第95話 幻の階段と封じられた層
リュークは、塔の奥にじっと視線を向けた。
崩れて終わっていたはずの階段。その先に――
本来なら“存在しない”はずの空間が、うっすらと青白い光に染まっていた。
その光は、空間の揺らぎに呼応するように、かたちを帯びてゆく。
やがて、霧のように浮かび上がった“幻の階段”。
淡く、揺れながら、しかし確かにそこに“ある”。
「……登れる。ここから先に、まだ“道”がある」
静かに呟いたリュークの言葉に、ルミエルも黙って頷いた。
彼女の目にも、同じ“光の通路”が映っている。
目を凝らして見つめなければ消えてしまいそうな、その儚い階段は――
確かに、塔の上層へと続いていた。
まるで誰にも知られぬまま、深く眠っていた通路が、
“今になって姿を現した”かのように。
リュークは小さく息を呑み、かすかに首を横に振った。
「……視えなかったんじゃない。“誰も視ようとしなかった”だけかもしれない」
シャドウファングが一歩、前に出る。
鼻先がピクリと動き、低く、低く唸った。
彼もまた、その先に“何か”があると感じ取ったようだった。
塔の壁の一角――
そこには、かすかに焼け焦げた魔導刻印の痕跡が残されていた。
ひび割れた紋様の奥が、ほのかに光を返す。
「……ここで、何かが起きた?」
ルミエルが、壁に手をかけるようにして小さく呟く。
けれど、それ以上の情報は見当たらない。
ただ、その空間に漂うわずかな焦げた空気が、沈黙の記憶のように残っているだけだった。
この先に何があるのか。
塔の最奥には、何が待っているのか。
――わからない。けれど、それでも。
リュークの胸の奥に、言葉にならない違和感があった。
不安ではない。だが、どこか“引き寄せられる”ような感覚。
まるで、何かが呼びかけてくるような……
(この塔は……まだ“何か”を、隠してる)
リュークは、目の前の光の階段にそっと足を乗せた。
そこから先は、誰にも記録されていない“空白”。
これまで視てきた現実の、さらに奥にある“もう一層”。
塔が――
静かに、だが確かに、“息を吹き返すように”動き始めた。
リュークが光の階段に足を乗せた瞬間、踏みしめた段が水面のようにわずかに揺らいだ。
だが、足裏に感じる感触は確かだった――石ではなく、もっと曖昧な何か。
それでも、この“構造”は彼らの存在を受け入れていた。
ひとつ、またひとつと階段を上がるたびに、周囲の空間に微細な変化が現れる。
まるで、彼らの歩みに呼応するように、塔そのものが“何か”を起動し始めているかのようだった。
「……ここ、変な静けさ」
ルミエルが囁くように言った声すら、空間に吸い込まれていく。
ただの静けさではなかった。
そこには、音の反響そのものが存在していない。
音が“戻ってこない”という事実が、逆に鼓膜の奥をじわじわと締めつけてくる。
リュークは手をかざし、量子視覚の情報層に意識を集中する。
この階層の空間には、断片的な“演算の痕”が充満していた。
だが、それらは見るたびに形を変え、不安定に揺れていた。
壁に浮かぶ数式、魔術図式のパターン。
いずれも彼が知る魔術体系とは微妙に異なっている。
正確には読めない。だが、その中の一部に――不思議な懐かしさがあった。
(……どこかで、似たものを見たような……)
そのとき、先頭を歩いていたシャドウファングがぴたりと動きを止めた。
視線の先、黒ずんだ壁面に焼け焦げの痕と、砕けた刻印のようなものがある。
「これ……何かを刻もうとした痕?」
ルミエルが近づいて壁に手をかざす。
その指先がかすかに触れた瞬間、シュン……と小さな音を立てて、淡い光が一筋だけ走った。
ほんのわずか。だが、そこに“隠されていた情報”が一瞬だけ露出した気配があった。
リュークは視覚演算を強め、空間の奥にある痕跡を読み解こうとする。
そこに現れたのは――何重にも上書きされた記録。
断片だけがかろうじて残り、判別不能な文字列が揺れている。
「……誰かがここで、“何か”を記録しようとしたんだ」
彼の声には、確信にも近い気配が滲んでいた。
「……うまく言えないけど、この階層、どこかが……閉じてる気がする」
ルミエルの言葉に、リュークも静かに頷いた。
塔はこの層に、“触れてほしくない何か”を抱えている。
その気配が、空間そのものに染み込んでいた。
だが――今や量子視覚がその“輪郭”を捉えてしまった。
塔は、過去の記憶を無理やり封じていたわけではない。
思い出されることを拒んでいたのだ。
それでも、もう――塔自身が“思い出し始めている”。
階段をさらに上るたび、周囲の光がわずかに変質していく。
青白かった光は、深く、重く――まるで圧を持つような光に変わっていた。
その光の中には、色ではない“気配”のようなものすら漂っている。
「……もうすぐ、何かがある。そんな気がする」
その呟きに、ルミエルもシャドウファングも、黙って歩を進めた。
彼らの足音だけが、塔の奥――
まだ誰にも“視られなかった層”に、確かに刻まれていった。
次回:量子視覚が捉えた未完の記憶
予告:量子視覚が捉えるのは、存在しないはずの記憶か、それとも……。
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