第6話 異端の旅人と少女の声
村の教会に漂う沈黙が、じわじわとリュークの胸を締めつけていた。
神官の手元にある魔導石は、淡く光を放ったまま、ぴたりと動かない。
――ステータスに「経験値」が存在しない。
――レベルが上がらない。
その異常性は、村人たちの怯えとざわめきで、十分すぎるほどに伝わってくる。
「……お前、本当に“人”か?」
村長ロッドの再度の問いが、押し殺した低音が場の空気を凍らせる。
リュークは咄嗟に口を開いた。
「ちょ、ちょっと待ってください。俺は、ただ記憶がないだけで……!」
だが、即座に神官が厳しい声を返した。
「それならば、なおさら怪しい。生まれながらにして神の祝福を受けない者など、聞いたことがない」
その言葉を皮切りに、教会内にざわ……と緊張の波が走った。
「やっぱり、ただの旅人じゃないんじゃ……」
「魔族の手先かもしれんぞ……!」
次々と囁かれる疑念に、リュークの歯がギリッと鳴る。
(……は? 何だよ、それ……)
目を見開きながらも、内心で怒りが膨らんでいく。
(俺はただ、目覚めたときから何も思い出せなかっただけだ。レベルが上がらない? スキルがない? ……だから何だってんだよ)
心の奥で、何かがミシ……と音を立てて軋む。
(俺は――ただ、生きているだけなのに)
(何もしていない俺に、なぜこんな目を向ける?)
教会の光が、まるでスポットライトのように、リュークだけを浮かび上がらせる。
恐怖ではなく、異質なものへの拒絶。
(この世界の“普通”が何かすら知らない俺に、一方的に恐怖と偏見をぶつけて……ふざけるな)
そのとき、ひとりの村人が声を上げた。
「異端者だ……! 異端者を村に入れるなんて!」
――バキッ。
誰かが手にしていた木の杖を、折ってしまうほど強く握りしめた音が響く。
さっきまで友好的だった村人たちの目が、一斉に敵意へと染まる。
視線が、無言の刃のようにリュークを刺し貫く。
リュークの中で、言葉にならない感情が爆ぜる寸前まで膨れ上がっていた。
(異端者? たったそれだけで、人を否定するのか……?)
(記憶も、能力も、自分で選んだわけじゃない。なのに、なぜ俺だけが――)
(冗談じゃない。こんな理不尽、誰が受け入れるかよ)
拳がぶるぶると震え、指の関節が軋む。
それでも、理性だけが思考を必死につなぎ止めていた。
(……冷静になれ、リューク。今は、暴発するな)
(だが――これはまずい。下手をすれば、このまま……)
リュークは、静かに視線を上げた。
教会の石壁が、まるで“牢獄”のように見えた。
この世界における「普通」が、自分にはまだ分からない。
だが――少なくとも、「レベルが上がらない」という事実が、人々に恐怖と警戒を抱かせる原因になっていることだけは、痛いほどに理解できた。
「待ってくれ、俺はただの旅人だ。記憶がないのも本当だし……誰かに危害を加えるつもりなんてない!」
リュークは必死に声を張り上げながら、ゆっくりと一歩、後ずさる。
だがその動きに反応するように、若い村人の一人がバキッと木の棒を掴み、力強く地面に突き立てた。
「異端者を放っておいたら、村に災厄を招くぞ!」
「……災厄?」
リュークの口が自然にその言葉をなぞった。
(ただレベルが上がらないだけで、災厄……?)
胸の奥で何かがギチ……と軋む。
(おかしいだろ。たったそれだけの理由で、こんな仕打ちを受けなきゃならないのか。ふざけるな……)
拳を強く握りしめた。ギュッという音が手のひらに生々しく響く。
肩がかすかに震える。怒り、理不尽、虚しさ……それでも、目を逸らすことだけは、どうしてもしたくなかった。
だが、村人たちの不安と敵意は止まらなかった。
「昔、王都でも異端者が現れたって話を聞いたことがある!」
「そいつは魔族と通じていたって……!」
「異端者は、世界の理に反する存在だ……!」
まるで、今まで積み重ねてきた不安や偏見が、堰を切ったようにあふれ出していた。
その言葉の一つ一つが、杭のようにリュークの胸に突き刺さる。
「……もういい」
その時、村長ロッドがゆっくりと手を挙げ、声を静かに制した。
「リューク……お前が何者かは、今は分からん。だが、今のままでは、村に滞在させるわけにはいかん」
「村を……出ろ、ということですか」
リュークの問いに、ロッドは目を閉じ、重く頷いた。
「せめて、今夜までは宿を貸そう。だが、明日にはこの村を出てくれ。……それが、この村を守るためだ」
(……ここを追い出されたら、次はどこへ? どこなら受け入れてもらえる?)
胸の奥で、冷たいものがじわじわと広がっていく。
追放という現実が、静かに体を締めつけていた。
リュークは唇を噛み、視線を落とす。
けれど、胸の奥で別の感情が静かに、そして確実に膨れ上がっていた。
(……なんでだよ)
堪えようとしても、こみ上げてくる感情の波は止められなかった。
頭の奥がじんじんと熱を帯び、視界の端がわずかに滲む。
心の中で、何度も繰り返される問いが、言葉にならない叫びとなって喉にこみ上げる。
(記憶がないのも、スキルがないのも、俺のせいじゃない。……何もしてないのに、なんで俺だけ、こんな目に遭わなきゃならない?)
指がわずかに震えるのを、リュークは止められなかった。
拳を握る。ギリッと爪が掌に食い込み、鈍く熱い痛みが走る。
(お前ら……いい加減にしろよ)
その言葉が喉までこみ上げた、その時――
ザザッ……
空間に、微細な“ひび”が走った。
目には見えぬガラスの膜に亀裂が入るように、世界の輪郭が一瞬、軋む。
天井付近――空気が揺れ、光の粒子が一点に集まり始めた。
淡い輝きが旋回しながら繋がり、幾何学模様を描いてゆく。
それはやがて、“魔法陣”のような輪郭を成し始めた。
だが、明らかに“普通”ではなかった。
魔術の理から逸脱し、認識を拒むような構造式――
まるで数式と祈りと怒りが交錯したような、得体の知れぬ何か。
怒りが頂点に達した瞬間、魔法陣の輪郭にノイズのような歪みが走った。
光が脈動し、渦の中心から放たれた輝きが、瞳の奥に直接流れ込んでくる。
次の瞬間――脳裏に、断片的な映像が押し寄せた。
見知らぬ街、砕けた石碑、そして誰かの声。
そのすべての上に、はっきりと刻まれた名。
(……メモリーバンク)
呼吸が一瞬止まり、胸が締めつけられる。
それは感情を鍵にして反応した、記録の深層。
今まさに“扉”が軋みを上げた。
(……これは、一体……)
「ちょっと待ってよ!」
バンッ!
教会の扉が音を立てて開き、風が吹き込む。
駆け込んできたのは、あの少女――ミーナだった。
その瞬間、虚空に浮かんでいた光の陣がほどけ、霧のように消えた。
空間のひびも、音もなく癒え、まるで最初から何も起きていなかったかのように。
(今のは……なんだったんだ?)
リュークは、無意識に天井を仰ぐ。
そこにはもう、何の痕跡もない。
ミーナは異変など見えていなかったように、まっすぐに彼の元へ駆け寄ってきた。
彼女の瞳は真っすぐにこちらを見て――そして、声を張り上げた。
「村長、おじさんたち、どうしてそんな決めつけるの!? リュークさんは悪い人じゃないよ!」
肩までの栗色の髪が揺れ、活発な瞳が村人たちを鋭く射抜く。
その声は、小さな教会の空間に真っ直ぐに響いた。
「ミーナ、これは村の決定だ」
村長ロッドが重い声で言い放つ。
だが、ミーナは一歩も退かない。
「でも、異端者って……証拠なんて何もないじゃない!」
その言葉に、ロッドはわずかに言葉を詰まらせた。
沈黙が一瞬、場を包む。
ミーナはリュークの前に立ち、村人たち全員に向けて叫ぶように言う。
「リュークさんは、食べるものもないのに、村を助けようとしてくれたんだよ!
そんな人が、悪い人なわけない!」
その声は、広い教会の中で反響した。
村人たちはざわめき、互いに顔を見合わせる。
「……たしかに、魔物退治のために罠を作ったりしてくれたのは事実だ」
「だが、やはり……」
一人の村人が言葉を濁すように呟く。
「だったら!」
ミーナが一歩踏み出し、村長を真っ直ぐに見据えた。
「リュークさんに、何か仕事をさせてみたらどう? それで村に害がないって分かれば、問題ないでしょ?」
リュークは思わず彼女を見た。
(……なんで、ここまで俺を庇うんだ?)
言葉にならない感情が、胸の奥で静かに波紋を広げていく。
誰かが自分のために声を上げた――それが、こんなにも温かいものだとは思っていなかった。
喉の奥が微かに熱を帯びる。
息をするのが、少しだけ重くなる。
視線を逸らすように、わずかに顔を伏せた。
だが口元は、気づかぬうちにほんの僅か、柔らかくほころんでいた。
(……ありがとう)
声には出さなかった。けれど、その感情は確かに、胸の中で強く息づいていた。
村長はしばらく考え込んだ後、静かに息をついた。
はしばらく考え込んだ後、静かに息をついた。
「……分かった。では、条件をつけよう」
「条件?」
リュークが問い返すと、村長はじっと彼を見据えた。
「明日、村の外れに出る魔物を退治してもらう。それができれば、ひとまず村での滞
在を許可する。報酬も出そう」
リュークは思わず息をのんだ。
(魔物退治……か)
「ただし、失敗した場合は……すぐに村を去ってもらう」
その一言に、場の空気がわずかに張り詰める。
村人たちの表情にも、不安と緊張が走った。
「どうする、リューク?」
隣でミーナが、不安そうにこちらを見上げる。
リュークは数秒、じっと床を見つめたまま考え——
やがて顔を上げ、はっきりと答えた。
「……やります」
声は小さくとも、確かな意志がそこにあった。
この村は、リュークにとって初めて「自分を知ろうとした場所」だった。
そしてこの試練は、自分が“何者か”を知るための一歩でもある。
世界の“ルール”を、この身で学ぶための機会なのだ。
「よし……決まりだな」
村長は深く頷き、隣に立つ神官に目配せを送る。
「では、明日までに準備を整えよ。魔物の出る場所は、ミーナが案内してくれる」
「えっ、私も!?」
ミーナが思わず声を上げるが、村長は揺るがない口調で言った。
「お前がこの旅人を庇ったのだからな。その責任は取るべきだろう」
「……分かったわよ」
ミーナはむくれたように腕を組んだが、すぐにリュークへ向き直り、ぱっと表情を明るくした。
「じゃあ、リュークさん! 一緒に頑張ろうね!」
その無邪気な笑顔に、リュークの胸の奥にあったわだかまりが、ほんの少しだけほどけていく気がした。
(……さて、どう戦うか考えないとな)
彼の旅は、まだ始まったばかりだった。
次回:魔物の正体を探れ
予告:夜に潜む影。噂と恐怖が交錯
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質問です。
もしあなたがリュークの立場だったら、あの教会でどう振る舞ったと思いますか?
・怒る?
・逃げる?
・弁明する?
・無言で耐える?
それとも――
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今後も更新を続けていきますので、引き続きどうぞよろしくお願いします!