第33話 依頼掲示板と揺れる選択
翌朝――。
リュークは宿の食堂で、簡素な朝食を済ませていた。
パンをちぎって口に運びながらも、思考は途切れることなく巡っている。
昨夜、スキルクリスタルを使って垣間見た“記憶の断片”――
だが、あれだけでは核心には到底たどり着けない。
(……まずは、金貨だ。スキルを開放するには、それが最優先)
椅子の背もたれにかけていた外套を羽織り、ゆっくりと立ち上がる。
背後では、シャドウファングが音もなくついてくる。
黒い影のように静かで、それでいて頼もしい存在。
朝の街道は、パン屋から漂う香ばしい匂いと、人々の活気ある声に満ちていた。
小さな露店の前を通りかかった時、串に刺さった干し肉にファングが鼻を寄せる。
「……ダメだぞ」
リュークは思わず微笑しながら、首元を軽く引く。
ファングは一つ鼻を鳴らし、素直に従った。
(……だいぶ、この街にも慣れてきたな)
黒狼の存在に、街の人々は一瞬だけ目を見張る。だが――
すぐに興味なさげに視線を逸らし、足早に通り過ぎていく。
さすがは交易都市ベルハイム。多種多様な魔物や異種族への免疫があるのだろう。
ギルドへ到着すると、すでに多くの冒険者たちが依頼掲示板の前に群がっていた。
軽く肩をすくめながら、リュークは人混みをかき分けて進み、掲示板に目を向ける。
【現在募集中の依頼】
① 盗賊団の残党討伐(推奨:中級冒険者以上)——金貨小5枚
② 街道沿いの魔物討伐(推奨:初級~中級冒険者)——銀貨大3枚
③ ベルハイム地下水道の異変調査(推奨:初級~中級冒険者)——金貨小1枚+追加報酬
(……さて、どれにする?)
①の盗賊団の残党討伐は、明らかに報酬が魅力的だ。
だが、掲示板の前には既に装備を整えた熟練者たちが集まっていた。
前回の討伐の続きだろうか。だとすれば、かなり危険な相手のはずだ。
(単独で挑むのは、分が悪いな)
②の街道沿いの魔物討伐は、報酬は控えめだが、比較的安全そうではある。
しかし、銀貨大3枚――金貨小1枚には届かない。
(それに、今の俺に本当に討伐できるか……?)
無意識に拳を握る。
指先に走るわずかな震えを、リュークは自分でも意外に思った。
そのまま掲示板から目を逸らし、小さく息を吐く。
③――ベルハイム地下水道の異変調査。
ギルドからの正式な依頼で、報酬は金貨小一枚。
さらに、状況次第で“追加報酬あり”と明記されている。
(地下水道……この感じ、妙に気になる)
張り紙に添えられた簡単な概要文。
“地下道の可解な現象の調査”
“原因不明”
“探索と初期対応のできる者、急募”――
情報が少なすぎる。けれど、その“不明瞭さ”が、逆に胸をざわつかせる。
リュークは目を細め、そっと呟いた。
「……これか」
掲示板を見つめるリュークの脇で、シャドウファングが低く唸った。
まるで「これにしろ」とでも言いたげに、尾をゆっくりと振っている。
「……わかったよ」
リュークは苦笑を漏らし、掲示板から目を離してカウンターへと向かった。
「地下水道の異変調査について、詳細を教えてもらえますか?」
受付の女性は、すぐににこやかに微笑んだ。
「ご依頼ありがとうございます。受付のエリナと申します」
流れるような所作で彼女は一枚の資料を取り出す。
その動きには熟練の気配があり、長くこの仕事に携わっていることが伝わる。
だが、その澄んだ瞳の奥に、ごく微かだが“影”のような緊張が見えた。
一拍の間の後、エリナは静かに説明を始める。
「……この依頼は、近ごろベルハイムの地下水道で発生している“不可解な現象”の調査任務です。具体的には、排水の滞り、異臭、水の濁り……そして――」
エリナの声が、わずかに低くなる。
「……最近、“何か”が動いているという目撃報告が、立て続けに寄せられています」
「何か?」
リュークが眉をひそめ、問い返す。
彼女の指が、手元の紙を無意識に強く握る。
わずかに紙がミシ、と音を立てるほどだった。
「はい……目撃者によって証言はまちまちですが、闇の中に光る眼、うごめく影、不気味な呻き声……中には“人影のようなものを見た”と語る者もいました。ただ……皆、一様に“それ以上近づけなかった”と……」
言葉尻が震え、エリナの声にほんのわずかに迷いが混じる。
「……すみません。私自身、この依頼の報告を聞くたびに、どうしようもない胸騒ぎがして……」
(影獣……あのときの気配に、どこか似てる)
リュークの胸に、かすかな既視感が走った。
「調査の目的は?」
「異変の原因を特定し、もし危険な存在が確認された場合には、無理に戦闘せず――即座に
撤退してください。あくまで“調査”です」
エリナはそう言って、わずかに眉を寄せる。
形式的な口調の裏に、純粋な“心配”の色がにじむ。
「……でも、どうか気をつけて。今回は、何かが違う気がするんです」
リュークはその言葉を受け止め、軽く頷いた。
エリナの視線は真っ直ぐで、表面だけの警告ではないことが、言葉の重みに滲んでいた。
(面白い依頼だ。しかも金貨に加えて、追加報酬付き……)
けれど、リュークの目が細くなる。
その理由は金ではない。
(……もしまた“影”なら、見過ごすわけにはいかない)
彼の中で、静かな覚悟が芽生え始めていた。
リュークは隣にいるシャドウファングを見やった。
「やってみるか?」
低く唸るようにして、シャドウファングは小さく頷く。
その仕草に、リュークの口元がわずかに緩んだ。
カウンターの向こうでは、エリナがその様子を見守っていた。
口元に微笑を浮かべてはいたが、その瞳にはまだ、消えきらない不安の色が残っていた。
「……なら、これを受けます」
リュークは静かに告げ、手を差し出す。
エリナは一瞬だけ躊躇するように依頼書を見つめ、それからそっと手渡した。
「では……調査の無事を祈っています」
その声は落ち着いていたが、どこか震えるような、切実な響きがあった。
ただの形式ではなく、“本当に”心配しているのが伝わる声音だった。
彼女の真剣な視線を受け止めながら、リュークは依頼書をしっかりと握り締める。
「必ず戻ります。……何かあれば、必ず報告しますから」
その言葉に、エリナはわずかに目を見開き――それから、安堵をにじませた微笑みを返した。
「……ありがとうございます。気をつけて、リュークさん」
彼女の声を背に、リュークは足音も静かにギルドを後にした。
次回:地下水道潜入前――備えと囁く影
予告:準備の狭間に、誰も気づかない“銀の目”が囁く。地下水道で待受けるものとは?
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