第61話 行方不明とされている後遼帝国皇帝『献帝』の贈り物
「アンタがあの哀れな将軍に提案してあげたゲリラへの機動兵器の譲渡計画が、そのまま『敵方』の俺に筒抜けだったとは……さすがに予想してなかったでしょう? まあ、ご自分が『漏らした側』だという自覚すら無さそうですね。その顔……『情報を盗まれた被害者』だとでも思い込んでる。ずいぶん不機嫌な表情だ。俺の言葉が、そんなに癇に障りますか?」
嵯峨はそう言うと、部屋の主に断りもなく胸ポケットからタバコを取り出す。母国ゲルパルトでは喫煙者はほとんど絶滅しており、カーンはあからさまに不快な表情で嵯峨の点火を見つめた。
「ふむ、彼は……私の眼鏡にかなわなかった。それだけの話だ。この世界から消えても誰も困らない程度の命だった。つまりは、そういうこと。適者生存。それが秩序の根本だ。彼は『適者』ではなかった。それだけのこと。過去を振り返っても、意味などない。無意味な感傷だよ……君もそう思わないか?似非公爵殿」
カーンは嵯峨のタバコの煙を嫌悪しながらも、皮肉を含んだ口調でそう返す。
「つれないですね。どれだけ、そういう理屈であんたが『使えない』と見なした部下たちを切り捨ててきたか、よくわかります。いい反面教師ですよ。同じ『戦争犯罪人』の立場でも、あんたと俺には決定的な違いがある。あんたはどんなに自分に尽くしてくれた部下でも平気で切り捨てた。俺はどんなに無能でも一人も見捨てなかった。それだけが、あの戦争で俺が胸を張れる『善行』って奴ですよ。そして今回、あんたの機密を暴くにあたり、かつての部下たちが一役買ってくれた。……部下に恩を売っておくのは、悪い投資ではないようですね」
嵯峨の吐いた煙が、わざとカーンのほうへと漂う。カーンはさらに顔をしかめるが、嵯峨は口元にだけ笑みを浮かべた。
「『善行』ね……。その結果が、自分は生きるに値しない部下達の命を守るために犠牲になり、最弱の法術師へと成り下がった?私に言わせれば、それは愚行だ。強者こそが生き残る。それが世界の摂理だ。力だけは、どんな犠牲を払ってでも保持すべきだった……違うかね?君の行為は『善行』ではなく『愚行』だよ」
ベーコンを口に運びながら、カーンは軽蔑の色を隠さずに言い放つ。彼にとって部下とは代えの利く『駒』であり、理想の実現こそがその『駒』たちへの最大の慰霊であるという思想の持ち主だった。
「……またその手の『優生論』ですか。そんな理屈が幅を利かせていたのは20世紀初頭くらいの話でしょう?為政者や民族主義者が自分に都合よく、気に入らない相手を処分するために使った『便利な題目』だった。あんたも、さすがにこの27世紀の今頃にそんな話は本気では信じていないでしょう。けれど、その亡霊はいまだ地球人を縛っている。俺たち遼州人は、そんなものとは無縁なんですよ。空気と水と食い物が十分あればそれで十分。そんな環境さえあれば争う必要はない……だから遼州人は1億年の間、進化もせずにずっと同じ形で生きてきた……ああ、あんたはその頃は恐竜に怯えて卵を産んでたそうじゃないですか。そん時にお互い出会わないで良かったですね……あんたの『優生論』から言うと、その時のあんたは俺にとってはちょうどいい食べ物ですから」
カーンは苛立っていた。嵯峨が法律、政治、経済……三つの博士号を持つ秀才であることは承知していたが、それ以上に『屁理屈の天才』であるとようやく実感した。
「なるほど……君が『ただの野蛮人』ではないことはよくわかった」
椅子に背を預けながら、カーンは吐き捨てるように言った。
「だが、利口な敵ほど始末に困る。君は不快だよ」
前の戦争が終わったとき、確かに出発点は同じだった。それなのに、今や二人の立場には天地の差がある。カーンはそのことを噛みしめつつ、ようやく本題を問うた。
「ほう、意外ですね。てっきりあんたのような人間なら、俺の顔を見ただけで気分を害し、部屋を出ていくと思っていましたよ。これだけ俺の聞き触りの良くない話に付き合ってくれる忍耐力の持主だとは俺も思わなかった。では……そろそろ本題に入りましょう」
嵯峨はそう言うと、また煙草に火を点け、煙を吐き出す。それを受けたカーンが軽く咳き込むが、嵯峨はむしろそれを楽しんでいるような笑みを浮かべていた。
「今日は、アンタにひとつ確かめたいことがありましてね。ほんの少し、見ていただきたいものがあるだけです」
そう言うと嵯峨は、胸ポケットから三枚の写真を取り出す。写っているのは、同じ長髪の男。細い目に鋭い鼻。印象的な顔立ちだった。
一枚目は軍服姿で部下に指示を出す様子。二百年前の遼帝国将官の制服に酷似している。
二枚目は記念行事らしい場面。背広姿で整列した人々の中央に座っている。どこか生気を感じさせない顔つきだった。
三枚目は雪の街角。隠し撮りのような構図で、どう見ても最近の東和共和国で撮られたものだった。
「……ほう。この男を知っているかと?君にも知らないことがあったとは。かつての忠義深い部下たちも教えてくれなかったのか?……使えない男たちだ。そんな駒、さっさと捨てるべきだったね。老婆心ながら、忠告しておくよ」
カーンは老眼鏡を取り出して三枚の写真を順に見つめる。嵯峨は黙ってその様子を観察するが、カーンの表情には最初から最後まで変化がなかった。
「もし、この男を私が知っていたら……どうするつもりだね?」
写真を見ながらカーンが問うと、嵯峨は即座に答えた。
「どうもしません。知らなくても、同じです。ただ……この顔を、アンタはこれから頻繁に目にすることになるでしょう。その『予習』としてお持ちしただけです。まあ、情報を盗んだ迷惑料としての、ささやかな贈り物ということで」
カーンは再び写真を凝視する。
「見覚えが……無くもないが、遼州人やアジア系の顔は見分けがつかなくてね。君のような『秀才』と違って、私はそこまで賢くないんだ。残念ながら」
そう言って写真をテーブルに戻したカーンに、嵯峨は携帯灰皿にタバコを押し込んで立ち上がる。
「これで終わりかね?」
カーンが問うと、嵯峨は穏やかに微笑んで答える。
「ええ、これ以上、死に損ないの時間を奪うのは気が引けますから。それに、俺は一応、年長者を敬う気持ちは持っているつもりですので。……まあ、そのうち、両手に『鉄の輪』をかけに伺います。その時まで、お元気で」
嵯峨はそれだけ言い残し、ラウンジの扉を静かに開いて姿を消した。
二人は、かつて同じ戦争犯罪人としての出発点に立っていた。だが今は、追う者と追われる者。追われる側のカーンにとって、嵯峨の目的が読み切れないことが、何より不快だった。
「……私も年を取ったな。彼の話は確かに興味深かったが、あの敵意に晒されるのはどうにも堪えるようになってきた。……だが、面白くなりそうだ」
そうつぶやくと、カーンは呼び鈴に手を伸ばす。甘い物でも注文しようと思いながら、ふと嵯峨から渡された写真の一枚に目を落とした瞬間……その表情が一変する。
「『廃帝ハド』との我々の繋がり……どこまで知っている、嵯峨惟基?」
興味深げに写真を持ち上げながら、カーンは呟く。
「……いや、違う。知らないはずがない!」
声を荒げ、彼は立ち上がる。
「あの男が『知らない』わけがない!『廃帝ハド』への支援も、資金の流れも……全部、把握しているはずだ!これは『警告』じゃない……『宣戦布告』だ!」
カーンは息を整えると、冷ややかに笑った。
「……いいだろう。受けて立つさ。敵が多いほど、ゲームは面白くなるものだ。嵯峨惟基……いや、『遼帝国皇帝・献帝陛下』。君はその資格にふさわしい……このゲームは面白くなりそうだ……」
カーンはそう呟き、満足げにコーヒーを注文するため、テーブルのベルを鳴らした。




