第82話 量子記憶の開放――揺らぐ世界と“観測”の真理
祠の前、静かな時間
風が木々の間をザァ……
と抜け、崩れかけた祠の屋根が
カラ……ン
と乾いた音を立てた。
沈黙の中、草が
サラサラ
と擦れ合い、遠くで鳥の声が
チチ……
と響く。
リュークは祠を見つめたまま、ふと何かを思い出したように口を開いた。
「そういえば……ヴァルトって、どう思う?」
ルミエルは少し驚いたように顔を上げ、リュークを見つめる。
その瞳に、一瞬だけ迷いの色が浮かんだ。
「……正直、怖い。でも、嫌いじゃないの。なんでか分からないけど……」
彼女の声はやわらかく、けれど内側には確かな感情の温度があった。
「俺も、正直よく分からないけど……なんていうか、あいつ、“何か知ってる”人間な気がするんだ」
リュークの声は静かだったが、その目にはどこか警戒と探るような光が宿っていた。
ルミエルはゆっくりと頷く。
「うん。でも……信用できるかどうかは、まだ分からない」
「そうだな。あいつが味方なのか、敵なのか、俺たちには判断できない」
リュークは軽く息を吐き、
「フゥ……」
と空気を整えるようにして、祠の入り口へ目を向けた。
「……もしヴァルトがこの祠のことを知ってたら、何か言ってたかな」
「きっと、今じゃなくて……“もっと後で話す”つもりなんだと思う」
ルミエルの口調には、なぜか確信めいた響きがあった。
それはただの推測ではなく、“感じ取ったもの”を言葉にしているようだった。
——祠の静けさに、ふたりの声だけが淡く染み込んでいった。
リュークが、祠の柱にそっと触れた瞬間――
ノイズのような頭痛
脳の奥で、
ギギ……ッ
と軋むような鈍い音が響いた。
「ッ……ぐ……!」
鋭い痛みが、こめかみから脳髄へ突き抜ける。
焼けるような熱と共に、視界が一瞬
グニャ
と歪んだ。
世界の色彩がわずかに揺らぎ、空間そのものが脈打つような錯覚。
──【記憶層一致:同一空間に過去の自己痕跡を検知】
──【開放条件を満たしました──《量子記憶(初級)》 開放可能】
目の前には何もない。だが、脳裏に直接、無機質な文字列が浮かび上がる。
リュークは額を押さえながら、かすかに苦笑した。
「……来たか。やっぱり……ここで、何かがあったんだ」
静かにポーチへと手を伸ばす。
中にある小さな革袋を指先で探り、軽く振ると――
ジャリ……
金属が乾いた音を立てた。
「……開放できる。でも、ギリギリしかない」
ここ数日、ポーションの調合や素材の売却で、何とかかき集めた金貨50枚。
今使えば、また一からやり直しだ。
ついさっきまで――あと数枚集めてから、そう考えていた。
このタイミングで使うのは、本来なら想定外。
けれど――
背後で、ルミエルが黙ってこちらを見つめていた。
その眼差しに、不安はない。ただ、静かに“見届ける”という意思だけが宿っていた。
リュークは短く息を吐き、小さく呟いた。
「……怖いのは、記憶じゃない。その先にあるもの……それを知るのが、一番怖いんだよな」
思わず口から漏れたその言葉は、自分自身への問いかけだった。
けれど、すぐにリュークはわずかに首を振り、迷いを断ち切るように頷く。
「……でも、進まないと分からない。行こう。俺の記憶の中へ」
指先から金貨が一枚、一枚と浮かび上がり、静かに
キィン……
という音を残して光となり、空中で弾けていく。
その瞬間、空気が変わった。
祠の石肌が
コッ……コッ
と細かく震え、周囲の木々がざわめきを止める。
風が凪ぎ、音が消える。
——そして世界が、 “記憶の渦へ”と吸い込まれていく。
彩度が落ち、時間の流れが遅く感じられる。
記憶の層が、今この瞬間の現実と、静かに重なり始めていた。
◆開放:量子記憶(初級)
脳の奥で、
キィィ……ン
と金属が軋むような音が走った。
何かが“動いた”。
それは記憶ではない。“仕組みそのもの”が脳内に転がり込んできたような、重く、異様な感覚だった。
痛みではなかった。
ただ、足元が
グラ……ッ
と揺れたような、身体が遅れてついてくるような錯覚だけが残る。
目を閉じているはずなのに、視界の奥に“情報”が
ザー……ッ
とノイズのように流れ込んできた。
それは線でも面でもなく、波。微細な揺れを伴った光の軌跡。
空気の中、空間の肌に、形を持たない“何か”が確かに揺れているのが見えた。
そして――
その波の一つが、心の奥へと静かに踏み込んでくる。
数式でも理屈でもない。“言葉になる前の理解”が、音もなく沈み込むように脳を満たしていく。
──ψ(x,t):波のかたち。
──Δx·Δp ≥ ℏ/2:位置と運動量の揺らぎ。
「同時に存在する可能性」
「誰かが見ることで決まる現実」
断片的な言葉が浮かび、流れ、消えていく。
(……これが、この世界の“根っこ”……?)
流れ込んでくるのは、過去の記憶ではない。
“どうやってこの世界が形を成しているか”という、
根本の
「しくみ」
そのものだった。
物質でも精神でもない。
「観測する」
という行為が、決まっていない現実をひとつに“定める”。
そのしくみが、
ゴリ……ッ
と音を立てるように脳の中に刻み込まれていく。
|0⟩と|1⟩――重ね合わされた二つの状態。
誰かが“見る”。その瞬間、世界はどちらかに“決まる”。
(……誰が? 俺か? 本当に、俺が見ているのか?)
思考の深部で、世界がわずかに
ズ……ン
と揺れた。
重なり合った“現実の層”が、静かにズレ始める。
――目の前の石が、一瞬だけ“別の場所にあるように”見えた。
――ルミエルの声が、時間の奥から遅れて届いたように聞こえた。
――シャドウファングの影が、複数の動きを同時にしているように揺れた。
(……今、俺は“重なり合う世界の層”を感じているのか?)
世界が、波のように
ユラ……ユラ……
と揺れていた。
これが、“量子記憶”。
かつての自分が到達していた地点。
記憶ですら、“書き換え可能な数式”として扱う力。
風の触れ方が変わる。空気が少し重くなる。
風景の輪郭が、
ブル……ッ
と微かに震えていた。
世界が、静かに――“違う手触り”を見せ始めていた。
回想シーン:
「量子力学って、どういうことなんだ……?」
(……昔の自分は、こういう世界の“仕組み”を研究していた。確か、名前は――“量子力学”。)
それは、この世界のとても小さなもの――目には見えないレベルの粒の動き方を調べる学問だった。
たとえば、普通の物は、
「そこにある」
「今ここにいる」
って言える。
石はそこにあるし、ボールは投げれば
ズンッ
と飛んでいく。
でも……この“とても小さな粒たち”は、ちょっと違う。
同時に、いくつもの場所に“いる”ことがあるんだ。
“え? どういうこと?”って思うかもしれない。
でも、それがこの世界の真実なんだ。
しかも、その粒が
「どこにいるのか」
は、誰かが“見る”までは決まっていない。
見る前は、“あっちにもこっちにもいるかもしれない”――そんな“あいまいな状態”で存在してる。
そして、“見る”――つまり“観測する”ことで、はじめてひとつに
カチッ
と決まる。
「観測されるまで、世界は“重なったまま”存在している」
それが、量子力学の考え方だった。
(……だから今、視えている“揺らぎ”――
それは、“世界が決まりきっていない”証拠かもしれない)
石が
カクッ
とズレて見える。
ルミエルの声が、少しだけ時間をずらして
ユラ……
と届く。
シャドウファングの影が、同時に何通りもの動きをしているように
ブレ……ブレ……
と揺れている。
それはきっと、“一つに決まる前の、世界の姿”。
観測する者――つまり、自分が見ることで、世界がひとつに決まっていく。
量子力学は、ただの知識じゃない。
“選び取る力”なんだ――
無数に重なった“可能性の世界”の中から、
どれを“現実”にするかを、見て、決める。
そんな力――それが今、自分の中に流れ込んでいる。
次回:祠に託された記憶の断片
予告:祠に残された“記憶の断片”が、リュークたちを過去と未来へ繋ぐ。
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