(第9話)後悔への第一歩~フレディ殿下目線~
「最近業務量が異常に増えてないか?」
書類を運んできた文官にそう聞いたら、困ったように返答された。
「今までデイジー様が担ってくださっていた業務をフレディ殿下に戻しただけです」
「デイジーが担っていた業務? つまり僕は今、王子妃の業務までやらされているということか?」
「いえ。もともとフレディ殿下がお一人で担うべき第一王子の業務ですよ。フレディ殿下の業務をデイジー様が負担していた分です。それだけでなくジェイク殿下にも第一王子の業務を負担していただいているではないですか」
「……僕の業務をデイジーとジェイクが担っている?」
そう口にした僕の顔を、その文官は信じられないものでも見るような目で見た。
「……まあ、いい。とにかく業務量が多いから減らしてくれ。デイジーの分はジェイクに追加で回せばいいだろう」
「……かしこまりました。ジェイク殿下にもそのように報告します」
「報告はしなくていい」
「……はっ?」
「ジェイクに報告する必要はない。何も言わずに他の書類に混ぜて渡してしまえばいいだろう?」
「それはできません。業務量の分担は正式に記録に残して書面で国王陛下に提出しております。ジェイク殿下もその書面を確認しておられますので報告しないことなどありえません」
「国王に報告しているだと? 僕にはそんな書面は届いてないぞ」
「私達がお持ちするのは処理が必要な書類だけです。それ以外の書面については、ご指示くださればお持ちします。ジェイク殿下は、必要な書面はご自分で取り寄せしています」
淡々と話した文官は、持参した書類の一部をそのまま抱えて僕の執務室から出て行った。
最後に見せた文官の冷めた顔は、先日の生徒会室で対面したライアンの表情と同じに見えた。
★☆★
「こんなに美味しいお菓子なんて、子爵家では食べたことがないです!」
そう言って本当に美味しそうにマドレーヌを頬張るルーラが可愛かった。
母上から『ルーラさんと3人でアフタヌーンティーをしたい』と招待された時には何か意図があるのではと心配したが、お茶会の席で母上はいつものように微笑んでいたのでほっとした。
「でもこのようなドレスで恥ずかしいです」
「どうしてだい? とても似合っているよ」
「子爵家で買える精一杯のドレスですが、王妃様とフレディ様とのお茶会には相応しくないかなぁって……」
「そんなことを気にしていたのかい? ルーラならどんなドレスを着ていても可愛いけれど、今度僕が第一王子の婚約者に相応しいドレスをまたプレゼントするよ」
「いいんですか? 私、フレディ様の婚約者に選んでいただいてとっても幸せです」
そんな僕達のやりとりを見守っていた母上が、その笑顔を崩さないまま僕に聞いた。
「フレディは、『礼儀知らずの優位に立ちたい令嬢』のことは知っていて?」
「なんですか? それは?」
聞いたこともない単語に、僕は笑って聞き返した。
ルーラも意味が分からず戸惑ったのだろう。つまんでいたマドレーヌを落としてしまっていた。侍女がすぐにやってきて、テーブルの上に落ちたマドレーヌを片づけている間も母上はその微笑みを崩さなかった。
「そう。やはり貴方は何も調べてなどいなかったのね」
「どういう意味ですか?」
「私達は知っていたけれど結局は受け入れたの。『デイジー自身が側妃になることを強く望んでいる』というアスター侯爵の言葉を信じてしまったから」
「母上? 何の話をしているのですか?」
笑顔のまま意味の分からないことを言う母上に戸惑った。
「デイジー様が側妃になるってどういうことですか? そんなの嫌です!」
母上の言葉を聞いたルーラが真っ青な顔をして叫んだ。僕は慌ててルーラの手を握った。
「ルーラ。落ち着いて。デイジーを側妃にすることなんてありえないよ。僕はルーラを真実に愛しているのだから」
「フレディ様。私もフレディ様を愛しています」
「母上! 僕達は愛し合っているのです。デイジーを側妃にするだなんてありえません!」
愛するルーラを守るため、僕は生まれて初めて母上に声を荒げた。
「昏睡状態となった原因が分からない限りデイジーを側妃にすることはもう出来ないわ。目を覚ましても、またいつ倒れるか分からない人間を側妃にすることなんて議会が認めないもの」
けれど母上は微笑んだままそう言っただけだった。
「デイジーはルーラの祈りでさえ目を覚まさなかったんです。聖女の力でも治せない病の原因など分かるはずがないでしょう」
「わっ、私は一生懸命祈りました!」
「もちろん分かっているよ。ルーラの頑張りは僕が隣で見ていたから」
「……実は、学園には私のことを疑いの目で見るような酷い人もいるのです……」
「なんだって! どうしてもっと早く相談してくれなかったんだい? ルーラは僕の命を救ってくれた聖女だ。そんなルーラを疑うだなんて許せない」
「……それに『今から王子妃教育を学んでもデイジー様は超えられない』というような酷いことを小声で言われたことも……」
「ルーラは、僕の真実の愛の相手で聖女だ。デイジーなんてすぐに超えられるよ」
「……本当ですか?」
「ああ。それにもしルーラが聖女としての業務で忙しければ今までみたいにデイジーにやらせれば……。そうか……。デイジーを側妃にすれば、ルーラは無理して王子妃教育なんて受けなくてもいいんだ」
「そんな! 嫌です。私、フレディ様がデイジー様を愛するなんて耐えられません」
「もちろん僕がデイジーを愛することはないよ。立場だってルーラが正妃で、デイジーが側妃だからルーラがデイジーに気を遣う必要なんて何もない。ただ、業務だけデイジーにやらせればいいのさ。もちろん社交などの公の場にはルーラしか同伴させないつもりだ」
そうか。その手があるじゃないか。デイジーを側妃にすることにはメリットしかないことに僕は気付いた。僕の話を聞いてしばらく目をパチパチさせていたルーラもその素晴らしさに気づいたようだった。
「それって、デイジー様が面倒臭いことは全部やってくれて、でもデイジー様は私には逆らえないし、フレディ殿下にも女として相手にされないということですか?」
「デイジーには可哀想だけどそういうことになるな」
「それなら私、我慢します。デイジー様がフレディ様の側妃になることを許します」
「ルーラは心が広くて優しいね。さすが聖女だ」
そんな僕達の会話を無視して母上は、僕だけに質問を投げかけた。
「身体には異常がないのに二ヶ月も目を覚まさず、どんな怪我や病も癒せるはずの聖女でも癒せない。フレディ、それを聞いて貴方は何も思い至ることはないの?」
「だからそれはデイジーの今の状態でしょう? まだ目を覚まさなくなって二ヶ月は経っていないはずですが……」
僕の言葉に母上は初めてその笑顔を崩した。
「そう。よく分かったわ。フレディは何も分かっていないということが」
そう言う母上の表情は、最近何度か見た冷めた人間達のものと同じだった。
「それからルーラさん。今日は突然招待してしまってごめんなさいね。もうこんなことはないからドレスの心配はしなくて良いわ。それにデイジーがフレディの側妃になることもないから、貴女の許しは必要ないわ」
冷めた顔で何の感情も込めずに言う母上に、僕もルーラも何も言葉を返すことができなかった。