4 ミツアナグマの戦い
突然店に入ってきた男たちの、明らかに堅気ではない身のこなしに、旅の商人も勘定台の老婆もぱっと身を屈め、様子をうかがった。
だが、その男たちの行動は、ありがちな強盗や、みかじめ料をゆすりとろうというごろつきとは一線を画していた。その証拠に、強盗なら真っ先に狙うはずの勘定台や、その後ろの、ガッチリと大きく二人がかりでも持ち上げるのに苦労しそうな金庫には目もくれていない。
「あそこだ」
舞台で恐怖に身をこわばらせているインディに目をとめ、先頭で入ってきた男が顎をしゃくった。
男たちはさっと陣形を展開させた。
一人が入ってきたばかりの出入り口を、もう一人が目ざとく厨房への出入口を見つけて押さえた。大部屋にひしめき合っていた客は、なすすべもなく天幕に身を寄せたり机のかげに隠れたりして、成り行きを見守っている。
残りの三人が舞台に向かって突進したその瞬間だった。
音もなく動いた灰色の影が、舞台と男たちの間に割り込んでいた。間合いを取ってぴたりと静止したその姿は、だぶだぶの外套を羽織ったままの少年、バージだった。
「おじさんたちもインディに用があるの? ファンなら、大人しく舞台が終わるまで待って、花束を持ってくるのが礼儀だろ」
二番目に入ってきた黒服の男が、首領格らしかった。彼はバージを見下ろして言った。
「あいにく、私らは別にその子のファンじゃないんだ。さるお方が、彼女を御所望でね。大事な商品だから傷ひとつつけずに持ってこいとのご用命なんだ。こっちだって、手荒なことをしたいわけじゃない。大人しく渡せば、ほら、この通りだ。花束なんかよりよほど役に立つだろう」
その男は薄い唇を酷薄な笑みにゆがめると、懐から重そうな金袋を取り出し、傍らのテーブルにこれ見よがしにどさりと置いて見せた。この近辺のなまりがない、中央風のなめらかな発音。王都の金持ちに雇われた人さらいだ、と、旅の商人は直感した。それも、かなりの荒事をくぐってきた、腕自慢の連中だろう。
「出て行きな」
商人の隠れているのと同じテーブルの陰から、だみ声を張り上げたのは、勘定台の老婆だった。
「うちの歌姫は売りもんじゃない。いくら金を積もうったって、腕っぷしにまかせようったって、この街の眼鏡に適わなきゃ、ここでは何一つ手に入らないよ」
「ふん。口先だけでも活きがいいのはババアとガキだけか。ろくな用心棒もいないようだな。こんなんで、ベンとトムがしくじったなんて信じらんねえ。あいつら、駄賃泥棒だろ」
黒服の手下の一人が嘲るように言ったが、首領は首を横に振った。
「そのガキには気を付けろ。臆病風にとっちらかされたらしいベンはともかく、表で寝転がされていたトムも、それなりの遣い手だぞ。こいつ、見た目通りとは限らん」
黒服の首領は鼻を鳴らすと、二人の手下に合図した。
「娘だけ連れて来い」
ごちゃごちゃした机と椅子のせいで、いっぺんに飛び掛かるのは難しいと判断したのだろう、二人のうち一人がバージに向かって歩を進めた。
「ケガしたくなかったらどいてな」
ナイフを構えてそう叫んだのは、情けのつもりだったのか、面倒を省きたかったのか。いずれにせよ、首領格の忠告を完全に無視した楽観的な踏み込みだった。
次の瞬間、バージの灰色の外套がひるがえった。黒っぽい影がわずかに赤い残像を残し、一瞬ひらめく。
「インディに手を出すなって、言ってるだろ」
にいっと笑って、バージが言う。その闇色に近い瞳には、呻き声を上げながら左目を押さえて肩を丸め、悶絶する黒服の手下の姿が映っていた。鮮血が指の間からあふれだしている。
「邪魔」
バージは、残りの男たちに油断なく視線を送りながら、苦しむ男の脇腹に肩で強烈な一撃を食らわした。痛みでおぼつかなかった足元はひとたまりもなく、男はあばらの一、二本、折れていてもおかしくない鈍く濁った音とともに吹っ飛ぶ。彼の身体はそのまま椅子をなぎ倒し、机を押しのけるようにして転がった。舞台に向かってきていたもう一人の男が、勢いよく押し寄せるそれらに進路をふさがれて、たまらず二歩ほど下がる。
「短刀遣いか」
土間に転がった男の頬に、目とは別に深く鋭い傷があるのを見て、残った黒服の男たちの顔色が変わった。
だが、少し離れたところから観察していた旅の商人は見逃していなかった。一瞬ひらめかせただけで、また外套の陰に隠れてしまったが、少年の獲物は短刀などではない。攻撃の瞬間、ランプの光を払うようにわずかに赤く光ったそれは、ありえないほどに長く伸びた――彼の爪。
バージのこめかみの上あたりについた小さな獣の耳が敏捷に髪の陰で動いて、店の出入り口と厨房への出入口を固めた二人の動きにも反応している。あれは、通常の位置についているヒトの耳とは異なる、常人には聴き取れない音や気配を聴き取る「加護の耳」だ。精霊の加護を受けた者にのみ許された、特殊な聴覚を司る器官。あの不思議な光からして、爪もまた、精霊の加護の賜物だろう。
「あの子も、加護持ち……?」
「ミツアナグマの加護持ちさ。バージを怒らせたら死ぬよ」
つっけんどんに老婆は言う。
ミツアナグマ。蜂蜜を好物とするためその名前がついたが、実際はもっと凶暴な食性をもつ小型の肉食獣だと、商人も聞き及んでいた。この地域に足を踏み入れてからというもの、どの町の情報屋でも、町と町を結ぶ荒野の街道で出くわしたら、十分距離をとって、決して近づいてはならないと忠告された獰猛な生き物だ。小柄でずんぐりとした、どこか愛嬌のある見た目とは裏腹に、動くものは、昆虫でも蛇でも、それどころか自分よりよほど大きい肉食の獣でも、食らいついて引き倒し、餌にしようとする習性があるのだという。ミツオシエと共同で、毒性も攻撃性も強くクマでさえ敬遠する蜂の巣もためらわず襲うのが、この種だったはずだ。
このあたりは王都よりもよほど、精霊の加護が強い土地なのだ、と、旅の商人は改めて突きつけられたような気がした。旧教の信者が未だに減らないのもうなずける。精霊の加護と言えば、王都ではものの例えかおとぎ話だと思われる。だが、ここでは、それが日常生活なのだ。
「次はどいつ? ぶち倒される覚悟があるならかかってきなよ」
へらっと薄笑みを浮かべて、バージは挑発した。
首領格は、手下どもにちらっと視線を投げた。厨房側の出入口を押さえていた男がかすかにうなずいた。
「減らず口はその辺にしておくんだな」
首領と、バージのすぐそばにいた男は、首領自身のその声を合図に一斉に動いた。バージを両側から挟み撃ちにしようと、机をかわしながら突進する。その瞬間、厨房側にいた男が舞台に走った。
バージはさっと身をかがめた。低い位置から、突進してきた手下の男の懐に飛び込む。男はその動きを見逃さず、ダガーを構えた。
「ちょこまかしやがって」
しかし、バージの腹を狙った男のダガーは空を切った。懐に飛び込みながらひらりと身を反転させたバージは、狙いを外したダガーが外套の生地を引っかけるのにも構わず、男のみぞおちに狙いすました肘打ちを食らわせた。間髪入れず、膝で思い切り股間を蹴り上げる。よろけた男の足を払いつつ、背広の袖を思い切り引く。そのままバージは無様にバランスを崩した手下の身体を受け流し、己の背後から突進してきていた首領格の男に、思い切りその背を押してぶつけた。
「クソガキが!」
どしゃぁっと音を立てて、手下の男が床に転げる。なぎ倒された机から落ちた麦酒のグラスが割れる鋭い音も混ざった。
間一髪、手下をかわした首領格は、肩で息をしながらバージをにらみつけた。
「てめえ、汚い戦い方しやがって」
「それはお門違いでしょ。ここは闘技場でも何でもない、ただの平和を愛する酒場だし、あんたらは招かれざる客だ。おばばに、出て行けって言われたの聞こえなかったの」
バージは片眉を吊り上げて、肩をすくめた。
「やめ、て!」
舞台から、しわがれた声が響いたのはその時だった。
厨房側の出入り口にいた男が舞台に飛び乗って、逃げ惑うインディの腕を捉えたのだ。