蒲郡
蒲郡の海は平和です。三河湾の奥にあるのだから。風だって強くないし、波も穏やか。海藻がとぼけたサルガッソーの様に波打ち際でゆらゆらと群れている。そんな海―――海鳥は集団で水面に浮いている。ゆるやかな、小さな、でも絶え間のない波、波、さざ波が、こいつらの長い首を、くちばしを、上に下に、右に左にと曲線的にゆすっている。ゆりかごの上にいるようじゃないか。ほら、連中も至極気持ちがよさそうだ。―――空にはトンビ。羽を広げたままで悠々と。時折尾羽を動かして、方向を変えたり速度を変えたり気分を変えたり‥‥‥気分は関係ないか。しかしやはり気分良さそうに飛んでいる。(決して蝶々のように舞ってはいないのだ)翼はそのまま、全く羽ばたかせることもなく、次第に大きくなって行く円を描きながら、トンビは段々高く、高く飛んで行く。高く、高く高く、そして小さくなって行く―――小さくなって、点になって、トンビは消えてしまったけれど、トンビの影を飲み込んでしまった青い空は、所々にのどかな雲を浮かばせながら、こっくり、こっくりと、うたた寝なんぞを、しているようだ。―――海の向こう正面には渥美半島がぼんやり、右手の方には西浦がくっきり、背後は山か。ああ、ここはいいところだ。磯の香りも強すぎないし、山の高さもほどほどだし、ここではカラスだって愛想が良さそうに見える。―――うん、ここはいいところだ。砂浜にはびっしりと打ち上げられた多くの貝殻、この貝殻群が時間の流れを停止させているようなんだ。静けさの中で潮騒のみが単調に響き、動きのない風景が妙にはっきりした輪郭を見せている。ひたすら繰り返される昼と夜、夜と昼、化石の暖かみかね。そう、各瞬間は微妙に滑り、歪み、その流れは円環を成している。―――そしてまた帰って来た、今度は沢山のトンビ、大きな安らぎ。ゆったりとした螺旋、おおらかな気分。空気の中を漂う翼、勝手気ままな連想、思考。この広い世界全体に自分の存在を膨らませ、そうやって自分の存在を薄めよう。どんどん広げて拡散させて、自分というものを消し去ってしまおう。そう!このよそよそしい自然の中にすっぽりと浸かり込んでクスクスと忍び笑いをしてやろう。トンビが助けてくれるさ。あのトンビ達が、あの螺旋連中が、あの翼の群れが、助けてくれるさ。
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学校の帰り道、日曜日にお兄ちゃんとお姉ちゃんと三人で行った叔母さんちのことを思い出して、まったりとした気分になった。その日は朝早く、お兄ちゃんの運転するオンボロ空冷ビートルで出発して、日帰りで行ってきたんだ。叔母さんが僕に会ったことがないから是非顔を見せに来なということで。でも着いて直ぐに水族館やら貝のテーマパークやらに行っちゃった。僕は初めてだったけど、お兄ちゃんとお姉ちゃんは何回目かだったらしい。そこで僕とお兄ちゃんはたっぷり楽しんではしゃいでいた。ただお姉ちゃんだけは、前に何度か来たからもう飽きたなんて澄ましていたっけ。その後、三人で叔母さんちに行って無事僕の顔見世を済ませた。その後徹夜明けだったお兄ちゃんはそのまま爆睡、お姉ちゃんは昔からある有名なホテルでお茶して来るとかで(きっとその前に海沿いのレストランで海鮮三昧だったんだろう)出かけてしまったから、叔母さんから散々ちやほやされた後、僕は一人で砂浜を散歩したんだ。いい天気でもう潮干狩りも終わってたからとても静かで、絵に描いたような散歩日和。あんまりこういうところに来ることがないから本当にのんびりできた。散歩の後には温泉にも入ったしね。ゆったりして来ました。