(第6話)私が王子から逃げたいと願った理由
「デイジー様が心無い噂など流すはずがないじゃないですか」
フレディ殿下のあまりの言葉に私の思考が停止している間に、ライアン様が呆れたようにフレディ殿下に返答してくださった。
「ライアンは黙っていてくれ! 僕はデイジーに聞いているんだ」
そんなフレディ殿下に、ライアン様はさらに何かを言おうとしたけれど私はそれを遮った。
いくら公爵令息とはいえ、第一王子に逆らったらライアン様の立場が悪くなってしまうかもしれないわ。
「フレディ殿下。私は決してルーラ様の噂など流しておりません」
久しぶりにまっすぐにその青い目を見て、私は出来るだけ冷静に伝えた。
私と目が合ったフレディ殿下は、ほんの少し気まずそうに視線を逸らした。
「……分かった。けれどもしルーラに何かあったら、デイジーがルーラに危害を加えるようなことがあれば、僕はデイジーを許さない!」
「……そのようなことは決して致しません」
「もう、いい」
そう言ってフレディ殿下は生徒会室から出て行こうとした。
「フレディ殿下」
「……なんだい?」
フレディ殿下を思わず引き留めてしまった自分自身に戸惑った。
……だけど、五年間婚約者だったフレディ殿下の幸せを願って、私は勇気をふり絞って一つの質問をした。
「……ルーラ様との婚約を後悔することはございませんか?」
今さらどうすることも出来ないかもしれない。
だけど、もしフレディ殿下が後悔をしているのなら、もしかしたら今ならまだ間に合うかもしれない。
フレディ殿下の選択を私はいつだって支えてきたのだから……。今回も……。
だけど、そんな私に降り注いだのは、激高したフレディ殿下の罵倒だった。
「醜い嫉妬はやめてくれ! 僕はデイジーではなくルーラを選んだんだ! 何の力もないデイジーではなく、聖女の力で僕の命を救ってくれたルーラを! それが僕の選択だ! 僕の選択に間違いなんかあるはずがないし、後悔なんて馬鹿なことを僕がするはずがない! これ以上僕の愛するルーラを侮辱するようなら不敬罪で捕らえられる覚悟をするんだな!」
その言葉がすべてだった。
五年間自分のすべてを捧げて支えてきた婚約者だった人から投げつけられたその言葉が、私がフレディ殿下から逃げたいと願ったそのすべてだった。
私がしてきたことは、『何の力もない』私がフレディ殿下のために今まで努力してきたことは、ルーラ様の奇跡に叶うはずもない無力なことだったんだわ。
……フレディ殿下にとって私は、醜い嫉妬に狂った何の力もない女で、フレディ殿下のために必死で紡いだ言葉は不敬罪となるのね……。
「申し訳ございませんでした。私はいつだってフレディ殿下の判断を信じて支えます。聖女であるルーラ様を選ばれたフレディ殿下の判断を信じます」
私は頭を下げた。
「そうだよ。デイジーはいつだって僕の選択を支持してくれさえすればいいんだ。不敬罪なんて言葉を使って悪かったね。これからも僕とルーラを支えてほしい」
フレディ殿下は満足そうな声で言って、生徒会室から出て行った。
私はフレディ殿下が出て行ってもしばらくは顔を上げられなくて、心配したライアン様とベッキー様が駆け寄ってくださったけれど、涙に濡れた私の顔を見て、そっとハンカチを差し出してくれた。
★☆★
その夜、お父様が帰宅されたのはいつものように夜遅かった。
どんなにお父様の帰りが遅くても、私は毎日お父様の帰りを待っていてディナーは一緒に食べていた。
「お父様。……私の今後のことはお考えだったりしますでしょうか?」
ディナーの席でお父様から話しかけてくださることはほとんどなかったから、いつも私がその日学んだことなどを必死で話して沈黙を埋めていた。
いつもはお父様から返答がなくても話し続ける私が珍しく質問をしたことで、お父様は動かしていたナイフの手を止めた。
「お前の今後?」
「はい……。国内ではもう新しい婚約者は見つからないと思うので……他国でも……と思っているのです」
勇気を出して伝えた私の思いは、あっさりと一蹴された。
「それを決めるのはお前ではない」
「……」
「お前は余計なことを考えず今まで通り過ごしていればいい」
「……それは……フレディ殿下の……側妃になるという可能性もある……ということでしょうか……」
「名誉なことだろう?」
当然の様に言い放ったお父様は、この会話はおしまいだというようにまたナイフを動かしだした。
その瞬間、私の目の前は暗い未来で真っ暗になった。
今まで通りフレディ殿下のためだけにすべてを捧げて生きることが強要される。
だけど、今までと決定的に違うのは、フレディ殿下は決して私を愛することはないということ。
そして私はきっと今日のようにずっと彼に蔑まれながら生きていくしかないのだわ。
ディナーの後で、私はいつかジェイク殿下から受け取ったある物をそっと引き出しから出した。
『もしもデイジー様が兄上から逃げたいと願うのなら……。その時は……』