第65話 無茶飲みの誠と青ざめたカウラ
最初に襲ってきたのは、鋭い頭痛だった。
続いて、慣れ親しんだ……吐き気。
「……うわ、来たか……」
この展開にはもう慣れている。『もんじゃ焼き製造マシン』の異名を持つ誠にとって、嘔吐など朝飯前。胃の中が空なのが、むしろ気持ちが悪い。
「お、起きたか。まったく姐御も姐御だ、ここまで飲ませて。神前が断れねえ性格なの知っててやってんだからな。あの人、いつか本当にコイツを飲み殺すぞ」
目を開けると、タレ目のかなめが覗き込んでいた。すぐ横にはアメリアとひよこ。口の中には残る不快な味。しかし誠にとっては、これもいつものこと。『もんじゃ焼き製造マシン』の名は伊達じゃない。
「……水を……経験的に、水がいちばん効くので……」
寝起きでこの台詞が出るあたり、さすが『慣れた』男だった。
「はい、誠さん。こっちの方が水より効くと思います」
そう看護師であるひよこに言われてゆっくりと上体を起こした。ひよこはさすがにナースらしく気を利かせて誠を支えた。かなめは色のついた液体を誠の口の前に運んだ。かなめから手渡されたぬるくてすっぱい黄色い液体を誠は静かに飲み始めた。
すっぱい液体を飲み干した頃、ようやくここが『ふさ』の医務室だとようやく気づいた。誠は顔を赤く染めた。
「全くバカな飲み方しやがって。ラン姐御と飲み比べなんか、付き合うだけ損だぞまったく。あれは蟒蛇だ。お前が倒れてからもまだ飲んでいやがった。あの小さな体のどこにあんな量の酒が入るんだ……三升は軽いって言ってたら結局五升は飲んでたぞ。って、まあ、あっちよりはかなりオメエの方がマシだろうからな」
笑いながらかなめは隣のカーテンで仕切られたベッドを眺めた。時々うなり声がするので誰かがそこにいるのは間違いなかった。
「誠さん……飲むときはゆっくり自分の体調を考えながら飲みましょうね……これで何回目でしたっけ?西園寺さん。クバルカ中佐の事は言えませんよ。西園寺さんも何度も誠さんを潰したって聞いてます。誠さん。ビールを飲むみたいにストレートの焼酎を飲んだらこうなるんですよ。分かりましたか?」
誠がひよこに手を焼かせるのは、もはや何度目か分からない。隊で酒盛りをするとなると必ずと言っていいほどかなめが隊に常備してあるラムやウォッカやジンのケースを持ってきて、隊員達に配って回るものだからいつも急性アルコール中毒患者が数人出るのが『特殊な部隊』の日常だった。
「僕は大丈夫ですよ。乗り物酔いをするので物を吐くことには慣れてますし、体調の方もなんとかなりましたから。それより隣の方の方が重症なんでしょ?そちらを診てあげてください」
実際、肝臓は比較的健康な誠なので吐くものを吐いてしまえば、あとは多少の頭痛が残る程度だった。
「大丈夫だ?寝言は寝て言え。顔が青いぞ。しばらく寝てろ」
かなめの言葉に艦船運航部、通称『釣り部』の連日の釣りで日焼けした浅黒い肌の軍医の大尉は呆れたというように誠の飲み干した液体のコップを受け取りながらうなずいた。
「急性アルコール中毒。それはもうひどかったんだぜ、かなり。瞳孔は開いてるし、時々痙攣まで起こすし……お前達どんな飲み方してたんだ?……って『あの』クバルカ中佐か。あの人と付き合うとみんな倒れる。診察するこちらの身にもなって欲しいものだな」
全員を見回す軍医は明らかに嫌な顔をしていた。
「すみませんねえ、先生。ランちゃんにはしっかり伝えておきますので。今後はこういうことが無いように努めます」
アメリアが『特殊な部隊』の本部ではなく運航艦『ふさ』の母港の多賀城に勤務している艦船運航部所属の軍医に頭を下げた。
「そうしてください。神前曹長の宇宙酔い体質は防ぎようがありませんが急性アルコール中毒は未然に防止できます。これは人災です」
そう言い切る軍医にアメリアが静かに頭を下げた。
誠が気になっていたのは隣に誰が寝ているかと言うことだった。アルコール中毒の状態は誠よりかなりひどいと言う話である。
かなめはここに居る。アメリアもここに居る。そうなると導き出される結論は1つしか無かった。
「それと隣の。あいつはそれほど飲める体質じゃないって言ってなかったか?『ラスト・バタリオン』は飲めないと言うほど弱くはないが、酒豪と言うレベルには製造されていないはずだぞ」
軍医はそう言って隣のカーテンに目を向けた。相変わらず誠の耳に隣の女性のうなり声が聞こえてくる。
「いやあ、ビールでああなるとは思ってなかったから……神前は蒸留酒を飲んだから潰れて当然かもしれないけど、ビールだけでああなるとは……」
かなめがうつむいて何度も言い訳を口にするが、すぐに軍医ににらまれて黙り込んだ。
「……まさか、隣って……カウラさん?」
「……正解」
アメリアが重くうなずいた。
「あの娘、真面目すぎてさ。周りが飲むと、つい合わせちゃうのよ。結果……これ」
そのとき、隣のカーテンがわずかに揺れた。
「うるさい……静かに……苦しいんだ……」
カウラがのろのろと這い出てきた。顔面蒼白、下着姿のカウラが現れる。
「……おいカウラ、その格好!」
かなめの声が鋭く響いた。
「神前もいるんだぞ、ちったあ隠せ!」
「……あっ」
我に返ったカウラは、恥ずかしさも忘れて再びカーテンの奥へ逃げていった。
「まあ飲むなとは言わないですけど……。大人ですよね?みなさん。少しは考えて飲んでくれないと。それと今回のことで酒の持込を隊長に止めてもらうことが必要かもしれませんね」
これまで黙って会話を聞いていたひよこがそう言ってかなめ達に絶望を与えた。
「おい!まじか?アタシは嫌だね、そんなだったら出動しねえ、仕事もサボる。それ以前にそんなことしたら酒が無いと生きていけないちっちゃい姐御が隠れて持ち込むだろ、酒を。それを盗む……ってそんなことしたら確実に殺されるか」
ひよこの目に見えて強気な言葉に今度はかなめの顔が青ざめた。
「西園寺大尉の持ち込みは量が多すぎるんですよ。今回だって差し入れってことでラム1ケース、ウォッカ3ケースに焼酎が……何考えているんだか……これからは自分が飲むラムだけの持ち込みで結構です。戦勝祝いの酒は我々艦船管理部が引き受けます」
軍医の一言に、室内の空気が一気に重くなる。
「ああ、そう言えば島田先輩達は?あの人タフだからもう復活してるはずですよね。もう帰ってきてるんでしょ、あの人。元気ですか?」
間の抜けた誠の質問にかなめ達は目を見合わせた。誠も自分の一撃で島田に恥をかかせた自覚はあるので少し島田の事が心配になっていた。
「ああ、あの馬鹿なら回収済みだ。お前さんの兵器の直撃で失神してた島田ならもう元気に歩いてるよ。まさにゴキブリだな、アイツの生命力は。アイツも『不死人』じゃねえのか?」
冗談めかしてかなめはそう言った。
「ああ、まあ元気は元気だけど、今回の兵器の直撃を受けた訳ですから。検査の後、ちょっと仕事は無理だから部屋で休んでもらってましたけど……本当に困ります。『俺が居ないと整備班は回らねえんだ!』とか叫んで部屋を抜け出そうとして……あんまり暴れるものだから今は営倉に入ってもらってます」
ひよこが困った表情を浮かべながらアメリアの顔を見つめる。その視線の中でアメリアは頭を撫でながら苦笑いを浮かべる。
「働きたくて営倉送り。ヤンキーらしくていいじゃないですか。島田先輩らしいと言うかなんと言うか……じゃあ今は『ふさ』は帰還中ですか」
続いている頭痛に顔をしかめながら誠はそう言うとアメリアを見上げた。アメリアは声も無くうなずいた。そしてアメリアは笑ってスポーツ新聞を誠に渡した。
「なんでスポーツ新聞なんですか?どうせ読むならもっとちゃんとした新聞を読みたいんですが……」
場違いな新聞に不審に思いながら誠は頭を上げて記事を見つめた。そこには蛍光ペンで縁取られた記事が踊っていた。
「法術適正者の封印技術の発表?スポーツ新聞の記者が同盟の極秘事項をすっぱ抜いたんですね。大手新聞が結んでいる報道協定とか無視ってさすがスポーツ新聞。でもなんです?『封印技術』って」
誠はしばらくこれが何を意味するかわからずにいた。自然に視線が向いた先のアメリアが紺色の長い髪をかき上げている。
「病人を刺激するのはそれくらいにしておいてくれ。あとはあれだ。脱水症状に注意しながら安静にしてれば何とかなる。まあベルガーはもう動いても大丈夫だぞ。『ラスト・バタリオン』の回復力は遼州人の一般的なそれと比べてかなり早い。もう大丈夫なはずだ」
軍医の言葉にカーテンが開かれる。上着をつっかけた姿のカウラがのろのろと起きだしてきた。明らかに顔色が悪いのは仕方が無いことだと誠は笑った。
「よう、飲みすぎ隊長殿。ご気分は?」
へらへらと笑いかけるかなめをカウラは黙ってにらみつけた。誠はひよこからもらったペットボトルに入った生理食塩水を飲み干すとそのままベッドに体を横たえた。
その姿を見てアメリアは納得したようにかなめ達に目配せする。かなめは珍しくじっと誠を見つめた後、布団を誠にかけてやっていた。
「ああ、法術封印技術のことね。これはすでに遼帝国ではあの国が鎖国をしていた時代からあったものなのよ。『パイロキネシスト』や『光の剣』とか平時には百害あって一利なしの能力を封じる方法ってわけ。地球人の東洋医学の針の応用みたいなもので比較的簡単にできるのよ。頭に数本針を刺しておしまい。そうすれば発火能力や干渉空間の展開が出来なくなる。すごく簡単な作業らしくて私も驚いたわ」
アメリアは法術封印が何を意味するのか分かっていない誠にそう告げた。
「その針を体のどこかに打ち込むと力が使えなくなるんですか……便利なような、便利でないような……せっかく使える力ならちゃんと使った方が良いですよ。発火能力はライターを無くした時に使えますし、干渉空間は……あ、やっぱりあんまり使い道無いですね」
自分では力を有効に使っているつもりの誠にとってはあまり関係の無い事のように思えてきた。
「そりゃあ、東和共和国だけでも相当な数の法術師が居る。軍や警察に身を置いているならいざ知らず、民間人に『光の剣』など必要ないだろう。当然の対応と言える」
苦しそうな表情を浮かべながら記事の意味をいち早く理解したカウラが誠を説得するようにそう言った。
「確かに僕の力って普通に生きていくには特に役には立たないどころか危ないですからね……まあカウラさんの言う通り当然のことかもしれませんね」
誠はカウラの言葉で法術封印の意味をようやく理解した。
「……でもよ。封印するには、『法術師を見つけ出して』、その場で『封印の針』を打たなきゃならねえわけだ。どうやって見つけ出すんだよ」
かなめはいかにもめんどくさそうにアメリアを見ながらそう尋ねた。
「それって……勝手に?本人の意思関係なく……?」
誠はあまりの無理のある話に呆然としてそう言った。
「ああ。『近藤事件』で法術の存在が知られて以降、ネットじゃ『法術は遼州人に与えられた権利』なんて言い出す馬鹿も出てきてるらしい。……まあ、いずれ面倒な奴らが暴れ出すさ」
その『暴れる連中』が、どこか他人事に聞こえないのが、誠には嫌だった。かなめは大事になる方が面白いと言う彼女特有の思考で事態が悪化するような話を平気でした。
「法術封印。これが『対法術』の切り札……そんなもので、本当に終わるのか?そんな一時的に法術を使えなくしたくらいで何が変わるんだ?」
彼らを見つめながらカウラがそうつぶやくのが誠の耳に届いたが、次第に睡魔に襲われていく彼にその言葉を意識する能力はすでに無かった。




