第39話 報告と再調査の兆し
ギルドに戻ると、薄暗い酒場のような空間には、まばらに冒険者たちが座っていた。
カウンターには、依頼を受けた時と同じ受付嬢――エリナが立っている。
リュークは疲労困憊のまま、まっすぐ受付に駆け込んだ。
「……エリナ!」
息を荒くしながら、声を張る。
エリナは目を見開き、手にしていた帳簿を落としかけた。
「リュークさん……?」
「地下水道に……得体の知れない“何か”がいた!」
リュークは息を整えながら、必死に言葉を繋ぐ。
「影のような魔物に襲われた。普通の攻撃が通らない上に、影に触れた途端、体が重くなって動きが鈍っていく……。ただの魔物じゃない」
その言葉に、エリナの表情がさっと青ざめた。
手元の帳簿を抱え直すも、指先がかすかに震えている。
「っ……ギルドマスター!」
反射的に振り返り、かすれ気味の声で叫ぶと、エリナは通路の奥へ駆け出していった。
重い足音と共に、ほどなくして白髪の壮年の男が姿を現す。
着崩れのない長衣と、鋭い眼光が威圧感を放っていた。
「ふむ……それはもしや、“深淵の眷属”かもしれんな」
低く唸るように言いながら、白い髭を撫でる。
「……深淵の、眷属……?」
リュークは眉をひそめ、反応する。
「かつて、ベルハイムの地下には“何か”が封じられていたという話がある。」
「公式の記録は残っておらんが、同じような異変で行方不明になった冒険者も、何人かいた」
男の声は抑えられていたが、その目は真っすぐリュークを射抜いていた。
「お前が――生きて戻ってきた、初めての例かもしれん」
「影に攻撃を通して、退けたんだな?」
「……ああ、なんとか……だが」
リュークはわずかに息を詰めながら答えた。
「……やはりな」
ギルドマスターは小さく頷き、目を細める。
「今後の対応を考えると、調査隊を再編せねばなるまい。上層部にも報告する。……だが、
その前に“再調査”が必要になるだろう」
その言葉を聞いた瞬間――
リュークは、胸の奥に鈍い違和感を覚えた。
(再調査……? まさか……)
言葉の続きを待つまでもなく、ギルドマスターの視線は、まっすぐに自分へと向けられていた。
それは明らかだった。これは、ただの報告で終わる話ではない。
(……つまり、俺に行けと?)
リュークは、わずかに息を呑み、静かに問い返す。
「……俺に、その準備を?」
ギルドマスターは間髪入れずに頷いた。
「そうだ。今、お前しか“影に干渉できる可能性”を見せた者がいない。お前が特別だとは言わん。だが――“その力”に反応して、あの存在が動いた可能性もある」
リュークは一瞬、目を見開いた。
その言葉の重さが、思考の深層にゆっくりと染み込んでいく。
「報酬は追加で出す。だが、強制はしない。今日の調査は、正式に完了として記録に残す」
「返答は……明日で構わん」
「……分かった」
リュークは短く、しかししっかりと頷いた。
ギルドマスターが手を振ると、エリナがそっと調査報酬を差し出す。
リュークはそれを受け取り、静かに扉の方を向いた。
「……じゃあ、明日また来る」
ギルドを後にするその背に、ギルドマスターの低く、独り言のような声が落ちた。
「本当に……ただの偶然なのか……?」
リュークは、ベルハイムの街の薄暗い路地を、静かに歩いていた。
喧騒は遠く、夜の冷気が、戦場を駆け抜けた身体に心地よく染み込んでいく。
手のひらには、先ほど受け取った金貨が一枚。
その冷たさが、ようやく現実に戻ってきたことを告げていた。
シャドウファングは、無言でその背を追っている。
(金貨……これで、スキルの開放ができる……はず)
だが、ふと足を止め、掌の上に乗せた金貨をじっと見下ろす。
――思ったよりも、軽い。
あの死線を越え、命を削って得た代価が、これほど小さく、無音で、何も語らないものだとは――。
胸の奥に、苦い感情が一瞬だけ広がった。
(……だが、それでも)
(これは、確かに“俺が生き延びた証”だ)
金貨の表面が、雲間から覗いた月光を受け、かすかに揺らめいた。
その光は、闇に呑まれかけた命の輪郭を、再び浮かび上がらせるように――静かに、優しく灯っていた。
やがて、路地の奥。
ひっそりと佇む宿の入り口へと、リュークは歩を進める。
その足取りは、少しだけ重かったが――確かに、前へと向かっていた。
次回:記憶の鍵――メモリーバンク LV.1
予告:金貨と共に目覚める断片。記憶は、世界を裏返す。
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