第69話 第二小隊・破壊的布陣、始動
アンはすでに隊長室を出て機動部隊の詰所へ向かった。
一人残された誠は、何を考えているのか分からない目の前の隊長に向かって言った。
「隊長、僕だけ残されたってことは、何か用があるんですよね?」
誠は嵯峨の警告とそれが意味することに恐怖を感じながら出て行ったアンの存在をまた感じることに怯えながらそう言った。
「ああ、神前。まあ、そうなんだけどな……お前さんが一番、頼みやすいんだよ。面倒ごとをな」
嵯峨は先ほどのアンへの警戒を怠るなと言った時とはまるで違う『駄目人間』の顔に戻って悪びれもせず、いつもの調子で言う。
誠もある程度は予想していたので、頭をかきながら嵯峨の面白がっている顔を見つめた。
「……また僕がその役目ですか。面倒ごとって何です?どうせろくでもない話なんでしょ?」
この隊に来て分かったことは全隊員が自分を何でも言うことを聞いてくれる便利な存在と認識していることだった。あの最年少の隊員・西ですら誠に対しては物を取ってくれだの平気で頼んでくることがしばしばある。ましてや目の前にいるのはこの隊の隊長である嵯峨だった。どうせ、本来自分がやるべきことを面倒だからという理由で誠に押し付けることなど日常茶飯事だった。
「仕方ねえだろ。お前の顔にはな、『こき使ってくれ』って書いてあるんだよ。呪うならその顔立ちを呪えってこった」
『そんな理屈あるかよ……』
誠は心の中でそう思いながらいかにも誠にトラブルが起きるのを楽しんでいるような嵯峨に目を向けた。
「実はな、人を迎えに行ってもらいたいんだ。頼みたいのはそれだけ。簡単だろ?面倒ごとってほどでもない。お前の運転も、東和宇宙軍で免許取った頃よりだいぶ上手くなったって話だしな。じゃ、よろしく」
嵯峨は誠を信用しているのかいないのか分からない顔で言った。
「誰を迎えに行くんです?運転はまあ、人を乗せられる程度には上達しましたけど、僕より上手い人、いくらでもいますよ?」
誠自身も、自分の腕前を誇れるほどだとは思っていない。
「まあまあ、そんなに警戒するな。豊川駅の南口の噴水の前に、甲武海軍の少佐と大尉が待ってる。そいつらが第二小隊の小隊長と副官だ。お前の顔はすでに向こうも知ってるから、現地に着けばすぐ分かるさ」
そう言った嵯峨の口元には、悪だくみ中の皮肉な笑みが浮かんでいた。
「名前くらい教えてくださいよ。それに、どうして甲武の将校が僕の顔を知ってるんです?なんかおかしくないですか?」
嵯峨は何か企んでいる。恐らく迎えに行くのが誠であることにも何かしらの意味があるに違いない。この数か月の嵯峨との付き合いで誠はそのくらいのことは学んでいた。
「理由は本人たちに聞け。名前は日野かえで少佐と渡辺リン大尉……そう、あのかなめ坊の妹の『かえで』だ。お前も知ってる通り、かなめ坊はかえでを見ると妙に拒絶反応を示すだろ?さすがにかなめ坊には頼めねえよ。俺としてはあの反応も面白いが……銃で撃たれて痛い思いをするのは嫌だ。あいつ、上官だろうが叔父だろうがかまわず撃ってくるからな。俺はもう二度と銃殺されたくないの」
誠は嵯峨のうれしそうな顔にため息をついた。
かなめの妹のかえで少佐は、甲武海軍兵学校を出たのち、すぐに海軍大学へ進んだエリートだと聞いている。
だが、その名前が出るたびに、かなめは十中八九暴れ出す。理由は詮索しない方がいい……カウラのその助言を、誠は守っていた。
「分かりましたけど……本当に僕でいいんですか?アメリアさんとか、カウラさんとか……特にカウラさんなんて車に慣れてるし、同じ小隊長同士、話も弾みそうですし」
誠は不安を紛らわせるように頭をかきながら言った。
第二小隊の新任小隊長を乗せて事故でも起こしたら……そんな妄想が頭をよぎっていた。
「誰でもいいんだよ、かなめ坊以外なら。けど、お前の方が面白いんだよなあ。……というわけで隊長命令だ、神前誠曹長!今すぐ豊川駅へ向かえ!」
隊長らしく命じたかと思えば、すぐにまた机の上の棒をいじっている嵯峨は明らかに誠への興味を失っていた。
誠は埒があかないと気づいてそのまま部屋を出る。そこにはなぜか彼が出てくるのを待っていたアンがいた。
「なんだ?クバルカ中佐が待ってるだろ?急がないといけないんじゃないのか?」
そう言う誠をアンは潤んだ瞳で見上げる。誠は先ほどアンの性的嗜好を知らされていたので冷や汗を流しながら小柄なアンが自分を見上げて来る視線に耐えていた。
「あの、僕……女性用の制服が着たいんです……」
「は?」
一瞬で思考が凍りついた。
『そうか、そうだったのか。アンは……そっちの道の『戦士』だったのか……』
誠は静かに目を閉じ、『第二小隊=18禁小隊』という新たなあだ名を心の中で受け入れた。
「あ、俺は急いでるんでこれで!制服の事は管理部の菰田先輩に言ってね!許可が出るかどうかまでは知らないけど!」
そう言うと誠はそのまま早足で正面玄関に続く廊下を歩いた。そしてそのまま更衣室の角を曲がり、ひよこがポエムを書いている医務室の前の階段を下り、運行部の部屋の前の正面玄関を抜け出た。
そして誰もいない警備室の中の鍵もかかっていない公用車のキーを集めたボックスからライトバンのキーを取り出す。
「本当にこんなので大丈夫なのかな……盗まれたりしても知りませんかね」
誠は独り言を言うとダークグリーンのライトバンのドアを開ける。
「それじゃあ行くか」
誠は車を出した。整備はいつも島田達整備班の精魂がこもっているだけあり、車の調子は快調だった。誠はそのまま閑散としたゲートをくぐって菱川の工場に車を走らせた。
次々と流れていく巨大なトレーラーの群れ。それを縫うようにして誠は公用車を運転する。
まだ10時を過ぎたところと言う微妙な時間帯。営業車が一斉に出かけるのか工場の正門にはそれなりの車の列ができていた。誠はとりあえずそのまま産業道路と呼ばれる工業地帯に向かう営業車とは反対側にハンドルを切り、豊川の駅に車を走らせた。
豊川市は同盟成立以降の好景気の影響による再開発が始まったばかりで工事中の看板が目立つ。誠はいつものカウラの運転を思い出し、裏路地を通って駅へと向かった。
気分は悪くは無かった。とりあえず待機ばかりの部隊にいるよりは外で車を走らせているほうが仕事をしているような気分になるのが心地よかった。南口は大きな百貨店が軒を並べる北口とは違って駐車場や工事中の看板が目立つ再開発が進行中の地区があった。今日もクレーンを搬送するトレーラーに十分近く行く手を塞がれたことで起きる渋滞を何とか切り抜けると、誠はどうにか南口ロータリーに車を止めて周りを見回した。
誠はすぐに甲武海軍の制服を着た二人の士官の姿を見つけることができた。相手も誠の司法局の制服が目に付いたらしくゆっくりと誠に向かって歩いてくる。
「貴官が遼州同盟司法局実働部隊所属、神前誠曹長だな」
整えられて短く切りそろえられた金髪。そして中性的な誰をも惹きつけるであろう美貌はかなめの人懐っこいたれ目とは違い誠の心を一瞬で捉えるほどのものだった。そしてその男子の制服を着ていながら明らかに女性と分かる大きすぎる胸のふくらみは誠の鼓動を高鳴らせた。誠はこれまでこれほどの美女にもイケメンにも出会ったことが無かった。
ただ誠が気になるのはその視線が誠の顔と股間を往復しているという事実だった。
『なるほど……この初対面の人に会った時の態度……お姉さんの西園寺さんに似て、癖はありそうだな。だけど、西園寺さんよりも冷静で、『じゃじゃ馬』というより『戦国武将の娘』って印象のほうが近いな……格好と見た感じはいかにもエリートのイケメンて言う感じだけど……胸以外は』
誠はそう思いながら隣に立つ、銀色の長髪が印象的な美しい女性士官にも目をやった。こちらもまた感情を押し殺したような無表情で、その自然にはあり得ない髪の色からきっと『ラスト・バタリオン』の生まれに違いないと誠は思った。
「かえで様、彼があの神前曹長なんですか?」
無表情でいて気の強そうな口調の大尉が誠を値踏みするように頭の先からつま先まで眺める。
「何と言いますか……この男が西園寺の姫様の思い人とは思えないんですが……」
リンの発した言葉の意味は瞬時に誠の顔を赤く染めた。
「思い人なんて……僕達はそんな関係じゃありません!ただの上司と部下の関係です!」
たしかにかなめには嫌われてはいないようだとは思っていたが、そう言う関係じゃないと思っていた。
しかし、目の前にいるのはかなめの妹で嵯峨家の当主とその被官である。万が一だがかなめがそれらしいことを彼女達にほのめかしていたとしてもおかしくは無い。そう思うと誠の心臓の鼓動は高鳴った。
「あ、あのー日野少佐……」
自分でもわかるほど見事にひっくり返った声が出る。
「どうした?義父上のことだ、あまり階級とかで呼ぶなと言っているだろう。かえででいい。あれが迎えの車か?」
さすがに甲武四大公の当主である、誠を威圧するように一瞥すると誠が乗ってきたライトバンに向かって歩いていく。
「あのー……かえでさん?」
誠の声にかえでは怪訝そうな表情で振り向く。自分で名前で呼ぶように言った割には明らかに不機嫌そうに眉をひそめている。その目で見られると誠はそのままライトバンに向けて全力疾走する。そして二人が荷物を積めるように後部のハッチを開く。
「うん、なかなか気がつくな」
そう言うとかえではそのまま手にした荷物を荷台に押し込む。
「荷物少ないんですね」
誠は他に言うことも無くきびきびと働く二人に声をかけた。
「屋敷に生活用品はすべて送ってくれる手はずになっている。とり急ぎ必要なものを持ってきただけだ」
ハッチを閉めながらかえでが不審そうな瞳を誠に向ける。
「それじゃあ……」
誠が思わず後部座席のドアを開けようとするが、かえでの手がそれを止めた。
「何もハイヤーに乗ろうと言うんじゃないんだ。神前曹長は運転をしてくれればいい」
そう言って初めてかえでの顔に笑みが浮かんだ。誠はそのまま運転席に駆け込む。その間、妙に体がぎこちなく動くのを感じて思わず苦笑いを浮かべた。
「それじゃあやってくれ」
運転席でシートベルトを締める誠にかえでが声をかけた。誠の真後ろに座っている渡辺リン大尉はまるで恋敵を見るような鋭い視線でじっと誠をにらみつけていた。
『お姉さんの西園寺さんと似てるようで、全然違う……』
男装の少佐の階級章の士官、日野かえでを見て誠が感じたのはまずそんなことだった。
『あの『銃を突きつけながらラムを飲む』西園寺さんに比べれば落ち着いてるけど、こっちはこっちで、まるで気配すら操ってくる知的な将校みたいな……本部勤めが長いとこうも変わるんだ』
誠はハンドルに手を置いたまま、じわりと背中に汗を感じていた。甲武海軍の桜をかたどった星が輝く少佐の階級章が光る。そして、妹のはずなのに男性用の制服を着こんでいることもかなめからかえでの趣味はある程度聞いていたので予想がついた。
ふとバックミラーを見ると、リン大尉がこちらを恋敵を見るような視線でにらんでいた。
『なにこのプレッシャー……!僕はただの運転係なんだけど!?こんな目で見られるようなことをした覚えはまるで無いんだけど!』
誠は思わずアクセルをゆっくり踏みながら、できるだけ背筋を伸ばして『礼儀正しい公用運転手』を演じることにした。




