第10話 『ちんちくりん』帰還す
「そういえば、挨拶に行かないの?あの『ちんちくりん』に。あの人、礼儀にうるさいから放っておくとあとで説教されるわよ。それに、あの可愛い顔もしばらく見てないじゃない。もうひと月の地球出張だったんだから。どうせまた地球人の愚痴を聞かされるってわかってるけど、上司の愚痴を聞くのも部下の仕事。悲しいけど、それが世の常ってやつよ。あの人の地球人嫌いは筋金入りだから」
機体を降りた誠の前でさんざんかなめにプロレス技をかけられていたアメリアが、屈伸をしながらカウラの顔を見上げる。アメリアのランを『ちんちくりん』と表現するのがツボに入ったらしく、かなめは思わず大爆笑を始めた。
「そうだな。クバルカ中佐は地球の会議に出発して以来、隊には姿を見せていない。地球圏を含めた法術対策会議の為にクバルカ中佐が地球に行かれてからもうひと月か……長期の出張帰りだから顔を見せておくのもいいかも知れないな。まあ、アメリアの言うように元々クバルカ中佐は地球にはいい印象は持っていないからな。愚痴を聞かされるのは間違いないだろうが仕方がない」
そう言いながらカウラはエメラルドグリーンのポニーテールを秋の風になびかせた。だが、一人眉をひそめているのがかなめだった。
「おい、本気であの姐御の顔見に行くのか?あの人相の悪いガキの顔なんて、誰が好き好んで拝みに行くんだよ?どうせ明日には隊に出てくるんだろ?そのとき見れば十分だろ。年中見てる顔だし。……まさか、お前らロリ趣味でもあるってのか?それに地球の愚痴?アタシは貴族特権で国賓待遇ということで地球は何度か行ったことが有るが別にあそこに文句なんかねえぞ。ただ間接税がやたら高いだけだ。その分直接税も法人税も無いんだからアタシみたいに直接税をやたら甲武国に収めてる人間にはパラダイスでしかねえぞ」
いつもはランに『鈍ってる!』と言われてシミュレータでの訓練の度に目の敵にされているかなめは不服そうにそう言うと、喫煙所でもないのにポケットから取り出したタバコに火をつけた。
「いや、西園寺。こちらから出向く必要はなさそうだぞ。早速、中佐ご自身がお見えになるようだ。さっきの貴様等の無法を叱りに来たに違いない。それにお前は金の感覚が通常とは違うから税金の感覚も私達の理解を超えているだろうからそんな話をしても無駄だ」
カウラはそう言って顔を上げた。噂をすれば何とやらと言うことで本部棟に続く道からランが実験を成功裏に終わらせてリラックスした表情を浮かべて歩いてくるのが見えた。そこにはカウラが予想した怒りの表情よりは実験が無事に終了したことに対する安堵の念が強くにじみ出ていた。
「おう、元気そうじゃねーか!こんなところまで来て……ご苦労なこった。神前の迎えか?アタシはこれから司法局本部に出頭するんで神前にはバスと電車で寮まで帰ってもらうつもりでいたんだが……ちょうど都合がい―や。カウラ、運転よろしく頼むわ」
ランはそう言うとかなめ達を見渡した。
「何よ、カウラちゃん。ランちゃんは怒ってないじゃない」
ニヤけた表情のアメリアがランが自分達を叱りに来ると決めてかかっていたカウラに向ってそう言った。
「そうだぞ、何事も結果オーライだ。心配するだけ損と言うものだ。老けるぞ、カウラ」
かなめもまたタバコをふかしながら冷やかすような調子でカウラにそう言った。
「中佐は貴様等の日常を見慣れて神経がマヒしてらっしゃるんだ!それに迎えに行こうと言い出したのは私だ。運転するのも私だ。貴様等が一緒についてくる理由など初めから無かったんだ」
自分だけが責められていることに腹を立てたカウラがそう言って二人をにらみつける。
「オメエを放っておくと、またパチンコ屋に吸い込まれるからな。『ギャンブル依存症』は監視対象だっての。その為に乗ってやったんだ。カウラには逆に感謝してもらいたいねえ……先月はいくら負けた?サラ金に行っていないところから見て月給で収まる範囲だったんだ。そりゃあ良かった。万々歳だ」
以前まで生活が成り立たないほどの極度の『ギャンブル依存症』患者だったカウラはかなめにそう言われたら何も返す言葉が無かった。
「そうそう、そう言うこと。あの隊長が失敗した実験を成功させた功労者にまた慣れないバスに乗って吐けって言うの?そう言うカウラこそ残酷よ……この人でなし!上司失格!それとその顔だと相当パチンコで負けたって感じね?実際いくら負けたの?これからの生活費大丈夫?というかガソリン代だけは残しておいてね?私達の通勤の足が無くなると困るから」
アメリアにまで止めを刺されてカウラはがっくりと項垂れるしかなかった。
「ベルガーをいじめるのはそのくらいにしとけや。それにしても、今回は誠のおかげでアタシの転属もほぼ決まりみたいだな」
ランは笑顔を浮かべたまま三人に向ってそう言った。
「中佐は……引継ぎがまだなんですか?それとも上層部の誰かがクバルカ中佐の移籍に反対しているとか」
急に仕事モードの態度になったアメリアにランは苦笑いを浮かべる。
「まあな……アタシが異動になったのはいいが……ここも元々人手が足りてるところじゃねーからな。教導官に必要なのは技量よりもむしろ人格だ。アタシも何人かアタシの後任の候補に会ったがどいつも人格面で問題ありでね。上の連中もアタシには残ってもらいたいの一点張りだったんだが、そんなこと知るか!と言って席を立ったら諦めたらしーや」
ランはそう言って苦笑いを浮かべた。
「とりあえず今日はこれからアタシが作った訓練プログラムが実施されているかの確認とかがあって色々面倒なんだわ。それに、上層部も、あの何を考えているか分からない『駄目人間』に力が集まることを面白く思わない連中も少なからずいる。おかげでアタシに仕事が回ってくるのは困ったもんだぜ」
ランはそう言いながら誠達に笑顔で語り掛けた。誠にはその笑顔がこの実験の成功確率の低さを物語っているように感じてなんともやりきれない気持ちになった。
「それよりオメー等は遊んでていーのか?アタシが出張前に作っといた訓練メニュー。アタシが地球に行ってる間もちゃんと毎日こなしてるだろーな?」
鋭い視線を向けるちっちゃなランにかなめ達は苦笑いを返して自分達がいかにランのメニューをサボっていたかを示して見せた。それを見たランは大きくため息をつくと再び話を始めた。
「しかし、地球はほんと腐ってたよ。直接税ゼロの代わりに間接税が500%って、冗談にも程があるぞ。100円のマックスコーヒーが、地球だと600円になるんだぜ?これじゃあ貧乏人は生きていけねーぞ。まーそんな貧乏人たちを地球から追い出して『未知なるフロンティア宇宙』とやらに導くためにメディアとネットを握ってる金持ち連中が選挙で民主的にそう言う税制を作り出したんだろうけどな。成功者からは税金を取るな。努力しない怠けてる貧乏人と同じ税金にしろ。それが連中の言う『平等な社会』ってやつなんだろーな。地球圏は貧乏人に住むなって言ってんだよ。500年かけて民主主義で、な」
ランは司法局上層部の裏事情を仄めかしつつ、明らかに勤務時間中に持ち場を離れている三人にそう尋ねた。
「長期の出張お疲れ様です。まあ地球圏が特権階級に支配されているのは21世紀からこの500年間変わらない事です。それにお言葉ですが、法術兵器の使用については術者の身体や精神に過度の負担がかかると聞いていますから、彼の上官としてそのケアに当たるための方策を……」
カウラがそこまで言うと、ランが彼女をにらみつけた。思わずその迫力に気おされてカウラは黙り込んだ。そしてその視線は隣で引きつった笑みを浮かべるアメリアとかなめと順に向けられた後、にんまりとした笑みへと変わる。
その視線の先には機体から降りて三人に向って走ってくるパイロットスーツ姿の誠の姿があった。
「お三人とも、何かこの射爆場に用があったんですか?」
誠が首をかしげながら三人を見つめた。
「ちげえよ。オメエを迎えに来ただけ。隊に居ても暇なだけだし……あ!姐御が居たの忘れてた!クバルカの姐御、今のは聞かなかったことにはなりませんかねえ……」
タバコを吸い終えたかなめはそう言うとにやりと笑って吸っていたタバコを地面に投げ捨てた。
「へー、神前曹長。相変わらずモテモテなんだなオメーは。アタシはオメーが一人前になるまで恋愛禁止と言ったはずだ。今回実験に成功したくらいで漢になったなんて勘違いすんじゃねーぞ。こんくらいアタシが組んだ訓練プログラムをこなして入れば当たり前の話だ。できて当たり前、できなかったらサボってたってことだ。ま、ちゃんとこなしたってことは、神前はサボってなかったんだろうな。……他の三人はさっきの見てればわかるがサボってたろ……そのツケを払うのは自分だってことは出動すればすぐに分かることになるぞ」
そう言って誠の肩を叩こうとするが、途中で背伸びをして手を伸ばす姿があまりにも間抜けになると気付いたのか、ランがは誠にボディーブローを放った。
「うおっ!!」
みぞおちに決まった一撃で誠はそのまま倒れこんだ。
『……これが、一人前の証ってやつかよ。まだ、全然だな、僕……』
みぞおちの痛みに耐えながら、誠はそっと笑った。
「中佐!いきなり無茶をしないで下さいよ!横暴すぎます!」
さすがのカウラもランの不条理な行動にたまりかねて二人の間に割り込んだ。
「何が横暴だ!一人前の漢だったら今の一撃くらい軽くかわして見せるもんだ!鍛え方が足りねーみたいだな。戻ったらまたしごいてやんよ。楽しみにしてな!」
そう言うと誠に寄り添うアメリアとカウラを残してランは管制塔へと去っていった。
『……この転属で、何が変わるんだ?東和陸軍の偉いさんはアタシが出て行くのを相当嫌がっていた。得をするのは他の同盟加盟国。アタシは何時から遼州同盟の共有資産になったんだ?』
ランは仲間たちの背を見つめながら、ふとそんな思いが胸をよぎった。
「相変わらず傍若無人な奴だねえ。神前、大丈夫か?」
誠はかなめの言葉を聞くとゆっくりと立ち上がった。
「ええ、まあ」
ランの腹への一撃で噴出した脂汗を拭いながら誠は立ち上がった。
「それにしてもやったじゃねえか!叔父貴の失敗した実験に見事成功。見事なもんだ」
まるで自分の事のようにかなめは喜んで誠の肩を叩いた。
「さっきはこの兵器の悪口さんざん言ってた口が良く言うわね。誠ちゃんの機体はまだあるからあれでこの演習場で暴れまわればかなめちゃんご期待の破壊兵器の威力を散々に見せつけられるかもよ……まあ、あとで演習場の責任者から何を言われるかは知らないけど」
アメリアはそう言っていつもの糸目をさらに細くしてかなめを見つめる。
「アメリア、あとで本当に射撃の的にしてやるからな。覚悟しとけよ!それより、神前!早く制服に着替えろ!遅かったら置いてくぞ!べ、別に迎えに来たわけじゃないし……勘違いすんなよ?」
かなめは誠の顔を見ずに言ったが、その耳はほんのり赤かった。そしてそのままかなめはそう言うと駐車場に向けて歩き出した。
「なんだよ……自分ばっかり急いで……西園寺さんは本当に自分勝手なんだな。僕を迎えに来たんじゃないんですか?ねえ、アメリアさん」
誠は矛盾した態度のいつものかなめに腹を立てていつものようにアメリアに突っかかる。
「かなめちゃんは照れてるのよ。あの子らしいじゃない……それにあの子が自分勝手なのは最初に会った時から知ってるでしょ?それくらい我慢してあげないと永遠にモテないままよ」
諭すようでいてどこか誠を馬鹿にするような口調でアメリアはそう言って笑った。