第64話 モテない男とモテすぎる義娘
「義父上、本当にそんな格好で行かれるおつもりですか?いくら隠居されたとはいえ、四大公の元当主の姿とは到底思えませんよ」
日野かえでは呆れたようにそう言った。嵯峨惟基の格好は、くたびれた紺の小倉絣にゆるく締めた帯、日本刀を無造作に差し、手荷物はトランクひとつ。どう見ても旅姿の最近各紛争地域に向かう甲武浪人だ。
ここは鏡都四条畷宇宙港。亜空間シャトルが発着し、甲武でも屈指の賑わいを見せるこの港において、嵯峨の姿は周囲から完全に浮いていた。洒落た服に身を包んだ東和のビジネスマンや、『大正ロマンの国』の響きに惹かれて訪れた観光客たちが行き交う中、明らかに異物だった。
もしこれが甲武の下町なら、あの格好でも誰も気にしなかったかもしれない。だが嵯峨の目的地は、甲武と遼州を経済的に圧倒する二十世紀末日本を完全再現した国家・東和だ。ましてや彼は四大公家の元当主。庶民風の格好にしても、限度というものがある。
かえではため息をついた。
「いいじゃねえか。お前さんの引き立て役になれりゃ十分さ。隠居の身にモテる義父でいる義理もない。茜なんて遊郭代も出してくれねえし、小遣い3万じゃ、せいぜいりんご飴が関の山だ」
そうぼやく義父の笑顔に、どこかからかうような色が混じっているのを感じて、かえではまた深いため息をついた。周囲を見回し、思わず顔を手で覆う。
海軍佐官の制服に身を包み、渡辺リン大尉を従えたかえでは、先日の殿上会で正式に四大公家・嵯峨家の家督を継いだばかり。その目鼻立ちのはっきりした美貌もあって、どう見ても人目を引く存在だった。そんな自分と、あの格好の義父が並んでいる……それがたまらなく恥ずかしかった。
周囲の視線が突き刺さる。
「まあ俺もこの格好で言うのもなんだが……お前さんも、もう少し『四大公家末席の威厳』ってもんを学ぶべきだな。俺と並んでうろたえるようじゃ、甲武貴族の頂点に立つ四大公家の末席も務まらねえ。これからは言動のひとつひとつが注目される。『マリア・テレジア計画』も、そのへんで手を引いとけや」
これからは自分の部下として『特殊な部隊』の一員になる。かえでの『問題行動』には、嵯峨としても釘を刺しておきたかった。
「義父上と父上があれだけ反面教師なら、僕も大丈夫です。……『計画』はもう終わりです。これからは東和に拠点を移しますから。ただ、もし向こうで『愛する僕を産みたい』と言ってくれる女子が現れたら……まあ、考えなくもないですけどね」
かえでは苦笑を浮かべながら言う。その笑顔にキャビンアテンダントたちがつられて微笑んだが、すぐ隣に嵯峨が立っているせいで、かえでは笑い返す余裕を失っていた。
「東和は色恋沙汰に厳しい国だぞ。特に不倫には。公務員は自重が求められる。お前さん、俺の部下になるんだ。頼むから俺の査定に響くようなマネは勘弁してくれ」
嵯峨はかえでの前に手を合わせた。『特殊な部隊』にはかえでの姉で度重なる発砲事件で問題を起こす西園寺かなめなどのもう十分すぎる『特殊な隊員』がいる。これ以上の騒ぎはご免だった。
「……善処します。けど僕、魅力的だからなあ……その時はその時ってことで」
ナルシスト丸出しの発言に、嵯峨はただ頭を抱えた。
「だから、そういうとこがダメなんだって。断る時はちゃんと断れ。それが大人の……って、うらやましい!」
『モテない駄目人間』代表の嵯峨にとって、モテまくるかえでは、憎たらしいほどまぶしかった。
「だったらまず、その格好なんとかしてください!モテたければ、外見から!女性が気にするのはまずその清潔感の感じさせない格好です!永遠の25歳でそれなりに女性を惹きつける容姿の持主でも、義父上のように不潔そのものの男性に惹かれる女性などこの世に存在しません!」
かえでの視線には怒りも諦めも混じっていた。
「またそれか……いいじゃねえか、俺がモテなくても。金がないと、自然とこうなるの!世の中の庶民は、みんなそうやって暮らしてんだよ。わかれ!」
半ばやけ気味に言い返す嵯峨。だがその視線の先には、立派に育った義娘の姿があった。海軍士官の制服が似合うその姿に、嵯峨は思わず目を細めた。
かえでの姿を見るうちに嵯峨の目に涙が光った。
自分では柄ではないと思っている。人斬り、策士、卑怯者。様々なあだ名で呼ばれ敵にも味方にも恐れられた自分の弱さ。それが家族であることを嵯峨は理解していた。
先の大戦でも彼は諜報部員として地球の軍人達の家族への私信を加工することで、家族を思う心理により兵士の士気が著しく下がることは知っていた。そして自分もまたその例外ではないことを自覚してその皮肉に思わず笑みを浮かべていた。
嵯峨を産んだ母は夫の放蕩と彼の将来を案じて壊れた。母を引き継いで嵯峨を育てた祖母はテロに斃れた。実の父は自分を憎み権力闘争の末に内戦にまで発展させ彼を追い落とし、握った権力に溺れて国を失った。妻は義父が起こした政治抗争の中で義父を狙ったテロに巻き込まれて殺された。弟は自分の能力に合わない地位を狙いそのことを思い知らせるために自らの手で斬り捨てた。
そんな嵯峨の義理の娘となったかえでが目の前の独り立ちして自分の背負っていた嵯峨家と言う大きな地位を支える立場になったことについ涙が流れる。
「義父上?もしかして泣いているのですか?そんなに僕のことが不安ですか?」
かえでがあまりに意外な嵯峨の様子を見ての反応にそう尋ねて来た。嵯峨にも親の体面と言うものがあった。流れようとする涙をぬぐうと嵯峨は再びいつもの飄々とした態度に戻った。
「そんなことはないね。ただ目にゴミが入っただけだ。俺は『悪内府』、鬼をも恐れぬ憲兵少将殿だよ……それにお前さんも『特殊な部隊』に転属すればわかると思うが、あの連中に涙なんて似合わないよ。笑いが似合う」
そう言って嵯峨は無理に笑いを作ってみせた。
それでもかえでには義理の父である嵯峨がその数奇な運命を思い出して涙を流している事実を察することくらいは出来た。
二人はすでに親子になっていた。男女を問わずモテる義娘と誰からも煙たがられるモテない義父。その奇妙な親子関係は始まったばかりだった。
「義父上。話は変わりますが、なぜ『廃帝』を倒すためにお母様にご助力をお願いしなかったのですか?僕にはそれが不思議でならないんですが……『廃帝』を倒せるのはこの遼州の法術師でも数えるほどしかいない。その一人にお母様が居ることは義父上もよくご存じのはず。それを何故一言もお母様の前で『廃帝』の話をされなかったなんて……それが僕には不思議でならなかったのですが」
かえでにとってこれから配属になる『特殊な部隊』の宿敵である『廃帝ハド』打倒に『廃帝ハド』に匹敵する力を持っているとかえでが思うかえでの母である西園寺康子に嵯峨がなんで助っ人を頼まないのか常に不思議に思っていた。
かえでの知っている限り、『廃帝ハド』を再び封じることが出来るのは、かつて『廃帝ハド』を封じた遼帝国太宗の遼薫と、嵯峨の部下であるクバルカ・ラン中佐。そして何よりもかえでがその実力を良く知っているのは彼女の母である西園寺康子くらいのものだった。嵯峨の期待していると言う神前誠も、おそらく『廃帝ハド』の歯牙にもかからない程度の実力しかもっていないだろう。
「そりゃあ決まってるさ。俺は無駄なことは最初からしないの。義姉さんは絶対に俺達に味方しない。そんなこと最初から分かってるもん」
あっさりと嵯峨はそう答えた。かえではそれがあまりに感情のこもらない言葉だったのであっけにとられた。
「驚いてるみたいだね、お前さんは。しかし、考えてみなよ。『廃帝ハド』が目指してるのは『力ある者の支配する世界』だもん。義姉さんは十分支配する側に立てる資格がある」
嵯峨は教え諭すようにかえでにそう言った。
「そこまで母上は腐っていません!そんなふざけた世界を母上が望んでいると言うのですか!いくら義父上とは言え言っていいことと悪い事が有ります!」
義父の言葉が『廃帝ハド』の野望に手を貸しかねないと言うような言葉に聞こえて、かえではつい大声で叫んでいた。
「かえで、とりあえず落ち着きなさいよ。腐ってるとか腐ってないとかいう次元の話じゃ無いんだよこれは。『廃帝ハド』が俺の考えた通りの頭脳の持主なら、当然義姉さんに『甲武の独立を保証する』と言う条件を付ける。そうすれば義姉さんは動かないよ。それが義姉さんの理想であって、それについて俺がどうこう言えた義理じゃ無いね。それにだ。そもそも義姉さんは民間人だ。俺達に協力する義務はない。違うか?」
嵯峨の表情は真剣だった。彼自身、かえでが言うように『廃帝ハド』を倒すための戦力は少しでも欲しかった。その為に誠の人生を滅茶苦茶にするくらい平気でできる男だった。
それでも西園寺康子だけは動かすことが出来ないことは分かっていた。それは自分が『最弱の法術師』で康子にはまるで歯が立たないからだけでは無かった。口先でも嵯峨は康子に負けると思っていた。
かえでは唇を噛みしめながら、義父の無念そうな顔を見つめていた。
「それよりどうだい。うちへの転属の件。今回の甲武行きで結論は出たんだろ?」
嵯峨は話題を変えてかえでの今後について質問した。
「何度も同じこと言うんですね。もうすでに甲武海軍大臣の辞令は出ています。来週には実際に東和海軍視察と言うことで東都に出張が決まりましたよ。それでそのまま司法局実働部隊への転属という形になる予定ですよ」
呆れたようにかえでは腰に手をやり笑顔を浮かべる。
「ああ、なんとかこれで遼州同盟司法局もスタッフが揃うことになるからな。いろいろと大変になるがまあがんばってくれよ。それこそ第二小隊の側が法術師としての実戦経験を積んでる人材が二人もいるんだ。その小隊長としての活躍、期待してるぞ……と言っても肝心の改良型の05式の納入がかなり先になりそうなんだよな……うちは予算が厳しくって。臨時予算が組まれるまではたぶん機体無しの勤務になるんでその辺はよろしく」
嵯峨はかえでが隊長を務めることになる第二小隊の事をかえでに任せた。
「了解しました!特務大佐殿!機体が来るまでは自分自身の法術師としての能力を鍛え上げます!」
そう言うとかえでとリンが敬礼した。嵯峨はそれに敬礼で返した。
「と、言う訳だ。『特殊な部隊』はもうすでに問題満載だから。お前さんまで問題起こされると色々面倒なの。東和に来たら多少は自分の行動に責任をとってね。もう立派な大人なんだから。じゃあ、時間だから俺は行くわ」
それだけ言うと嵯峨はそのまま人ごみの中に消えて行った。
「かえで様、本当によろしいのですか?嵯峨少将には自分が一番の問題児だと言う自覚が無いように見えるのですが」
不安げにリンがかえでの右手を握り締める。かえでは覚悟を決めたようにその手を握り返した。
「義父上も子供じゃない。それにこの港の警備システムは先日の狙撃犯の供述でかなり信用できるようになったはずだ。それに行先は遼州圏で一番治安の良い東和だ。万が一にも問題が起きることは無いだろう。それにあちらにはお姉さまが居る。大丈夫だ」
そう言うとかえでは振り向かずに空港のロビーを出口へと向かった。
かえではガラス天井の向こう、赤く染まる甲武の空を見上げた。
『……お姉さまは、きっと変わっていない。東和に着いたら、きっとまた……』
かえでの頬がほんのり赤らむ。
「……ふふ、お姉さまの愛の鞭……今日も甘く痛いんだろうな……」
リンの表情が引きつった。
「……やはり一番の問題児はあなたです、かえで様。鞭と蝋を与えていただきたいのならいつでもこのリンにお任せください」
かえではそのままガラスで覆われた天井を眺める。そこには甲武らしい金色の雲が漂う空があった。かえではその変態的な欲望に身をよじらせながら遠くの宇宙の下の姉の事を思っていた。




