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第2話 恐怖と“生”の境界線(後編)

「っ……くそ……」


 布を引き裂き、即席の止血を施す。

 強く縛るたびに、ギリッと激痛が走った。


 荒い呼吸を整えながら、リュークは空を仰ぐ。

(これが……“死にかけた”ってことなのか)


 先ほどまでの興奮が、もう遠い過去のことのように感じられた。

 死の恐怖と、生き延びたという実感が、身体の奥で交錯している。


 それでも――全身はまだ、“戦いの余韻”から解き放たれてはいなかった。


 筋肉はこわばり、耳は周囲の微かな物音すら逃さず拾い、

 わずかな気配にもびくりと反応してしまう。


 喉が張り付き、唾を何度飲み込もうとしても、渇きは癒えない。

 そのとき、不意に思った。


(記憶はない。でも……この痛みだけは、まぎれもなく“本物”だ)


 過去は失われても、今この瞬間の“生”だけは、確かにここにある。


 それを証明するかのように、心臓はまだ激しくドクン、ドクンと脈打っていた。


「怖かった……死ぬと思った……」


 かすれた声が、唇の隙間から震えるようにこぼれた。

 胸の奥から込み上げる何かを押さえきれず、言葉にせずにはいられなかった。


 恐怖、悔しさ、助かったという安堵――それらが一度に込み上げ、


 声はいつしか、喉の奥で嗚咽おえつまじりになっていた。


 全身の力が抜け、リュークはその場にへたりと座り込む。


 膝に重さがのしかかり、背中が丸まり、身体が小さく縮こまる。

 意識はまだ、どこか“今ここ”に戻ってきていない。


 現実に引き戻してくれるのは、

 土に染み込んだ血の鉄臭さと、草の冷たい感触だけだった。


「……本当に、終わったんだよな……?」


 つぶやきは、風に紛れるように草の音にかき消された。

 けれど、その声には確かに“願い”と“確かめたい想い”が滲んでいた。

 冷たい汗が背中を伝い、喉はなおカラカラに渇いている。


 目の前の魔物の死骸が、ひどく静かに横たわっていた。

 ――ついさっきまで、自分を殺そうとしていた存在。


 それが、今はただ、冷たく沈黙している“物”に変わっている。


 恐怖、安堵、そして――奇妙な高揚感。

 さまざまな感情が、リュークの胸の内を交互にかき回していた。


 それらが波のように胸に押し寄せては引いていく中で、

 ほんのわずかに、けれど確かに――静かな“喜び”が、胸の奥から滲み出してきた。


 生きている。息をしている。心臓が動いている。


 たったそれだけの事実が、こんなにも温かいものだとは、思っていなかった。


 口元がわずかに動く。思わず笑いそうになって――けれど、すぐにこらえる。


 それでも、胸の奥からじんわりと広がってくるものがあった。

 自分は“生き残った”のだと、はっきりと実感する気持ちが、確かにそこにあった。


 その時、視界の端で、水たまりがきらりと光った。

 汗と血に塗れた顔を拭おうと、リュークはよろけるように歩み寄る。


 しゃがみ込み、水面に顔を映す。

 そこにいたのは、自分。


 だが――

 一瞬、その“リューク”の瞳が、銀色に揺らめいた。


 けれど、疲労と混乱に包まれた意識は、それに気づかない。

 水面に映っていたのは、見慣れた黒髪。


 そして、変わらず冷めた青の瞳。


「……ううん、気のせい、か?」


 そう呟き、リュークは水たまりから顔を上げた。


 ……その直後、水面の奥で“何か”が微かに揺れた。


 映っていたのは、確かにリュークの顔――

 だがその唇が、ほんの一瞬だけ、“笑って”いた。


 ……誰にも気づかれないまま、静かに、冷たく。


 風が一陣、廃墟の路地を吹き抜ける。


 リュークは、何も知らずにひと息ついた。。


 だが、何かが引っかかるような、落ち着かない違和感が残った。

 もう一度、水面を見返す。


 その瞬間だった。


 揺れる波紋の奥に――

 彼の肩のすぐ後ろ、“ありえない”影が映り込んでいた。

 黒く、しなやかに揺れる――獣の輪郭。


 空気を切る音も、気配もない。

 だが、その影は確かに、水面の向こうからじっとリュークを見つめていた。

 現実には存在しないはずの、“水鏡にのみ映る黒い異物”。


 その瞳と視線が交わった瞬間、リュークの心臓が跳ねる。


 水面に映る黒狼の瞳と、自分の瞳の色が、一瞬だけ同じ色に変わった気がした。

(……なぜだ。鼓動が……速くなる)


 影を見た瞬間、胸の奥から熱が駆け抜ける。

 それは恐怖の冷たさではなく、何かが目覚めようとする熱だった。


 黒狼は口をわずかに開いた――声は出ない。

 だが、それでも確かに「呼ばれた」感覚が残る。

 まるで、いつか必ず再び会うと告げられたように。


「……黒狼?」


 ぽつりと、無意識に声が漏れた。


 その言葉に呼応するように――

 脳裏に、白銀の髪を揺らす少女の姿が、フラッシュのように閃いた。

(なぜ……今、彼女が? 黒狼と……関係が?)


 自分でも、意味がわからなかった。

 だが、その影――“あの姿”には、確かに“記憶の底に引っかかる”何かがあった。


 リュークは息を呑み、バッと振り返る。


 ……だが、そこには誰もいない。

 ただ、風が草原を撫でていくだけだった。


 胸の奥が、ひやりと強張る。


 急いで、水面を見直す。

 ……だが今は、風に揺れる草と、自分自身の姿しか映っていない。


「……気のせい、じゃない……」


 かすれた声に、自分自身への不安が滲む。

 心の奥を、氷の爪のようなものがそっと掠めていった。


 けれど、痛みと疲労が、それ以上の思考を許さなかった。


 リュークは小さく息を吐き、ぎゅっと手のひらに力を込める。

 ピッ。ステータスを起動する。


 ________________________________________

【ステータス】

 名前:リューク

 レベル:——(表示なし)

 スキル:——(表示なし)

 ________________________________________


 ……変わらない。


【ステータス】は、相変わらず空白のままだ。

(……それでも、俺は“戦えた”。それだけは、確かにここにある)


 リュークは短剣を握り直した。

 グッ……と、柄が軋むほどに力を込める。


 この手で、命を守った。


 その時だった。

 視界の端で、ステータス欄の隅に――ほんの一瞬、“何か”が揺らめいた気がした。


(……今、何か……表示されていたか?)


 一瞬だけ現れ、すぐにかき消えた“記号”のような影。

 再度確認するが、画面は既に閉じていた。


 まるで最初から、そんな“追記”など存在しなかったかのように。


 静寂が戻る中、リュークはわずかに肩で息をついた。

 恐怖に震えながらも、確かに“生き残った”――その事実だけは、誰にも否定できない。


 ふと足元を見ると、自分の影が夕暮れの地面に細く伸びていた。

 ……だがその影は、ほんの一瞬、二つに分かれて揺れたように見えた。


(見間違い……か? いや――)


 胸の奥に、小さなざわめきが残る。

 まるで、自分の中で“何か”が、ゆっくりと目を覚まそうとしているような――そんな感覚。


 リュークは静かに息を吸い込んだ。

 風の音に紛れ、その吐息が夜気に溶けていく。


「……俺は、自分の存在が、“無かったことにされる”なんて、まっぴらだ」


 悔しさを押し殺すように、拳を握りしめる。

 記録されなくてもいい。スキルがなくても、レベルが上がらなくても……それでも――


「俺は、俺自身を知るために、進むんだ」


 その声には、怒りと、それを超えた静かな意志が滲んでいた。

 だが、胸に残ったもう一つの疑問が、彼の足を止める。


 あの“黒い影”。

 そして、それに重なるように閃いた――白銀の髪の少女の幻影。


(……なぜ、あの影と少女が重なった? あれは偶然じゃない。何かが繋がっている)


「この“偽りの世界”が、本当に構築された虚像だとしたら……俺が、その真実を暴く」


 鋭く細められた瞳に、確かな探求の光が灯る。


「この世界が偽りなら――真実を暴く」

「あの少女の記憶も、黒狼の意味も……全部俺が、この目で暴いてやる!」


 旅の目的は、ただ失われた過去を取り戻すという曖昧な願いから、

“世界の構造と少女の秘密を解き明かす”という明確な意思へと変わっていた。


 リュークは前を見据え、迷いのない足取りで一歩を踏み出す。


 ……そのときだった。


 ふいに、肌を撫でるような微かな“視線”を感じた。

(……誰かに“見られている”?)

 鼓動がひとつ、大きく跳ねる。


 思わず振り返る。

 だが、そこには――誰の姿もなかった。


 ただ、その感覚だけが、いつまでも胸の奥に残っていた。

 まるで、“記録されない存在”であるはずの自分の行動を――


 どこかで、密かに“観測されている”かのように。



 次回:ナレーション 裂けた夜と、始まりの記憶

 予告:過去は失われたのではない――最初から“存在しなかった”のだとしたら?

読んでくださり、本当にありがとうございます!

皆さまからいただく感想や応援が、この作品を前へ進めるエネルギーになっています。


質問です。

皆様は、

「リュークの“恐怖”と“静けさ”、あなたはどう感じましたか?」


「面白そう」「続きが気になる」と少しでも思っていただけましたら、ぜひ 「ブクマ」や「評価」 をポチッとしていただけると、とても嬉しいです!

感想は一言でも大歓迎です、それだけで物語の未来が大きく変わります。


これからも、さらに楽しんでいただけるよう力を尽くしますので、どうぞ応援よろしくお願いします!


今後の執筆の大きな支えになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。


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