寒くなると口うるさい私の革ジャン
「おやつは買わないよっ」
冬の新作スイーツ、キャラメルホワイトチョコプリンパフェを手にとろうとした瞬間、着ていた革ジャンにそう言われた。
あー、きたきた。
ってあたしが思っていると、革ジャンはおっさんくさい声で言う。
「だめだめ、今日はおやつは買いませんっ」
なにを、子ども連れのオカンみたいなことを。
それに買うのはあんたじゃなくて、あたしだ。
今日は絶対これ買って帰るって、会社にいた時から決めてたんだもん。
あたしは気にせずカップを手にとったけど、革ジャンは続けた。
「おとといもそれ買ったでしょうっ、理不尽なクレーム電話あったからって!」
そうだけど、なにか。
「その前も買ったよね、月曜日死ぬほど忙しかったからって!」
まー、よく覚えてること。
あたしはしれっとカップスイーツをひとつレジに持っていく。
革ジャンはやいやい騒いでいたけど、知ったこっちゃない。
買うものはそれだけ、スプーンはなし、袋もなし。
カップが安定するようにそっとバッグの中に入れると、ありがとうございましたあってファミマの店員が言った。
外に出ると風が冷たくて、あたしはぶるっと震える。
……あ、そうそう。ご存知ない方のために説明すると、さっきからしゃべってるのはあたしが今着てるキャメルブラウンの革ジャン。
アンティークっぽいいぶし銀のボタンがついてて、皮が柔らかくて手触りがよくて、秋に古着屋で買ったお気に入りなんだけど、よくしゃべるのが難点というかうっとうしいというか。
しかも言うことがいちいち説教くさいし。
ちなみに今巻いてるラビットファーのスヌードも、よくしゃべる。
……えっ、なんでしゃべるんだって?
そんなこと、あたしの方が聞きたいわ。
◇◇◇
キャラメルホワイトチョコプリンパフェはこの冬のお気に入りで、コンビニスイーツでは久々のヒットだ。
カップスイーツにありがちな、下三分の一くらいがスポンジとかがなくて、プリンが丸ごとひとつ入ってる。そしてそのプリンの存在が完全に見えなくなるくらい、どっさりの生クリームで覆ってあって、その上にはパリパリのホワイトチョコ。
さらにほろ苦いキャラメルソースがかかってて、このソースを生クリームと一緒に食べると、あーもう、今日も色々あったけど、とりあえずどうでもいいかなあ、って気持ちになる。
甘いけどちゃんと苦いキャラメルソースって、なかなかないよね。
「この時間帯におなかがすくのは、お昼ごはんが足りてないんだよっ。かっこつけて少ししか食べないからでしょっ!」
あたしがコンビニを出てからも革ジャンはぐちぐち言ってたけど、コンビニ商品は入れ替わりが早いから、あるうちに買っておかないとすぐなくなる。
「買うなって言ってるんじゃなくてねえ、頻度がねえ」
「べつに、いいじゃなーい?」
オネエ言葉で割り込んだのはラビットファーのスヌードだ。
この子も、革ジャンを買ったのと同じ店舗で買った。
「女の子にはさぁ、甘いものって絶対に必要なのよー。まっ、元・羊のおっさんにはわかんないでしょうけどー?」
「元ってなんだい。今も羊だよ」
「羊ってのは、毛がモコモコはえてるのを言うの! あんたは今ただのつるっぱげ!」
「つるっぱげ……」
口で言い負かされた革ジャンが一瞬詰まる様子を見せたけど、やつはすぐに本来の目的を思い出したらしくて、話をもとに戻してきた。
「とにかくね、お腹が空いてるならご飯を食べなさい。おやつじゃなくて、ご飯を」
「あんたマジでわかってないわー。ないわー。甘いものって心の栄養なのよ?」
「心の栄養補給はおやつ以外で!」
うーわ、出たよ。出た出た。
相変わらずこいつは言われたくないヤなこと言うなあって思っていると、革ジャンは続けた。
「この子はもともと運動の習慣もないし! 夜にしょっちゅう甘いもの食べたら明らかに脂肪にかわるでしょうっ」
明らかに脂肪って言うな。
あたしが言い返すより先にスヌードが言い返す。
「女の子はぁー。ちょっとふっくらしててもいいんですう」
待て。ちょっとふっくらって言うな。
えっ、てかあたし、実は太った? やだやだやだ。
彼氏ができるあてもないのに太るとか、地獄か。
あたしは急ぎ足でアパートへの道を歩いた。早足のほうがカロリー消費にいいらしいし、それに、 いくらこいつらの声が他の人には聞こえないとはいえ、聞こえてるあたしはうっとうしくて仕方ないからね。
あたしが黙々と歩いている間も、革ジャンとスヌードは延々言いあってた。
ストレスで食べるのはエネルギーじゃなくて脂肪になるんだとか、そのひと口が我慢できないならその先も我慢できないんだとか。ほんっとーに、メンタルに刺さるようなことを。
「うるさい!」
あたしは部屋に帰ると、電気をつけながら大きな声を出した。
「外ではあたしが言い返せないと思って、ふたりともうるさいよ!」
革ジャンとスヌードはぴたりと黙った。
こいつらを『人』としてカウントしていいかどうかはさておき、部屋に帰ってくればあたしだって言い返せる。
「あたしがねえ、自分で稼いだお金でなに買って食べようと、あんたたちに文句言われる筋合いはないんだけど」
「あたし文句言ってないわよう!」
「いやいや、明花ちゃん。あのねえ」
「明花ちゃんて呼ぶな」
「そうよっ」
すかさずスヌードが同調してくる。
このラビットファーのスヌードは、冬の初めに偶然見つけた。
最初に見た時は色々あって即決しなかったんだけど、一日考えて、次の日朝イチで買いにいった。
グレーとも茶色ともつかないファーの色はどんな服にも似合うから、買ってよかったと思ってる。
古着は一期一会だし、このスヌードを狙ってるっぽい人もいたしで、次の日も残ってるかはかなり賭けだったけど、この子はちゃんと前の日と同じ場所にあった。
嬉しくて、よしやった、ってあたしは思わず小さく声に出した。連れて帰るよ、とも。
まあもちろん周囲に人がいないことを確認してから言ったんだけどね。
でもそれ以来、スヌードはあたしと革ジャンが言い争っていると、すかさずあたしの味方をするんだ。
そんなことしなくてもあたしはこのスヌードを気に入ってるし、ずっと使うつもりなのに。
それに正直言うと、こういう味方のされかたをしても、あんまり、あんまり、嬉しくない。
あたしが複雑な気持ちでいると革ジャンが続けた。
「あのねえ私にはね、この子の健康とスタイルを維持する責任があってだね」
「そんなものはない」
あたしがかぶせ気味に言うと、革ジャンは声を裏返らせた。
「ええっ」
「あと、セクハラだからそれ」
「うそっ」
「うそじゃないっ」
なんかもう、古着屋で買った革ジャンがあれこれしゃべり始めてからというもの、あたしの毎日はほぼほぼこういう感じなんだ。
「とにかくね、コンビニのカップスイーツひとつでうるさいこと言うのやめてもらっていいかな」
「明花ちゃん……」
「だから明花ちゃんて呼ぶな。彼氏か」
言い返していたら、さっきまで我慢してたはずのものがむくむくと込み上がってきた。
こんなことを革ジャンやスヌードに言うのは馬鹿馬鹿しいって頭ではわかっていても、とめられない。
「あんたたち、あたしが今日会社でどんなこと言われたか知ってる? 知らないでしょ? 知らないならつべこべ言わないで」
「いやいやあのね、それとこれとはね……」
「うるさいつってんの!」
あーあ。
だから嫌だったのに。だから甘いもの買ったのに。
ことの起こりはそう、三カ月くらい前。
直属の上司と面談があって、桜井さんは正社員になるつもりはありますかって聞かれた。
あたしの返事はもちろん、はい。
「よかった、会社としてもやる気のある非正規社員さんが社員になってもらえると、助成金の対象になったりもするから」
そう言って上司は嬉しそうに笑った。
そして、あたしはそれを真に受けたんだ。
だって疑う理由なんてある?
「これまでと比べて業務内容が増えたり、変わったりすると思うけど、大丈夫?」
「はい、がんばります」
嘘じゃなかった。
正社員になりたかったし、なによりも、派遣とか契約社員の多いこの社内で、あたしに声をかけてくれたことが嬉しかったし。
今まで頑張っててよかったなー、なんて思ったその翌週から、それはそれは速やかに業務内容は変わっていった。
これまであたしの担当だった雑用はもうやらなくていいと言われ、別の派遣社員さんにスライドされた。補助していた業務からも外れることになった。
その代わり、新しく担当する仕事が降ってきた。
……かなり、たくさん。
感覚としては、十減って三十増えたって感じ。
普通はもうちょっと段階を追って増やすものじゃない? 新しい仕事ってさ?
そう思ったけど、あたしは必死にメモを取りながら頑張り、三カ月が過ぎても立場は契約社員のままで、でも文句を言う気にはなれなかった。
新しい仕事をちゃんとできるようになるまで文句なんて言えないと思ってたから。
でも最近ようやく慣れてきて、我ながら余裕出てきたんじゃない? なんて思ってた今日の午後、また面談があって言われたんだ。
「桜井さんには申し訳ないんだけど、今期は会社の業績が非常によくなかったため、しばらくの間、正社員の話は保留にさせてほしい」
あたしは黙って次の言葉を待ったけど、上司はそれきりなにも言わなかった。
長机の向こう側で、大丈夫かな? というようにあたしを眺めているだけで。
要するにそれは、仕事量据え置き、立場も今のままってことなんだ。
数秒の不穏な沈黙が落ちて、あっはいー、ってあたしは答えた。
だって他に、どういう答え方ある?
「とにかく今日は誰になんと言われようと食べるっ。その権利があたしにはあると思うっ」
「明花ちゃん……」
「あと、あんまりうるさいと着るのやめる」
「えっ」
「冬だし、どっかで軽いダウンでも買う」
そう言うと、革ジャンはぐっと黙った。
よし、あたしの勝ち。
あたしは満足してその夜はキャラメルホワイトチョコプリンパフェを堪能した。
あー、おいしい。あー、ほんとおいしい。おいしすぎて、涙出そう。
早く甘いものでストレス解消しなくて済むようになりたいなああ。
革ジャンはというと、よほどショックを受けたのか押し黙っている。
とはいえ、本当にダウンを買う気があるかと言われると……正直、悩むところではある。
だって、ダウンって羽毛でしょう?
羊革とラビットファーがこれだけやかましいなら、羽毛がしゃべらない保証もないと思うし。
それに、スタイルがよく見えるダウンって本当に珍しいしね。
そういうわけで、ダウンコートの購入には今ひとつ積極的になれないあたしなんだけど、そんなことはもちろん、うちの革ジャンたちには秘密だ。
◇◇◇
その翌日のこと。
会社に向かう途中、駅のホームで革ジャンの銀色のボタンがひとつ、JRのホームにコーンと落ちて転がった。
「きゃあああああああっ」
……これはあたしじゃなくて、革ジャンの悲鳴。
「明花ちゃん、明花ちゃん、明花ちゃん、落ちたあああっ」
わ、わかった。わかったからまあ、落ち着け。
「ちち違う、私は不良品じゃない、だってこんなこと一度もなかったものこれまで」
ちょっとちょっと。待ってよ。
誰もそんなこと言ってないし思ってないのに、革ジャンは声を震わせている。
「だから私、廃棄品じゃないっ。廃棄ボックス行きじゃないんだからねっ」
うーん、動揺がひどい。
あたしはすぐにボタンを拾ってごめんねって小声で言ったけど、あんまり聞こえてないみたいだった。
「ねぇ……なんか、これってあたしのせい?」
動揺している革ジャンに聞こえるか聞こえないかの声で、スヌードが言った。
心なしか、スヌードの声も震えている。
「……あたし、謝った方がいい? もしかして?」
「大丈夫だよ」
「この前安物とか言ったから……」
「大丈夫だって」
ホームには大勢人がいたし、あたしはあまりどっちにも声をかけてあげられなかったんだけど、革ジャンにつられてスヌードまで変な自責を始めていることはひしひしと伝わってくる。
あたしは拾ったボタンをバッグの内ポケットにしまうと、背筋を伸ばして電車に乗り込んだ。
あーもう、うちの皮革製品たちはっ。
世話が焼けるっていうかなんていうか。
ちょっとメンヘラが入ってるのはやっぱり、古着屋で買ったのが関係してるんだろうか?
新品だと、もっと性格も違うんだろうか?
あたしはそんなことを考えながらいつも通り淡々と仕事をしてたんだけど、部屋に帰ってきてからが大変だった。
まあね、やばいなとは思ってた。
思ってたけど、革ジャンは予想以上に大騒ぎをしたんだ。
「だから言ったでしょう、だから言ったでしょうっ、甘いもの食べすぎだってっ、ねえっ」
ボタンは無事に確保したし、帰ってきてすぐにしっかりつけなおしたからごめんて。
そう言ったけど、革ジャンは聞いてやしなかった。
「ボタンを……ボタンをはじき飛ばす、なんてっ」
いや、はじき飛ばしてないから。
確かに最近ウエストがすこーしだけきついなぁって思ったけど、それは太ったわけじゃなくて、寒くなったからインナーを一枚増やしたせいであって。
それにボタンはちぎれたんじゃなくて、ボタンと生地をつないでおく金属の輪っかがゆるくなって外れただけであって。
あたしはそう言ってみたけど、やっぱり革ジャンは聞いてなかった。
「ボタンをっ、はじき飛ばしたっ」
「違うから」
「こんなこと、今までなかったのに……」
「だからぁ」
それはたまたまでしょうがっ。
……とは言えなくて、あたしはしぶしぶこう言った。
「じゃあ、どうやったらご機嫌なおるの、ラムちゃんは」
その途端。待ってましたとばかりに羊革の革ジャンは声にずるい気配をにじませた。
「じゃあ、あれ買ってもらおうかなあ」
あたしはギクッとした。
「そう、あれ」
実は寒くなる前から言われてたんだ。レッグウォーマーを買いなさいって。
冗談じゃない、なんでそんな足が太く見えるものを買わないといけないのってあたしは相手にしなかったんだけど。
そんなもの履いてて、駅のホームでイケメンと出会いがあったらどうしてくれるわけよ。
「買ってもらおうかなああ」
「いやすぎる……」
あたしは抵抗したけど、革ジャンはゆずらない。
声だけなのに、にやにやと笑ってるのがわかる。
「まだ残ってるかなあ。あるといいんだけど」
ああもう、いやすぎ。
そんなの履いたら、先月買ったお気に入りのラベンダーカラーのワンピースのシルエットが台無し。
だってお洋服は、着たときにしゅっとして見えることがとっても大事なんだもの。
そう思わない? 思うでしょ?
◇◇◇
「まずは売り場に行くところから! ゴー!」
ゴー、じゃないって……。
やたら元気な革ジャンに誘導されてたどり着いたのは、スーパーの二階にある婦人用品売り場だった。
「そうそう、こういうところにはあるんだよ」
駅ビルと反対方向にあるそのスーパーは、あるのは知ってたけど、これまで一度も来たことがないところだった。
だって本当にスーパーしかないし、会社の帰りに寄るには遠すぎるから。
だけど革ジャンは店に足を踏み入れるなり活き活きしてた。
「ほらっこのへん!」
言われるままにしゃがんで値札を見たあたしは、げっと声に出しそうになった。
レッグウォーマー1組、税込1595円。
「高すぎる」
「えぇー」
だってそうでしょうがっ。
駅ビルのおしゃれなお店でこの値段を出すなら、まあ、わかる。
でもおばちゃんとおばあちゃんしか買い物してないようなこの店で、すぐ後ろでは婦人物ショーツ99円セールとかやってるこの店で、1500円以上出してレッグウォーマーを買えと?
何気にあんたを買った時の値段より上なんだけど、大丈夫?
……とは、言わなかったけれど。
「レッグウォーマーなんて百均にだってあるじゃん……」
併設されてるキャンドゥを指さしてあたしは言ったけど、時すでに遅しっていうか、革ジャンは嬉々として喋りまくっていた。
「ほら見て、ここ。eskって書いてあるでしょう。この繊維はいいやつだよお。吸湿発熱系だけど、繊維自体が発熱するタイプでとにかくあったかい。難点は摩擦に弱いことだから、満員電車では気をつける必要があるけど」
やだやだ、もう買った気になってるやつがいる……。
ていうかなに、どゆこと??
「手袋なんかだとすぐ指先に穴があくんだけどね、まあレッグウォーマーだしひと冬はもつかなあってね」
いや、そうじゃなくて。
なんで羊革のくせにそんなこと詳しいのかって聞いてるの。
「えっ? うふふ。まあ僕は古着屋にいたからねえ、君よりはるかあぁに広い世界を見てきたわけで……」
あっそう。どうでもいい。
あんたみたいに口うるさくない、しゃべる可能性がない合成繊維ならこの際なんでもいい。
あたしはタグをひっくり返して素材を確かめ、ウールとか入っていないことをしっかり確認した。
ダークグレーとベージュがあったので、ダークグレーのほうを手にとる。
生地はニットっぽいリブ編みになっていて、けっこう厚手だ。
どうせなら、あたしはバレリーナがおけいこで履くみたいな、ゆるっとしてて空気をはらむ感じのやつがよかったんだけど、まあ、そうはならないよね。おかんメンタルのこいつが選ぶんだもん。
──ということで、あたしは渋々それを買って帰った。
1500円は正直高いと思ったけど、これも家庭内平和のためだって自分に言い聞かせて。
それに、いざとなったら、満員電車でほつれたことにして捨てたらいいしね。
◇◇◇
って、あたしは思ってたんだけど。
(なにこれ……)
誤算だったのは、そのぶ厚いレッグウォーマーが予想外に良かったことだった。
たった一枚重ねただけなのに、履いた日の朝から、もはや通勤が苦にならない。
(やばい、快適……)
ほらほらそうでしょうって革ジャンが大きな顔をするに決まってるから、そんなこと絶対言わないけど。
一週間もしないうちに、あたしはそれを手放せなくなっていた。
風が吹き込む駅のホームも平気だから、早めに着いたら次のを一本待ったりして、そうすると座れたりもして。
それから、帰りもまっすぐ帰る。
前は寒さに負けて、途中のドラッグストアで限定ハンドクリームを買い足したり、コンビニの雑誌コーナーでコスメ付録つきの雑誌を買ったりしてたんだけどね。
──あっ、違う違う。
だってハンドクリームは会社でも必ず使うんだし。
それに限定品だと、使い終わった時にはもう売ってないわけでしょ。なら早めに買っとかないとね。
コスメつきの雑誌はどうなんだって?
あれは誰だって買うでしょ? だって明らかにお得だもん。
ピエールマルコリーニとコラボしたチョコメイクパレット8色入りが付録になってるのを見つけちゃったら、女子として生まれた限り、買わない選択肢なんてないわけで。
だけど寄り道しなくなってわかったのは、「財布の中身が減らないじゃん!」……ってことだった。
これまでも無駄遣いしてたつもりはなかったんだけど、こんなにも余裕なら、憧れブランドのハンドクリームが普通に買えるし、なんならカウンターでプチプラじゃないコスメだって買えるのでは、ってことにあたしは気づいてしまったのだ。
そんなあたしに、革ジャンはなにもコメントしない。
静かすぎて気味が悪いくらいに。
あたしは次の週も、また次の週も淡々と出勤して、また帰ってきた。
仕事帰りに寄るのはスーパーくらいで、駅ビルをうろつくことも少なくなった。
あとは、前と比べてゆっくり歩くようになったかも。
前はなにしろ寒いから、ひたすら早足で歩いてたんだ。
そのせいかどうか知らないけど、最近、なんだか、疲れづらい。
(合成繊維、なかなかやるじゃん)
まあそんな素直な感想は革ジャンには絶対に言わないんだけど。
だって、次にこいつが買わせたがっているものも知ってるから。
(袋カバーつきの湯たんぽをね……)
革ジャンはあれからたびたび言う。
「えーと、明花ちゃん。この前のお店にまた行ってみるのはどうかな。お洗濯用とか、予備とかあるといいかもしれないし」
「ふうん」
「ほら、今日は天気もいいし、お散歩ついでに」
「あっそーお」
あたしは生返事を返す。
だって魂胆が見え見えすぎて、まともに相手をする気になれやしない。
あの時レッグウォーマーの隣の棚に吊るしてあった湯たんぽを、革ジャンが興味津々で見ていたことに、あたしが気づいてないとでも思ってるのかな?
湯たんぽなんてそんな、お洒落や洗練とは真逆にありそうなもの、あたしは今度こそ絶対に買う気ないんだけど。
「ねえラビちゃん」
「はひっ!?」
あれ以来なんとなく静かになってしまったラビットファーのスヌードに声をかけると、スヌードは声を裏返らせた。
作ってる声じゃなくて、多分、素の声だ。
あたしはそんなことには気がつかないふりで続ける。
「お散歩行きたい? どう思うー?」
「あっ、あたしに、聞いてるのっ?」
「うん。ラビちゃんが行きたいなら行こうかなって。ひとりでお散歩もさみしいし?」
ちょっとここにもうひとりいるんだけどっ、と口を挟んでくる革ジャンはこの際、無視。
うちの皮革製品たちはどっちもどっちでひと癖あって、めんどくさい時もあるけど、それでもあたしはこのふたりを気に入ってる。
気に入ってるなら、関係性はメンテしなくちゃね。
「ラビちゃんが行きたくないならやめようかなってー」
「あたしは別に……行きたくないわけじゃ、ないけど……」
「じゃ行く?」
「うん……」
空気は冷たいけど、雲ひとつない快晴の日だった。
信号待ちで立ち止まると日差しがポカポカと気持ちいい。
あたしはスヌードの返事を聞いて、例のスーパーに足を向ける。
「あ、あたし思うんだけどっ、女の子って多少隙がある方がかわいいと思うのねっ」
「うんうん、隙かー」
「あたしが言いたいのはそのっ、そのグレーのもこもこしたやつ、買うの反対したわけじゃないってゆーか……」
「わかってるってー」
だけど、あたしがわかってなかったことがふたつあった。
ひとつは、この前の店についてみたら、レッグウォーマーが残り一足になってたこと。
うそっなに、まさか人気あるわけこれ? って思ったあたしは、ラスイチになってたそれを秒でつかんでレジに持っていくことになる。
そりゃもう、革ジャンが口を挟む暇もないくらいの素早さで。
もうひとつは、冬が終わるころになって気づいた。
今年の冬は一度もあたし、一度も風邪をひかなかったってことを。
社内の人たちが続々と、コロナだ、濃厚接触だ、普通のインフルだ、原因不明の熱だといって休むなか、あたしは毎日淡々と出勤して新しい仕事をこなしてた。
新しい業務には、まだ慣れない。
なんだかんだで、ミスもある。
だからその頃のあたしは周囲に目を配る余裕もなかったんだけど、桜井さんは休まないねえ、って社内では言われていたらしい。見た目と違って健康管理ちゃんとできてるのかもね、とも。
そして次回の契約更新の時、そのことがひそかに評価対象になったってことを、この時のあたしは当然ながら、知らないのだった。