第4話 異端の村と、歪む扉
リュークは、荒れた村をあとにし、ひとり草原を歩いていた。
風が金色の穂を揺らし、遠くの森が静かに波打っている。
空は歪み、太陽の位置も曖昧だ。
景色全体が、ゆっくりと塗り替えられているように感じられた。
(ここが……俺の故郷? でも、それ以上は何も……)
手には、例の紙切れ。
『世界は、すべて偽りである』
『君はまだ、自分が“見ている”ものを知らない』
そんな警句の横に、黒く乾いた何かがにじんでいる。
「……まずは、食料と情報を集めないと」
誰なのか、なぜここにいるのか――
すべてが曖昧なままでは、動き出せない。
ふと、遠くにぼんやりと煙が見えた。
風に揺れながらも、確かに“生活の気配”がそこにある。
(あれは……)
一縷の望みを胸に、リュークは足を速めた。
◆トレント村
そこは木造の家々と畑が広がる、小さな村だった。
家畜の鳴き声や子供の笑い声が、どこか懐かしい空気を運んでくる。
「……やっと、人がいる場所に来られたな」
だが、村の門に差しかかったとき、彼は立ち止まる。
木柱に、かすれた文字が刻まれていたのだ。
【神の恩恵なき者、異端者に警戒せよ -トレント村】
明らかに“外からの者”を警戒する意志が込められていた。
だが――ほんの一瞬だけ、別の言葉が見えた気がした。
【神の恩恵なき異端者もまた、我らが家族、共に歩め―― トレント村】
瞬きをして見直す。
だがそこには、最初に見た“警告文”だけが、静かに刻まれている。
(……今のは?)
幻覚とは違う。もっと“物理的に錯綜した像”のような感覚だった。
文字の配置や傷の入り方すら、瞬間的に異なっていたと脳が記録している。
胸の奥に、微かなざわめきが生まれた。
理屈では否定しても、直感は何かを訴えてくる。
(この村……本当に、ただの村か?)
その疑念を、リュークは首を振って振り払った。
今は確かめようがない――進むしかない。
その時、ガッと靴音を響かせて、村の見張り役らしき男が近づいてきた。
重厚な革の肩当てに、粗雑な鉄槍を携えた中年の男だった。
「おい、旅人か?」
「はい。この村で、水と食料を分けてもらえませんか?」
リュークはできるだけ穏やかな声を意識して応じた。
男はしばらく無言で彼を観察し、鋭い目を細める。
だが数拍の沈黙の後、ようやく表情がわずかに緩む。
「……まあ、いいだろう。最近、物騒だからな。怪しい奴じゃないなら、中へ入れ」
「ありがとうございます」
リュークは軽く頭を下げ、門をくぐる。
乾いた木の軋む音が、足元から静かに響いた。
穏やかに見える村――
その奥に何が潜んでいるのか、リュークはまだ知らなかった。
◆村の様子と違和感
村の中を進むにつれ、リュークの胸には妙な違和感が募っていった。
村の空はくすんだ灰色で、光は届いているはずなのに、どこか冷たい。
すれ違う人々の目は怯え、言葉は小さく、笑顔はどこにもなかった。
誰もが彼に視線を向けるが、目が合うとすぐに逸らし、足早に立ち去っていく。
(……何か、村で問題が起きてる?)
広場へ出ると、いくつかの簡素な屋台が並んでいた。
干し肉や根菜、焼き立てのパンなどが積まれ、細々とした交易が行われている。
だが、そこにも笑顔はなく、売り手と買い手の声が異様に小さい。まるで、誰かに聞かれるのを恐れているかのように。
ふと、ある露店にリュークの目が止まった。
無骨な歯車、錆びた導線、そして、かすかに魔力を帯びた金属板。
どれも古びてはいるが、構造は複雑で精密だった。
(……これは……)
意識するより早く、手が伸びていた。
金属板に触れようとした瞬間――視界の端に、見覚えのない“数式”が浮かんだような錯覚。
(今のは……? いや、俺は……あれを知ってる?)
「触るなっ!」
怒鳴り声が跳ね、リュークははっとして手を引っ込める。
「すまない、つい……」
「つい、で壊されたら堪らねえ。魔導装置ってのはな、素人が触るもんじゃねえんだ」
店主は眉をひそめ、警戒の目を隠さず睨みつける。
リュークは視線を落とし、静かに息を吐いた。
(……初めて見たはずなのに。構造も仕組みも、なぜか理解できる気がする)
(いや、“気がする”どころじゃない。あの軸受けの歪み、魔力伝導率の不均衡……どこを調整すれば作動するか、ほとんど“直感で”わかってしまっていた)
(まるで――昔、何度も分解しては組み立てたような……)
頭の奥がじんわりと疼く。
思い出しかけた“何か”がある――けれど、扉はまだ開かない。
「……俺は、何者なんだ……」
呟きは、冷たい風にさらわれるように消えていく。
けれど胸の奥に残ったその問いは、消えずに残ったまま、鈍く重く、彼の歩みに影を落とし始めていた。
気を取り直し、リュークは別の屋台へと向かう。
「すみません、水と食料を分けてもらえますか?」
声をかけたのは、干し肉と保存パンを売る中年の男だった。
「おう、旅人か。食料なら銀貨小一枚だが……」
男はリュークを値踏みするように見た後、少し顔をしかめる。
「えっと……実は、銀貨を持っていなくて」
リュークは正直に打ち明けた。
「なんだ、タダ飯狙いか?」
男は肩をすくめたが、すぐに顎に手を当てて考え込む。
「まあ……何か手伝いしてくれるなら、分けてやらんでもない。畑仕事か、薪割りでもやるか?」
リュークは周囲を見渡し、ふと井戸のそばに積まれた木材へ視線が止まる。
木片、麻縄、鉄釘。ある程度の工具も揃っている。
(……罠が作れる。やってみせれば、信頼も得られるかもしれない)
「罠を作るのはどうですか?」
「……罠?」
男の目が細くなった。
疑わしげな視線が、リュークに向けられる。
「森の周辺に、魔物が出るって話はありませんか?」
「……ああ。最近、家畜が減ってるんだ。夜に妙な影を見たってやつもいる」
男は渋い顔で顎をさすった。
「なら、簡単な罠を仕掛ければ、正体を突き止められるかもしれません」
リュークは地面にしゃがみ込むと、即興で設計図を描き始めた。
木片を使った仕掛け、踏み板式の発動装置、反応用の鈴。
手はまるで独立した意思を持つかのように動き続ける。
(この形なら、重量に反応して板が沈み、支点がズレて枝が跳ね――)
(……って、なんでそんな構造が浮かぶ?)
「動物や魔物が通れば、この部分が作動して、枝が跳ね上がる。音も出るようにしておけば……」
「ほう……なるほどな」
男は腕を組み、図面を覗き込んでいたが、やがて感心したように頷いた。
「面白い。よし、食料と水を出してやる。広場で準備してくれ」
「……ありがとうございます!」
頭を下げながら、リュークの胸に、ふとざらついた違和感が広がった。
(今の説明……まるで、ずっとやってきたかのように、すらすらと出てきた)
(さっきの魔導装置といい、どうして俺は――“知らないはずのこと”を知ってる?)
その疑問に、答えはない。
けれど確かに、彼の“失われた輪郭”が、ゆっくりと形を取り戻そうとしていた。
リュークは深く頭を下げ、差し出されたパンと水を両手でしっかりと受け取った。
その温もりが、わずかに冷えた指先を包み込む。
自然と、安堵の息が漏れた。
(……これで、今日の分は、なんとかなった。でも――)
胸の奥に、微かな棘のようなものが残っていた。
(もし、この村の人間が、“レベルなし”の俺を知ったら……)
口には出さずとも、その不安は確かにあった。
だが、それが現実になるのは――まだ、少し先のことだった。
リュークが歩き出した直後、背後の地面で、雨上がりの“水たまり”がさざ波を立てた。
……影が、わずかに遅れて動いた。
まるで、リュークの“映像”だけが別の時を刻んでいたかのように。
水面に映る“彼”の姿が、遅れて振り向いた。
ほんの一瞬、笑ったようにも見えたその“残像”に――誰も、気づく者はいなかった。
(……今の、俺にしか見えてない?)
胸の奥で、何かが静かに熱を帯びる。
(これは……“兆し”か? それとも――)
視界の端で揺れるその違和感が、世界のどこか深い場所とつながっているような予感だけが、確かにあった。
リュークは広場に入り、空気のわずかな淀みに眉をひそめた。
背中を押すような妙な圧迫感――それはこの村に入ってから、ずっと胸の奥に居座っている。
地面に腰を下ろすと、手のひらにじんとした痺れが走る。
(……今のは?)
無意識に【ステータス】を起動する。
ピッ。
【ステータス】
名前:リューク
レベル:——(表示なし)
……その一瞬、画面が黒く歪んだ。
ノイズ? いや、何かが――“干渉”している?
リュークは目を細めるが、次の瞬間には何事もなかったかのように画面は消えていた。
(……誤作動か?)
そう自分に言い聞かせ、木材に目を戻す。
長さを見極め、ナイフで削り、紐を編み込んで張力を調整していく。
その手つきに迷いはなかった。
まるで、何百回と繰り返してきたかのように。
(……記憶はない。でも、この手は知っている。俺の中に、まだ“消えていない何か”がある)
だが、胸の奥に残る“かすかなひっかかり”だけが、村の静けさと不気味に反響し合っていた。
手を止めて、リュークはふと空を見上げた。
灰色に濁った空の下、村の静けさがどこか異様に思えた。
手を止め、ふと首をかしげたとき、周囲に子供たちが集まり始めた。
「お兄ちゃん、何作ってるの?」
声をかけてきたのは、まだ年端もいかぬ少女――ミーナだった。
他の子どもたちも、興味津々といった様子でリュークの周りに集まってくる。
リュークは少し驚き――そして、胸の奥で何かが小さく弾ける。
(この感覚……やれる。やれるぞ……!)
指先が勝手に動くような感覚。枝のしなり、結び目の締まり具合、支点の角度――すべてが手の中で形になっていく。
これはもう作業じゃない。血が騒ぐ“遊び”だ。
自然と笑みがこぼれた。
「ありがとう。でも、怪我しないように気をつけてな」
優しく告げると、子どもたちは嬉しそうに頷き、リュークの周囲で動き始めた。
壊れた椅子を持ってくる子、細い枝を集める子――その動きはまるで、小さな冒険隊のようだった。
「よし、俺たちの作戦会議だ!」
リュークがそう言うと、子どもたちは「おーっ!」と声をそろえる。
風が吹き抜け、草木がさわさわと音を立てる。
その瞬間、彼らは村を守る“ヒーローチーム”だった。
風が吹き抜け、草木がさわさわと音を立てる。
その中でリュークは気づかぬまま、胸の奥に、じんわりと温かい感情が芽生えていくのを感じていた。
それは、失われた記憶よりも、確かに“今”を形作るものだった。
――その時。
ふと視線を感じて振り返る。
少し離れた屋台の陰に、老婆が立っていた。
その様子を、ひとりの老婆が見つめていた。
子らの笑顔とは裏腹に、その瞳は……冷ややかだった。
あるいは、“何かを知っている者”の目のような。
リュークはその意味を、まだ知る由もなかった。
次回: 告発の審問と、見えざる偏見
予告: 神の加護なき者へ、世界は冷酷だった。
読んでいただき、本当にありがとうございます!
読者の皆さまの評価や応援の言葉が、何よりの力になります。
質問です。
「罠を作って信頼を得る」リュークの選択、あなたならどうしますか?
魔導装置を“直感で”理解できた時点で、自分の“正体”に踏み込む? それとも黙ってやり過ごす?
もしあなたがリュークだったら……どう行動するか教えてください。
もしよろしければ、「評価」や「感想」など、お気軽に残していただけると嬉しいです。
今後の執筆の大きな支えになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
今後も更新を続けていきますので、引き続きどうぞよろしくお願いします!