第6話 『特殊な部隊』は、まだ終わらない
ランは緊張した表情で、コントロールルームへ走っていくひよこの背中を見送った。ひとり、本部棟の廊下を歩いていく。壁は年季が入り、コンクリートには亀裂が走っている。その先には東和陸軍教導部隊の隊長室があった。
早朝ということもあり、廊下には人影がほとんどない。それでも、見た目が8歳の少女にしか見えないランはやはり目立つ。すれ違う東和陸軍の将兵たちは、興味深げな視線を隠そうともしなかった。
「おや? クバルカ中佐じゃありませんか!」
高いテノールの声にランが振り向くと、そこには紺の背広を着た小柄な男が、人懐っこい笑顔を浮かべて立っていた。
「高梨参事?どうしてこちらへ?」
歩み寄ってくる男は、東和国防軍予算調整局のキャリア官僚・高梨渉参事だった。官僚らしからぬ腰の低い態度で、以前から好感を持っていた人物である。
「いやあ、奇遇ですねぇ。今日はまた、法術兵器の実験か何かでしょうか?わざわざ豊川から……」
愛想よく笑う高梨に対し、ランは少しだけ身構えた。個人的な感情はさておき、機動部隊の隊長として、予算の分配を巡っては高梨とはしばしば対立する間柄だったからだ。
「高梨さんこそ、監査か何かですか?ここの射爆場の設備や食事は、どう見ても無駄遣いには見えませんけどね。教導部隊はちゃんとアタシが見張ってますよ」
ランはややぎこちない敬語で応じた。
「いえいえ、今日は視察というか、まあ下見ですね。よろしければ隊長室でお話しませんか?」
そう言って高梨が歩き出すと、ランも黙ってそれに従った。彼の神妙な表情に、ランはすぐ察した。
『……キャリア官僚を貼り付けて、うちの財政を締め上げる気か。政治的な配慮ってやつだな。上の連中も考えてるわ』
司法局実働部隊は『近藤事件』で一躍脚光を浴びた。もはや『嵯峨大公爵のおもちゃ』などという陰口は影を潜め、今では『遼州同盟の守護者』と持ち上げられることもある。しかし軍内部では、相変わらず『特殊な部隊』として距離を置かれているのも事実だった。
『近々、第二小隊増設だ……機体が倍になって予算規模が大きくなれば、そりゃ上は動く。隊長が実力のある事務官を確保しようとしても不思議じゃねー。管理部の部長の椅子は今空いてる……そこを埋めるってわけか』
そう考えていたランの横で、高梨が立ち止まった。
「クバルカ中佐、通り過ぎてますよ。何か考え事でも?」
慌てて教導隊の隊長室の前まで戻ると、ランは苦笑いを浮かべた。
「今回の実験、そんなに難しい内容なんですか?ま、事務屋の私にはわからないことばかりでしょうが」
高梨の問いにランは首をすくめる。高梨は自然な笑みを浮かべたまま、隊長室のドアを開けた。
室内には、使われなくなって久しい巨大なデスクが静かに鎮座していた。
「ここも久しぶりだな……もう三年だぜ、『特殊な部隊』と兼務して。今じゃ教導部隊の仕事は片手間みたいなもんだ。あの『駄目人間』の面倒を見るほうが、よっぽど手がかかる」
ランはそう言い、高梨にソファを勧める。ふたりが向かい合って座ると、ランが話を切り出した。
「人事の話ですか?予算取りの会議に下士官の菰田を送り込むのは無理があるってわけでしょ。管理部の部長代理の代理と言ってアタシが乗り込む方が、まだ説得力はあるわな」
そう言ってランは腕を組んだ。
「要するに、あのおっさんに首輪を付けたいんだろ?金の流れを押さえるのが一番手っ取り早い。そのためには兵隊上がりより官僚のほうが都合がいい……と、まあそういう話だろ?」
ランが手元の端末を開き、通信を送る。
「悪いけど、日本茶を2つ、頼む」
妙齢の秘書官にそう伝えると、再び高梨の方へ向いた。その幼く見える面差しのまま眉をひそめて高梨を見つめた。
「まあ予算規模としては甲武とゲルパルトが同盟軍事機構設立の準備予算を削ってでも実働部隊と法術特捜に回せとうるさいですからね。どっちも国内に爆弾を抱えてるから司法局実働部隊の出動を要請する可能性が高い……貴族主義者とネオナチですか」
高梨はそう言うと苦笑いを浮かべた。『近藤事件』を起こした甲武の貴族主義者近藤貴久。そしてそれを煽ったとされる『アーリア人民党』の幹部にしてネオナチの首魁ルドルフ・カーン。どちらの名も二人の間には共通する話題だった。
「どっちの国も政情安定には程遠い。油断をして、その連中に大きな顔をされたところを地球圏に足下を掬われたくないのが本音でしょう。宇宙の元地球人達は地球圏からの介入を我々遼州人より恐れている。皮肉なものですね、元は同じ地球人だと言うのに侵略された我々が彼等の心配をしなければならないとは」
そう言いながら高梨は頭を掻いた。それと合わせるようにして自動ドアが開いて長身の女性が茶を運んで来た。
「それに甲武国の西園寺首相は兄さんにとっては戸籍上は義理の兄、血縁上は叔父に当たるわけですし、第四惑星のゲルパルトのシュトルベルグ大統領は亡くなられた奥さんの兄というわけですしね。現場も背広組もとりあえず両国首脳部に媚を売りたいんでしょうね。西園寺首相もシュトルベルグ首相も血縁者を優遇されて心が動くような軟弱な人ではない。そのことは周知の事実だと言うのに」
高梨はいかにも官僚らしいドライな調子でそうつぶやいた。
「まあ僕に与えられた仕事はその金食い虫の『特殊な部隊』にいかに効率的に成果を上げられるだけの予算を確保して、その予算を有効に使う方策を練りだすこと。確かに一下士官に過ぎない菰田君には難しい話だ。でも、僕はそう言う仕事は慣れてますから。クバルカ中佐も大船に乗った気分でいてください」
高梨はそう言うと茶をすすった。それは東和共和国大蔵省との予算折衝で百戦錬磨の経験を積んで来た国防省のキャリア官僚としての意地を見せる余裕を感じさせた。
「そうだったな……高梨さん。そう言えば高梨さん。アンタは隊長の……」
ランは高梨の言葉を聞きながら少し遠慮がちにそう切り出した。
「僕は腹違いの弟ですよ……56番目の弟です」
常人なら絶句するところだろうが、遼帝国の皇帝遼霊の女好きを傍で見ていたランにとっては特に驚くべきことでは無かった。
「まあそのことはできるだけ内密にしておいてください……兄さんと遼帝家とのことは一応、秘密ってことになってるんで。このことは兄さんから強く脅されているんで。『俺の自由が利かなくなると色々面倒なことが起きる』って」
普通の人ならば56番目の弟と言う言葉に驚くところだろうが、ランは嵯峨の出自を知っていたので驚くことなく聞き流した。
「そうか……56番目か……全部で分かってるだけで326人兄弟か。そのうち生存しているのが10人。『遼帝家』に産まれるってことは残酷なことなんだな。まあその326人のうち311人を遼南共和国建国の時の混乱に乗じて殺したのが他でもないアタシなんだけどな」
ランは時々彼女が見せるとても8歳女児のように見える姿からは想像できない鋭い眼光で高梨を見据えた。
「高梨参事。オメーの弟や妹を殺したのは他でもねーアタシだ。そのことでアタシを恨む権利はアンタに有るんだぜ……アタシは当時アタシを永い眠りから目覚めさせてくれた『外道』の言うこと以外何も信じられなかった。詫びたいところだが……詫びて済むような話じゃねえな……我ながらひでー話だと思うよ」
そう言ってランは苦笑いを浮かべた。
「知ってますよ。僕の母は遼帝国の駐在大使だった祖父に連れられて遼帝国に行った。父である霊帝は女と薬に我を失って母がちょっと気に入ったからという理由で祖父に自分に差し出すように言い、祖父もそれに従うしかなかった。結果僕は産まれ、母は高級官僚の娘ながら傷物としてこの東和で罵られながら僕を育てた」
高梨は高級官僚の娘の一人息子に産まれながらシングルマザーとして育った自分の過去を語った。
「でも、そのことが僕を勉強に駆り立てて今の地位に僕がある。その意味では僕も父に感謝しなきゃいけないかもしれませんね。この国では結婚できる男性は二割に満たない。でも僕は高級官僚だということで妻も持つことができ、娘にも恵まれている。その点では僕はこの国では恵まれた存在なのかもしれませんから」
そう言って笑う高梨と嵯峨に共通点をあまり見いだせないランはただ苦笑いを浮かべるだけだった。
「話は戻りますけど、ここ東和じゃ『特殊な部隊』に西園寺一門なんかの身内を司法局という場所に固めているのはどうかって批判はかなり有るんですが……、まああの大国甲武国が貴族制を廃止でもしない限りは人材の配置が身内ばかりになるのは仕方ないでしょうね……それ以前に兄さん……いや、嵯峨特務大佐の部下が務まる人材がこの東和にいるかって言うと疑問ですが」
静かに高梨はテーブルの前で腕を組みながらランを見つめている。ランはそんな何処までも冷静で笑顔の絶えない高梨を観察していた。それなりの大男の嵯峨と小柄な高梨が腹違いとはいえ兄弟とはとても思えない。ただ体格はかなり違うがその独特の他人の干渉を許さない雰囲気は確かに二人が血縁にあることを示しているように思えた。
「お茶をお持ちしました」
開かれた扉からランの留守を預かっている長身の女性大尉がお盆を持って現れた。彼女はものおじすることなくそのままランと高梨の前に湯呑を置いていった。彼女はかわいらしいランの頭を今にも撫でかねないような好意的な視線で見つめていた。
「隊長。このまま里帰りってのもアリなんじゃないですか?あの『特殊な部隊』も『近藤事件』で法術の公開と言う1つの役割を終えた訳ですし。しばらくは甲武の貴族主義者達も大人しくしているでしょう。それに法術関連の捜査は司法局法術特捜の任務です。むしろそちらに予算を割いて、その予算の一部をうちに……」
美女とは言えないものの愛嬌のある若い女性大尉の言葉にランは苦笑を浮かべた。
「バカ言え……あんな問題児どもほっとけるかよ。それに法術の存在が公開されたこれからがうちの本領発揮の舞台だ。今、後に引くわけにはいかねーよ。『近藤事件』はあくまで法術を表ざたにするためのうちの『駄目人間』が打った『猿芝居』だ。これからが本番だ。敵として今度うちがかち合う相手は法術を使って攻撃してくるかもしれねー。そーなったら、うちの希望の星、神前誠曹長の出番だ」
ランはこれまでの憂鬱な表情を明るいそれに変えて未来を見据えるようにそう言った。
「まー肝心の神前は心もとねーにーちゃんだがな。アタシが鍛えてなんとかする。それに今度新設されることが決まった第二小隊の事もある。これからはあちらが忙しくなるんだ。今更、こんなアタシが教えなくても誰でも教官が務まる東和陸軍の教導部隊の教導指揮官なんて仕事やってられるかよ。『特殊な部隊』ってのはその名の通りあまりに『特殊な馬鹿』の集合体なんだ。だからその副隊長が務まる人材なんてアタシの他にはこの宇宙のどこを探しても一人もいねー!アタシはあそこに骨をうずめる。それはあの部隊が出来た時からアタシが決めていたことなんだ」
『同盟機構や司法局の偉いさんが何をどう仕組もうと、自分の戦場はここだ。この『特殊な部隊』以外には有り得ねーんだ』
ランは心の中でそうつぶやいた。そんなランの内心の声を知ってか知らずか、高梨はいかにも官僚らしい鎧を脱ぎ捨てた安心しきった表所でランを見つめた。
「僕は合理的な人間です。でも……不思議ですね、あの青年の目を見ていると、少しだけ賭けてみたくなる。神前誠。兄さんが彼に賭けた理由も分からないでもない気がするんですよ」
高梨は明らかに茶を運ぶ人選としては切れ者すぎるように見える女性大尉から茶を受け取ったランは微笑んでいた。隣の高梨も苦笑いを浮かべた。
「まーこれもあのおっさん一流の布石なのかも知れねーな。汚れ仕事専門の軍事警察部隊に覚醒法術師五名……さすがに予算をケチる理由が少なくなる……はず……ですよね?高梨参事。大蔵省とのコネクションが色々あるのは隊長から聞いてますよ。なんでも今の大臣でも時間さえ許せば高梨さんと面会するのは拒まないとか……色々と活躍してもらうことを期待してますから」
そう言ってランは鋭い目つきで高梨をにらんだ。とぼけるように高梨は目を逸らして天井を見上げた。そのいかにも背広組のやりそうな予算を握っている人間独特の動作を見ながら茶を飲み終わったランの目の前にモニターが開いた。
そこには硬い表情のひよこの姿が映っていた。
『実験準備完了しました!クバルカ中佐、観測室までお願いします』
ひよこの一言にランは腰を上げた。
『あの『駄目人間』に振り回されて、もう何年になるだろう……でもアイツはアタシを『外道』のおもちゃのお人形から人間に戻してくれた貴重な恩人だ。むげには出来ねー』
苦笑いの奥に、ランはわずかに敬意をにじませていた。
「じゃー行くぞ。これもまたあの『ビックブラザーの加護』と同じで1回こっきりしか使えねえ兵器だ。高梨さんには悪いがこれも予算の無駄かな?」
そう言うとランは教導官室を出ようとする。高梨もその後に続いた。
「しかし……あの神前誠と言う青年……本当にクバルカ中佐を超える逸材なんでしょうか……僕にはそんなことは有り得ないように思うんですが……」
高梨は立ち上がりつつそう言って笑いかけた。
「素質は認める……だが……これからだな……アイツがアタシを超えられるかどうか……これはアタシがアタシ自身に課した最高に楽しいテーマだ。まー楽しみが増えてうれしいこった」
ランはそう言って観測室に急ぐ高梨に続いて教導部隊隊長の部屋を後にした。




