第5話 異端の烙印
◆村長と会話
広間の奥、重厚な椅子に白髭の老人が座していた。
その眼差しは、善悪を量るものではなく――"見極める者"の目。
「お前が旅の者か」
「リュークと申します」
老人――村長ロッドは、名を反芻するように一度だけ呟き、杖を軽く叩いた。
「聞くところによると、お前は昨日、広場で罠を作っていたとか。村のために動く気があるのは悪くない」
「手伝えることがあれば、と」
「……ならば一つ、確かめねばならん」
ロッドの声色がわずかに変わる。
敵意はない。だが、沈んだ重みがあった。
「昔、この村の隣村が滅んだ。"加護なき者たち"によってな。この村もその異端者によって、壊滅寸前まで追い込まれた……」
リュークの足先が、無意識にわずかに止まる。
「その者は――【ステータスが空白だった】という」
静かな言葉なのに、空気が一度深く沈んだ。
「安心せよ。疑っているわけではない。ただ、守るべき者を抱える身として、けじめが必要なのだ」
ロッドはゆっくりと立ち上がり、リュークをまっすぐに見据えた。
その目には恐怖だけでなく、長い年月を経た諦めの色が薄く滲んでいる。
「リューク。お前のステータスを確認させてほしい」
胸のざわめきが、はっきりとした鼓動に変わる。
拒めばどうなるかは、考えるまでもない。
ここで背を向ければ、この村での居場所は完全に閉ざされる。
「……分かりました」
ロッドは頷き、杖で扉の方を示した。
「では――教会へ来い」
その声は静かで、逃げ道を与えない。
(ここで、隠すことはできない)
リュークは息をひとつ吐き、歩き出した。
――村の空気が、ゆっくりと緊張へ傾いていくのを感じながら。
◆教会での審問
村の中心に佇む、小さな教会。
古びた石壁は風雨に晒されながらも、なお神聖な静けさを湛えていた。
重い扉を押し開くと、ひやりとした空気が頬を撫でる。石床に足音が反響し、祭壇の前には既に神官が立っていた。
沈黙の中、灯火の揺らぎだけが壁を照らしている。
ロッドが一歩進み出て言った。
「この者のステータスを確認したい。頼めるか」
神官は一礼し、祭壇脇の石台座を示す。淡い青光を宿す魔導石が、心臓の鼓動のように規則正しく脈打っていた。
「その石に手をかざしてください。教会の定めにより、ステータスが表示されます」
神官の声が、静かに教会全体へ広がる。
リュークは短く息を整え、掌を伸ばした。
指先が触れた瞬間――
シュウ……ッ。
光がふくらみ、粒子が文字へと変わる。
──【ステータス】──
名前:リューク
レベル:―
スキル:―
わずか〇・一秒。行が裏返り、〈該当なし〉の一行だけが残った。
(……今、先に"空白"が出て、その上から"該当なし"が上書きされた)
リュークだけが、その"観測のズレ"を見ていた。
誰かが息を呑む気配が、静かな空間に鋭く刺さる。
神官が、わずかに顔色を強張らせながら静かに告げた。
「照合結果――該当なし」
(やっぱり、何も出ない。俺は……"異端"なのか?)
冷たい光が掌から腕へ登り、胸の奥を固く締めつける。
いつの間にか、教会の入口付近には村人たちが集まっていた。
ささやきが膨らみ、やがて一つの声に塗りつぶされる。
その中に、あの老婆がいた。
皺だらけの顔がきしむように歪み、乾いた声が響く。
「……十年前と同じだ」
老婆の声が震える。それは恐怖ではなく――長く積もった怒りと悲しみだった。
「あのときも、ステータスは"空白"のまま、"該当なし"と記された。村を焼いたのも、娘を奪ったのも――その"該当なし"の化け物だった!」
老婆の叫びに、他の村人たちも反応する。
「異端は、外で暮らさせろ」
「畑へは入れるな」
「子どもの前で試すな」
視線が一斉に刺さる。肌の上に、細かい針を並べられたような痛みが走った。
(……まずい)
その時、ロッドが前へ出た。杖を一度だけ鳴らし、低く、はっきりと言う。
「ここは教会だ。私刑は許さん」
ざわめきがすっと引く。老人の声は冷静だが、誰も逆らえない重さを帯びていた。
ロッドはそのままリュークを見据え、静かに問う。
「リューク。お前は――何者だ」
「……分かりません」
リュークの声が掠れる。
「記憶もない。名前以外、何も残っていない」
「では、お前が"何をできるか"を述べよ。お前の技術、お前の力――それが村を脅かさぬものか、証明しろ」
(……証明? 俺が、何をできるか?)
罠。観察。森でやってきたことが、頭の片隅には浮かぶ。だが――
(そんなものが、本当に"力"と呼べるのか? 村を焼いた化け物と同じ枠で見られているのに……)
言葉が喉の手前で絡まり、形になる前に崩れ落ちていく。
記憶がない。過去がない。ステータスも空白。
自分が何者かさえ、分からない。
何も言えない。声にならない。
ギシ……。
石床のどこかが、かすかに軋んだような音を立てた。
胸の内側に、鈍い痛みが静かに広がっていく。
(俺は……何者なんだ)
沈黙が、教会を満たしていく。
村人たちのざわめきが、また大きくなり始めた。
「答えられないのか」
「やはり怪しい……」
「異端者に決まっている!」
声が重なり、波のように押し寄せる。
ロッドの目が、わずかに曇った。
失望――それが、老人の表情に浮かんでいた。
「……証明できぬなら」
村長の声が、鉛のように重く響く。
「お前を、この村に置くわけにはいかん」
リュークの胸が、冷たく凍りついた。
「明日の朝には、村を出ろ。今夜までは宿を貸そう――だが、それが限界だ」
判決が下された。
(ここを追い出されたら、次はどこへ? どこなら受け入れてもらえる?)
リュークの呼吸が、わずかに乱れる。
胸の奥に鉛を流し込まれたような重みが沈む。
(……どこにも、居場所がないのか)
怒りが、別の色を帯び始める。
理不尽への反発が、自分自身への疑念に変わっていく。
(俺は……本当に"人"なのか?)
その問いが、胸の奥をえぐった。
息を吸う。
ゆっくりと、深く。
(いや――違う)
リュークは顔を上げる。
石壁の影が、檻の格子のように見えた。
祭壇の灯火が、まるで監視の目のように感じた。
(俺が"何者か"を決めるのは、お前らじゃない)
拳を握る。爪が掌に食い込み、血が滲む。
("該当なし"って一行で――何もしていない人間の全部を、決めるな)
怒りが、爆発する。
それは、もはや村への反発でも、自己への疑念でもない。
この"世界の構造"そのものへの、拒絶だった。
その瞬間。
――ザザッ。
空気に微細な"ひび"が走った。
見えない膜が割れ、世界の位相が一瞬だけずれる。
「……っ!?」
村人たちがざわめく。
だが、リュークには聞こえない。
光の粒子が空間を走り、天井近くに円を描いていく。
それは"魔法陣"でも"神の奇跡"でもない――
見覚えのない、数式と幾何学が混ざり合った異質な光景だった。
数式が、重なり合うように回転している。
リュークの怒りが閾値を超えた瞬間、光がノイズのように震え、視界が白で満たされた。
――光が、文字列に変わる。
音もなく、脳裏を走る。
――メモリーバンク。
名だけが、意識に焼き付いた。
次の瞬間。
断片的な映像が押し寄せる。
見知らぬ街。
砕けた石碑。
誰かの声。
呼吸が止まり、胸が締めつけられた。
今まさに、閉ざされていた扉が軋みを上げて開こうとしていた。
(……これは、何だ)
(あと一言"異端者"と叫ばれていたら――多分、俺は殴っていた)
次回: 少女の声
予告: 静かな教会で告げられた最後通告
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