第一話
私の名前はサクラ。
都内の大学に通いながら、ミュージシャンを目指してる二十歳の学生。
実家は長野で、今は都内で一人暮らし中。
全部ちゃんと言えるし覚えてるのに……。
どうしてだろう?
気が付いたら、そんな常識のまったく通じない場所にいた。
『夢見心地と思いきや…』
ある日目覚めたら、私はまったく知らない場所にいた。
マンションでもホテルでもない、ていうか多分日本でもないところ。
見たことない部屋の布団で、突然目を覚ました。
視界一面真っ白で、吃驚して飛び起きる。起き上がってみると、周りが真っ白く感じたのは、向こう側が透けて見える紗の布が、カーテンのように垂れ下がっていたからだった。
身に覚えのない景色に驚き、慌てて布を開けたらそこもまた見覚えのない部屋。だだっ広い板張りの部屋のど真ん中に、布団だけ敷いて寝かされていたらしい。
「……は? 何これ?」
つい零れた呟きは、当然のものだと思う。
戸惑う視界の端で何かが動いたのを感じてそちらを見ると、何処からか現れた数人の女達が頭を下げたまま、楚々とした足取りで近寄ってきた。
鮮やかな色の服は着物っぽいが少し違って、結い上げた髪も黒茶金と色とりどり。
呆然とする私に近寄ってきた女達は、何も言わずに布団の側に跪き、深く頭を垂れる。
訳が判らないまま女達を見下ろして、もう一度周囲を見回して気付いたのは、この風景が最近チラッと見た、中国とか韓国の時代劇に似ていることだった。
確か、見たのは楊貴妃だったと思う。
あれは何処の国の話だっけ……?
どうでもいいことを考えて首を傾げていると、一番手前の女がこっそり顔を上げた。不安そうに私を見上げて、目でどうしたのか問うている。
「なんでもない…」
つい言うと、女はホッとしたように頬を緩め、再び頭を下げた。
その瞬間閃く。
そっか………きっとこれ夢だ。
テレビに影響されて、そういう夢を見ているのだ。
だから中華風なのに、茶髪や金髪がいて、日本語が通じる。
いい加減な私が見る、いい加減な夢。
ホッとして、夢ならいっそ楽しむか……と、思ったのも束の間。
……一日を終えて眠っても、目覚めるのはいつも同じ場所だった。しかも頬をつねったら痛いし、寒暖まで感じる。
酷くリアルな現状が、夢じゃないと信じるのに何日かかったかもう覚えて無いけど、促されるまま、ヒラヒラの服を毎日着せられるのにももう慣れて……。
いつしか私は、この世界を<現実>として受け入れざるを得なくなった。
<サクラ>としての記憶は確かにあっても、ここには私が知っている常識と共通するものは何もない。日本語が通じるのに、それ以外は文化や地名すら私が知っているものはなく、誰に何を言っても首を傾げられるばかり。
そうなってくると、自分の方がおかしい気すらして……結局、反論する度奇異の目で見られるのに疲れた私は、周りが言う現実を、現実として受け入れた。
ここは<天の都>。
私は<日継の神子>。
………らしい。
日本に住んで二十年。天の都なんて地名知らないし、日継の神子も聞いたことない。だからやっぱりここは日本……むしろ地球ですらない世界なんだと思う。
知らない世界での救いは、衣食住の文化が元の世界に近いことだった。
服も着物っぽいし、畳や障子もあって、何より御飯は箸で食べる。建物は詳しくないから判らないけど、映画で見た昔の中国とかの家屋に似ている気がした。
更に、私に与えられた<日継の神子>というものが、この世界に唯一無二の有り難い存在だったということも幸いだった。
神子さまにはたくさんの召使がいて、訳が判らなくても言葉一つでなんでもしてもらえたから。
……最初は夢だと思ってたから、のんきにお姫様気分でかしずかれてたんだけどね。
まあ、夢じゃないと判っても狼狽えたのは初めだけ。言葉が通じることと、元の世界に近い文化のおかげで、別世界の生活にも割とあっさり馴染んでしまった。
だって、こうなっちゃったものはしょうがないじゃない?
慌てたってどうにもならないんだからさ。
……なんて、大問題を生来の呑気さで軽く片付けていた私が、本気で後悔したのは数日前。
ここでの生活にもそこそこ馴染んで、ふと<日継の神子>がなんなのか疑問を持った。
世界にとって唯一無二の有り難い存在ってどういう意味?
問い掛けた相手は、凄い不審そうにしながらも、私の役目を教えてくれたっけ。
あの時は凹んだな……いや、今もそのこと考えると憂鬱な溜め息しか出ないんだけど。
そのくらい大変な役目だった、日継の神子は。
私みたいな小市民にはかなり荷が重くて、ぶっちゃけ投げ出したい。しかし、逃げ出したところで、こんな訳の判らない世界で一人で生き抜く自信もなく。しょうがなから、私は今もここにいる。
いつか、何かのきっかけで、私の知ってる<現実>へ戻れるのではないか、という小さな希望を胸に、毎日を送っていた。
神子さまの毎日は酷く穏やかで、朝起こされて、人に手伝ってもらって着替えて、贅沢な御飯を食べて、この世界の娯楽を楽しんで、昼食を挟んでまた遊んで、日が暮れたらお風呂に入って、御飯を食べて寝る。
単純にいえば食っちゃ寝の生活だった。
働かなくていいのは楽だけど、タダで養われるのはなんだか心が痛む。いや、タダじゃないのか……この生活の代償が日継の神子としての重大な選択なんだから。
はぁ……と大きく溜め息をついて、朝からずっといじっていたギターに似た楽器の弦を弾く。
<雅連>という名のこの世界の楽器は、ほろんと澄んだ綺麗な音を立てた。
何か暇潰しが欲しくてギターの外見を説明したら、持って来られたのがこれ……一応外見は似てたけど、やっぱり私が求めてるものじゃなかった。
ギターに似た、ギターじゃない楽器。
本物のギターが弾きたいな……。
思いながら、抱えた雅連で自分が作曲した曲を弾いてみたが、楽器が違うから思ったとおりの旋律にならない。つまらなくて、すぐに投げ出した。
そして、ぐるりと周囲を見渡す。
今いる部屋はだだっ広い板張りの間で、私のいる場所だけが一段高く作られている。板の間であることを除けば、よく時代劇で将軍様なんかが人と会う時使っている部屋に似ていた。
今は外廊下に通じる障子が開け放されていて、綺麗に整えられた庭が良く見える。だが、庭に興味は全くないから、自然目が行くのは、光をふんだんに取り入れた部屋の隅、座布団も無しで正座したまま侍る召使にだった。
人払いをしても、彼女だけは特別と私が認めた初めての側近。
私のどんな望みもかなえられるように、常にそばにいる彼女の頭髪は、在りし日の人と同じ、目の覚めるような真紫だった。
上京して間もない頃、せっかく都会に来たんだから夢への決意も兼ねてイメチェンしようと、彼女は紫に、私はオレンジに髪を染め替えた。
お互いのド派手な髪色に訳もなく胸が高鳴り、直後、美容院代に青くなったのはそう昔のことではないのに……。
視線が合って、こちらを窺うように小首を傾げる仕草までも記憶の中のものと同一なのに、決定的に違う彼女を見ると、一層憂鬱さが増した。
溜め息の代わりに、声に出して呼ぶ。
「マコ」
「はい」
即座に、彼女から返答があった。
<マコ>と呼べば返事をするこの子は、私が元いた世界で一緒にバンドを組んでいた仲間と同じ名前、同じ姿の、……知らない女だった。
私の知っているマコは、小学校から一緒の幼馴染み。
ずっと一緒に育った私達は、やがて同じ大志を抱き、進学を口実に共に上京して、夢に向かって必死に頑張っていた。
幼馴染みで、仲間で、親友で……楽しいことも悲しいことも共有し合った<マコ>。
そこに座っているのは、どう見たってそのマコなんだけど、でも私の知ってるマコじゃなかった。
この世界の、私の知ってるマコにそっくりな、他人。
顔も声も仕草まで全部<マコ>なのに、私の仲間の<マコ>じゃない。
初めて会った時そりゃ吃驚したけど、それよりもずっと嬉しかった。一人で混乱するしかなかった世界に知り合いがいたんだから。
……でも彼女は私を知らなかった。
否、知ってはいた。でも、この子が知っている私は<サクラ>じゃなくて、<日継の神子>。
だから突然私に名前を呼ばれて目玉が飛び出る程驚いた顔をしたマコは、慌てて土下座して、意味もなく謝ったんだ。
ショックだったよ。
友達に呼び掛けて謝られたんだもん。
やっと見つけた、私の知ってる現実の証しが無残に砕け散る思いがして、あの時この世界に来て初めて泣いたっけ……。
泣いてもどうしようもないと気楽に考えようとしていた思いのタガが外れて、無様に泣きじゃくった。
マコはそんな私を見てもオロオロするばかりで、私が欲しい言葉は何一つ掛けてくれなかったけど……、以後私はマコを側近としてそばに置いている。
マコから恭しくされるのがどんなに気持ち悪くても、他人行儀な態度にどんなに傷ついても、見知ったマコがそばにいれば、それだけで遠くなってしまった日々を近く思えるから……。
忘れられない<現実>を、でも決して受け入れられない<現実>を、この子の顔を見て毎日思い出してる。
このマコは知らない、私とマコの思い出。
私とあんたは一緒に暮らしてたこともあったんだよ?
ねぇマコ?
心で呼び掛けても、マコには聞こえない。
彼女は名前を呼んだだけで黙り込んだ私を、困ったようにただ見つめ続けていた。
含みのない真摯な視線がチクリと胸を刺す。
無言の見つめ合いを近付いてくる衣擦れの音が乱して、私もマコも開け広げられた廊下の方へ顔を向けた。もう見慣れた、着物のようなドレスのような服を着た侍女が、作法なのだろう何度もお辞儀をしながら近寄ってくる。
「神子さま、夏風さまがお越しになられました、お支度くださいませ」
「え……」
嫌だと思ったのが思わず顔に出る。
……正直余り会いたくない人だった。
しかし、あからさまに嫌な顔をしても、私の気持ちなどお構いなしに、何処からかいっぱい侍女が現れて廊下へ向けて花道を作った。
「さあ神子さま」
彼が来たと告げに来た侍女が、ニッコリ笑って促す。
渋々立ち上がって、案内されるまま着替えの間へ移動した。部屋に入った途端、あれよあれよという間に、侍女達の手で着てるものを脱がされてしまう。
最初は恥ずかしかったけど、……もう慣れた。別に全部脱がされる訳じゃないし、何より神子さまの衣装は、一人で着ろといわれても絶対着られない、ややこしい服ばかりなんだから。
今日もまた帯を解かれ、あっという間に腰巻き一枚にされる。すーっと冷たい風が股間を撫でて身震いした。
そういや、最初から腰巻きだったから誰にも聞けなかったけど、この世界にはパンツないの?
マコってどうしてるんだろう……今度聞いてみようかな?
なんて私が考えてる間も、侍女達は手を休めることなく、脱がせた服の代わりをどんどん着せていく。
この世界の服は、襟を併せて帯を締めるのが和服に似てるけど、腰から下は床までドレスのようにゆったり広がっている。
正直最初は、腰まきとスカートだけの頼りなさに違和感が拭えなかった。この服装の利点は、足下が全部隠れてるから、足捌きが楽で、がさつに歩いてもばれないことくらいだ。
やがて肋骨が折れるんじゃないかと思うくらいきつく帯を絞められて、上に振り袖に似たペラペラの上衣を羽織って完成。
さーっと潮が引くように侍女が離れてから、鏡に映った自分の姿を見て、はぁ……と溜め息が漏れた。
この世界の服は、基本的に男女ともに同じような造りのようだが、やはり女の人の方が色や装飾が派手だった。
私が今着せられているのはうすーい桃色の地に
、金糸銀糸で細かく様々な模様の入った着物。羽織った上衣は紗の振り袖で、下へいく程緑が濃いグラデーションを描いていた。袖の下や裾の深緑部分には、金糸と宝石で鳥と植物が縫い取られている。
少しでも動くと、キラッキラのそれらが光を乱反射して更に眩しく光り輝く。
毎度綺麗だなぁとは思う。……が、平凡な日本人顔の私は、これが自分に相応しい装いとは思えなかった。
だから拒んでみたよ、最初は。
でも、もっと地味にして欲しいと頼むと周りはみんな変な顔して、それでも駄々を捏ね続けると、花のようだとか、まさに天女です、神子さまは美しい、とか鳥肌の立つような言葉を連発し始める。
嫌、おだてられても困るし……。
私が嫌がる理由はここじゃ誰にも通じないんだろう。だから抵抗するのはもうやめた。
日継の神子を受け入れたんだからこれも受け入れなきゃ……とは思ったものの、やっぱり割り切れないものがある。
見られたくないんだよね、あの人達には…。
溜め息をつきながら次は三面鏡の前に座って、髪結いとお化粧。
これがすんだらいよいよご対面か……。
ああ……。
溜め息が止まらない理由。
それはもちろん会いに来た人の所為だ。
神子に会いに来た、夏風さま。
夏風さまとは<夏風王>のこと。
王と名乗っていても、実際は天の都を統べる一族の王子のことらしい。
都を統べる王家の方々、ね。
判っていてもまだ納得出来ない。
<夏風王>、名前はジン。
ジンだよ、ジン!?
こんな偶然てあると思う!!
……って、叫びたくなったのは、ジンくんもまた私のバンドメンバーだったからだ。
ジンくんはマコが見つけてきたドラマーで、私達より三つ年上。ちょっと優男風の、笑顔が優しい人だった。
バンド内で意見の衝突や揉め事があった時、感情的にならず客観的な目線で意見をくれる、お父さん的立ち位置の頼れるお兄さんのジンくん。
間違いなく夏風王の姿はジンくんそのもので、……でもやっぱりマコと同じ、全部一緒なのに私を知らない、私の知らないジンくんだった。
最初会った時は吃驚したよ。だってまんまジンくんなのに、王さまって呼ばれてて、ステージ衣装でも着たことのない服装だったんだもん。
鎧を着て、背中にズルズルのマント、腰に剣、金糸銀糸の絹の服……まるで中国映画に出てくる剣士のような出で立ち。
なのに金髪で、顔はジンくん。
ぶっちゃけ笑ったよ、初対面で。
もちろんジンくんて呼んだ。
……おかげでお供の人に思いっきり怒られた。
神子さまといえども王家の方々の名をみだりに口にしてはなりません、て。
でも怒られてる私を見たジンくんは良く知ってる人のいい笑顔で言ったんだ。
『神子さまに名前を覚えていただけているとは光栄です』
だって。
……………マコの時と同じショックで、寒い科白に鳥肌が立つ暇もなかった。
名前も顔も同じなのに、この人も私を知らない。
哀しくて哀しくて、胸が痛くて……今度は涙も出なかった。
ジンくんなのに、私は知ってるのに……貴方は私を知らない。
この世界に<私>が<サクラ>だと証明するものはやはり何もない。
改めて知らされたことが辛くて、三人目に会った時はもう、そういう感覚も麻痺してた。
三人目に出会ったのはうちのバンドのリーダー、タマキ。
夏風王の後やってきた<冬月王>が、タマキにそっくりだった。
……けど、彼の顔を見て驚きはしても、期待はしてなかった。
予想が裏切られることはなく。
タマキもやっぱり私なんか知らなかった。
人の気も知らないで、淡々と堅苦しい挨拶だけして帰っていったリーダーに裏切りを感じるのは勝手だろうか?
リーダーの癖に!
私のこと歌姫だって言ってたくせにっ……タマキのバカ!!
……ていうか、仲間の顔忘れるなんてお前達全員、最低だ!!
ここまできたら、まだ現れてない最後の一人がどんな役回りで登場するのか、いっそ気になるくらいだ。
まあ出会ったところで、アイツも私を覚えてないんだろうけどね。
フッと鼻で笑ったのと同時に、侍女からお支度整いましたと声が掛かって、ゆっくり目を開いた。
読んで頂きありがとうございました。
主人公のミュージシャン志望は、頭髪変な色のための設定なので、この先活きる可能性はありません。
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