第36話 黒い影との戦闘
地下水道の奥へ進むにつれ、空気は次第に冷たく、重苦しい湿り気を帯びていく。
リュークの足音がチャプ……チャプ……と水面に広がり、石壁に反響して圧し掛かってくるようだった。
やがて、わずかに開けた空間へと出る。
シャドウファングは鼻を鳴らしながら先導し、時折グゥ……と低く唸って警戒を促していた。
「……何かいるな」
リュークは短剣の柄を握り直し、薄闇の先に目を凝らす。
ぼんやりと波打つ水面。その奥、何かが――蠢いている。
「グルル……!」
シャドウファングが身を低く構えた――その直後。
ズズッ……ズチャ……ッ
粘液質の音を引きずるように、暗闇の奥から小さな影が這い出してきた。
「スライムか!」
青黒い粘体がぬるぬると通路を埋め尽くし、どろりとした肉塊のように押し寄せてくる。
その数は五体以上。しかし、リュークの視線は、群れの中の“異質な存在”に釘付けになった。
「……なんだ、あれ……?」
スライムたちの合間から、それはにじみ出るように姿を現す。
黒い靄を纏い、水面から這い上がるように現れた異形の“影”。
輪郭は不安定に揺れ、その中心――人の顔にも似た“何か”が、無表情のまま、リュークを静かに見返していた。
(……この感覚……あの“影”に似ている。でも、あの時より――ずっと冷たい)
ぞわり、と背筋に氷のような冷気が這い上がる。
すぐさま短剣を構え、低く声を放つ。
「シャドウファング、後ろを頼む!」
「グルルッ!」
黒狼が咆哮し、スライムの群れへと躍りかかる。
ガギッ!――ズグッ!
鋭い爪が粘液を裂き、重たく肉厚な体を踏み砕く。スライムが弾け、シュゥ……ッと焼けるような音と共に腐臭が広がる。
だが――異形の“影”は、微動だにしない。
ただ、リュークだけを凝視し続けていた。
「来い……!」
リュークは腰の小瓶を掴み、迷いなく影に向かって投げつける。
カシャッ!――バァン!
ガラスが砕け、閃光が激しく弾ける。
水面が白く染まり、スライムたちは**ギャルルッ……!**と悶え、のたうった。
だがその中央――
“影”だけは、閃光の中にありながら一歩も動かず、目も閉じず、そこにただ在り続けていた。
「……やっぱり効かないか!」
リュークの歯が噛み合わさる音が、水の跳ねる音に溶けた。
即座にリュークは踏み込み、短剣を振るう。
ザシュ……ッ!
影の身体は空気ごと裂けるように霧散し、ただ鋭い風切り音だけが残った。
「クソッ、どうすれば……!」
焦燥が喉を焼く中――
影が、無音のまま滑るように動いた。
ぬるり、と重力を無視するかのように距離を詰め――
ブォン!
黒く伸びた爪が空間をえぐるように振り下ろされる。
「っ……!」
リュークは咄嗟に身を逸らすも、
ズバッ――ビリィッ!!
右腕を裂く鋭い感触と同時に、焼けるような激痛が走った。
「ぐっ……!」
思わず呻きが漏れ、
**ピチャッ、ピチャ……**と赤い滴が水面に弾け、静かな波紋を生んでいく。
リュークは歯を食いしばり、左手で傷口を押さえながら後退した。
(……物理攻撃が通らない……なら――)
素早く周囲を見渡す。
通路の上部、崩れた階段の名残か、岩棚のように張り出した足場が視界に入る。
(あそこなら――!)
即座に足場へ跳躍――
ザリッ! ガキンッ!
瓦礫を蹴って軌道をずらし、爪の射線を切ると同時に高所へと駆け上がる。
有利な位置を取ったその瞬間、リュークは即座に手を振り、下のシャドウファングへ非言語で合図を送った。
「グルルッ!」
シャドウファングは唸りを上げ、水面を裂くように疾走。
バシュッ、バシャァッ――!
跳ねる飛沫と共に影へ肉薄し、その巨体で鋭く周囲を旋回する。
(……いいぞ、注意を引いてくれている……!)
「――今しかない!」
リュークは迷わず爆裂玉を構え、視線を定める。
「これでどうだっ!」
ビュッ!
投擲された爆裂玉が闇を切り裂き、影の真下に着弾――
ドォォンッ!!!
地響きのような爆音が洞窟を揺らし、
ズガガン! ズン――!!
破片が飛び散り、水柱が上がる。衝撃波が周囲の粘液や瓦礫を巻き込み、爆煙が立ちこめた。
影の身体は、グラリ……ッとよろめき、黒い靄が剥がれ落ちて宙を漂う。
(やった……! シャドウファングの撹乱と、俺の狙撃が噛み合った!)
緻密な「囮」と「狙撃」の連携。
一瞬の戦術判断が、確かな成果を生み出していた。
(今しかない――!)
リュークは短剣を強く握り、魔力を一点に集中させる。
ビリビリ……ッ!
刃先が淡く発光し、手元に伝わる熱量が、決意と覚悟を呼び起こす。
「喰らえッ!」
ズバァッ!
光の刃が闇を裂き、影の中心――あの“顔”を正確に貫いた。
その瞬間、空気そのものが凍りつくような緊張が走る。
「……ギ……ィ……!」
ギギ……ッ、ガクン……!
声とも音ともつかない呻きと共に、影の身体がガクガクと痙攣し、
中心から**ビキ……ビキィッ!**と黒い靄がひび割れていく。
そして、崩壊の兆しとともに――
ジュゥ……ッ……
霧のように影が霧散し、残るのは水たまりの中央に焼きついたような黒い輪――
静かに波打つ、“死の痕跡”だけだった。
(……倒した……!)
リュークの胸に一瞬、安堵が広がりかけたその時――
「グルルッ……!」
シャドウファングの低い警告の唸り。
視線の先、主を失ったスライムたちが暴走するように這い寄ってくる。
粘液がずるりと引き伸ばされ、**ズズッ……グチャッ……**という不快な音が近づいてくる。
「終わらせる……!」
リュークは即座に態勢を取り直し、シャドウファングも間髪入れず通路脇を駆け、
側面からの包囲に動く。
(今のうちに……!)
リュークは懐から小型の油袋と火打石を取り出し、密集するスライムの中央に放り込んだ。
ビシャッ!――パシュッ!
油が飛び散り、続けざまに火花が閃光を伴って引火。
ボワッ!!
濁った光とともに炎がスライムの粘膜に燃え広がる。
ジュルッ……ジリジリ……!
焼ける粘液の臭気が鼻を突き、スライムたちが悶えるように蠢く。
「今だッ!」
リュークは短剣を抜き、全身の力を込めて駆け込む。
ズシャッ! ズブッ! ベチャッ!
斬りつけるたび、ぬめりとともに粘液が飛散し、
苦しむようにスライムたちが潰れ、崩れ、溶けていく。
最後の一体――
シャドウファングが跳びかかり、勢いそのままに
ズバッ!!
鋭い爪が粘体を二つに裂き、黒い液体を飛び散らせながら、その命を絶った。
「……これで、全部か」
リュークは短剣を下ろし、**ゼェ……ゼェ……**と荒く息を吐く。
肩にかかる湿気と汗が、ようやく終わった戦いの余韻を教えていた。
シャドウファングも彼の元へと戻り、
**トン……**と静かに隣に並んで座る。
「グルル……」
その一声に、リュークは思わず頬を緩め、膝をついた。
疲労と安堵が入り混じったまま、心だけがまだ張り詰めている。
(……シャドウファング。お前がいなければ、この勝ちはなかった)
口には出さなかったが、
リュークは静かにその横顔を見つめながら、感謝を伝えた。
シャドウファングも応えるように、そっと尾を揺らした。
ふと、リュークの視界の隅に淡く青い文字が浮かび上がる――。
――【レベルが上がりました】――
【リューク】
レベル:4
HP:100/100
MP:35/35
筋力:12
敏捷性:12
耐久力:11
魔力:9
スキル:メモリーバンク(開放条件未達成)
スキル開放条件:(LV.1)金貨小1枚:(LV.2)金貨小5枚
レベルが上がった。だが、今は浮かれている場合ではない。
(……けど)
体の内側からじわりと力が湧く感覚があった。
一瞬、全身を風が抜けたように軽くなり、筋肉の動きが鋭く研ぎ澄まされていく。
――まるで、戦いの最中に感じた敵の動きが、今ならはっきり“読める”ような気がする。
「……これが、レベルアップの効果か」
息を整えながら周囲を見渡す。蒸気の混じる地下水道の空気が、わずかに静まり返っていた。
**チャプ……チャプ……**と足元の水面が、余韻のように波紋を広げている。
タッ、タッ――
シャドウファングが水飛沫を跳ね上げて駆け寄ってくる。
その瞳には鋭さと、どこか誇らしげな光が宿っていた。
リュークは軽く頷き、傷口を押さえて立ち上がる。
掌ににじむ血の感触――ズキリと熱が走るが、それでも前へ進むことに迷いはない。
「よし、先へ進もう」
刃を収め、闇の奥を睨む。
そこにはまだ“終わり”の気配はない。
――新たな脅威か、それとも、
忘れていた“何か”が待つ場所か。
湿った空気の中、ふたりの影が再び歩き出した。
次回:錯する爪と封印の術式
予告:音と共鳴し、輝く紋章。封印が、微かに脈打つ
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