第9話 死闘、夜影獣――影を裂く一閃
夜の帳が村を覆い始めた頃、リュークは整えた装備を確認し、静かに村の外れへ向かった。
月明かりが淡く照らし、冷たい風が草木をサァ……と揺らしている。
(……そろそろ、現れる時間か)
魔法灯石を懐にしまい、銀のナイフを腰に下げる。
夜影獣は、通常の物理攻撃では倒せないかもしれない。
だが、魔法灯石の光があれば、影の正体を暴き、攻撃の隙を作れるはずだ。
放牧地に足を踏み入れると、辺りは異様な静寂に包まれていた。
まるで、世界そのものが凍りついたかのように——風すら、ぴたりと止まっている。
(……来る)
リュークは呼吸を整え、周囲に目を凝らした。
草むらが不自然に揺れる。
リュークは息を呑み、震える手で短剣を強く握った。
「落ち着け……やれる、はずだ」
草の擦れる音が近づいてくる。
リュークが目を凝らすと、黒い靄のような影が、闇の中からにじみ出るように現れた。
それはゆっくりと形を成し、四足の獣のような輪郭へと変貌していく。
夜影獣——月明かりを浴びてもなお、闇そのもののような異形の存在だった。
「……なるほど。やっぱりお前は、影そのものか」
その姿は、ただの魔物ではない。
まるで地面に落ちた“影”が、意志を持って立ち上がったかのような、不気味なまでの異質さ。
リュークの背筋に、ひやりと冷たい汗が伝う。
夜影獣は低くグルルル……と唸り、空気そのものを震わせるような咆哮をあげた。
――ズゥゥゥン……
その濁った響きが空気を満たした瞬間、周囲の音が――消えた。
風が止み、虫の声も消える。
耳に届くのは、リューク自身の荒い息づかいだけ。
(……異常だ。まるで、この世界そのものが息をひそめたようだ)
次の瞬間――
影がざわめき、ズルッ……と形を歪ませ、鋭く伸びた“爪”となってリュークへと襲いかかる。
「くっ!」
リュークは反射的に地を蹴り、横へと跳ねる。
草を巻き上げながら、間一髪で黒い斬撃をかわした。
だが、影獣の姿は変わらず沈黙し、まるで何事もなかったかのようにその場に佇んでいる。
痕跡ひとつ残さない。だが確かに、あの一撃は“存在する”攻撃だった。
(当たれば、即死だ……そういうことか)
ただの影ではない。
確実にこちらを殺すために存在している。
「……ふざけるな……!」
リュークは低く呟き、震える指で短剣を握り直した。
その時――
視界の端で“何か”が滑るように動くのを捉えた。
(……え?)
夜影獣だった。
だが、ただ走っているのではない。
――ズズズ……
影そのものが地を這い、空気を裂くような粘ついた音を残しながら滑っている。
それは跳躍でも疾走でもない。
黒い身体が、ぬるりと地面の影へと沈み込む。
次の瞬間――
周囲の暗がりから、ぬめるような質感を伴って姿を現す。
影が揺らぎ、ジュル……と湿った音を立てて蠢く。
その姿は、地面に染み込んだ黒が意思を持って滲み出てくるかのようだった。
(……影移動!?)
リュークは息を呑む。
物理法則など、そこには存在しない。
闇が“道”となり、夜影獣は自在にそこを渡る。
(どこにいる……?)
(……次はどこから!?)
気配が掴めない。
視線を向けた先には、何もいない。
だが、背中に冷たい視線が這う。
影が地面を舐めるように這い回る音が、耳の奥をえぐってくる。
音が、空間そのものを軋ませていた。
(……まずい。普通の相手じゃない……!)
呼吸が浅くなり。
血の気が引き、全身から体温が奪われていくようだった。
見えない“殺気”が、空間ごと圧し掛かってくる――そんな錯覚。
「……どこだ……」
かすれた声が、無意識に漏れた。
そのとき。
リュークの視界に映った夜影獣の動き――
それは、ただ“近づく”だけではなかった。
こちらの反応を見ながら、じわじわと距離を詰めてくる。
焦らすように、躱すように。
あからさまに“遊び”が混じっていた。
(……楽しんでいる?)
単なる本能ではない。
リュークは、背筋を凍らせた。
――こいつには、意志がある。
恐怖に喉が詰まり、背筋を冷気が這い上がる。
(このままでは、ジリ貧だ)
焦りと恐怖が入り混じる中、リュークは決意を固めた。
「なら……こっちから仕掛ける!」
腰のポーチへと手を伸ばし、魔法灯石を引き抜く。
「……試すしかない!」
闇を裂くように、リュークは光を掲げた。
パァァァッ!
金色の光が、闇夜を強引に押し退けるように辺りを照らす。
夜影獣の黒い身体が、その光に触れた瞬間、ぐにゃりと揺らいだ。
光に焼かれたような甲高い金切り声が、空気を裂くように響く。
「やっぱり……効く!」
確信を得たリュークは、灯石を突き出しながら恐怖を押し殺して一歩踏み込んだ。
(この光なら——いける!)
しかし、その希望は一瞬で打ち砕かれる。
光が迫ったその刹那――
夜影獣は素早く後退し、すぐ近くの木の影へ、液体のように滑り込んだ。
月明かりが作り出す濃い闇。
そこへ沈み込むようにして、その姿は輪郭ごと溶けていく。
(……光を避けた……そして、影に“溶けた”……!)
リュークは即座に警戒を強め、灯石を掲げ直す。
だが、木の影に沈んだ空間からは、ただ冷たく揺れる闇だけが返ってきた。
その無音の静けさが、逆に神経をじわじわと削り取る。
(……見えない、けど——動いている)
次の瞬間だった。
影が地を這い、湿ったような音もなく、リュークの背後へと回り込んでくる。
「くそっ!」
鋭い気配を察知し、リュークは身を屈めて回避。
ガシュッ!
致命傷は避けたものの、振り抜かれた爪が左腕かすめズバッと裂いた。
「っ……!」
ガリッという感触。
裂けた袖から、ジュワッと赤い血がにじみ出る。
冷たい夜気が傷口に入り込み、痛み以上に、ゾッとする悪寒が背筋を這い上がった。
「いてっ……クソ……」
(やはり……ただの闇じゃない。影そのものが“移動手段”になっている……!)
リュークは必死に地面を這う黒い影を追い、その動きを読み取る。
次の瞬間、足元からズルッ!と黒い触手のようなものが音もなく飛び出した。
「させるか!」
短剣を振り下ろす。
ズパッ!
だが、手応えはない。切り裂いたはずの影はジュワッ……と霧のように霧散し、実体を掴めなかった。
(影は……本当に“影”だ。けど——本体は必ずいる!)
その背後から、再び殺気が走る。夜影獣が跳びかかってくる。
「——来ると思った!」
リュークは灯石を握り直し、意識を込めて再び光を走らせた。
腰を落とし、振り抜くように短剣を横へ払った。
刃が灯石の光を弾き、その残光が夜影獣の目を一瞬だけ射抜く。
ギラリ——
(点灯、二度目。……残り一回)
光に怯んだのか、獣の動きがほんの僅かに遅れた。
(今の……効いた!)
迷わず、リュークはザッ!と地を蹴り、距離を取る。
呼吸は荒く、額からは汗がしたたり落ちていた。
「……また来るぞ」
低く呟きながら、再び灯石を掲げた。
光が届く範囲だけが、唯一の安全地帯だった。
影は音もなく地を這い、ズル……ズル……とじわじわ獲物を追い詰める。
ただ真っ直ぐに来るわけではない。
右へ、左へと揺れながら、リュークの足元や死角を狙うように、まるで駆け引きを楽しんでいるかのように影が蠢いていた。
(……単なる突進じゃない。奴も、狙いと間合いを測っている……!)
リュークの全神経が、極限まで研ぎ澄まされていく。
(……魔法灯石の光じゃ倒しきれない。けど……)
戦いの中で、彼はひとつの確信を得ていた。
光に照らされている間、夜影獣は影へ戻ることができない。
つまり——
(光を途切れさせなければ……
そして、意識を乗せれば、奴を影に逃がさず、仕留められる……!)
リュークは短剣を強く握り直し、緊張で乾いた喉を鳴らした。
(だったら……やるしかない!)
リュークは咄嗟に荒い息を整え、恐怖を押し殺し、投石を構えて一歩、だが確かな一歩を踏み出した。
「――やってやる!」
光にひるみ、一瞬動きを止めた夜影獣。
その刹那の硬直を、リュークは逃さなかった。
地面に手を伸ばし、鋭く欠けた石を掴む。
影の流れと動きを読み、次に動きそうな軌道を瞬時に予測する。
(……あそこだ!)
「行けっ!」
渾身の力で石を投げつけた。
石は夜空を弧を描き、ガキィッ!と乾いた破裂音を立てて闇の中で弾けた。
その音に、夜影獣の意識がピクリと逸れる。
頭がカクンと、石の飛んだ方へと振り向いた。
誘導――成功。
「今だ!」
リュークはためらわずに踏み込み、懐から銀のナイフを引き抜く。
刃は月明かりと灯石の光を受けて鈍く輝き、夜の闇をギラッと裂く。
「――はぁぁっ!!」
ズバッ! ゴリッ――!
刃が闇に潜む肉を斬り裂き、奥で何かが砕けるような手応えが腕に響く。
刃の芯がズンッと重く、刃の先に纏わりつく抵抗が、確かな命中を物語っていた。
「っ……重い……!」
銀の刃は、確かに夜影獣の影の肉体を裂いた。
だが、それだけでは終わらなかった。
「ギィィィ……!」
夜影獣は影をボシュッと弾けさせるようにして飛び退き、次の瞬間、反撃に転じる。
触手のように伸びた黒い腕が、ズズッ……シュルッ!と鞭のようにしなりながら襲いかかる。
「くっ……!」
リュークは咄嗟に身を低くしてかわし、すかさずナイフを振るって斬り返す。
だが、霧のような影は再び空を裂くだけで、確かな手応えは得られなかった。
それでも、リュークは怯まない。
歯を食いしばり、さらに意識を投石へと集中させる。
光の届く範囲、影の流れ、敵の輪郭――すべてを観測し、動きを“読む”
(……守るべき笑顔がある。倒れられない)
左手に掲げた灯石を一気に突き出し、強烈な光を夜影獣へと浴びせる。
「これでも食らえっ!」
パァァァン――!
眩い光が空間を焼き、夜影獣の身体がびくりと揺らぐ。
グワァァァ……ッ!
苦悶の声が闇の中から漏れた。
「逃がすか……!」
リュークは地面を蹴って横から跳び込み、間合いを一気に詰めた。
二撃目の刃を渾身の力で突き出す
――ズシュゥッ!!
刃が影の肉を裂き、黒い霧が爆ぜる。だが夜影獣は怯まず、唸り声と共に巨躯を振り上げ、殺到してくる。
その瞬間――胸元の首飾りが、灼けるような熱を帯びた。
――カン……カン……カン……
金属の奥から澄んだ衝撃音が鳴り響き、灯石の輝きと共鳴して弾ける。
(……これは……力が……流れ込んで……!?)
(俺の意識と同調している!)
光が一気に膨張し、視界の端に白い残光が奔る。
全身を駆け抜けるのは、これまで感じたことのない圧倒的な力の奔流。
筋肉が爆ぜるように躍動し、刃を握る手が勝手に軌道を描いていた。
(俺の動きじゃない……でも――確かに“俺だ”!)
脳裏に断片的な記憶と声が重なる。
「恐れるな。お前の、力を――解放しろ」
「……行ける!」
振り下ろされた夜影獣の爪。
だがリュークは恐怖を振り払い、光を纏った短剣でその一撃を受け流す。
ギィィンッ!
火花と共に闇の爪が弾かれる。
その反動を利用し、渾身の踏み込み――
「はああああッ!!」
ズバァァッ!! バギィィッ……ゴリリリッ!
光刃が夜を裂き、内部を抉る。
骨が砕けるような異音が響き、夜影獣の身体が激しく仰け反った。
黒い霧が爆ぜ、闇そのものが悲鳴を上げる――!
「ギィィィィィィアアアァァァァッ!!」
高く鋭い絶叫が闇を震わせる。
裂けた影の身体がガクン、ガクガク……!と痙攣し、四肢が暴れるように空を掻く。
空気がビリビリッと振動し、周囲の影が反応するように揺らめく。
やがて、黒い身体は煙のようにほどけ、ボシュウ……ッと音を立てて霧散していった。
息を整えながら、リュークは胸元の首飾りを握った。
光がそれを包み込み、ゆっくりと――まるで“飲み込む”ように、夜の空間に溶かしていく。
最後に残されたのは、ほんのわずかに揺らめく黒い残滓。
それすらも、風に流されるように跡形もなく消えていった。
リュークは肩で息をしながら、その場に立ち尽くした。
(……効いた。やったんだ……)
確かに、闇は“斬れた”。
「……終わった、か?」
まだ警戒は解かずに、ゆっくりと周囲に目を向ける。
だが、もう夜影獣の気配も姿も、どこにもなかった。
止まっていた風が、いつの間にか静かに吹き戻っている。
張り詰めていた空気が緩み、影も夜も――いつもの穏やかな夜景へと戻っていた。
(倒した……のか……?)
その時、胸元で揺れるくすんだ金属片の首飾りが、コトリと小さく震えた。
まるで生きているかのように淡い光を脈打ち、先ほどまで感じていた“何か”と同じ波長を刻む。
(今の……共鳴? まさか、あれが――メモリーバンク……?)
(名も知らぬその言葉……、なぜこの瞬間に力を貸したのか?)
確かめたい衝動が胸を満たすが、答えは夜風の中に溶け、静かに遠ざかっていった。
だが、その安堵とは別に、胸の奥に妙なざらつきが残る。
「……死骸が、残らない……?」
通常の魔物であれば、少なくとも血や肉片、骨のような痕跡が残るはず。
だが、ここには――何もない。
まるで“存在そのもの”が消滅したかのような、異常。
(……あれは、本当にただの“魔物”だったのか?)
リュークは、まだ手に持ったままの魔法灯石をゆっくりと見下ろす。
表面には微かな細かいひびが入り、淡い光がその隙間から滲み出ていた。
それでも――まだ、壊れてはいなかった。
そのかすかな温もりだけが、戦いが現実だったことを証明している。
そして同時に、それが終わりではなく、始まりの火であることも。
この戦いが終わりではなく、むしろ“始まり”に過ぎなかったことを――
彼は、まだ知らなかった。
次回: 村長の語る“封印の石”と“影喰らい”の伝承
予告:消えたはずの影が残したもの。灰のように風に溶けたそれは、次なる“扉”の鍵
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質問です。
【もし、あなたがリュークなら?】
・銀のナイフ
・魔法灯石
・消臭草と隠密行動
リュークは準備を整えて夜影獣に挑みますか?
「面白そう」「続きが気になる」と少しでも思っていただけましたら、ぜひ 「ブクマ」や「評価」 をポチッとしていただけると、とても嬉しいです!
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これからも、さらに楽しんでいただけるよう力を尽くしますので、どうぞ応援よろしくお願いします!




