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遼州戦記 司法局実働部隊の戦い 別名『特殊な部隊』の死闘  作者: 橋本 直
第十六章 『特殊な部隊』と権威

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第40話 鏡の前に立つ者たち

 響き渡る(しょう)の音が、四百年の伝統を誇る『殿上会(でんじょうえ)』の始まりを告げた。


御鏡(みかがみ)の間』と呼ばれる格式ある広間へと続く廊下と諸室では、甲武の貴族たちが一斉に首を垂れ、音に耳を澄ませていた。


 上座の御簾の奥に鎮座するのは、遼帝国の太宗・遼薫(りょうくん)が甲武に下賜したとされる神聖な『御鏡』。


 それは、誰もが直接目にすることを許されぬ国家の『核』であり、畏敬の象徴でもあった。


 静寂のなか、四人の人影が廊下を静かに進んでいく。

挿絵(By みてみん)

 先頭に立つのは、十二単を纏った左大臣・九条響子……わずか28歳にして最高位の女貴族である。その背筋は凛と伸び、百官の目が自然と彼女の歩みに吸い寄せられていた。

挿絵(By みてみん)

 続くのは衣冠束帯を身に纏った右大臣・田安麗子。響子と同い年でありながら、どこか気の抜けた表情と落ち着きのなさは、武家の頂点『征夷大将軍』としては心許なく見える。その頼りなげな姿が、前を歩く公家の響子の凛然とした姿と対比され、武家貴族たちに複雑な感情を抱かせていた。


 さらにその後ろには、同じく衣冠束帯のかえでと嵯峨惟基。二人は場の緊張感を受け止めつつも、慣れた足取りで鏡の間へと向かっていた。


 上座に控える四位以上の殿上貴族たちは、静かに息を呑みながら四人の入室を見守っていた。


 空席となっている太政大臣の席をはさんで、左に響子、右に麗子、その下座にかえでと嵯峨が控える形で着席した。


「内府殿……」


 響子は静かに嵯峨を呼び、空席となった太政大臣の座に視線を向けた。


『わざとの欠席か、それとも抗議の意思か。いずれにしても、『場』を空けた意味は大きい。この場に居る誰もの責任を回避するには好都合だからな……』


 かなめの不在に、嵯峨は内心で苦笑していた。


「左府殿、その場所はしばらくは空位のままがよろしいかと。要子(ようし)は私の身近でその振る舞いを見ておりますが、官位を上げるには未だ未熟と存じます」


 姪への評価として、嵯峨は眉をひそめてそう述べた。


「そうですね、要子はまだ未熟と聞いております。しかし、太政大臣不在のままでは国政の体裁が整いません。私もいつまでもその代わりを務めるわけにはまいりません」


 響子の冷たい声音に、嵯峨は小さく首を横に振った。もしも今のかなめがこの場に居たなら、手にした愛銃スプリングフィールドXDM40を怒りに任せて撃っていたかもしれない。そう想像して、嵯峨はふと笑みをこぼした。


「まったく、かなめさんと来たら……殿上会は甲武の礎だというのに……」


 不満げにつぶやく麗子の感情的な口調に、響子とかえでが冷ややかな視線を向ける。視線に気づいた麗子は、手にした尺で口元を隠した。


「それにしても内府殿、嵯峨家を楓子殿に譲ることは承知いたしましたが、家格を日野家に移すというのはいかがなものかと……日野家は長らく絶家となっていた家柄。混乱を招かぬかと心配しております」


 響子は、かえでが日野姓のままで四大公家入りすることが、伝統を重んじる甲武において波紋を広げかねないと指摘した。


「それを申されるなら、嵯峨家も三代で当主が途絶え、長らく絶家でした。ただその例にならったまでのこと。加えて、嵯峨も日野もいずれも『藤原朝臣』の流れ。名字の違いなど、形に過ぎませぬ。我らが守るべきは形式ではなく、責務。血と志が継がれていれば、それで充分と存じます」


 くだけた口調とは異なり、嵯峨の語り口には重みがあった。その荘厳さに、麗子は思わず吹き出しそうになったが、響子はそれを無視して静かにうなずいた。

挿絵(By みてみん)

「では、嵯峨家の家格を日野家へ譲る件、承服いたします」


 この一言により、かえでは名実ともに四大公家の末席となり、『従二位』『大納言』の位階を得ることが決定された。


 麗子が不満げに表情を歪める中でも、響子の瞳は一切揺るがなかった。その沈黙は、麗子に代表する武家に対する断固たる拒絶の意思を物語っていた。


 四大公家の筆頭・西園寺家当主であるかなめは欠席しているものの、九条、田安、日野の三家によって『殿上会』の成立が確定し、正式に儀式が開始された。


「本日は殿上会……佳き日、佳き者を選び成すべき日。甲武百官の首たる私に皆が集まってくださったこと、喜ばしく存じます」


 儀式的な響子の一言に、殿上貴族たちは一斉に拝礼した。


「左府殿。まずは大納言・楓子(ふうし)就任の件について」


 嵯峨が静かに告げると、かえでは響子の前に進み出て、丁寧に頭を下げた。


「藤原朝臣・三位大納言・楓子。就任の件、ご苦労である」


 響子は扇子を顔の前にかざし、心からの笑みでかえでを見つめた。


「恐悦至極に存じまする」


 拝礼の後、かえでは背後に下がる。その様子を、麗子は明らかに不機嫌そうな表情で睨んでいた。


 かえでと麗子の犬猿の仲を知る嵯峨は、苦笑しながらその様子を見ていた。


『官派』『民派』それぞれに属する貴族たちは、響子とかえでの姿を複雑な面持ちで見つめていた。


『官派』にとっては、切れ者として知られる嵯峨惟基が一線を退くことに安堵する者も多く、『民派』にとっては『斬弾正』の異名を持つかえでの後任就任に異論はなかった。


 誰一人異を唱える者もなく、議事は粛々と進んでいった。 


「内府殿……かなめさん……じゃなかった、要子不在にて候が、藤原朝臣一位響子、太政大臣推挙の議……」


 麗子がそう言った瞬間、続きの間にざわめきが起こった。


 響子が太政大臣に着けば甲武貴族第一位はこの場に居ないかなめから響子に移ることになる。


 響子は甲武の貴族主義者である『官派』の貴族や士族達からは事実上の首領として扱われる存在だった。その響子が太政大臣に君臨すれば議会を制するかなめの父西園寺義基との衝突は避けられない。太政大臣には宰相任命の権限が存在し、場合によっては西園寺義基失脚の可能性さえ有り得た。


 殿上貴族たちの戸惑いと特に『民派』の貴族達の恐怖を含んだざわめきを聞きながら響子は静かに首を横に振った。

挿絵(By みてみん)

新田朝臣(にったのあそん)二位右大臣麗子(れいし)殿……内府殿から左様な議は上申されておりませぬ。また、前太政大臣である宰相もまたその時期にはまだ早いとのことでした。私もまだ未熟の身。その件、却下いたします」


 響子はそう言うと呆けたような表情の麗子に笑みを返した。


「では、太政大臣による御采配は……」


 麗子はまだ話を続けていた。彼女のおめでたい頭の中には太政大臣空位の甲武国など考えられない。その思いが麗子に響子の太政大臣就任を勧めていた。


「田安公……太政大臣は空位なれど、前太政大臣は下座に控えておられる……御差配は宰相の御一任にてよろしいかと」


 響子はそう言って目の前に控える嵯峨に目をやった。


「左府殿の御裁可……見事にございまする……では、次なる議を宰相より奏上させていただきまする」


 嵯峨のそんな一言が発せられると、鏡の間の御簾が上がり、かなめとかえでの父、儀仗服に身を包んだ宰相西園寺義基が静かに現れた。

挿絵(By みてみん)

 四人の前に椅子と机が用意され、西園寺義基は手にした書類を机に広げた。


「では、宰相として大臣閣下に御裁可を頂き等ございまする、まず第一に憲法改正の儀ですが、これは庶民院、枢密院ともに通過した議案にございます。御裁可願えれば、憲法発効の期日の選定を内閣にて検討し庶民院、枢密院の可決を経て、来年の『殿上会』にて奏上させていただきます」


 西園寺義基はそう言って一礼した。嵯峨と義基が視線を交わした瞬間、言葉なき笑みが交差した。


 敵陣の真ん中で静かに刺された一手に、『官派』は気づいた時にはすでに後の祭りだった。


 憲法の草案はすべて嵯峨が書いたものだった。そこには殿上貴族の権限の制限と平民の権利拡大を目玉とした内容が記されていた。


 『官派』の殿上貴族達はこの場で異議を唱えたかったものの、その草案を書いた『不老不死の法術師』である嵯峨がこの場にいることの恐怖と、枢密院と言う彼等の牙城ですでに議決してしまったことと言うことで、ただ歯ぎしりをしながら宿敵西園寺義基の顔を睨みつけることしかできなかった。


「それは祝着に存じます。本来であれば太政大臣の認可が要るところですが、私が代わりまして認可させていただきます」


 『官派』の貴族達にとって最後の砦だった響子があっさりと憲法改正に認可を与えたことに場は騒然とした。その中、西園寺義基と義弟嵯峨惟基はお互いに顔を見合わせて笑いあっていた。


「では、次の議題へと移りましょう。まず、庶民院の……」


 西園寺義基は議会を通過した法案の報告を始めた。緊張した雰囲気の中、最大の壁であった憲法改正法案の認可が下りたことに嵯峨は安どの表情を浮かべて兄の奏上に耳を傾けていた。


 しかし、『官派』の誰もが恐れていた『徴税権の国家への返却』という言葉は西園寺義基の口からは一切出なかった。どの貴族たちもそれが出るものとばかりと予期していたが、西園寺義基は些末で取るに足らない法案の認可を次々に求めるばかりでそのような重要案件を持ち出すそぶりも見せなかった。


 『民派』の貴族たちは最初からそのことを知っていた。相手に大きな課題を与えてあたかもこちらがそれを中心に議事を動かすと見せかけて、最低限の目的である『憲法改正』をすんなりと通過させてみせるのが最初からの西園寺義基のプランだった。彼のシンパの貴族たちはそれぞれに小声で勝利を祝いあい、『官派』の貴族たちは自分達の敗北を感じて黙り込んだまま議事の進んでいく様を黙って見つめていた。


「以上にござりまする」


 入国管理の強化に関する法令の変更の報告を終えると西園寺義基は静々とその席に戻っていった。


 自分に『徴税権の国家への返却』と言う重大事の決定権限を与えられると思い込んでいた響子は胸をなでおろしたように微笑みを浮かべて従う百官を見回して『殿上会』の終了を告げる合図をするように官女に命じた。



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