6 絶対に回収できる投資
旅の商人が、崩れ落ちた店の片づけを手伝おうと、地面に山積みになった天幕の布に手を掛けたその時だった。
「んんー」
あのしわがれ声が天幕の下から響いてくる。商人ははっとして、力いっぱい布を引き上げ、めくった。インディだった。泥とほこりでぐちゃぐちゃになった髪と、薄汚れた顔で、ぽかんと彼を見上げる。傍らに、お互いを庇うように寄り添っている灰色の布の塊も見えた。バージだ。
「きみ、無事だったのか!」
「無事に決まってるだろ」
呆れたように腰に手を当てて、いつの間にやら商人の隣に立っていた老婆は片眉を釣り上げた。
「インディ、<赤>はよしとくれよ。あんまり何度もやられると、こっちも赤字になっちまう」
「ごめ……ごめん、なさい」
「ホントはこっちの酒場も石造りの店でやりたいんだ。石窯を使えりゃ、出せるメニューが段違いだからね。でも、お前さんのこのクセのせいで、建て直しが簡単な物件しか選べないんじゃないか、困った子だね」
がれきの向こうから、常連らしい客が怒鳴る。
「おい、おばば! インディちゃんを責めてやるなよ! インディちゃんの<赤>を見た次の日は最高にゲンがいいんだ。明日の賭場で一山当てたら、半分やるからさあ」
「おう、俺もだぜ! その代わり、舞台に近い席、確保してくれよな」
数人が口々に言って、どっと笑う。
「あんたらのチンケな賭け事の勝ちじゃ、どうせたかが知れてるよ!」
言い返す老婆も、どこか楽し気に高揚した表情だった。
のんきな、と眉をひそめたところで、はっと商人は気が付いた。
「バージは? 梁や柱が当たっていなくても、早く医者に見せないと、毒が」
「あんた、ホントに何にも知らないんだねえ」
老婆はインディの手をひっつかんで力任せに天幕布の下から引っ張り出しながら、商人に向かって肩越しに憐れむような視線を投げた。
「おら、バージ! いつまでもそんなところで寝てるんじゃないよ!」
次に、うずくまって丸まったままの少年の傍らに立った老婆は、さっき黒服の男を蹴りつけたのとさほど変わらない勢いで、重そうな革の長靴のつま先をその脇腹あたりに叩きこんだ。
強烈な一撃に、うーん、と少年がうめく。さほど苦しそうではないその声と表情に、商人は面食らった。
「ミツアナグマは、牛も殺せる程の毒をもつ蛇に噛まれたときでさえ、一時間も眠ってりゃ解毒しちまうのさ。ミツアナグマの加護持ちのこいつに毒の錐を叩きこんだところで、ほんの数分の足止めにしかなりゃしない。目が醒めれば、三倍の凶暴さで襲い掛かってくるんだ。あの人さらいどもは、インディの<赤>で命拾いしたようなもんさ。さすがのバージも、自警団にしょっ引かれた後の奴らに手を出してお叱言を食らうのは嫌だから、我慢するしかないからね」
あたしは、店が壊れるより、バージがあいつらだけ始末してくれた方が手っ取り早かったけど、と肩をすくめる老婆に、インディがほおを不満げにふくらませて文句を言った。
「ばーじ、けんか、だめ。つよいこが、いじわる、よくない」
老婆は顎を軽くしゃくった。
「ほら、インディ。そう思うんなら、さっさとバージをねぐらに連れて行きな。獲物を目の前でかっさらわれて、不機嫌になるだろうからさ。ぷんすかしてるバージじゃ、片付けの手伝いにもなりゃしないよ」
「そうする」
老婆が無理矢理引きずり起こしたものの、まだ少々ぐんにゃりして足元のおぼつかない少年にぴったり寄り添って、やせた娘は、ゆっくりした足取りで帰っていった。
「いやはや」
インディを見送って、商人は軽いため息をついた。辺境のスケールは、全てが彼の想像の斜め上を行く。
「ところで、商人のお兄さん。ミツオシエとミツアナグマのことは、知ってるかい」
「蜂の巣のありかを教える野鳥と、その鳥に従って蜂を恐れずその巣を壊し、蜜を取る凶暴なアナグマがいるという話は聞いたことがあります。加護を与える精霊がいるというのは知りませんでしたが」
「まさにその通りさ。だが、実際の鳥と違って、ミツオシエの精霊がもたらすのは、蜂蜜の場所じゃない。精霊たちのもたらす霊力のありかだ。ミツオシエの精霊を守って、地脈から霊力を引き出す手伝いをするのがミツアナグマの精霊ってわけさ」
老婆は彼を見上げてにいっと口角を上げた。
「うちの歌姫が、ここ以外では歌わない訳がわかっただろ。ミツオシエの加護持ちとミツアナグマの加護持ちは、このあたりの精霊信仰の、言ってみりゃ聖女様と護衛騎士なんだ。土地の霊力を自在に引き出し、歌と踊りを通じて、その場に来た客に祝いとしてまきちらすのさ。店の場所は、霊脈が地表に出るところをちゃんと選んだんだよ。青は癒す力、赤は荒ぶる力」
急に饒舌に、噛んで含めるような説明を始めた老婆に、商人は戸惑いつつうなずいた。
「この二人は絶対に別れないし、二人ともがこの土地にいなきゃ意味がない。どこにも行くつもりはない。そしてこの二人がいるかぎり、うちの酒場は二軒とも、客には困らないってわけだ。料理の味だって、こんな田舎にしちゃ、ちょっとしたもんだったろ」
老婆は一旦言葉を切って、黄ばんだ歯をむきだすようにしてひゃっひゃと笑った。この笑顔が、この老婆の最大限のお愛想らしかった。
「そこで相談なんだが、絶対に回収できる投資をうちの店にしてみないかい。なに、当面の建て直しの資金が、さっきの迷惑料じゃ、ちょっとばかり足りなくてね……」
転んでもただでは起きないとはこういうことを言うのだろう。だが、この店やあの二人と、この先もう少しばかり関りがあっても面白いかもしれない。
商人は、融通できる金額を腹の底で勘定しながら、それを気取られないように微笑んだ。
「商売の話でしたら、お互いに納得できる結論をじっくり探させていただきましょう。私にできるお手伝いなら、何なりと」
完結まで、物語にお付き合いくださってありがとうございました!
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