第7話 失敗から託された未来
壁にひびが入った廊下を歩きながら、立ち止まって敬礼してくる部下たちの前を、ランと高梨は黙って通り過ぎた。そのまま二人は、管制室へと向かうエレベータに乗り込んだ。
沈黙のままエレベータを降りると、目の前には機器が並ぶ管制室が広がる。中央には、小柄な女性下士官がラフな作業服姿でキーボードを操作していた。
「どうだ、ひよこ。準備の方は順調か?神前の馬鹿は相変わらず自分の立場を理解してないんだろ?選ばれたってことを、いい加減自覚しろってんだ」
ランは誠の気の弱さをあざけるように言った。
「『近藤事件』の功績から言って、資格は十分だ。だがアイツには自信がない。自信過剰な部下は見慣れてるが、あそこまで自己評価の低い奴は初めてだ」
ランはそう言って苦笑いを浮かべた。そんなランの気配を感じてひよこは無言で振り返ると、再び端末に向かってキーボードを叩いた。
「準備は順調です。誠さんの体調にも異常はありません。今日は非破壊設定での指定範囲への砲撃と、干渉空間を用いた同様の射撃。どちらも隊長が以前に失敗した課題です。でも誠さんなら問題ないはずです。隊長はそもそも適性がなかっただけですから」
ひよこの言葉に高梨が眉をひそめた。
「嵯峨さんが失敗?あの兄さんが……?しかも適性がなかったとは。ひよこ君、君は自分の隊長をずいぶんと酷評するんだね」
高梨にとって、嵯峨惟基は越えることのできない存在だった。だが、そんな人物が失敗するという事実に、この実験の難しさを痛感させられた。
だが、ひよこは冷静に答えた。
「批判ではありません。私は事実を伝えているだけです。それが私の役目です。隊長の法術出力は確かに最高ランクですが、制御力に致命的な欠陥があるんです。アメリカ陸軍が法術の封印を中途半端に解除したのも原因の1つでしょう。隊長には法術そのものを制御できません」
続けて、ひよこは淡々と説明を続ける。
「発動すれば暴走し、収めるためにさらに力を使う。結果として堂々巡りとなる。だから今回のように高度な制御を要する実験には、そもそも不向きなんです」
ランは黙って管制室内を見渡す。3つの巨大モニターのうち、右には誠が搭乗する05式が背後から映し出されている。中央には演習場に設置されたセンサーの配置が表示されており、いずれもまだ反応を示していない。そして左のモニターには、静かに瞑想する誠の姿が映っていた。
「しかし……この範囲、全部が効果範囲か。やりすぎなんじゃねーのか?実戦での使用を考慮してるんだろうが……神前、テメー大変な兵器を任されちまったな」
ランは演習場の広さに呆れながらも、誠の背負う責任の大きさに思いを馳せた。
「ただ、それだけ人が期待してるってことだ。あの甲武海軍第六艦隊の反乱部隊相手にしてオメーが『法術』の存在を宇宙に知らしめた今、この遼州圏でお前だけが希望の光なんだ。自信を持て。お前はアタシを超える……いや、超えさせてみせる。それがアタシの仕事だ」
ランはそう言って覚悟を込めて画面の中の誠を見つめた。高梨もまた、画面を見ながらつぶやいた。
「この範囲で意識を持った生物だけをノックアウト……これが成功すれば、戦術核よりも人道的な制圧兵器になる。さすが司法局の技術力。まさか兄さんが裏で動いてたんですかね……これは東和国防軍でも欲しい兵器ですよ」
いかにも興味深げにそう言う高梨に向けてランは自信ありげにうなずいた。
二ヶ月間にわたる訓練の成果を見てきたランは、誠の干渉空間制御能力が飛躍的に成長していることを知っていた。
「神前、今回は失敗しても責めねぇよ。だが、本当はそれは失敗は許されねぇことなんだ。ヒーローってのは、勝ち続けなきゃいけねぇ。オメーはそれを背負っちまった。アタシとしてもそんな運命をオメーに背負わせちまった責任を感じてるよ」
演習場を映すモニターの前で、ランはそっと右手を握りしめた。
「アタシは信じてる。やってみせろ。お前は『近藤事件』のヒーローだ。その実績を、誰も否定できねぇ」
ランは観測室の隊長席に腰を下ろす。彼女の目の奥には、確かな覚悟が光っていた。
「本当に成功するのか……こんな範囲を一撃で制圧するなんて……」
高梨がつぶやくと、ひよこが真っ直ぐに言い返した。
「誠さんならやれます。あの人は、誰よりも優しかった。だからこそ、この兵器は誠さんにこそ相応しいんです!人が死なない兵器……あの優しい誠さんの為にあるような兵器なんです!」
その言葉に、高梨は思わず微笑んだ。
「なるほど……彼は君の言葉を信じれば『選ばれた者』なのかもしれないね。君がそう言うなら、僕は信じよう」
そう言って笑う高梨を一瞥した後、ランが口を開く。
「落ちこぼれと笑われた神前が、どこまで化けたか……見届けてやろうじゃねーか。オメーはもう、れっきとした戦士なんだ。後はアタシの背中を追え。いつか追いつけ。その日が一日でも早く来るように、アタシが導いてやる」
管制室の椅子に頬杖をついたランの顔には、強い信頼と期待がにじんでいた。高梨は、その二人の姿に圧倒されながらも、静かに画面へ視線を戻した。
ランは観測室の隊長の椅子に腰を下ろした。
ランを相手としての閉所戦闘においても彼女が油断すれば自らの作り出した空間の侵食に気付いた時には、すでに誠とツーマンセルで動いているかなめやバックアップのカウラが訓練用の銃を敵の背中に向けているようなことは度々あった。誠の空間把握能力とそれを利用したカウラの指揮する第一小隊の連携は日々進歩を続けていた。
だが、閉所訓練場は広くてせいぜい600メートル四方。
今回の試射は、桁が違う。数万ヘクタールの制圧。
……もはや狂気だ。ランは呆れを通り越し、苦笑していた。
「本当にこれだけの範囲を制圧可能な兵器なんて驚異的で費用対効果は期待できるんですが、本当に成功するんですか?この実験。司法局の技術部は彼にどれだけの期待をしているんですか?むしろクバルカ中佐が担当した方が……いや、クバルカ中佐は司法局実働部隊の『切り札』ですからね。今それを切るわけにはいかないんでしょ」
高梨は諦め半分にランに向けてそう言うとため息をついた。
「どうせ今回の実験もあのギリギリの勝利しか望まない兄さんが決めたんですよね?クバルカ中佐じゃこの程度の実験は成功して当たり前だって。実験は成功するか失敗するか分からないギリギリの実力のパイロットが行わなければ意味がない。そして神前君の実力はまさにその条件にちょうど当てはまる。だから自分が失敗した実験を神前君に任せた。私も信じます……あの『光の剣』で宇宙を変えてしまった彼を」
予算を管理する高梨からしても歓迎すべきことではあるのだが、演習場全体を覆うように設置されたモニターの画面に映る効果範囲として要求されるものはあまりにも規模が大きすぎた。
「高梨参事。誠さんの実力からしたら計算上はかなり余裕をもって可能だと言うのが予測される結論なんです。そうでもなければこの演習場を午前中一杯借り切るなんて無駄なことはしません!誠さんをもっと信じてください!あの人はどんな困難だってこれまでも超えてきた人です!私は信じます……誠さんは必ずこの実験を成功させます!」
誠を心から信頼しているひよこははっきりとした口調でそう断言した。
「そうなのか……まあ、司法局への出資をしている東和国防軍の予算担当の役人である僕からするとそうなってくれることを願うしかないのだけどね」
苦笑いを浮かべる高梨にひよこは少し得意げに返す。
「失敗しませんよ、誠さんは。それにこの兵器は1回使ってお終いなんていう兵器じゃありませんよ。確かに対策の立てようはいくらでもある兵器ですが完全にこの兵器に対する防御策を導入できる国なんて限られています!この兵器は人を傷つけない……傷つけたくない誠さんには最適な兵器なんです!それにあの人は、私が一番つらいとき、誰よりも優しかったんです!そんな人がこの程度の実験で失敗するわけがありません!」
高梨の失敗を前提としたような口調に対し、声を落としたひよこは、それ以上は語らなかった。
そんなひよこを見て高梨は笑顔を交えつつ彼女の肩に手をやった。
「僕は数字と制度で世界を見る。でも、たまに思うんです。ああいう人が世界を動かすのかもしれないって。神前君。君は選ばれた人間なんだ。その自覚だけは忘れないで欲しい」
高梨の言葉には希望と願いが込められていた。
「じゃあ見てやっか、あの東和宇宙軍では『出来損ない』の『落ちこぼれ』扱いされて何処にも行き場がなかったパイロットがどこまで化け物に進化したか……しっかり目玉に焼き付けてやろうじゃねーか!神前、この実験に成功すればもうオメーを落ちこぼれ扱いする馬鹿は宇宙のどこにもいねーんだ。もしいればそいつの目は節穴なんだ。オメーはもう立派な戦士なんだ。後はアタシの背中を追え。いつかその背中に手が届く日が来る……アタシがその日が一日でも早く来るように指導してやる。それがアタシの本当の仕事なんだ」
そう言うとランは空いている管制官用の椅子で笑顔を浮かべて頬杖を突いた。高梨はただ二人の自信ありげな表情に気おされながら画面に目を向けた。




