第77話 仮初めの平穏、光なき伝承
宿の一室。
薄明かりに照らされたテーブルの上では、リュークが昼間の素材採集で得た薬草や鉱石、魔石の欠片を一つ一つ丁寧に並べていた。
無造作ではない。種類別に、形や色、硬度の違いまで細かく分けられ、まるで錬金工房のように整然としている。
その脇には、調合器具と並んで、走り書きがびっしり詰まったノートが広げられていた。
式や分量、そして失敗と試行錯誤の記録が、生々しい筆跡で埋め尽くされている。
窓際ではルミエルが、一冊の魔術書を膝に抱きしめていた。
それは、先日ポーション素材を探しに訪れた薬屋で購入した、薬学と魔術理論の基礎が記された古い指南書だった。
薬草の分類や調合の基礎はもちろん、魔力の干渉や活性化の理論まで簡潔にまとめられており、冒険者や錬金術志望者向けに重宝される一冊だった。
ルミエルはその魔術書のページを、差し込む夕陽の柔らかな光の下で静かにめくっていく。
時折、内容を確かめるように小さく唸り、時にはページの端にメモを取りながら、真剣な表情を浮かべていた。
シャドウファングは床に伏せ、鋭い目をわずかに細めながら、片耳だけをピクリと動かしてリュークの作業を監視している。
その様子はまるで、騒がしさとは無縁のこの部屋で、静かに時が流れているかのようだった。
「……まずは、魔力回復ポーションだな」
リュークは短く呟き、集中するように肩をほぐすと、調合に取りかかった。
淡い紫色の薬草を指先で摘み取り、ナイフでリズミカルに刻む。
【ザクッ、ザクッ】と乾いた切断音が室内に響く。
続けて、銀色に細かく砕いた魔導粉末を少量加えた。瓶から精製水を慎重に注ぎ足すと、【ポタ……ポタ……】という音と共に、器の中の液体が静かに反応し始める。
「……おっ」
リュークは微かに目を細めた。
青紫色の液体が、まるで夜明け前の空を模したかのように澄んでいく。液面に浮かんだ小さな泡は、【ぷつり、ぷつり】と音を立て、ゆっくりと消えていった。
(悪くない……いや、かなりいい反応だ)
「《鑑定》……発動」
淡く輝く文字列が視界に重なり、リュークの脳裏に情報が流れ込んでくる。
【魔力回復ポーション・試作型】
品質:C+
効果:MPを小〜中程度回復。副次効果として軽度の眠気軽減。
備考:触媒の純度に課題あり。再精製でさらに品質向上可能。
「……悪くない。でも、まだ理想には届かないな」
リュークは瓶を軽く揺らし、光に透かして中身を確かめた。
液体の中で【とろり】とした粘度を持つ黄金の雫が、ゆっくりと螺旋を描きながら沈んでいく。
瓶の口元に顔を近づけると、ほんのわずかにミントのような清涼な香りが鼻腔をくすぐった。
(……今までのポーションとは、まるで違う。繊細で、尖りがない)
リュークは無意識に微笑む。
それは、自分の手が確実に成長を掴んだ証だった。
「次は、強化ポーションだな」
彼がそう呟いた時、背後からそっと足音が近づいてきた。
ルミエルだった。彼女はそっと肩越しから覗き込み、控えめに口を開いた。
「《ガルドリ草》を少しだけ加えてみて。筋力を高める作用があるって、本にあったわ」
「……助かる。やってみる」
リュークはすぐに行動に移した。
小皿に載せた《ガルドリ草》を指先で摘み、【パリ……パリ……】と乾いた音を立てて乳鉢へ落とす。
次にすりこぎを使い、【ゴリ……ゴリ……】と圧をかけ、ゆっくりと粉末状へと変えていく。
(この感触……繊維がほどけ、粒子になっていくのが手に伝わる)
その粉末に、刺激性のある微細な樹脂をほんの一滴垂らすと、わずかに【ジッ……】と音を立てて馴染んだ。
最後に、赤く染まった抽出液にそっと流し込む。
液体は【スゥ……】と色を変え、深みのある赤褐色へと落ち着く。
同時に、鉄のような――だがどこか生の生命力を思わせるような金属臭が、ふわりと周囲に広がった。
「……《鑑定》」
【身体強化ポーション(短時間型)】
品質:B
効果:10分間、筋力・敏捷性が10%上昇。副作用として喉の渇きが生じる。
備考:調合は成功。持続時間延長には持続性触媒が必要。
「よし……これなら戦闘の前に使えば、流れを変えられる」
リュークは完成したポーションを手に取り、瓶を軽く振った。
中の液体が【とろり】と揺れ、瓶の内壁に沿ってゆっくりと沈みながら、微かにきらめく。
彼はその様子に満足そうに頷き、手応えを噛みしめた。
すると、ルミエルが遠慮がちに手を挙げた。
「ねぇ、次は私のためのポーションを作ってみない?」
「君の……?」
思わぬ提案にリュークは目を細める。
ルミエルは恥ずかしそうに指先をもじもじさせながらも、真剣な眼差しで続けた。
「うん。“集中力を高める”とか、“量子魔法との共鳴率を上げる”とか……。最近、少しだけだけど思い出すの。力が“響く”瞬間の感覚を。」
その言葉に、リュークはしばらく沈黙した。
けれど、次の瞬間には口元にわずかな笑みを浮かべる。
「面白いな。それは……まさに新しい分野だ。《精神共鳴ポーション》って名前でどうだ?」
「それ、すごくいい!」
ルミエルは思わず声を弾ませ、ぱっと笑顔を咲かせた。
リュークはノートを開き、さらさらとペンを走らせる。
成分候補を書き出し、配分の案を何度も組み直す指先には、迷いよりも探求の光が宿っていた。
「まずは精神安定効果のある《ラシェラの花》……いや、もっと微細な魔力伝導が必要か」
ぶつぶつと呟きながらページを埋めていくリュークの隣で、ルミエルも手元の魔術書をめくる。
彼女の指がページを【パサリ】とめくるたび、知識が上書きされ、ひとつのレシピが形を帯びていく。
シャドウファングは、そんな二人を静かに見守っていた。
鋭い視線はまるで、「次なる可能性」を察知しているかのようだった。
光のないこの世界で――確かに芽生えつつある未来の光。
未知の力、未知の調合、未知の真実――
そのすべてが、ひとつのポーションから静かに、だが確かに始まろうとしていた。
次回:調合と共鳴のレシピ―導かれる響き
予告:静かなる“気配”と、揺れる精神共鳴
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