(第20話)目が覚めたら貴方に未練はありません
また時間が遡り分かりづらくすみません。
「(第6話)私が王子から逃げたいと願った理由」で毒薬を飲んだ後のデイジーの物語に戻ります。
ジェイク殿下からいただいた毒薬を飲んだ私は、本当に身体を動かせなくなった。
意識はあるのに自分の力では、目を開けることも、手を動かすことも、声を出すことも出来なくなって、とてつもなく怖くなった。
それに、サラを始めとした使用人の皆が大騒ぎで心配してくれたことが本当に申し訳なかった。私の症状に困惑していたお医者様にも。
「デイジー。目を覚ましなさい。お前にはフレディ殿下の側妃となってこの国を支えるという義務があるのだ」
お父様のその声が聞こえてきた時の気持ちは、きっと一生忘れられない。
初めてお父様が私の部屋を訪れてくれたことが嬉しくて、ほんの少しでも私のことを心配してくれたのかしら、と期待した私の気持ちは一瞬で粉々に打ち砕かれた。
お父様にとって私は一体何なのかしら?
これまでの私にとって、お父様を愛するということは、お父様のために努力をするということは、疑う余地すらない当然のことだった。
お父様は教えてくださらなかったけれど、執事からアスター侯爵家の跡取りがすでに決まっていることは聞いていた。どうしてお父様は私に教えてくださらないのかしら? そんな疑問すら日々の課題や業務に追われて考えることすら出来なかった。
だけど、初めてゆっくり考えて、お父様にとって私はただの道具だからなのだとやっと気付いた。
だって、私がどんなに頑張って話しかけても、お父様が私に笑いかけてくれたことなんて、ただの一度もなかったから。
だから、未来の夫となるフレディ殿下に初めて笑いかけていただいた時にはたまらなく嬉しかった。十歳の私には、自分に向かって笑いかけてくれる家族なんてどこにもいなかったから。
道具には感情なんてないから、そんな道具に対してアスター侯爵家の跡取りに関する説明や、笑顔を向ける必要なんてなかったんだわ。
お父様はきっとアスター侯爵家から娘が王家に嫁いだという名誉がほしいだけなのね。
そのためだけに私にお金をかけて教育をしたのだわ。だから、私の心配なんてするはずがなかったんだわ。だって、そうでなければ『側妃になることが義務だ』なんて言葉が出てくるはずもないもの。
お父様は、アスター侯爵家と王家の縁が繋げるのであれば私が正妃だろうが側妃だろうがどうでもいいのだわ。
お父様の言いつけ通り私はずっとフレディ殿下のために自分に出来るすべてを捧げてきた。それなのに、フレディ殿下は『真実の愛』という都合の良い言葉を使ってあっさり笑顔で私との婚約を解消した。そんな人に嫁いで私がどうなるのかなんて明らかなのに、それなのに『側妃になることが義務だ』なんて言い放てるということは、それは、フレディ殿下に嫁いだ後の私がどんな目にあってもお父様にはどうでもいいということなんだわ。
婚約者であるフレディ殿下のためにどれだけ努力しても愛されず、それでもお父様が言うように側妃としてこれからもずっとフレディ殿下を支え続けることだけが私の義務だとしたら、私が生まれてきた意味は一体何なのかしら?
身体が動かせなくなって、でも意識だけはあるから、私はただただずっとずっと過去を思い出して、その意味を考えて、考えるたびに絶望した。
目が覚めたら、もう死のうと思った。
だって私がすべてを捧げて、どれだけ尽くしても、お父様にもフレディ殿下にも何も伝わらなかった。
きっと最初から私のことなんて見てすらいなかった。私がどんなに努力しても、彼らには何も届いていなかった。
そんな絶望の中で、ライアン様とベッキー様がお見舞いに来てくださった。しかも信じられないことにライアン様は私の一番好きなフリージアの花束を持ってきてくださった。
「フリージアの花、ローストチキン、曇り空。デイジー様の好きな物は覚えていたんだ」
ライアン様のその言葉が、深く沈んで真っ暗になった私の心をもう一度照らしてくれた。
私の言葉をちゃんと聞いてくれていた人がいる。私の好きなものを覚えてくれていた人がいる。
それは、とてつもない希望になった。
絶望の中で見えなくなっていたけれど、ジェイク殿下は私のためにリスクを犯してまで王家の毒薬を融通してくださった。ベッキー様は『もっと私達を頼ってください』と言ってくださった。それに私のことを心から心配してくれるサラ達使用人がいる。
私は一人なんかじゃないんだって、信じることが出来た。
だから、目が覚めても私は死んだりなんかしない。
私は、生きていたい。お父様の命令だけを聞いてフレディ殿下のために尽くすだけじゃなくて、自分のために生きてみたい。
ルーラ様と一緒に私の部屋を訪れたフレディ殿下から私に対する心配の言葉は一言も出なかった。祈りが終わったルーラ様には、労わりの言葉をかけていたのに。
「ルーラ。疲れただろう? 王宮でお菓子を用意するからゆっくり休もう」
その行動は、私が目覚めないことなんて本当にどうでもいいんだと物語っていた。
二か月間、考える時間はいくらでもあった。過去のことを思い出して、何度も悲しくて苦しくなった。
だけど心の片隅で、それでももしも、もしももう一度だけでもお父様やフレディ殿下が私の部屋を訪れてくれたのなら。もしもたった一度だけでも、心配の言葉が聞けたのなら、お見舞いのお花が届いたのなら、と思ったこともあった。
けれど、お父様が私の部屋を訪れることは二度となかったし、フレディ殿下からお見舞いのお花が届くことも一度もなかった。
結局、彼らがほんの少しだけでも私の心配をしてくれることは、たったの一度もなかった。
だから、私の彼らへの未練は、きっぱりとなくなった。
私が彼らのことを考えることはなくなって、代わりにこの二か月間何度もお見舞いに訪れて声をかけ続けてくれたライアン様のことを考えるようになっていた。
ジェイク殿下の言葉通り、二ヶ月が経った日の朝に、私はやっと身体を動かすことが出来るようになった。
「サラ。おはよう」
二ヶ月ぶりとは思えないほど自然に言葉が出たし、身体も自由に動かせた。本当に身体の機能が止まっていただけで、どこも弱っていなかった。
この二ヶ月間で変わったのは、私の気持ちだけだった。