第15話 黒き狼との出会い
リュークは村を出て、商業都市ベルハイムへと向かっていた。
道は森の中を抜ける一本道。昼間とはいえ木々が鬱蒼と生い茂り、奥からは獣の唸り声が低く響く。
「……このあたりは魔物が出るって聞いたな」
彼は慎重に周囲をうかがいながら歩を進めた。ベルハイムまでおよそ五日。途中にいくつか小集落はあるが、夜は森で過ごす覚悟がいる。
「襲われる前に、寝床を確保しておいたほうがいいな」
そう考えた矢先、背後で小枝を踏み割る音がした。
――パキッ。
リュークは反射的に身を翻し、短剣を抜く。
「……誰だ?」
木陰から姿を現したのは、一匹の黒い狼だった。
「……魔物か?」
狼はリュークをじっと見据えていた。
普通の獣なら人の気配を嫌って逃げるはずだ。
だがその目は、獣とは思えぬ冷たい知性を宿している。
背筋をなぞる戦慄に、思わず息が詰まった。
「まずい……」
短剣だけで勝ち目は薄い。リュークは一歩、二歩と後退しながら、逃げ道と使えそうな木を視線で探った。
(戦うなら地形を利用するしかない)
黒狼が低く唸った。その声に呼応するように、脇の茂みから二匹の小型獣が飛び出す。
「囲まれた……!」
牙を剥き出しにする二匹と、動かぬまま鋭い眼光で状況を見下ろす黒狼。まるで“観察者”のように、戦場の主導権を握っているのは明らかだった。
(こいつらは黒狼の従属か……それとも、それとも偶然か……)
心臓が速く脈打つ。恐怖に喉が乾きながらも、リュークは短剣を握る手に力を込めた。
「……試されてるのか、俺は」
どちらにせよ、三匹を同時に相手取るのは分が悪い。
リュークは瞬時に戦術を切り替え、近くの倒木へと駆けた。
「……まずは高所だ!」
飛び乗った倒木の上から、獣たちの動きを注視する。
黒狼は一歩も動かず、冷たい光を湛えた眼でリュークを見つめ続けていた。まるで「どう出るか」を見極めているかのように。
次の瞬間、小型の二匹が牙を剥いて跳びかかってくる。
「来い……!」
リュークは懐から閃光石を取り出し、ためらいなく地面に叩きつけた。
――パァンッ!
白光が炸裂し、森が一瞬昼のように照らされる。
怯んだ獣たちの動きが止まった。
「今だ!」
リュークは倒木から飛び降り、一匹の首筋へ短剣を突き立てる。
鋭い感触とともに、熱い血が手に弾けた。
「ギャウッ!」
断末魔の悲鳴。しかし、もう一匹がすぐさま反撃に回る。
爪がかすめ、リュークの腕に鋭い痛みが走った。
「くっ……!」
(今の一撃でも、これだけ痛い……次は致命傷だ)
呼吸が荒くなる。だが黒狼はなお動かず、ただ無言のままこちらを観察している。
その静けさがかえって不気味で、全身に冷たい汗がにじむ。
「……俺を、試してる……のか?」
短剣を握り直した瞬間、黒狼の目がかすかに光を帯びた。
その光は理性か、あるいは冷酷な判定か。
「グルルル……」
次の瞬間――黒狼が地を蹴った。
だが狙われたのはリュークではない。隣から襲いかかろうとした小型の獣だった。
「なっ……!」
鋭い牙が喉笛を噛み砕き、獣は一声もあげられずに崩れ落ちた。
処刑にも似た一撃。その血飛沫の向こうで、黒狼は振り返り、じっとリュークを射抜く。
(こいつ……俺の味方か?)
黒狼の瞳に浮かぶのは捕食の光ではなかった。冷徹な観察者の視線。
心臓が強く打ち、短剣を握る手が汗ばんでいく。
黒狼はゆっくりと歩み寄ってきた。
リュークは一歩も退かず、刃を構え直しながら息を整える。
(戦うか……? それとも……)
だが、黒狼は間合いの直前で立ち止まり、静かに腰を下ろした。
後ろ足を折り畳み、こちらを正面から見据えるその姿は――まるで「よくやった」とでも言わんばかりだった。
「……おいおい、本気かよ」
緊張の糸が一瞬緩み、リュークは短剣をわずかに下げる。
黒狼の体には無数の古傷が刻まれていた。荒い呼吸が胸を震わせ、すでに満身創痍なのが見て取れる。
「……お前、かなりやられてるな」
警戒を解かぬまま、リュークは慎重に距離を詰める。
ポーチから処置用の布を取り出し、膝をついて黒狼の前にしゃがみ込んだ。
「これで治る保証はないけど……暴れるなよ」
黒狼は唸り声ひとつあげず、ただその手を受け入れる。
その眼差しは、人間に限りなく近い理性の光を宿していた。
(……この目……知っている。どこかで……)
リュークの胸の奥に、記憶の影がかすかにざわめいた。
ふと脳裏をかすめたのは――あの草原で、水面に映った“自分ではない影”。
黒く揺れるもう一つの輪郭。
(……まさか、あれは――)
リュークの手が思わず止まる。しかし黒狼は微動だにせず、ただ静かに彼を見つめ返していた。
その眼差しは言葉を超え、どこか深い場所で繋がっているような錯覚さえ呼び起こす。
「……ついてくるつもりか?」
返事はない。ただ、黒狼は立ち上がり、当たり前のようにリュークの隣へと歩み寄る。
「……まあいい。敵じゃないなら、それで十分だ」
リュークはわずかに息を吐き、黒狼の傷に巻いた布を締め直した。
荒野に落ちた二つの影は、気づけば同じ方向へ伸びている。
風が草を渡り、影がふっと寄り添うように重なった――その瞬きほどの揺らぎが、妙に胸に引っかかった。
――夜。
焚き火のぱちりと弾ける音の向こうで、リュークは掌に小さな水晶をのせた。
村の祠で手に入れたスキルクリスタル。
青白い光は鼓動のように脈を打ち、触れる指先へ静かな震えを伝えてくる。
「……これを使えば、俺にも“力”が……」
呟きは炎にかき消される。
だが胸の奥には、抑えきれない不安と渇望が同居していた。
この世界では、経験を積めば誰もが“レベル”という形で強くなる。
けれど――自分にはその概念が存在しない。
(スキルクリスタルには、スキルを開放する力がある……そう聞いた。だが、“経験値を持
たない俺”に、それが通じるのか?)
焚き火の明かりが揺れる中、リュークは小さな水晶を掌に乗せた。
透き通る青白い輝きが、淡く指先を染める。
その光は不気味なほど静かで――まるで脈打つ心臓の鼓動のように見えた。
ぱち、ぱち、と火のはぜる音が耳を打つ。
熱気が頬を撫で、乾いた木の香りが漂う。
(……生きてる、のか?)
手の中の未知の力と、目の前で燃え続ける焚き火。
現実と非現実が、奇妙に隣り合っていた。
「……どうやって使う?」
リュークは結晶を凝視する。外見はただの宝石にしか見えない。仕掛けらしいものもない。
試しに指先で撫でる。冷たい感触が返るだけだった。
掌で転がしてみても変化はない。
「……なら、こうか?」
半ば冗談で軽く振ってみる。だが光は微動だにしない。
「……違うか」
今度は力いっぱい握りしめた。
指の隙間からかすかな光が漏れる。
しかしそれは儚く揺らめいただけで、すぐに消え去った。
「……今のは?」
もう一度力を込める。淡い輝きが確かに強まる。だが、それ以上は広がらない。
「……何かが足りない」
リュークは眉をひそめる。
魔道具のように魔力を注ぐべきなのか? だが、自分には魔法は扱えない。
(意識の問題……それとも、発動条件があるのか?)
試しに「開け」と念じながら握り込む。しかし結晶は沈黙したままだった。
「くそ……どうすれば――」
焦りが胸を焼き、指先に力が入りすぎる。
その刹那、深い場所から声が囁いた。
――受け入れろ。
「……受け入れろ?」
意味は分からない。だが、不思議と直感が告げていた。
力ずくではない。ただ、拒まずに“受け入れる”こと。
リュークは大きく息を吸い、心を静めた。
両手で水晶を包み込み、瞼を閉じる。
――次の瞬間。
【スキルクリスタルを使用しますか?】
無機質な文字が、闇の中に浮かび上がった。
リュークの呼吸が止まり、心臓が跳ねる。
「……使用する」
震える声で告げた言葉は、焚き火の揺らめきに吸い込まれていった。
次回:スキルクリスタルと共鳴の狼
予告: 黒狼と共に、失われた記憶が揺らぎ始める。
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