第89話 塔が呼ぶもの
リュークたちは、ガルドたちと合流していた。
向かうは街の北端――外壁のさらに向こう側。
古びた森を抜けた先に、それは現れた。
忘れられたように静かに立つ、灰色の石造りの塔。
陽に焼かれて色褪せた壁面には、ところどころ崩落の痕跡が残っている。
ゴリ……
と風にこすれるように、欠けた石が軋んだ音を立てた。
塔の足元、ひび割れた石畳の一部には、魔法式らしき模様の輪郭。
だが、その線はぼやけ、どこか擦り切れたように淡くなっている。
おそらく、もはや機能していない。
「……これが、依頼の塔か」
リュークは足を止め、塔の全体を見上げながら呟いた。
塔の上層は、薄暗い霧のような靄に包まれており、先端ははっきりと見えない。
その朧げな影が、空の色に溶けてゆく。
ルミエルが一歩、塔に近づき、入口へと視線を向ける。
「ここ……夢の中で、何度か見たことがある気がする」
その声は小さかったが、不安よりも静かな“確信”が滲んでいた。
リュークはふと、傍らにいる影狼へ目をやる。
シャドウファングは塔の前に立ち、低く
グゥ……
と唸っていた。
毛並みが逆立ち、耳を伏せ、爪が
コツ……
と石を掻く。
明らかに、警戒している。
「……シャドウファング。お前も、何か感じてるのか?」
リュークの問いかけに、影狼は応えるように鼻を鳴らす。
その様子を見たルミエルが、小さく頷いた。
「……たぶん、この場所――記憶と、何か関係があるんだと思う」
静かな風が、塔の上部を通り抜け、
ヒュゥ……
と空を震わせるように鳴った。
◆塔の前:異常な空気
塔の入り口には、朽ちかけた木製の扉が、かろうじて残っていた。
ギィ……
と錆びた蝶番が低く軋み、風に揺れながら不規則に揺れる。
半分ほど崩れた扉の隙間からは、冷たい空気が
サァ……
と静かに吹き抜けてきた。
まるで、この塔の中だけ“時間が止まっている”かのようだった。
「……空気が、動いてない」
ルミエルが肩を抱き、寒そうに身をすくめる。
風はあるのに、それが塔の中に届いていない。
「なんか……この塔、息をしてない感じ。
生きてないっていうか……止まってるの」
リュークは沈黙のまま、塔の外壁に目を留める。
崩れかけた柱の根元に、魔法陣の痕跡がかすかに残っていた。
ミシッ
と石の欠片を踏みながら、彼は指先でその紋様をなぞる。
かすれて薄くなった線――けれど、その形は明らかに異質だった。
複雑に絡んだ術式構造。その一部に、ぽっかりと“空白”がある。
「……壊れてるんじゃない。最初から、“完成してなかった”」
リュークの声が、静かに空気を割った。
「え……? 未完成って……どういうこと?」
ルミエルが眉をひそめる。
リュークは、指を離しながら言葉を探すように続けた。
「理由は分からない。けど――もし、意図的にこの構造が未完成だったとしたら」
「この塔そのものが、“まだ観測されていない”何かと繋がってる可能性がある」
空気が、かすかにざわめいた。
街外れの封鎖された塔――
かつての栄華を思わせる装飾が、ところどころ苔に覆われて朽ちかけていた。
その建物全体が、静かに、重く沈黙している。
だが――誰もいないはずのその場所から、“何か”が確かに、呼んでいた。
「……ここだな。例の“音”がするって噂の塔は」
ガルドが、重い扉を見上げながら唸る。
「中は崩れてないようだが……気をつけろよ。塔ってのは、見た目より中が歪んでることが多い」
ザックが、控えめに警告を加えた。
リュークは短く頷き、ルミエルとシャドウファングへと目配せする。
ルミエルが小さく呟いた。
「……やっぱり、夢で見たのはこの場所。あの時と同じ空の匂い、同じ音……」
その瞳には、不安ではなく――確かな“既視感”が宿っていた。
リュークは、塔の扉に手を添える。
結界の痕跡を指先で確かめながら、内側の魔力構造を慎重に探る。
「行くぞ。内部の構造は不明だ。慎重に行こう」
扉を押し開ける。
ギィィ……
と響く金属の軋みに合わせて、冷たい空気が
ゴウッ
と塔の奥から溢れ出た。
闇の中から吹き込むその風には、“無音の気配”が混ざっていた。
◆塔の内部、空間の歪み
最初に踏み込んだのはリューク。
続いてルミエル、そしてシャドウファングが静かに足を踏み入れる。
その瞬間——
ズン……ッ
空気が、音もなく“歪んだ”。
骨の内側から何かが揺れるような、不快な圧が全身を走り抜けた。
「——ッ!?」
リュークが思わず振り返る。
その背後にあるはずの扉も、ザックたちの姿も、どこにもなかった。
「……消えた?」
石の床に靴音が
コッ
と響く。
リュークが目を凝らすと、背後にはただの灰色の壁。
つい先ほどまで開いていた扉は、まるで“最初からなかった”かのように閉じていた。
「どういうこと……? 入ったときは、みんな一緒だったのに……」
ルミエルの声が、わずかに震えていた。
塔の中に足を踏み入れた瞬間、何かが切り替わった。
シャドウファングが耳を立て、鼻をひくつかせている。
匂い、音、空気の流れ――どれも、外とは違っていた。
(……塔の内部そのものが“結界”になってる……)
(入った瞬間、空間ごと“区切られた”……?)
リュークは軽く歯を食いしばり、息を整える。
「……俺たちだけ、閉じ込められたみたいだな。
ザックたちとは……連絡出来ない。今は、この塔が何を見せようとしてるのか――確かめるしかない」
「うん……気をつけよう」
ルミエルは静かに頷く。
祈るように胸元へ手を添えるその動作は、震えを隠すようでもあった。
冷たい空気が再び
ゴォ……
と流れ、三人の足元を撫でて通り過ぎた。
塔は――確かに“意志”を持って、彼らを迎え入れていた。
塔の入り口から数歩。
石造りの床が
ギリ……
とも
ミシ……
とも鳴らない。
ただ、異様なまでに静かだった。
「……匂いがしない」
ルミエルが眉をひそめて、足を止めた。
リュークも頷く。
湿気も、埃の臭いも、金属の錆びたにおいすらしない。
森の中にいるとは思えないほど、“無臭”だった。
音も同様だった。
足音は確かに鳴っているはずなのに、それが空間に吸い込まれていく。
反響がない。まるで、塔そのものが音を“飲み込んでいる”ようだった。
塔の壁際を歩くシャドウファングも、時折立ち止まり、
カン……
と軽い爪の音を響かせながら、警戒するように天井を見上げる。
「……体温が、少しずつ持っていかれるみたい」
ルミエルが腕をさすりながら呟く。
呼吸のたびに、肺に触れる空気が冷たく、重い。
光は、確かにあった。
魔力灯のような青白い揺らぎ――あるいは、塔そのものが発する微かな光。
だが、その光が“影”を生まない。
壁際に立っても、ルミエルにも、リュークにも、影が映らないのだ。
「……なんだこの場所」
リュークが低く呟いた。
塔の壁の一部に、焦げ跡のような黒い“亀裂”が走っていた。
金属の断片がめり込むように散らばっている。
魔導機の残骸――ただし、その形は砕け、歪み、どこか捻じれていた。
「これ……戦闘の痕跡……?」
ルミエルが、おそるおそる残骸に手を伸ばす。
そのとたん——
パチッ……
何かが弾けるような微かな音がして、彼女はすぐに手を引っ込めた。
「……熱が残ってる。 動いてるはず、ないのに……まだ、息してるみたい」
塔の空気が、かすかに“波打った”気がした。
リュークがしゃがみ込み、慎重にその周囲を見渡す。
足元には微かに擦れた跡、だが“何かの残り香”すら存在しない。
「……魔力痕が……断片的だ。 何かが、“抹消された”痕跡に近い」
言葉に出した瞬間、空間がざらりと軋んだような気がした。
まるで――ここで起きたことが、誰かの手で意図的に引き裂かれたような印象。
ルミエルが壁に手を当て、指先を静かに滑らせながら呟く。
「……何も書かれてない。 まるで、誰もここを“知らなかった”みたい」
「記録がない。痕跡も、書き残しも、誰の存在も……」
リュークが立ち上がり、階段へと一歩足をかけた瞬間――
ザリ……ッ
胸の奥で、ざらつくような違和感が走った。
それは痛みではない。“記憶のノイズ”とでも呼ぶべき感触。
「……でも、なんか……登った気がする。 何度も、ここで」
「夢?」
ルミエルの問いに、リュークは少しだけ視線を落とし、首を横に振る。
「……わからない。でも……“途中で終わる”んだ。いつも」
ルミエルが静かに、だが確信をもった声で答える。
「それって……“あなたの記録”かもしれないよ。 まだ、自分でも見えてないだけで」
シャドウファングが低く鼻を鳴らし、リュークの隣に並ぶ。
背筋をまっすぐに伸ばし、まるで“護る”ように位置を取っていた。
彼は感じ取っている――この塔が、決して“無害”ではないことを。
──そのときだった。
「……ッ」
塔全体が、
ズン……ッ
とわずかに脈打つように揺れた。
風のない空間で、空気が波のように震え、皮膚の表面をなぞるような冷気が走る。
「……今の、何?」
ルミエルが身を強ばらせる。
リュークはすぐに周囲へ視線を走らせ、壁を、天井を、階段の奥を確認する。
「……結界じゃない。 塔そのものが、“反応”してる」
「……誰か、見てるの?」
ルミエルの声は、問いというよりも“予感”だった。
リュークは返事をしなかった。
代わりに、ゆっくりと再び階段を見上げる。
その先に何があるのかは分からない。
だが、確かに“ある”という気配だけが、濃く、重く――そこに残っていた。
次回:沈黙を破る金属の咆哮
予告:赤い光が散りばめられ、古代の番犬が“真の姿”を現す。塔の試練は、まだ始まったばかりだった。
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