第40話 記憶の鍵――メモリーバンク LV.1
宿の部屋に入るなり、リュークは背中で扉をバタンッと閉め、深く息を吐いた。
湿った夜気を締め出した静寂が、肌にじわりとまとわりつく。
その中で、リュークは金貨を掌に乗せ、じっと見つめた。
(……本当に、これを使うのか?)
(失敗すれば――いや、そんなことは考えるな)
額にうっすらと汗がにじむ。
恐怖を押し込め、リュークは息を止めるようにして意識を集中させた。
(金貨小一枚……スキル『メモリーバンク』の開放条件は、満たしている)
次の瞬間――
**シュウ……**と空気がわずかに震え、金貨が淡く輝き始めた。
その光は音もなく宙に舞い上がり、まるで砂時計の砂のように光の粒子へと変わっていく。
**チリ……チリ……**と微細な音を立てながら、光がリュークの額へと吸い込まれていく。
【スキル開放条件:金貨小1枚を消費します。よろしいですか?】
脳内に、無機質な声が響いた。
わずかに唇が震える。だが――リュークは迷わず答える。
「……やってくれ」
その瞬間、体全体がフワッとした光に包まれ、
視界が白く塗りつぶされていく。
そして――映像が、流れ込んできた。
あたたかな部屋。
笑い声。
見覚えのある家族の姿。
湯気の立つ食卓の匂い。
小さな頃の自分――父の手、母の笑顔、兄の背中。
(……これが、俺の……記憶……)
だが、次に押し寄せた記憶は、どこか異質だった。
白い無機質な空間、壁に浮かぶ電子盤。
冷たい光。
白衣の人物たちの無言の会話。
そして、ガラス越しに見下ろされる“実験室”。
「……俺は……何をされていたんだ?」
リュークは息を呑んだ。
意識が闇に引きずり込まれるように、周囲が黒く染まっていく。
**ズゥン……**と鼓膜の奥を震わせるような感覚の中、
耳元で、誰かが囁いた。
「……目覚めよ、リューク・サーガハート」
その声は、凍てつく静寂の中、
胸の奥――いや、魂そのものに触れてくるようだった。
(この声……誰だ……?)
リュークが目を開けると、そこは全てが沈黙した空間。
色も形もない、ただの“暗黒”が広がっていた。
手を伸ばしても何も触れず、目を凝らしても何も見えない。
だが、足元には冷たく硬い床の感触――
そして、鼻を突く、どこか機械油のような金属の匂い。
(ここは……どこだ? 記憶が戻ったはずなのに……)
言いようのない不安が、ゆっくりと彼の胸を侵食していった。
彼は、先ほど見た記憶を思い出そうとした。家族との温かい日々、大きな建物……
そして、謎の実験室。しかし、記憶は断片的で、彼の正体や目的を明確にするものではなかった。
「……リューク・サーガハート」
再び、声が響いた。今度は、より近く、より明確に。
「誰だ……?」
リュークは問いかけた。だが、声は答えず、ただ彼の名前を繰り返すだけだった。
その時、リュークの目の前に淡い光が灯る。
光は徐々に強くなり、闇を押しのけるように彼の視界を広げていく。
そこは、白く無機質な部屋だった。
壁には複雑な配線や装置が張り巡らされ、中央には、彼が横たわっていたであろうカプセルのような装置が無音で存在感を放っている。
(ここは……実験室?)
リュークは、記憶の中のぼやけた光景と、目の前の現実が重なるのを感じた。
「……目覚めの時が来た」
耳元で、静かにそう告げる声。
そしてカプセルの方から、ゆっくりと人影が現れる。
白衣をまとった男が、穏やかな笑みを浮かべ、リュークへと歩み寄った。
その瞳は何かを見透かすようで、そしてどこか、懐かしさすら感じさせるものだった。
「よくぞ目覚めた、リューク・サーガハート。君は、私たちの希望だ」
男は落ち着いた声で言った。
「希望……? 一体、何のことだ?」
リュークは困惑の中で問い返す。
「君は、私たちの研究の成果だ。この世界を救うための、最後の希望だ」
男の声に、揺るぎはなかった。
「世界を救う……? 俺が?」
リュークの眉がわずかにひそめられる。状況がまるで理解できない。
「そうだ。君は、特別な力を持っている。その力で、この世界を滅ぼそうとしている『災厄』を倒すのだ」
男の眼差しは真剣で、言葉に曇りはなかった。
「災厄……?」
その響きに、リュークは思わず息を飲む。胸の奥に、言いようのない不安が滲んだ。
「そうだ。それは、この世界を闇に包み込む、恐ろしい存在だ。君は、その災厄を倒すために、イグニッション・コードによりこの世界に送り込まれたのだ」
男は静かに、しかし力強く言った。
リュークは、自分の置かれた状況を理解しようと努めた。君は、記憶を失い、イグニッション・コードによりこの世界に送り込まれた。
そして、君は、世界を救うための希望だという。
「……俺は、どうすればいい? イグニッション・コードって……何なんだ?」
リュークは、男を真っ直ぐに見つめて問うた。
「まずは、君自身の力を取り戻すことだ」
男は迷いなく言った。
「君は、まだ完全な状態じゃない。記憶も、力も、深層に封じられている。
君には――“隠された力”がある。
それを開放する鍵、メモリーバンクだ」
「メモリーバンク……」
リュークが呟くと、男は続けた。
「君は、それを通じて過去の記録と能力を引き出せる存在だ。だが、今のままでは制御できず、自らを傷つけかねない。」
「まずは、段階的に力を解放し、自分自身の本質に向き合うことだ。
そうすれば、君は――真の力を手にできるはずだ」
「力を、取り戻す……」
リュークは自分の手を見つめる。
指の先に、見えない何かが眠っている気がした。
「それだけじゃない。君には、仲間が必要だ」
男の声は静かだが、確かな重みを持っていた。
「どれほど強くとも、一人では“災厄”に立ち向かうことはできない。
君を信じ、君を支える者たちと共に歩むこと――それが、運命を変える鍵になる」
「仲間……」
リュークの声が、低く漏れる。
浮かんだのは、ガルド、リーナ、ザックたちの姿。
戦いを共にした彼らが――果たして信じられる仲間になるのか。
そして、迷わず脳裏に浮かぶ影――
何度も自分を救ってくれた黒狼、シャドウファング。
「そうだ」
男は微かに頷いた。
「君には力が必要だ。そして、その力を支える“絆”もまた、君を守る力となる」
リュークはゆっくりと立ち上がり、真っ直ぐに男を見据えた。
「……あんたは、誰なんだ?」
男は少しだけ目を細め、寂しげな笑みを浮かべる。
「私か? 私はただの研究者さ」
「君を“目覚めさせる”ために、この場所でずっと待っていた。それだけだ」
「研究者……それじゃ、俺は……」
「そう。君は“プロジェクト・メモリーバンク”の被験体――いや、唯一成功した存在だ」
その言葉を聞いた瞬間、リュークの心臓が跳ねた。
喉が強張り、全身に冷たい汗がにじむ。
「……被験体……?」
男は、静かに頷いた。
「君の脳に埋め込まれた“メモリーバンク”――それは人類の知識と英知を未来に継承するための最先端技術だ」
「だが――」
男はそこで言葉を止め、わずかに目を伏せた。
その声には、抑えきれない悔しさと悲哀が滲んでいた。
「……計画は、失敗した。この世界はすでに崩壊の一途を辿っている。君が目覚めた今こそ、その力を解放する時だ」
リュークは拳を握りしめた。
胸の奥から、焦げつくような衝動が沸き上がる。
だが同時に、冷たいものが背を撫でた。
自分は何者なのか――何のために生きているのか。
「……どうすれば、その力を解放できる?」
絞り出すように問いかけると、男はふっと唇を吊り上げた。
「君の意志次第だ」
静かだが、揺るぎのない声音だった。
「メモリーバンクのスキルが開放された今、君は“剣術の記憶”“魔術の記憶”を手にした。だが、それはほんの一端にすぎない。」
「真の力を手にするには……さらに深い試練が待っている」
リュークは目を閉じた。
記憶の底に、微かな光景が浮かぶ――
だが、掴もうとした瞬間に指の隙間からさらさらと零れ落ちていく。
「俺は……」
歯を食いしばる。
「俺は、強くなりたい!」
その叫びに呼応するかのように、眩い光がリュークの体を包み込んだ。
――【スキル「メモリーバンクLV.1」開放完了】――
――【新たなスキルを取得しました】――
•剣術の記憶(初級):剣の基礎的な扱いを本能で理解し、状況に応じて応用できる。
•魔術の記憶(初級):魔力の流れを把握し、初歩の術式を展開可能。
•日常の記憶:衣食住など生活に必要な知識や習慣を自然に思い出せる。
•メモリーバンクLV.2 開放条件:金貨小5枚
「世界が偽り……? なら、本物を見つける」
リュークの声に、迷いはなかった。
「誰かの作った“嘘の現実”に、いつまでも踊らされてたまるか」
「この世界の“ルール”を知らずに、生き残れるはずがない」
その瞬間、彼の中に“何か”が刻み込まれた。
剣を握れば、構えが自然と定まる。
刃の重さ、力の流し方、足運び。
魔力を感じれば、自然と指先へ集まり、流れが脈動するように伝わってくる。
「これが……俺の力か」
リュークはそっと目を開けた。
――目の前の男は、もういなかった。
代わりに、見慣れた薄暗い宿の一室が広がっていた。
「夢……だったのか?」
静かな朝の気配が、窓の隙間からゆっくりと差し込んでくる。
木目の床に射す柔らかな陽光が、現実へと彼を引き戻す。
リュークはベッド脇に置かれた短剣を手に取った。
柄の冷たさと、手にしっくりと収まる重みが、確かに“現実”を告げている。
そのとき――
胸の奥で、誰かの声が微かに響いた。
「……リューク・サーガハート」
確かに、自分の名前を呼ぶ声だった。
ただの幻聴ではない。魂の深いところを、確かに震わせる呼びかけ。
リュークは、ふっと目を細め、わずかに笑みを浮かべた。
(……俺は、ここにいる)
確かに――感じていた。
すべてが、始まりの合図に思えた。
体の奥底に眠っていた力が、今は静かに――だが確かに、脈動している。
静けさの中に燃えるような熱があった。
リュークはベッドからゆっくりと立ち上がり、肩を軽く回す。
筋肉の軋みさえ、今は確かな“生”の証だった。
(これが……俺の力。俺の戦いだ)
傍らでは、シャドウファングがまだ丸くなって休んでいた。
黒い毛並みがゆっくりと上下し、安堵の眠りを物語っている。
その姿に、どこか救われるような温もりを感じる。
「……行くぞ、シャドウファング」
静かに声をかけると、黒狼はぴくりと耳を動かし、目を覚ました。
その双眸は眠気の残滓を一瞬で拭い去り、すでに前を見据えていた。
仲間として――戦う者としての目だった。
リュークは、小さく――だが確かな決意を帯びた笑みを浮かべた。
そして窓辺へと歩き、ゆっくりとその扉を開ける。
夜の静けさの中、淡い月明かりが差し込み、
その光はまるで、これから進むべき道を照らしているかのようだった。
澄んだ冷気が頬を撫でる。
だが、彼の瞳にはもう迷いはない。
静かに始まる試練の予感と共に――
リュークの旅は、今、確かに動き出した。
次回:回想:都市アストラルム
予告:高度量子都市――それはユートピアか、管理された理想郷
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