第5話 告発の審問と、見えざる偏見
リュークはミーナたちと共に、村の広場で罠の準備を進めていた。
店主から借りた古びた道具を手に、木の枝とロープを組み合わせていく。
枝を曲げるたびにギィ……ギチ……と乾いた音が鳴り、編み込んだ縄が軋む。
簡易的なセンサー式の罠――踏めば小石が落ち、吊るされた缶がカランッと鳴る仕掛けだ。
音は小さいが、夜の静寂に紛れれば十分に異変を察知できる。
張力も安定し、枝の可動も滑らかだ。
作業の合間、少し離れていた子供たちが、好奇心を抑えきれず駆け寄ってきた。
「お兄ちゃん、すごい!」
「これ、どうやって作るの? 教えて!」
「本物の技術者みたいだね!」
思わず顔を見合わせながら無邪気に笑う子どもたちに、リュークは一瞬だけ戸惑い
――そして、ふと微笑んだ。
しゃがみ直すと、枝の結び目や仕掛けの構造を丁寧に教え始める。
指先はまったく迷わない。
結びの強度や間隔、反応の速さまで、自然に言葉が口をついて出た。
(……昔、こんなふうに、誰かに教えていた気がする)
浮かんだのは、知識よりも先に、体に染みついた“感覚”だった。
手のひらに残る、小さな手の温もり。
無邪気に笑う子供の顔が、遠い記憶と重なる。
その影は、言葉にするにはあまりにも曖昧で――けれど、確かに“自分の過去”に触れた気がした。
そのとき――視界の隅に映る、朽ちたブランコ。
腐食した木の支柱に、ギィ……ギィ……と錆びた鎖が風に軋む。
ただそれだけの光景に、リュークの胸がグッと締めつけられた。
(ああ、これは……)
痛みとも呼べない感情が、突然胸を突く。
なのに、名前も、顔も、声も、白い霧の向こうへ溶けたまま。
だが、“知っている”。その確信だけが、異様なほど鮮明にそこにあった。
リュークは小さく息を吐き、思考を押し戻した。
今は、沈んでいる暇はない。
「よし、コツさえ掴めば、お前たちにも作れるさ」
「うん!」「ぼくもやるー!」
子供たちの無邪気な声に、リュークは小さく笑い、再び手を動かした。
枝を結ぶ手には、さっきまでの戸惑いはなかった。
しっかりと締め込み、ロープの張り具合を何度も確かめながら、最後の仕掛けを設置していく。
その横で、じっと見つめていたミーナがふと声を上げた。
「ねえ、リュークさん……その髪、かっこいいね」
「髪……?」
手を止めて顔を向けると、ミーナは恥ずかしそうに笑って、こめかみの辺りを指差した。
「ここ、銀色のとこ。光が当たると、キラキラしてて……なんか、すごくきれい」
リュークは無意識に、その髪の一房に触れる。
黒髪の中に溶けるように混じった、淡い銀の光。
何かに触れたような、不思議な懐かしさが胸の奥にふっと広がった。
木の皮が擦れるバキッという音。
土を掘る手が感じ取る、湿った冷たさ。
緊張感が、指先からじわりと肌に伝わる。
村の入口近く、最後の仕掛けを整えながら、リュークは呟いた。
「……これで、夜に何かが来たら、分かるはずだ」
その声には迷いがなかった。
リュークの目は、夜に備える者の眼差し――確かな“覚悟”を宿していた。
リュークが最後の罠の固定を終えたそのとき、広場の端から声がかかった。
「おい、旅人」
低く太い声に、リュークは反射的に振り向いた。
そこには、さきほど食料を分けてくれた店主の姿があった。
腰に手を当てながら、罠へとゆっくり近づいてくる。
「お前、こういうの作るの得意なのか?」
言葉とは裏腹に、その目はじっと仕掛けの構造を観察していた。
ロープの張り方、木材の支点、落下位置の誘導――
見る者が見れば、その精度の高さはすぐに分かる。
「まぁ……前に、やったことがあるような気がします」
リュークは、無理のない範囲で曖昧に答えた。
けれど、内心はそれどころではない。
(本当に“やったことがある”のか? 記憶はないはずなのに……)
手が自然に動いたが、理屈は分かっていなかった。
木の節をどう削れば均等になり、どれほどの張力で罠が作動するか――
それらを“知っている”という感覚だけが、確かな実感となって胸に残る。
(……これは本当に、偶然なのか?)
「……そうか」
店主は顎を撫でながら、ふと表情を引き締めた。
そして、声のトーンをやや落として続けた。
「実はな、村長がお前と話をしたいと言ってる」
「村長が……?」
唐突な名の登場に、リュークはほんのわずか目を細めた。
「ああ。お前のことを、どうも気にしてるらしい。
滅多に口出さない奴だが、妙にしつこいんだよ。
変なやつだが、悪い人間じゃねぇ。話して損はないと思うぜ」
リュークは数秒の沈黙ののち、頷いた。
村の中で孤立するより、動いて情報を得た方がいい。
警戒は必要だが――会って損はない。
「分かりました。案内していただけますか?」
「おう、ついて来な」
店主が踵を返すと、リュークは無言でその背に続いた。
夕暮れが村の屋根を赤く染める中、ふたりの足音がコツ……コツ……と静かに続いていった。
◆ 村長の家
村の奥、石畳を敷き詰めた広場を抜けた先――
一軒だけ造りの異なる、大きな石造りの家があった。
店主に案内されて玄関をくぐると、重厚な扉が軋んで開く音が響いた。
中には、長い髭をたくわえた老人が、背もたれの高い椅子に深く腰を下ろしていた。
「……お前が、旅の者か」
低く、どこか重さのある声。
その視線は、ただの好奇心ではなく、“見定めようとする眼差し”だった。
「儂は、この村の長を務めるロッドだ」
「初めまして。リュークと言います」
リュークは頭を下げ、静かに名乗った。
「リューク、か……」
ロッドはその名を一度、低く繰り返すと、間を置いて尋ねてきた。
「少し話を聞かせてくれ。お前は、どこから来た?」
その問いに、リュークは言葉を失った。
(……正直に言うべきか?)
曖昧な嘘は、この老人には通じないだろう。
だが、本当のことを話せば……下手をすれば、異端と判断されるかもしれない。
逡巡の末、リュークは正面からロッドの眼を見返し、言葉を絞り出した。
「……正直に言うと、記憶がありません。
気がついたら、とある村の廃墟で目覚めていました」
ロッドの眉が、わずかに動く。
その反応に、リュークの肩がわずかに強張った。
「ほう、廃墟とな……」
静かに呟いたあと、ロッドは続けた。
「どこの村か、何か覚えていることは?」
「……名前は、どうしても。
けれど、見たことがあるような気がして……懐かしさだけが、残っていて」
言葉を探すようにそう告げると、ロッドは目を細め、しばし黙考に沈んだ。
やがて、静かに口を開く。
「リューク。ひとつ頼みがある。お前の“ステータス”を、見せてもらえんか?」
「……ステータス?」
思わず、リュークの声に疑問が滲んだ。
その言葉に、ロッドは重く頷く。
「教会の神官に頼めば、魔導具を使って確認できる。
お前が異端者でないとわかれば、村人たちも安心する」
(……異端者。やはり、そういう区別があるのか)
一瞬だけ迷いが脳裏をよぎる。
けれど逃げ隠れするつもりはない。
この世界で生きていく以上、どこかで通らなければならない道だ。
「……分かりました」
小さく息を整え、リュークは頷いた。
(見せれば、きっと分かる。“俺は普通じゃない”と)
胸の奥に、冷えた汗がじわりと滲む。
それでも――彼の声は静かだった。
「お願いします。俺にできる範囲で、証明します」
村長のロッドは頷き、リュークを伴って村の中央へと向かう。
◆教会での審問
村の中心に佇む、小さな教会。
古びた石造りの壁は年月に晒されながらも、どこか神聖な静けさを湛えていた。
重厚な扉をギィ……と押し開けると、ひやりとした空気が内部を満たしていた。
石床に足音が反響し、正面の祭壇には、神官の衣をまとった男が静かに立っていた。
ロッドがその男に一歩進み出て告げる。
「この者のステータスを確認したい。頼めるか」
神官は一礼し、祭壇脇に据えられた石の台座を指し示した。
そこには、淡く青い光を宿す魔導石が置かれている。
「では、その石に手をかざしてください」
リュークは深く息を吸い、無意識に肩へ力が入るのを感じながら、そっと手を伸ばした。
指先が魔導石に触れた瞬間――
シュウ……ッ
石が脈動するように淡い光を放ち、内部に幾つかの情報ウィンドウが浮かび上がる。
──【ステータス】──
名前:リューク
レベル:(表示なし)
職業:(表示なし)
スキル:(表示なし)
……次の瞬間、空気が凍りついた。
ロッドの眉がピクリと動き、神官の顔から血の気が引いていく。
読み取った内容を確認するたび、神官の指先がわずかに震えた。
「レベル……表示なし、だと……?」
「いや、それだけじゃない。職業も、スキルも……すべて“空白”……!」
神官が驚愕を押し殺すように呟いたと同時に、
後方にいた数人の村人たちが、ざわ……とざわめく。
「神の恩恵を受けていない……?」
「スキルすら存在しない……なんて……」
「まさか、“異端者”……!」
吐き出されたささやきは、冷たい針のようにリュークの皮膚を突き刺す。
数秒前まで穏やかだった空気が、一変する。
張り詰めた静寂の中、冷え切った視線が一斉にリュークへと集中した。
(……まずい)
喉が締めつけられ、息が浅くなる。
今、この場で刃を向けられてもおかしくない――そんな直感が、背筋を硬直させた。
誰かが呟く。
「……あいつ、本当に“人間”か……?」
恐怖ではなく、“排除の対象”を見る目。
生き物ではなく、異物を見るような視線。
そのとき、村長ロッドが一歩前に出た。
その声音は低く、だが確かな重みをもって響いた。
「……お前、本当に“人間”なのか?」
一瞬、教会全体が息を呑んだように沈黙する。
リュークは、答えられなかった。
自分でも、それが“わからなかった”からだ。
ただ、胸の奥で、何かがギシと……軋み――
そこから冷たい痛みが、じわじわと広がっていった。
次回: 異端の旅人と少女の声
予告: 静かな教会で告げられた最後通告
読んでいただき、本当にありがとうございます!
読者の皆さまの評価や応援の言葉が、何よりの力になります。
質問です。
もし、自分の“ステータスが空白”だったら……どう振る舞うと思いますか?
リュークのように、黙って受け入れる? それとも、逃げる? 説明する?
あなたなら、どうするか聞いてみたいです!
もしよろしければ、「評価」や「感想」など、お気軽に残していただけると嬉しいです。
今後の執筆の大きな支えになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
今後も更新を続けていきますので、引き続きどうぞよろしくお願いします!