第34話 地下水道潜入前――備えと囁く影
ベルハイムの道具屋は、ギルドのすぐ近くにあった。
外観は古びて地味だったが、扉を押し開けると――
カララン……!
鉄製の鈴が控えめな音を立て、店内には木と金属の混じった匂いが漂っていた。
棚には冒険者向けの道具がずらりと並び、整理された空間に、油の染み込んだ床が冒険の実用性を物語っていた。
カウンターの奥では、恰幅のいい中年の店主が布を手に道具を拭いていた。リュークを一目見るなり、目尻をゆるめる。
「おや、初めて見る顔だな。新人冒険者か?」
「まあ、そんなところです」
リュークはギルドカードを差し出し、素直に応じる。
「地下水道に行くんですが、何を用意すればいいですか?」
率直な質問に、店主は腕を組んでうーんと唸り、棚を見渡した。
「地下水道なら……まず、暗視用の魔力ランタンは必須だな。普通の灯りじゃ、湿気で火が弱まることもある。」
「このスモークカット式ランタンなら、多少の水濡れでも光が落ちない。魔力を込めれば八時間は保つぞ」
「それ、ください」
リュークは頷き、メモ用の紙を引き出してさらさらと書きとめる。
その傍らで、シャドウファングがふと鼻をひくつかせ、棚の一角を覗き込んだ。
干し肉と香料袋の並んだ場所で、軽く尻尾を揺らしている。
「ははっ、連れも興味津々だな」
店主が笑いながら、棚の奥から紙袋に入った乾燥肉をひょいと取り出し、カウンターに置いた。
「良けりゃ、これも持ってけ。犬用だけどな――そいつ、ただの犬じゃなさそうだが」
「ありがとう」
黒狼は目を細め、くんと軽く鼻先を押し当てると、そのまま静かに咥えた。
バキッ――!
乾いた音と共に、鋭い牙で小さな肉片を噛み砕き、満足そうに喉を鳴らす。
(……こういう細かい配慮……この街の人間って、案外あたたかいな)
ふと、そんな思いが胸をよぎった。
「それと……水場には毒を持った魔物が出ることもある。
解毒薬は持っておいた方がいい。あとは応急処置用の布と抗菌粉も、あったほうが安心だ」
「解毒薬……いくらです?」
「銀貨10枚」
リュークの顔がわずかに引き締まる。
(……結構するな。だけど、毒にやられて動けなくなるくらいなら、安いか)
リュークは懐に手を入れ、手持ちの資金を確認した。
先日のゴブリン討伐の報酬で、多少の余裕はあるが、無駄遣いはできない。
「ランタンと解毒薬、それに……滑り止めのついたブーツも頼む」
「ほう、いい判断だな。地下水道は苔で滑りやすいからな。全部で銀貨大三枚だ」
「わかりました」
リュークは頷き、ジャラッと小袋から銀貨を取り出して差し出した。
重みのある金属が木のカウンターに触れ、カランと乾いた音を立てる。
受け取った品を手早く確認し、肩掛けのバッグに収めていく。
ランタンの重量感が手に心地よく、革製ブーツの滑り止めは粗く刻まれていて、泥の上でも踏ん張れそうだった。
(これで最低限の備えは整った……)
そう思いながら店を出ようとしたとき――
ふと、カウンターの隅に置かれた飾り棚が視界の端に入った。
色褪せたコンパス、ひび割れた水晶、歯車の欠けた魔道具の部品たち――
それらは、雑然と置かれながらも、どこか過去の気配をまとっていた。
(……ああいうの、もし直せたら、何か役に立つのかもしれないな)
ぼんやりとした想いが胸をかすめる。
けれど、今は立ち止まっている暇はない。
リュークは小さく息を吐き、扉へと向かった。
ドアの取っ手を回し、ギギィ……と鈍い軋み音と共に木戸を押し開けると、眩しい光が差し込んできた。
その瞬間――
カウンターの奥。
埃をかぶったショーケースの曇ったガラスに、かすかに映り込む“影”。
それは、銀色の瞳を持つ――もうひとりのリューク。
無言のまま、確かに口を動かしていた。
まるで、背を向けた彼に、何かを訴えかけるように。
だが――その存在に気づく者は、誰もいなかった。
リューク自身さえ、まだ。
◆即席罠の作成:地下での対策
道具屋での買い物を終えたリュークは、ギルド近くの廃材置き場へと足を運んでいた。
地下水道では地形が限られるうえ、撤退経路も制限される。
ならば――事前に罠を仕込むことが、生き残る鍵となる。
「とりあえず、材料を集めるか」
地面を見回し、物音を立てぬよう廃材の山を丁寧に探っていく。
錆びた釘が引っかかるような感触を指先で感じながら、使える物資を一本ずつ選別していった。
集めた材料と用途
•ロープ(太さと張力あり):足元に設置して敵を絡め取るトラップ用
•針金(やや変形あり):即席スネアトラップの支柱やばね代わり
•木片と釘(棘付き、部分欠損):落とし穴の偽装板や、踏めば足を負傷させる足場用
•油の入った瓶(中身はぬめりのある濁油):通路に撒き、滑って転倒させる罠用
•小型爆竹(湿気に注意):起爆音で敵を陽動、音による誘導装置に使用
必要最低限の装備と罠の素材は揃った。
だが――戦場で役に立つかどうかは、これからの自分の工夫次第だった。
材料をひとつひとつポーチに収めながら、リュークは小さく息をついた。
「……これだけあれば、何かあった時に対応できるはずだ」
ロープを適当な長さに切り、錆びた針金と組み合わせてねじると、ギチ、ギギィッと軋む音が指先に伝わる。
即席のスネアトラップが一つ、形になった。
(草むらや水たまりの足元に仕掛ければ、足を絡めて動きを止められる……)
さらに、乾いた木片に曲がり気味の釘を**ガンッ、カンッ!**と石で打ち込んでいく。
棘を上向きにした「棘付きの足場」――不用意に踏めば、敵は確実に足を裂かれるはずだ。
「……これで踏み込めば、少しは足止めになる」
油瓶と爆竹は、誤爆しないように革布でくるみ、素早く取り出せるよう腰の側袋に固定する。
どれも頼りになる装備とは言い難いが――命を守るには十分な“牙”だった。
廃材置き場に立つリュークの影が、傾きかけた夕陽に長く伸びる。
(……地下の暗闇で、ただ受けに回れば負ける)
(こっちから、仕掛けてやる――)
リュークは最後のロープの結び目をしっかり締め、静かに深呼吸した。
「……よし。即席罠の準備、完了だ」
棘付きの足場を木陰に並べ終えたところで、横からふいに黒い影が近づいてくる。
シャドウファングだった。口に何かをくわえ、尻尾を左右に揺らしている。
「……なに食ってる……?」
リュークはやれやれといった調子で肩をすくめる。
よく見ると、それは潰れた果実の皮だった。
ファングはぺたんとその場に伏せ、皮だけを残してぺろりと舌を出す。
「お前はいいな……こんな時でも、どこか自由で」
苦笑しながらリュークが呟くと、シャドウファングはそっと鼻先をリュークの足元に寄せ、低く、**クルゥ……**と喉を鳴らした。
敵を倒すための罠。
慎重な計算と、即応性。
張り詰めていた思考の隙間に、その音が柔らかく染みこんでくる。
「……ありがとな」
リュークはぽんと、黒狼の頭に手を置いた。
夕暮れの空気に、ひと筋の風が通り抜ける。
いつしか背筋の緊張も和らぎ、肩の力が自然と抜けていた。
ほんの短い時間。
戦いの狭間に訪れた、ささやかな“静けさ”だった。
◆ポーションの購入:薬屋でのやりとり
道具を揃えた後、リュークが次に向かったのは薬屋だった。
地下水道のような環境では、ポーションが唯一の命綱となる。
何も持たずに挑むには、あまりに無謀すぎた。
「いらっしゃいませ。お探しのものは?」
店内には薬草と香油が混ざり合った独特の香りが漂い、
木製の棚には様々な色の薬瓶が整然と並んでいた。
カウンターの奥に立つ女性店員が、にこやかに声をかけてくる。
「回復ポーションをいくつか。それと……持続効果のある薬、ありますか?」
「はい、こちらが一般的な回復ポーション(Dランク)で、銀貨小10枚となっております。」
「持続効果をご希望でしたら、こちらの**体力増強薬(Dランク)**がおすすめです。価格は銀貨小15枚ですが……」
提示された値段を聞き、リュークは思わず眉をひそめた。
「……うっ、高いですね」
店員は穏やかに微笑みつつ、やんわりと背中を押すように言葉を添えた。
「でも、長時間の探索では役に立ちますよ? 持っているだけでも安心です」
(……確かに、あるに越したことはないけど……)
リュークはしばし逡巡したのち、結局、回復ポーション二本の購入にとどめた。
(ポーションは必須だし……これくらいの出費は、仕方ないか)
銀貨を差し出し、瓶を丁寧にポーチへ収める。
割れ物であるそれを扱う手つきには、自然と慎重さがにじんでいた。
(地下水道での探索は、簡単な仕事じゃない。……きっと、想像以上に過酷なものになる)
そんな直感が、ぼんやりと胸の奥に引っかかっていた。
◆情報収集:地下水道の噂
装備を整えたリュークは、その足で再びギルドへ戻った。
地下水道について、可能な限りの情報を集めるためだ。
ギルド奥に併設された酒場の一角――
古びた木の椅子とテーブルが雑然と並び、昼間からビールと煙草草のにおいが漂っている。
数人の冒険者たちが、汗まみれの装備のままグラスを傾けていた。
リュークはカウンター近くの席に腰を下ろし、隣でパンをかじっていたシャドウファングに小声で話しかけた。
「……人混みは、苦手か?」
ファングは鼻をひくつかせ、くすぐったそうに尻尾を一振りした。
その仕草に、リュークの表情がわずかにほぐれる。
「そうか……なら、ここは我慢だな」
小さく笑いながら、リュークは店内をぐるりと見渡す。
(さて……誰か、まともに話せそうな奴は――)
目を凝らして酒場を見渡していると、ビールを片手に椅子へ深く身を預ける中年の冒険者が目に留まった。
どこか落ち着いた雰囲気のその男に、リュークは歩み寄って声をかける。
「すみません。地下水道の依頼を受けたんですが……何か、知っていることはありますか?」
男は杯を置き、リュークをじろりと見てから、にやりと口の端を上げた。
「おお、見ねぇ顔だな。新人か? ……まあ、変な噂なら聞いてるぜ」
「変な噂?」
リュークが眉をひそめると、男は無造作に肩をすくめ、声を少しだけ落とす。
「最近、奥の方から妙な音がするって話があってな。」
「ギルドのやつらも何人か行ったが、戻ってきた時には顔色が真っ青だった。
誰もケガはしてねえ。けど……何かを見て、聞いたらしい」
「何を……?」
「さあな。闇の中を這いずる音だとか……
静かな水面に、赤い光が浮かぶとか――」
「……赤い、光……?」
リュークの中で、ぼんやりとした警戒心が広がっていく。
影獣のときに感じた、あの得体の知れない“不在の気配”が、頭をよぎる。
「それと――噂だけどな。地下水道には、昔封印された“隔離区域”があるらしい。
今は立入禁止だが、入り口の魔封刻印が最近、微かに光ってるって話もあるぜ」
「封印……?」
その言葉を聞いた瞬間、リュークの胸の奥にざらりとした違和感が走った。
声にもならない引っかかりが、心のどこかを鈍く叩いた。
(……何かが、引っかかる。重要な“断片”が、そこにある気がする)
やがて会話を終え、リュークは席を立とうとした。
その前に、ふと一度だけ、酒場全体を見渡す。
窓から差し込む光が、埃の舞う空気をほんのり金色に照らし出していた。
木のテーブルのざらついた感触、にぎやかな談笑、すれ違う誰かの足音――
どれも、確かにこの街で“生きている”音だった。
(……ここにも、それぞれの暮らしがあるんだな)
シャドウファングが静かに立ち上がり、リュークの横へ寄り添う。
その瞳には、無言の“同行の意思”が宿っていた。
「ありがとう。……助かりました」
リュークは深く頭を下げ、情報を胸に刻み込む。
静かに、そして確かに、決意が形を成す。
「この異変の正体がわかれば……きっと“次の扉”が開く気がする」
「よし――準備は整った。シャドウファング、行こう」
「グルル……」
黒狼は短く唸り声を上げ、リュークの後に続いた。
二人は肩を並べて、ゆっくりとギルドを後にする。
──それぞれの想いと、胸に残るざわめきを抱えながら。
次回:地下水道に蠢く魔物の第一撃
予告:静寂の下に潜む腐蝕の気配。第一の敵が姿を現す。
読んでいただき、本当にありがとうございます。
皆さまからのご感想や応援が、何よりの励みになっています。
もしよろしければ、「評価」や「感想」など、お気軽に残していただけると嬉しいです。
今後の執筆の大きな支えになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。




