第0話 目覚めの地――封印の残響(本編開始)
冷たい石の感触が、頬にじんわりと染み込む。
ざらついた硬さが皮膚を打ち、鈍い痛みがじわりと広がった――その刹那、空間が震えひずみが発生した。
ピキ……ッ。
空気が軋む。髪の毛が逆立つような“ひずみ”が、肌の上を這う。
何かが、見えないままに世界を巻き戻していく。
――カチ、カチ……
時間を逆再生するように、崩れた瓦礫が浮き上がり、元の形を取り戻す。
まるでこの世界が、誰かの手によって『操作』されているかのように
だが、それも一瞬。重力に従い、再び崩れ落ちた。
その中心に、彼はいた。
重く沈んだまぶたが、ゆっくりと――音もなく開かれる。
「……ここは……?」
ぼやけた暗闇の中、石畳の下から淡く光る“紋様”が浮かび上がる。
焼け焦げたような跡と、褪せた魔方陣の輪郭。
まるで、何かを封じていた封印の抜け殻のようだった。
そのとき――耳元で、誰かの囁きが過った。
「目覚めたか、リューク……」
意識がぐらりと揺れる。
空気が波打ち、世界の“縁”がひずんだような感覚が走る。
それは単なる声ではなかった。
存在の深部を揺さぶるような何かが、彼の名を呼んだのだ。
「……誰だ……?」
リュークは反射的に目を見開き、周囲を見回す。
だが、そこには誰もいない。
ただ、胸の奥で――冷たいざわめきが蠢いていた。
体は重く、鉛のように動かない。
崩れかけた天井が、揺らめきながら視界の端をかすめる。
頭の奥には、鈍く粘るような痛みが残る。
思い出そうとするが――記憶が、まるごと抜け落ちていた。
ひび割れた建物。乾いた土の匂い。
石畳の上に倒れている、自分の身体。
見覚えがあるようで、どこか異質なその光景。
だが、それ以上に恐ろしかったのは――
自分自身が“何者か”を思い出せないことだった。
その瞬間、不意に――
視界が焼き尽くされる。
燃え盛る影。
砕けた記憶の断片。
耳をつんざく叫びと、世界が裏返るような激痛――!
紅蓮の炎が、記憶の奥底で“何か”を照らす。
その残響の中、リュークの脳裏に一瞬だけ、白銀の髪の少女が、崩れゆく神殿で祈る姿が閃いた。
(……ッ! これは……何だ……?)
しかしその光景は、一瞬でかき消えた。
焼け焦げたような違和感だけが、胸の奥に焼きついて残る。
次の瞬間――
耳の奥で、古びた旋律が響いた。
それはまるで、
**封印を解く“儀式の合図”**のようだった。
どこか遠く、忘却の淵から響いてくる――不完全な祈りの旋律。
触れた瞬間に消えたその音は、だが確かに、リュークという存在を呼び起こしていた。
(……今のは、何だった……?)
意味は分からない。だが、ただの幻覚ではなかった。
“見てはならないもの”を覗いたような、背筋が粟立つ感覚。
次の瞬間、リュークは静かに問いを漏らす。
(……俺は、誰だ?)
記憶は霧の中。
だが――その“問いかけ”自体が、何かを揺り動かした。
「名前……俺の、名前は……」
無意識に、口が動く。
その瞬間――
バチバチッ……!
耳の奥で、ノイズが弾けた。
警告のような電子音とともに、“何かのシステム”が作動する気配。
「リューク……?」
自分の口からこぼれたその名に、空間がわずかに波打つ。
同時に、首元にかすかな重みを感じた。
リュークは視線を落とす。
そこにあったのは、風化した金属片の首飾り。
光の角度で、淡く“記録文様”が浮かび上がる。
見た瞬間――頭の奥に、閃光のような疼きが走った。
(……知っている……これは、知ってる!)
意味も用途も分からない。
けれど確かに、“それは自分の一部だった”と――直感で理解できた。
脳髄を貫く、言語化できない衝撃。
だが、それは紛れもなく――過去の断片だった。
(名前は、わかった……でも、それだけか?)
焦りが、胸の奥で弾ける。
けれど、そこから先は霧の奥――手が届かない。
(俺は――誰なんだ?
それとも、“俺”など最初から存在していなかったのか?)
空虚な問い。
だが、その答えはきっと――この世界そのものに刻まれている。
リュークは静かに瓦礫へと手をついた。
その動作ひとつすら、**封印された力の“始動”**を予感させる。
膝がわずかに震える。
(……怖い)
けれど、それは“弱さ”ではない。
未知なる自分の力への恐れ。
そして――これから始まる運命の奔流を、本能が察していた。
そのとき――視界の端で、何かが閃いた。
かすかな光。
それは、過去の断片が埋もれたような場所から漏れていた。
「……これ、は……?」
足元の瓦礫の隙間に、不自然な輝き。
リュークは、迷いなく手を伸ばす。
そこにあったのは――小さな、手鏡だった。
割れた鏡面は、ひび割れた“もうひとつの世界”を映し出すように歪んでいた。
その中に、見知らぬ少年の顔が揺らめく。
冷たい印象を湛えた青い瞳。
墨が滲んだような黒髪――だが、その中に、
ひと房だけ、異質な“銀”が光っていた。
月光を閉じ込めたかのような、淡い輝き。
それは、まるでこの世界に属さない色だった。
見知らぬ顔。
だが――鏡越しに目が合った瞬間、リュークは確信する。
(……俺だ)
そう、“思い知らされた”。
そっと鏡を握る。
その瞬間、鏡面が微かに震えた。
ほんの一瞬、背後の風景が――“違う世界”にすり替わったように感じた。
燃え盛る都市。
崩れゆく塔。
空から降りそそぐ、歪んだ光。
(……今のは……?)
すぐに景色は元に戻る。
けれどリュークの胸には、奇妙な既視感と、ぞわりと這い上がる焦燥だけが残った。
(俺は……ここで、何をしていた?)
答えのない問いを胸に、彼はふらつきながら歩き出す。
見渡す限り、人の気配はない。
朽ちた井戸。崩れ落ちた塔。
あらゆるものが、静寂の底に沈んでいる。
「……誰も、いないのか」
ぽつりと漏れた声は、空気に吸い込まれて消える。
だが、その刹那――
リュークの背に、ひやりと冷たいものが走った。
(……もし今、何かに襲われたら――
誰にも知られず、死ぬだけだ)
その“孤独の現実”が、鋭く胸を刺す。
彼は無意識に周囲を見回した。
その中に、なぜか懐かしさに似た何かがあった。
まるで――ここが、かつて自分がいた場所だったような感覚。
同時に、記憶の底から浮かび上がってくる。
炎。悲鳴。剣戟の音。
赤黒く染まった断片。
(……故郷……?)
だが、確信は持てない。
ただ――
**この地が「過去とつながっている」**という予感だけが、彼を突き動かしていた。
ふと、リュークの視線が、足元の石畳に留まる。
泥の中に――新しい足跡。
(……誰かが、いた?)
乾ききっていない、最近つけられた痕跡。
リュークの中に、鋭い緊張が走る。
風の音が、草を揺らす“足音”に聞こえた。
――ザッ……ザッ……
彼は即座に反応し、崩れかけた家の中へ身を滑らせる。
湿った空気。
崩れた壁。朽ちた家具。
静寂の中に、微かな気配が混じっていた。
そして――彼の目を引いたのは――
一枚の紙だった。
埃を払い、拾い上げる。
かすれた紙の質感。だが、その表面に刻まれた文が、まるで心臓を撃つように彼の胸を突いた。
――『世界は、すべて偽りである』
その瞬間、紙が“ざっ……”と微かに光を帯びて震えた気がした。
リュークは息を止める。
ただの言葉ではない。
その一文は、胸の奥に奇妙な引っかかりを残していた。
意味はわからない。だが――
脳の奥が、“これは重大な情報だ”と直感で叫んでいた。
気づけば、リュークは村の外れに立っていた。
目の前には、どこまでも広がる草原。
金色の穂が風に揺れ、空には雲が流れている。
穏やかな風景――
だがその美しささえ、どこか**「作り物」**のように見えた。
その時だった。
――【個人ステータスを認識しました】――
突如、視界の中央に文字が浮かぶ。
空間が“揺らいだ”ような感覚。
明らかに、自然な現象ではない。
「……え?」
リュークが目を凝らすと、次々に文字が現れていく。
【ステータス】
名前:リューク
レベル:——(表示なし)
スキル:——(表示なし)
「レベル……?」
思わず声が漏れる。
その表示以上に、彼の心を捉えたのは――
この“画面”が、世界の論理とは異なる仕組みで動いているという、
言葉にできない違和感だった。
(経験値が……ない?)
普通であれば、必ず存在するはずの“経験値”の欄。
だが、そこには何もなかった。
(まさか……この世界には“経験値”の概念が存在しない?
いや――俺だけ、なのか……?)
困惑と不安が胸を交錯する中、目に入ったのは――
【スキル——(表示なし)】
無機質な表示。
リュークは、言葉を失った。
だが――次の瞬間。
胸の奥に、小さな違和感が芽生える。
(……それでも、“見えている”)
視界の端。
風に揺れる草の向こうで、
奇妙な粒子がふわりと浮かんだ。
虹色に見えたかと思えば、すぐに変化する。
波打つように、形も色も一定しない。
(あれは……魔力じゃない。
もっと根源的な、“世界の基盤”そのもの……)
直感が、警鐘を鳴らしていた。
リュークは、ふたたびステータス画面に目を向ける。
その瞬間――
画面の中央が、じわりと揺れた。
【不明データを検出しました】
ノイズ混じりの文字が滲み、空気の温度が急激に下がったような錯覚に襲われる。
ステータス画面の奥から、“何か”がにじむように重なってくる。
まるで、世界の裏側に隠された設計図が漏れ出してくるように――。
そこに現れたのは、見たこともない構造式。
無数の数列、記号、繰り返される計算パターン。
それは魔法ではない。“計算された痕跡”だった。
(これは……何だ……?)
(いや――もっと、深層的な……)
その時、脳の奥で鋭い閃光が走る。
痛みと共に、“記憶の断片”が暴走するように浮かび上がった。
――漆黒の部屋。
宙に浮かぶホログラムの波紋。
空間を埋め尽くす数式と構造式を、誰かの指がなぞっていく。
「世界の設計図は、“見る者”にしか現れない――」
その声が、脳内に直接響いた。
視界がぐにゃりと歪み、耳鳴りが世界を切り裂く。
「……リューク」
名前を呼ぶ声。
脳の奥に叩き込まれるような、硬質な響き。
「この世界の真理に触れし……ザー……君は、ザー……選ばれし……ザー……」
(なに……? 音が……歪んで、聞き取れない……!)
言葉が崩れ、意味がにじむ。
その中で、ふと――“映像”が走った。
穏やかな光が、空間を包んでいた。
それは――祈りの空間。荘厳な神殿。
無数の魔法陣が空中に浮かび、光の文様がゆるやかに流れている。
その中心に、白銀の髪の少女がひとり、祈りを捧げていた。
閉じられた瞳。
揺れるステンドグラスの影が頬をかすめる。
その姿は、美しさと儚さを兼ね備えていた。
時の流れさえ凍りついたような、神聖な沈黙――
(……誰だ、この少女は……?)
(妖精? いや、それとも……)
触れた記憶はない。だが、その佇まい。祈りの息遣い。
孤独と絶望の波動が、胸に痛いほど染み込んでくる。
――ザッ……チリ……チリチリッ……!
視界にノイズが混じり、空間が軋み始める。
少女の唇が、かすかに動いた。
その声が、空間の歪みと共に届いてくる。
『……誰か、わた……の祈りに、応えて……ザー……もう、限界……な、の……』
声には、切迫した焦りと、諦めに近い絶望が滲んでいた。
魔法陣がひび割れ、神殿が**ドンッ……!**と揺れた。
――だが、その直前に。
少女が、静かにリュークを振り返った。
閉じられていたはずの瞳が――まっすぐに彼を射抜く。
『リュー……ク……リューク……私、覚えてる……あなたの……メモリ…バ…ン…』
ノイズ混じりで断片的な声。
だが――自分の名を呼ぶ、その声だけは確かだった。
次の瞬間、世界が白一色に塗り潰される。
音も、色も、重力さえも、すべてが――一瞬で“リセット”された。
(今のは……記憶? それとも、未来の――映像?)
ざらついた違和感が、胸の奥に残る。
けれど、最後に聞こえた“あの声”だけは、耳の奥深くに焼きついていた。
(メモリ……バ……なんだったんだ、今のは?)
意味は分からない。けれど、その響きが、脳の奥を激しくかき乱す。
(――あれは、幻なんかじゃない。あの少女は……俺の記憶の、奥深くに――)
突然、ステータス画面が音もなく消えた。
同時に、風が止む。
時間が、空間が、“静止”した。
焼けつくような閃光が、リュークの脳裏を突き抜ける。
それは――この世界の“構造”を、一瞬だけ垣間見た感覚だった。
(この世界は、俺を拒んでいる。
……でも、同時に――何かを訴えようとしている)
その時だった。
耳の奥に、微かな旋律が流れ込んでくる。
懐かしくて、どこか切なくて――
名もなき“祈り”のような、音の断片。
風が、ひとすじ吹き抜けた刹那。
――声が届いた。
『リューク……はやく……来て……私……ルミ……』
切なげで、今にも消え入りそうな声。
だがその響きは、確かに――“彼を知っている誰か”の声だった。
リュークは反射的に振り返る。
……誰もいない。
それでも、あの声は確かだった。
彼は、ゆっくりと拳を握る。
「……わかった。始めよう。全てを思い出すために」
崩れた封印の奥から、冷たい風が頬をかすめる。
それは、どこかへ導くかのように――。
リュークは迷いを断ち切るように、一歩を踏み出した。
あの声の主と、この場所の真実を――必ず突き止めるために。
そしてその先に、忘れてはならない“何か”が待っていることを、なぜか強く確信していた。
その時。
誰かが、どこかで、リュークの“選択”を確かに見届けていた。
世界の余白に、誰にも観測されない情報層が走る。
『――ようこそ、リューク』
彼はまだ、その意味も存在も知らない。
だが、それは確かに、世界の裏側にいる“何か”からの――歓迎の言葉だった。
次回: 恐怖と“生”の境界線(前編)
予告: 影が迫る。逃げるか、戦うか――その選択。
少年は、“初めての命の選択”を迫られる。
読んでいただき、本当にありがとうございます!
読者の皆さまの評価や応援の言葉が、何よりの力になります。
質問です。
皆様は、
「“ステータスに何も表示されない”――あなたがリュークの立場だったら、どうしますか?」
もしよろしければ、「ブクマ」、「評価」や「感想」など、お気軽に残していただけると嬉しいです。
今後の執筆の大きな支えになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
今後も更新を続けていきますので、引き続きどうぞよろしくお願いします!