第57話 見守る者、影から介入する者
「遼州同盟司法局……ずいぶんと面白い兵器を開発したものですね。対策はいくらでも立てられる代物ですがね。それにしても、あの変わった兵器は性質から見るに破壊兵器よりもかなりの規模の予算を食ってるはず……やはり東和共和国の経済力あってこそ、でしょうか。羨ましい限りです、ムダ金を惜しまぬスポンサーがいる組織は」
黒いコート姿の男、桐野孫四郎は片膝をついた姿勢で、法術兵器の余波でゆらめく地平線を見つめながら呟いた。夜明けが空を白く染め始め、各国の救助・治安部隊が次々とこの地に降下してくる気配がある。その現実に、桐野の表情は曇る。
「よろしいのですか?嵯峨の『茶坊主』の描いた筋書きどおり事が運んでしまった。しかも……『陛下』が力を貸した相手は、その嵯峨の切り札ともいえる神前誠とかいう青年。彼が生き残った今、この作戦の成果は、嵯峨の手柄になってしまいます。『陛下』のご理想にとって、これは本当に望ましい展開なのですか?」
そう問いながら、桐野は思い出す……かつて部下として仕え、そして裏切った男、嵯峨惟基の姿。冷笑を浮かべ、茶器を撫でる手。何かを見透かすような目……。
だが、彼の前に立つ長髪の大男、『廃帝ハド』は、話題そのものが取るに足らぬと言いたげに、黙って遥か地平を眺めていた。
「君はやはり、『人を斬ること』でしか世界を測れぬのだな、桐野君。私は私の理想と相容れない『ビッグブラザー』の芝居に、ただ幕を引いただけのこと。あの存在は、いつも他人の手で歴史を動かそうとする。自分の手を一切汚さずにな。気に食わない存在だ」
その静かな声に、桐野は反射的に腰の刀へと手を伸ばす……が、次の瞬間、廃帝ハドの眼差しに凍りついた。
憐れみと無感情が混じり合う、圧倒的な『力』を湛えた目。
……言葉ではなく、存在そのものが他者を支配する者の視線だった。
桐野は、未だにこの男が何を考えているのか分からなかった。ただ一つ確かなのは、この『廃帝ハド』が持つ力の片鱗を、桐野自身が既に目にしているということだった。
桐野は改めて問い直す。
「……しかし、07式のパイロットを焼き殺す必要があったのですか?嵯峨の筋書きを補強するだけの結果になった。理解しかねます」
「見たまえ、法術兵器に対応した07式は、法術耐性シェルで完全に無効化した。もし私が助けていなければ、神前誠はあのサーベルの熱線で蒸発していたはずだよ」
夜明けの光が地平線を染める中、ハドは再び視線を遠くへ送る。
「そして、もしこの地が米帝に蹂躙されていたならば、遼州同盟の無力さが証明されることになる。その最大のスポンサーである東和共和国は大手を振って遼州同盟に幕を閉じ、この遼州系で起きる戦乱に遼州同盟の存在を理由に巻き込まれるリスクも減っていた。『ビッグブラザー』らしい筋書きだよ。自身の手は決して汚さず、他国に最後の一手を打たせる……まったく見事な手際だ。ご退場願う前に会ってみたいものだな、『ビッグブラザー』。一度は握手し、そして裏切る。それが人間というものだと思っている」
皮肉とも賞賛ともつかぬその口ぶりに、桐野はますます苛立ちを深める。
輸送機が着陸し、『特殊な部隊』の隊員たちが崩れた07式の残骸の回収作業を始める様子を、ハドは満足げに見つめていた。
「さあて……あのサンプルを手に入れたところで、私の『力』の真価は分かるまい。無駄な仕事だが、役人とはそういうものだ。『お疲れ様』とでも言っておこうか」
その視線には軽蔑の色さえ宿っていた。
「今回は、嵯峨君を褒めてあげよう。この兵器の有効性が短期間で終わることは、彼も分かっていたはず。切るべきタイミングでカードを切った。それだけのことさ。なあ、北川君」
ハドが背後に控える北川公平へと声をかける。
「ええ、『陛下』。あの男、月3万円の小遣いで生活しながら、実際には10万円近く使っているようです。その大半をオートレースの勝ち金でまかなっているとか。洞察力とツキのある『ギャンブラー』ですね」
アロハシャツ姿の北川は、軽く頭を垂れる。
「ですが……あえて嵯峨に手柄を与えてしまえば、遼州同盟の権威が上がり、いずれ我々の前に立ちはだかる厄介な存在になるのでは?」
桐野がそう問いかけると、ハドは振り返ることなく、鼻で笑った。
「いいじゃないか。私もこの星で生まれた遼州人の一人だ。遼州圏が地球圏に伍する存在となるなら、それもまた良い。嵯峨君はこの星を『地球と同格の存在』にしようとしているが、私はそれでは不十分だと思っている。ただ、それだけの違いさ」
その語り口には、暴力を嗜む桐野への軽い侮蔑すら感じられた。
だが、桐野はすでに知っていた。
……07式が司法局機に突撃した瞬間、廃帝ハドが高速移動中の敵コックピットへピンポイントで干渉空間を展開し、内部を燃え上がらせたことを。
その制御力と判断力。嵯峨惟基とは比べ物にならない『本物の力』。
「……『陛下』の力があれば、上空に控える甲武第三艦隊の背後の米帝艦隊など、一瞬で消せるのでは?それを見せれば、地球人にもその無力さを知らしめられるはず……それこそ『陛下』の理想に一歩近づくのでは?」
そう問いかけた桐野に、ハドは静かに答える。
「それは可能だろう。だが、今はその時期ではない。むしろ今の遼州圏と地球圏の力関係が均衡している状態の方が私には好都合だ。『近藤事件』で法術の存在が広く知られた今、私の力は使い放題になった。だから、桐野君。忠告しておこう。法術師同士の戦いは、『実力の限界を見せた者』が負ける。君は……すでに嵯峨に見切られている。だから君は嵯峨君には勝てない……絶対にね」
その言葉に、桐野の表情が一変した。
「馬鹿な……嵯峨は『最弱の法術師』ですよ。空間転移と不死身の身体。それだけの男に、どうして私が負けると……?」
「その理由は、彼の前に立てば分かるさ。今は、それだけでいい」
ハドの目が桐野を射抜く。
その狂気と威圧をはらんだ視線に、桐野は無意識に身構え、刀に手をかけていた。
「……『陛下』、まもなく『ふさ』の先遣部隊が到着するようです。我々も退場の頃合いかと」
北川が薄ら笑いを浮かべながら告げた。
「そうだな。楽しみが増えて嬉しいよ、私は……。あの神前誠とやら……かつて私を封じた女の息子だそうだ。彼を血祭りにあげたい衝動もあるが、今は『その時』ではない。私には『大望』がある。その日までその快感はお預けにしておこう」
『神前誠が、かつて自分を封じた女の息子』……。
北川はその言葉に驚きを隠せなかった。
「では、なぜ殺さなかったのですか?それに……嵯峨の義姉である『甲武の鬼姫』が動くとなれば、後々厄介なことになるかと……」
アロハの袖のほつれよりも北川が気になったのは『廃帝ハド』に匹敵する力を持つとされる女、『甲武の鬼姫』西園寺康子のことだった。
「いや、その心配は無いよ。彼女が甲武を離れることは有り得ない。むしろ、私の理想に賛同してくれそうな気がする。嵯峨君も、それを分かっているはずだ。『廃帝ハド』の前に立てる者など、彼の配下でも、せいぜい『汗血馬の騎手』……クバルカ・ランくらいのものだろうね……自分も、自分が選んだあの神前誠という青年も『汗血馬の騎手』の足を引っ張るだけの存在でしかないことくらい彼もわきまえているだろう」
ハドは、哀れむような目で北川を見つめた。
「さあ、見るべきものは見た。手柄は神前誠にくれてやろう。邪魔者は消えるとするか」
そう言った次の瞬間、ハドの周囲が光に包まれる。
昇り始めた朝日が彼らを照らそうとしたその刹那……。
三人の人影は、跡形もなく消えていた。
その頭上を飛ぶ『ふさ』は、彼らの存在を知ることなく、第一小隊の回収に向けて静かに先発部隊を送り出していた。
そして、司法局実働部隊の任務が成功した背後で、『廃帝ハド』という存在が、その影に確かに介入していたことを、誰も知る者はいなかった。




