(第8話)デイジー様のいない生徒会~ベッキー目線~
「デイジー様が原因不明の昏睡状態となっている」
そんな話が学園中を駆け巡ったのは、デイジー様が学園をお休みされて一週間も経った頃だった。
あの日突然生徒会室を訪れたフレディ殿下に心無い言葉を投げつけられてから学園に登校されなくなったデイジー様のことを心配していたけれど、やっと知れた近況はさらに心配になるような状況で、私は血の気が引いてしまった。
「ライアン様! デイジー様に関する噂は事実なのでしょうか?」
授業が終わると同時に生徒会室に飛び込んでライアン様に聞いてみたら、ライアン様は静かに頷いた。
「アスター侯爵家に毎日のように様々な専門の医者が訪れているという話を聞いて心配していたんだ。昨日、アスター侯爵が国王達にデイジー様の状態を報告したようだよ」
「そんな……」
デイジー様が昏睡状態だなんて……。
「……私が、ルーラ様の噂を耳に入れたせいでしょうか。あのような方にフレディ殿下を奪われたショックで……?」
「まさか。デイジー様はそのような弱い方ではないよ」
「……でも……」
「……これがデイジー様の意志なら問題ない……」
思案顔でライアン様は言ったけれど、私にはその意図がまったく分からなかった。
昏睡状態になるのがデイジー様の意志だなんてそんなはずがあるはずがないし、そうだったとしてもそんなに都合よく昏睡状態になんてなれるはずがないんだから。
「私に何か出来ることはないでしょうか?」
あのパーティーでルーラ様は『ずっとデイジー様に憧れていた』と宣っていたようだけど、そんな薄っぺらな言葉とは違う。私はずっとデイジー様を尊敬していたんだ。
初めてデイジー様を見た時、こんなに美しい人がこの世界にいるんだ、と見惚れた。
仕草もマナーも完璧で、先生のお手本よりも美しかった。
生徒会では王妃教育に向かうまでの短い時間で、信じられないくらいの仕事量をこなしていた。
いつだったか私が前日に忘れ物をして、翌日の朝早くに生徒会室に取りに行った時にデイジー様がすでにいらしてお仕事をされていた時には驚いた。
「デイジー様。こんなに朝早くからどうしたのですか?」
「ベッキー様。実は昨日やり残したことがあって、こっそり片づけていたの」
「そんなこと……。言ってくだされば私が昨日やりました! デイジー様はもっと私達を頼ってください!」
「ありがとう。……今までそんな風に言われたことがなかったから、とても……とても嬉しいわ」
そう言って、花が咲くように笑ったデイジー様は、今まで見たなかで一番美しかった。
デイジー様との思い出に想いを馳せていた私を現実に引き戻したのは、ライアン様の提案だった。
「生徒会として、デイジー様のお見舞いに行こうか?」
ライアン様はすぐにアスター侯爵家に先触れを出してくださって、私達は三日後にデイジー様のお見舞いに行った。
ライアン様はフリージアの花束を持ってきていて、その花束を見たアスター侯爵家の侍女は嬉しそうに目を細めた。
「デイジーお嬢様の一番お好きなお花です」
私とライアン様をデイジー様の寝室に案内した後で、執事と侍女は退室した。
デイジー様は、本当にただ眠っているだけのように見えた。目を閉じていてもとても美しくて、もう一週間以上も目を覚ましていないだなんてとても信じられなかった。
しばらくデイジー様に向かってライアン様と交互に話しかけた後で、私はライアン様に聞いた。
「どうしてデイジー様の好きなお花を知っていたんですか?」
ライアン様は心配そうにデイジー様を見つめていて、その視線は外さないまま私に答えた。
「以前デイジー様が言っていたことがあるからさ」
「……デイジー様はいつも時間に追われていました。好きなお花の話などしたことがあったでしょうか?」
「生徒会の業務の合間にね、一度だけふと好きな物の話になったことがある。フリージアの花、ローストチキン、曇り空。デイジー様の好きな物は覚えていたんだ」
私でさえ覚えていなかった些細な言葉を切り取って、宝物のように大切に覚えていたライアン様。
デイジー様。どうか目を覚ましてください。デイジー様の未来はきっときっと明るいです。
それからも何度かフリージアの花束を抱えたライアン様と一緒にデイジー様のお見舞いに行ったけれど、デイジー様は目を覚まさなかった。
「聖女の力とは一体何なのでしょうか……」
『聖女であるルーラ様がデイジー様に祈りを捧げてもデイジー様が目覚めなかった』という噂は、『ルーラ様がデイジー様を祈ることは国王陛下からの要請だ』ということとあわせて再び学園中を駆け巡った。
思わず呟いた私の言葉にライアン様が答える前に、フレディ殿下によって生徒会室のドアが乱暴に開けられた。
「ライアン! 生徒会の仕事が滞っているとはどういうことだ!」
そろそろ来る頃かなと思っていた私達はフレディ殿下の突然の来訪を驚かなかった。
フレディ殿下は、一月前よりも少し痩せて、顔色も良くなさそうだった。
不敬かもしれないが、私は以前からずっとフレディ殿下に良い感情を持っていなかった。
『王子教育が忙しい』と言って生徒会の仕事なんて何もしていなかったのに、生徒会の実績はすべて生徒会長であるフレディ殿下の実績として王宮や学園に報告されていることを私は知ってる。
そもそもフレディ殿下が『王子教育が忙しくて』生徒会に参加できないのなら、あれほど王妃教育に追われていたデイジー様にだって参加できたはずがないのだ。
それなのにフレディ殿下は、デイジー様が自分の代わりに毎日生徒会で仕事をすることを当然だと受け止めているように見えた。
自分が出来ないことを婚約者にやらせてその手柄だけ自分のものにする、そんな人間を尊敬出来るはずがないじゃない。
「生徒会の仕事は滞ってなどいませんよ。デイジー様がいないのは大変ですが、ベッキー様と僕でカバーしています。滞っているのは、生徒会長の決裁が必要なものだけです」
ライアン様が無表情で答えた。
「今までは問題なく対応していたじゃないか!」
「今まではフレディ殿下の婚約者であるデイジー様に、学園から代理の決裁権限が与えられていたためです。デイジー様が婚約を解消されたので決裁権限は消滅しました。生徒会長が生徒会の仕事を放棄しているため決裁が必要な対応が滞っていることを学園に報告したのはもう一週間以上前ですよ」
フレディ殿下は驚いた顔をしていた。……いやいや、知らないはずないでしょう。
『僕は王子教育が忙しいから婚約者であるデイジーに権限を与えることにしたよ』って一年以上前に宣言したのはフレディ殿下自身だったのに。
デイジー様と婚約をされていた頃のフレディ殿下の評判はとても良かった。
内情を知らない生徒達から見たら、物腰が柔らかくいつでも笑顔で、絵本の中の王子様のようにキレイな顔だちをしたフレディ殿下が、王子教育と並行して生徒会長の仕事も完璧にこなしていつも余裕そうにしていたのだから。
試験ではライアン様とデイジー様がいつも一位を競っていて、フレディ殿下は十位前後をさ迷っていたけれど……。
だけどデイジー様と婚約を解消して、ルーラ様と婚約をしてからのフレディ殿下の評判は芳しくない。メッキが少しずつ剥がれていくように、じわじわとその本性が周りにも気付かれているようだった。