第12話 笑う門には新部長
制限速度ギリギリで走るカウラの『スカイラインGTR』の車内で、誰が見てもかなめの苛立ちは限界に達しているように思えた。普段ならタバコに逃げるところだが、そのたびにバックミラー越しにカウラの冷たい視線が突き刺さる。
「吸わねーよ、わかってるって。それより前見ろ、前。ドライバーならちゃんと運転に集中しろ。こいつ800馬力のじゃじゃ馬なんだぞ。ちょっと踏みすぎりゃ、前のトラックに突っ込むからな」
そう言ってかなめは苦笑いを浮かべる。渋々カウラは前を見た。道はすでに東都都内の首都高速道路に達していた。夕方も近くなっている。時間が時間だけあって比較的混雑していて目の前の大型トレーラーのブレーキランプが点滅していた。
その時、アメリアの携帯が鳴った。そのままアメリアは携帯を手に取る。誠はかなめの隣で丸くなってかなめの愚痴を聞き続けると言う非生産的な疲労を感じながらシートに身を沈めた。
かなめは、バックミラー越しに自分を観察しているカウラの視線に気づき、むっつりと黙り込んだ。おとなしいかなめを満足そうに見ながらその視線の主のアメリアは携帯端末に耳を寄せた。
「……へえ、やっぱりそうなんだ。で、タコ入道はどこに行くの?あの人、本来はパイロットでしょ?引く手あまただと思ってたけど……やっぱり古巣の甲武第三艦隊に戻る訳?違うの?司法局に残るんだ……へえ、あの人、結構この国が気に入っているみたいで甲武に戻りたくないと上に掛け合ったんだ。それは意外。初めて知ったわ。実家のお寺に帰ってお経でも唱えてればいいのに。あの人本部に行くたびに声をかけて来るんだけど声がうるさくって……」
アメリアは大声で電話を続けている。それを見て話題を変えるタイミングを捕らえてかなめは運転中のカウラの耳元に顔を突き出す。その会話からアメリアが司法局の人事のことで情報を集めているらしいことは誠にも分かった。
「それにしてもアメリアの知り合いはどこにでもいるんだなあ……人事の話か?もう9月だからな……10月の異動の内示も出てるだろうし」
かなめはそう言うとわざと胸を張るように伸びをする。思わず誠は目を逸らす。
「同盟司法局の人事部辺りか?アメリアは艦長研修とかで本部や東和海軍にはしょっちゅう出張してるからな。情報通を気取りたいんだろう」
確認するように運転中のカウラはタバコを吸いたそうなかなめに尋ねた。
「だろうな……ちっちゃい姐御は司法局本部に呼び出されて誰かお偉いさんと会ってる感じだったが……秋の人事。うちも結構動きがありそうだな」
かなめが爪を噛みつつ考え込む。彼女が爪を噛む時はあまり良いことを考えていない。誠はこれまでの『特殊な部隊』での経験からその事実を知っていた。
「色々と裏事情が知れてこちらとしても助かったわ。じゃあ、また何かあったらよろしくね」
そう言ってアメリアは電話を切った。誠にもアメリアの通話の相手がかなり司法局の極秘人事に詳しい人物であると言うことは容易に推測がついた。
「やっぱり、誰か動くのか?うちは関係あるのか……ってその様子だとある感じだな。確かにうちは下士官が本来士官が務めるべき『部長』を代理している異常な状態だ、『近藤事件』で実績を上げた今ならそれなりに使える士官が配属されても不思議なことは何も無い」
運転しながらアメリアの通話を盗み聞きしていたカウラがぼんやりと尋ねるのにアメリアは悠然と構えて話し始める。
「ああ、うち関係では管理部の方に動きがあるらしいわね。あそこがうちの一番の『癌』だもの。おかげでうちの技術部は予算が確保できずにヒーヒー言ってる。司法局の予算請求に直接かかわれるクラスの偉いさんが部長に就任しても何も不思議なことじゃないわよ」
アメリアは具体的な明言は避けたが、管理部部長代理の菰田邦弘曹長の事を『癌』と呼んだ。
「え、うちの管理部にエリートが来るって……つまり、現場の裁量が減るってことですか?」
誠は思わず背筋を伸ばした。実際下士官ということでかなめやアメリアには頭の上がらない菰田のおかげで『特殊な部隊』にはかなり自由な雰囲気が流れているのは事実だった。
菰田は『特殊な部隊』のほとんどの隊員から嫌われていた。比較的自由なのが売りのこの『特殊な部隊』にあって、飛び切り規則にうるさい菰田の存在はどの隊員にとっても目の上のたん瘤のような存在だった。
しかも、彼にはカウラの無いに等しい平らな胸に執着し、ひたすら彼女を贔屓すると言う習性があった。菰田と彼の仲間達『ヒンヌー教徒』と呼ばれる以上、性癖の持主達は自覚は無いようだが、隊の規律にうるさい菰田自らが隊の風紀を乱していると言う矛盾した現状を作り出していた。
「あそこは今、正規の管理者がいねえからな……何の戦力にもならねえ下士官の菰田の糞が簿記が出来るってことでデカい面してやがる。あー思い出しただけで虫唾が走る。カウラ、お前、あいつ担当なんだろ?なんとかしてくれよ、マジで。オメエがアイツにうちを出て行けと言えばアイツは素直にうちを出て行くぞ……まあ代わりにオメエがアイツと付き合うことになるがそんなことはアタシには関係ねえ」
かなめの毒舌に一同は苦笑いを浮かべた。カウラを含め、このカウラの愛車『スカイラインGTR』に乗っている四人に菰田に好意的な人間などいなかった。
「確かにいつまでも下士官の菰田君にそろばん握らしとくわけにいかなくなったんでしょ、上の方も。来年度の予算の増額見積もりを立てるのに背広組のエリートを一本釣りするみたいよ、隊長の意向で。あと3回出動が有ったら隊の予備費が切れるって頭を抱えてたもの。まあその時は島田君がフルスクラッチした車を地球の大富豪に高く売って稼いだ『福利厚生費』の予備費を回すつもりらしいけど……あれを回されるのは面白くないわね。せっかく遊びにはいくらでもお金をかけられるのがうちの自慢なのに……本当に嫌になっちゃうわ」
アメリアは普段、その福利厚生費を利用して『運航部』の女性隊員達を率いて色々と遊びまわっているので、その財源が減ることには明らかに不服そうに見えた。
『でも……人事って気づいたら誰かがいなくなってるもんだよな。ま、菰田先輩の席が消えても……誰も困らないか』
誠は、胸の奥に微かな不安を感じていた。
「それより相手は誰なんだ?その電話」
ハンドルを握りながらカウラが尋ねてくる。彼女にとっては福利厚生費うんぬんよりもアメリアのコネクションの方が気になる様だった。
「ああ、この電話の相手ね。……秘密よ。独自のルート。いろいろと私もコネがあるから情報は入ってくるのよ……一応巡洋艦クラスの艦長やってますんで」
そう言ってアメリアはいわくありげに笑いかけてきた。
暗くなるころにはカウラの『スカイラインGTR』も都内を抜け、江東川を越え千要県に入って隊のある豊川市に達し、車は千要北インターチェンジで高速道路を降りて一般国道に入った。
しばらくはそれぞれ菰田が大きな顔が出来なくなることについて話し合っていたかなめ達だが、それにも飽きると沈黙が続くようになった。
その沈黙を破ったのがかなめだった。
「さすが艦長様ってところか……まあ、管理部ならうちとはあんまり関係ねえしな。パートのおばちゃん達もこれまでみたいに好き勝手出来なくなるからそっちは少し困るかも。制服の裾が破けたりすると勤務中に縫ってもらったりしてたんだ……そこは不便になるな」
かなめはそれだけ言うと関心を失って視線を窓の外に向けた。前後に菱川重工豊川に向かうのだろう大型トレーラーに挟まれて、滑らかに『スカイラインGTR』は進んだ。
誠はカウラといつも一緒に居るため、何かというと自分に突っかかってくる菰田がその背広組のエリートに頭が上がらなくなるのが痛快で自分でも嫌になるほど嬉しくなるのを抑えきれなかった。
「そう言えば人事と言えば、第二小隊の話はどうなったんだ?もういい加減に結論が出てもいいころじゃねえのか?」
車は豊川市の市街地に入った。窓の外が見慣れた光景になったのに飽きたというように目を反らしたかなめがアメリアに尋ねた。振り向くアメリアの顔が待っていたと言うような表情で向かってくる。
「ああ、かえでちゃんの件ね。何でも来週の甲武の『殿上会』に出るとかで……それが済むまではペンディングらしいわ。それ以前にかなめちゃん。妹のことじゃないの、かえでちゃんがどうなるかなんて、かなめちゃんの方が詳しいんじゃないの?」
アメリアがかなめが嫌がることを知っていてわざとかなめの妹、日野かえで少佐の話をかなめに振った。
「言うなそれは。あんな性犯罪者が妹だとは……我ながら恥ずかしくてたまらねえんだ。もう一度かえでの話をしたら隊に着いたら本当に射殺するからな」
かなめは明らかに何かを嫌悪しているというように吐き捨てるように言った。
「『でんじょうえ?』って何ですか?」
初めて聞く言葉に誠は甲武の一番の名門貴族西園寺家の出身であるかなめの顔を見た。聞き飽きたとでも言うようにかなめはそのまま頭の後ろで手を組むと、シートに身を投げ出した。かなめの『殿上会』を説明する気のまるでない態度に呆れ果てたアメリアが背後を振りむいた。
「甲武の貴族トップが集まる、いわばお飾りの儀式よ。でも、顔見せって意味じゃ結構重要なのよ」
アメリアらしく簡潔かつ社会常識ゼロの誠にも理解できる最低限の言葉でそう説明した。かなめにはその説明は簡単すぎて気に入らないものだったらしく、身を起こすと誠を見つめて本腰を入れて説明を始めた。
「甲武の最高意思決定機関……と言うと分かりやすいよな?四大公家と一代公爵。五位以上の官位を持つ貴族。それに枢密院の在任期間二十年以上の侯爵家の出の議員さんが一堂に会する儀式だ。親父が言うには形だけでつまらない会合らしいぜ……今じゃあただ顔を合わせて鏡を仰ぎ見て終了……それが伝統なんだと。アタシはまだ官位が『検非違使別当』で出る権利がねえから一度も出たことがねえ。まあ、面倒ごとに巻き込まれるのはこちらから願い下げだがね」
かなめは持ち前の無責任さを発揮してまるっきり他人事のようにそう誠に説明した。
「まあ、アタシはその四大公家筆頭の当主であることからすれば『関白太政大臣』が適任なんだが、親父が強硬にアタシの関白就任に反対してるらしいんだわ。まあ、いずれアタシが関白になったら親父の宰相の位を最初に剥奪してやる。関白には宰相の位を剥奪する権限も有るからな。親父め、アタシがいつまでも大人しくしてると思うなよ……へっへっへ!」
面倒くさそうにかなめが答える。だが、誠にはその前の席から身を乗り出して、目を輝かせながらかなめを見ているアメリアの姿が気になった。
「あれでしょ?会議では平安絵巻のコスプレするんでしょ?出るんだったらかなめちゃんはどっち着るの?衣冠束帯?それとも十二単?」
アメリアの言葉で誠は小学校の社会科の授業を思い出した。甲武国の懐古趣味を象徴するような会議の写真が教科書に載っていた。平安時代のように黒い神主の衣装のようなものを着た人々が甲武の神社かなにかで会議をする為に歩いている姿が珍しくて、頭の隅に引っかかったように残っている。
「アタシが『検非違使別当』の職務だと言われてその警護に当たった六年前に引っ張り出された時は武家の正装で会場の周りをうろうろした。ああ、そう言えば四大公家二位の九条家の本家が『官派の乱』でお取りつぶしになって分家の響子が『左大臣』になった時、奴は十二単で出てたような気がするな……」
胸のタバコに手を伸ばそうとしてカウラに目で威嚇されながらかなめが答えた。
「響子?九条大公家の響子様?もしかして……あのかえでちゃんと熱愛中の噂が流れた……」
誠も殿上貴族のかなめと接するようになってから、西園寺家、九条家、田安家、嵯峨家が甲武の貴族の中でも別格の『四大公家』と呼ばれる特別な家柄なのは知っていた。そしてその九条家の当代当主が九条響子左大臣であることもかなめから聞かされていた。
「アメリアよ。何でもただれた関係に持って行きたがるのはやめろ。命が惜しければな」
かなめはうんざりした顔で、煙草の箱を弄びながら吐き捨てた。
アメリアの妄想はいつものこととして誠は話題に出た人物について考えていた。
嵯峨惟基が当主を務める嵯峨家以外どれも現当主は女性だった。先の『官派の乱』と呼ばれた甲武を2つに分けた内戦に敗れた当主九条頼盛の自決で分家から家督を継いだ九条響子女公爵と、当主田安元吉が不慮の事故により夭折したため一人娘である麗子が後を継いだ田安家、そして普通選挙法の施行以降の父の爵位返上により当主となったかなめの西園寺家の三家の当主が女性だった。
さらに誠がニュースとして知っていたのは、娘の茜が東和共和国に亡命という形で移住して甲武国国籍を失ったため、嵯峨が姪でありかなめの妹にあたる日野かえでを養女に迎えて家督を譲るという話も聞いていた。
『あれほど自分は嫌いだと言っている親父の言う『伝統』も、かえでの『栄光』も、アタシにとってはどれも気に食わねえな。アイツが四大公家の末席だ?百年はええんだよ』
かなめは唇を噛んだ。けれど、声には出さない。
外を見ると風景は見慣れた寮から隊へ通う道のものになり始めていた。いつものような大型車の渋滞をすり抜けて、カウラは菱川重工豊川工場の通用門を抜けて車を進めた。
「ちょっと生協寄ってなんか買って行きましょうよ。もうそろそろ閉まる時間だから早くしないと。私おなかが空いているし……誠ちゃんも何か食べるでしょ?」
かなめににらまれ続けるのに飽きたとでも言うようアメリアがカウラに声をかけた。それを無視するようにカウラはアクセルを踏む。
「オメエは毎日菓子ばっか食いすぎなんだよ……そんなことだとそのうちメタボになるぞ、あの嫌われ者の菰田みたいに」
かなめの言葉にアメリアはうつむいた。かなめは先ほどまでの大貴族の話などすっかり忘れているように見えた。
「いいじゃないの!おなかは出てないんだから!『ラスト・バタリオン』は戦闘用人造人間だから元々太りにくいの!だからお菓子とか買いましょうよ!」
そう言いながらアメリアはカウラの頬を軽くつついた。
そんなアメリアをうっとおしく感じたのか、カウラは生協の駐車場に車を乗り入れた。
「誠ちゃんとカウラはいいの?」
アメリアの言葉にカウラは首を振る。
「僕はいいですよ……甘いものはどうも……」
そう言う二人を見てアメリアは長身をくねらせてそのまま車を降りた。
カウラの『スカイラインGTR』が、見慣れた工場の生協の前でエンジンを止めたとき……誠は、ふと気がついた。
ここが、自分にとっての『帰る場所』になっている。そんな感覚が、自然と胸に広がっていた。