第7話 魔物の正体を探れ
◆ 宿での夜
リュークは宿の一室で、粗末なベッドに腰掛けながら深く息を吐いた。
薄い藁布団の感触が指先に伝わり、ほつれた縫い目を無意識になぞる。
(魔物を倒せば、信用も得られるし報酬も出る。けど――)
手のひらを見つめる。
まだ、震えが残っていた。
脳裏をかすめるのは、教会で暴れ出した"あの光"。
天井に浮かんだ陣、軋む空気、制御を失った感覚。
(もし、誰も止めなかったら……俺は)
息を吸う。吐く。
(……殴っていた。多分、殺していた)
村人への怒りではない。
自分自身が、"何か"になろうとしていたことへの怖さ。
拳を握りしめる。爪が掌に食い込み、痛みが現実を繋ぎとめる。
(まともにぶつかれば、死ぬ。だからこそ――知恵で補うしかない)
リュークは立ち上がり、窓辺の水差しを手に取った。
冷たい水が喉を流れ、意識がわずかに冴える。
(まずは、情報を集めよう。敵を知り、地の利を得る)
小さく呟き、扉を押し開ける。
夜の草の香りが鼻をかすめ、土の匂いが胸の奥を静かに落ち着かせた。
◆ 情報収集の開始
灯のともり始めた広場には、家路につく前の村人たちが数人集まっていた。
リュークは、その中でも最も年配の男へ歩み寄り、深く頭を下げる。
「すみません。村の外れに現れる魔物について、詳しく教えていただけませんか?」
老人はじっとリュークを値踏みするように見つめ、やがてゆっくりとうなずいた。
「お前さんが討伐を引き受けた旅人か。話すだけなら構わんよ」
リュークは安堵の息をつき、耳を傾ける。
「奴は"夜影獣"と呼ばれておる。夜にだけ現れ、家畜を攫う。だが、不思議なことに人間への被害はない。
しかも、捕食した痕跡が残らんのだ。骨も血も、一切な」
「痕跡が……残らない?」
リュークは眉をひそめる。
普通の獣なら、残骸か血痕の一つは見つかるはずだ。
「それから……」
老人は顎に手をやり、思い出すように言った。
「奴が現れる前後は、決まって風が止む。森も草も、音ひとつ立たなくなるんだ」
「風が止む」
リュークは小さく呟き、腕を組む。
胸の奥で、何かがひっかかる。
さらに他の村人たちからも話を聞き、情報をつなぎ合わせていく。
出没は夜に限られ、姿を目撃した者はほとんどいない。暗闇と同化するように消えるのだという。
(正面から挑めば、まず勝ち目はない)
リュークは息を整え、次の問いを口にした。
「ありがとうございます。もし他に気づいたことがあれば、どんな小さなことでも教えてください」
その声音には、ただ魔物を倒すためだけではない。
自分自身の立場を、この村で確かにするための必死さが滲んでいた。
◆ 現場の確認
リュークは、被害が出た放牧地を調べることにした。
ミーナの案内で辿り着いた柵は無残に潰れ、木片がバキバキに砕けている。
「……足跡が、ない?」
リュークはしゃがみ込み、土の表面を指先でなぞる。
だが獣の痕跡どころか、引きずられた跡すら残っていなかった。
「え、ほんと? あたしも見る!」
勢いよく身をかがめたミーナは、ゴスッと膝を石にぶつける。
「いたたっ……ちょっと待って、今日何回目よ」
「大丈夫か?」
「へ、平気平気! 膝が"バキッ"って鳴っただけだから!」
強がりの笑顔に無理があり、リュークは小さくため息をついた。
それから視線を地面に戻す。
「家畜の血の跡はあるのに、足跡は皆無……」
「じゃあ空から? ドーンって落ちてきたとか?」
「なら着地痕が残るはずだ」
首をかしげるミーナを横目に、リュークの目が草むらの違和感を捉える。
草が内側にだけ微妙に倒れていた。
「力は加わっている。でも物体が通った形じゃない」
思案の末、彼は低く呟いた。
「……もしかすると、夜影獣は"実体"を持たないのかもしれない」
「え?」
ミーナがぱちぱち瞬きをする。
「つまり、見えているのは"像"にすぎない可能性がある」
そこまで言いかけて、リュークは首を振った。
(いや、待て。実体がないなら、柵はどうやって壊した?)
矛盾が浮かぶ。
(見えているものが幻影なら、物理的な破壊はできないはずだ)
「……違うな」
「え、今なんて?」
「いや――まだ仮説の段階だ」
リュークは立ち上がり、周囲を見回す。
その時だった。
「ねえ、リュークさん」
ミーナが、いつもの明るさとは違う、静かな声で言った。
「さっき、教会で……怖かった?」
リュークの動きが止まる。
「みんながあんな風に言うの。"異端者"とか、"災厄"とか」
ミーナは地面を見つめたまま、小さく続けた。
「あたしね、小さいころから、ちょっとドジで。よく失敗するの。
それで、村の人に"しっかりしろ"って怒られて……でも、それでも"ミーナはミーナだ"って、お父さんが言ってくれたんだ」
風が、彼女の栗色の髪を揺らす。
「だから――"該当なし"って一言だけで人を決めつけるのは、違うって思った。
リュークさんは、リュークさんだって」
その言葉が、胸の奥に静かに落ちていく。
リュークは少しだけ驚いて、彼女を見つめた。
(……この子は、教会で俺を庇ったときと同じ目をしている)
明るく振る舞っているが、芯の部分では何も変わっていない。
「……ありがとう」
リュークは小さく笑った。
「怖かったよ。でも、君の声が聞こえたから――戻ってこれた」
ミーナは顔を上げ、ぱっと笑顔を見せる。
「えへへ、そっか! じゃあ、あたしの護衛は大成功だね!」
「……護衛?」
「だってリュークさん、レベル無いんでしょ? あたしのほうが一応、冒険者歴長いんだから!」
胸を張るミーナに、リュークは思わず肩をすくめる。
その自然なやり取りに、張り詰めていた心がふっとほどけた。
「……そうかもな」
だが、その笑みの裏で、リュークは周囲をもう一度見回していた。
ふと、視線を落とす。
夕陽が傾き、リュークとミーナの影が地面に長く伸びていた。
影の輪郭が、わずかに揺れている。
風はない。
(……影だけが動く?)
リュークは草むらへ視線を落とした。
夕陽が草の隙間を抜け、地面に細かな影の模様を編みこんでいる。
その中に――ひとつだけ、異物があった。
光がほとんど当たっていないのに、そこだけ影が妙に“薄い”。
(影が……抜けてる?)
リュークはしゃがみ込み、指先でその地点にそっと触れる。
瞬間、ひやりとした冷たさが肌を刺した。
周囲の地面より、明らかに温度が低い。
「……これは」
「どうしたの?」
ミーナが覗き込む。
「いや――ちょっと気になることがあって」
リュークは立ち上がり、今度は広場の方へと顔を向けた。
灯のともったランタンが、建物の影を長く地面に引き伸ばしている。
その影の中を、村人たちがゆっくりと行き交っていた。
(影の中を歩く人間は、ランタンの光を浴びた瞬間――地面から、影を奪われる)
当たり前の現象のはずなのに、今は違って見えた。
(もし影が"生きている"としたら――光は、それを消す力になるのか?)
胸の奥で、仮説が静かに形を取り始める。
◆ 村長との対話
リュークは村長ロッドの家を再び訪ね、扉を叩いた。
応じたロッドはわずかに驚いた顔をしたが、すぐに椅子を勧める。
「魔物の討伐について、もう少し詳しく知りたくて来ました」
リュークは村人から得た証言や現場の異常を簡潔に伝えた。
ロッドは腕を組み、しばし黙考する。
「……なるほど。やはり“普通”の魔物ではなさそうだな」
やがて彼は、低い声で打ち明けた。
「実はな……ここ数日、妙な噂が広まっている」
「噂?」
「夜影獣が現れる夜、村の端に“黒い人影”が見えるというのだ」
リュークの表情が鋭くなる。
「人の形をしている、と?」
「そうだ。ただ、誰もはっきりとは見ていない。霧のように揺れて、近づくと消えるらしい」
ロッドの皺深い眉が、さらに険しく寄せられる。
「魔物と同時に現れるだけで、人々は怯えている。正体は分からんが、“災厄の兆し”と囁く者もいる」
「……実のところ、古い者たちは“影の夜”と呼んでいてな」
ロッドは皺の刻まれた額に手を当て、低く続けた。
「昔の童歌にもある。“風が止んで影が咲く、光を呼んで影を枯らす”と。
ただの迷信と思っていたが……こうも現象が重なると、無視できん」
(黒い影……近づくと消える)
リュークは思考を巡らせた。
足跡の欠如、風の停止、血だけが残る異様な痕跡。
そして、影の異常な揺れ方。
(風が止んで影が咲く、光を呼んで影を枯らす――)
先ほどロッドが口にした童歌の一節が、頭の中で静かに反芻される。
子どもを脅かすための言葉だと思っていたが、今は夜影獣の振る舞いをそのままなぞっているようにさえ感じられた。
(やはり、夜影獣は実体を持たない? ならば、攻撃が通じる保証はない)
「……影そのもの、か」
「何だと?」
小さく漏らした呟きに、ロッドが目を向ける。
リュークは慎重に言葉を選んだ。
「姿はあっても“質量”はなく、物理攻撃は無効かもしれません。
となれば、魔法や、それに近い力で対処する必要がある」
「ふむ……そういう相手か。ならば、なおさら厄介だな」
ロッドの声には、重さと不安がにじむ。
リュークは立ち上がり、深く頭を下げた。
「とにかく、準備を進めます。ご協力、感謝します」
夜影獣の輪郭は見え始めたが、核心はまだ遠い。
リュークは広場の端に腰を下ろし、頭の中で要点を並べ替える。
――夜だけ現れる。足跡は残らない。獲物は血も骨も消える。現れる前に風が止む。
黒い人影の目撃。
童歌が描く「風が止んで影が咲く」という情景は、まさに夜影獣の出現条件と重なっている。
物理攻撃が通らない可能性が高い。ならば“影”に効くのは――
(光……? だが確信は持てない)
◆ 決意
家を出ると、夕暮れの空が濃い影を落とし始めていた。
湿った空気が肌にまとわりつき、村の外れからは、不気味な静けさが広がっている。
(明日の夜、来る)
そう確信した瞬間、背筋を何かが撫でた。
(光が弱点かどうかも、まだ確証はない)
(それでも――何もしないよりはマシだ)
拳を握りしめる。
決戦は明日の夜。
残された一日で、できることを全てやる。
リュークは足取りを固め、広場へと向かっていった。
空の端で、最後の光が影を長く伸ばしている。
その影の先で――何かが、静かに揺れた気がした。
次回:影獣と光の対抗手段
予告:闇に潜む殺意。生き延びる鍵は"光"にあり
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