊下の陰に隠れたつもりだった茜を、かえでがまっすぐ指差した。
「見つけましたよ、茜お姉さまっ!」
「……隠れてるつもりだったのに……」
冷えた笑顔の茜と、燃えるような笑顔のかえで。両者の温度差が、目に見えるようだった。
「かえでさん、言っておきますがここは甲武国ではなく東和共和国ですからね。それに今のあなたは殿上嵯峨家当主でもあるのですから。その自覚をお持ちになって行動してくださいね……くれぐれもセクハラはしないように。ここは甲武ではありません。東和共和国です」
棘のある上に何度も念を押す茜の言葉にかえでは喜びをみなぎらせた表情でアメリアに案内されてリンを連れて出て行く。廊下に嬉しそうな声を響かせるかえでをアメリアがなだめている声が聞こえた。
かえでが出ていった後、詰め所には静寂が戻った。いや、静寂ではなく、『無言の疲労』だった。
誠はため息をつきながら、自席に座った。
『今日の出動、たかが『迎え』だったはずなのに……なぜ僕は心まで疲弊しているんだろう』
誠は疲れ果てた心を癒してくれる存在を探したがこの『特殊な部隊』にはそんな存在は一人としていない事だけは知っていた。




