(第2話)それはいつか切り札になるもの
「デイジー。本当にすまない。けれどルーラは僕の真実の愛の相手なんだ。結婚するのはルーラ以外に考えられない」
聖女であるルーラ様の奇跡の力で回復したフレディ様のその後の行動はとても早かった。
一か月もしないうちに、私との婚約解消とルーラ様との婚約を国王にまで認めさせていた。
私が今日、フレディ様に王宮に呼ばれたのは、その決定事項を直接通達されるためだ。
「フレディさ……殿下。婚約の解消については父からも聞いております。私に異論はございません」
異論も何も、そもそも私に拒否権なんかないのだけれど……。
そんな風にほんの少し自嘲気味に思ってしまうことは許してほしい。
「そうか。ありがとう」
フレディ殿下は心から安堵したように微笑んだ。
……なんて残酷な人なのかしら……。
こうして私達の婚約は、フレディ様の笑顔と共にあっさりと解消された。
「デイジー様」
フレディ殿下の執務室を出て、なんだか放心してしまいフラフラと王宮の出口に向かっていた私に声をかけてくださったのは、ジェイク殿下だった。
「……ジェイク殿下」
「もし時間があれば、少し庭園を散歩しない?」
フレディ殿下と婚約を結んでいた間、二歳年下のジェイク殿下は本当の弟のように私に明るく接してくださった。私は最後の挨拶をするためにジェイク殿下の提案に頷いた。
ジェイク殿下が案内してくださったのは、王族または王族の誰かと一緒でないと立ち入ることの出来ない特別な庭園だった。普段から厳重に施錠されていて不審者が入り込むことが不可能だからか、もちろんジェイク殿下の護衛は庭園の中まで付いてきていたけれど声の聞こえない距離に離れてこちらを見守っているだけだった。
「兄上は、聖女の奇跡に目が眩んでおかしくなったんだ」
「……ジェイク殿下。そのような言い方は……」
「『真実の愛』だなんて国王と王妃である父上と母上の前で真顔で言っていたんだよ。失笑だよね」
「それは……」
「その相手がただの子爵令嬢だったらそんなものは認められなかったけれど、聖女だった」
そう言うジェイク殿下はとても悔しそうな顔をしていた。……きっと私の心情を慮ってくれているのだわ……。
「……最終的には、父上と母上も聖女との婚約を認めざるを得なかった……」
「……ええ。国の為に最良の判断だと、そう思います」
聖女様は伝説の存在だった。まさか聖女様の力に目覚められる方が現れるだなんて誰も想像していなかった。だから、そのかけがえのない存在は国をかけて守らなければいけない。……第一王子の婚約者となることは、きっと国として最良の判断なのだわ。
「聖女だからと王妃の資質があるかなんてわからないのに……。兄上は自分に奇跡が起きた、人生で最も眩しいその瞬間に、最も大切なものを見失ったんだよ……」
そう言ってまっすぐに私を見つめたジェイク殿下の目はなんだか赤くて、泣きそうに見えた。
「デイジー様は、これからどうしたいの?」
「……私は……。私のことは父が決めますので……」
そう言いながら私は、『フレディ殿下は聖女と婚約する。お前は婚約の解消を大人しく受け入れなさい』と無表情で言い放ったお父様の顔を思い出して、そっとため息を吐いた。
「酷なことを言うようだけど、何もしなければデイジー様には二つしか道はないんじゃないかと思うんだ」
「……二つ、ですか?」
「兄上の手出し出来ない他国に嫁ぐか、兄上の側妃になるか」
「……フレディ殿下は、きっとルーラ様しか望まれないと思います……」
心のどこかでその可能性に思い当たりながらも、ありえないことと必死で打ち消していた『側妃』という未来を目の前に突きつけられて私は動揺していた。
寵愛はルーラ様にすべて捧げられて、私は公務を行うだけの名ばかりの側妃としてフレディ殿下に使いつぶされる未来……。
「今はね。だけどデイジー様がいないと国がまわらない」
「そんなことは決してありません」
「ルーラ様には、子爵令嬢には、今からじゃどんなに急いで教育しても王妃の公務はこなせないよ」
「……」
「たとえデイジー様が新たに婚約したとしても、それが国内の貴族であればデイジー様の価値に気付いた兄上はきっと貴女を側妃に望むはずだよ。……たとえどんな手を使ってでも」
そんなことはない……とは言い切れなかった。
いつだって自分の判断を正しいと信じているフレディ殿下は、自分の正しいと思ったことを達成するためにはどんなことだってした。
……私は、彼がそれを実行出来るように今までずっと陰で支えてきたから良く知っていた。
「デイジー様の人生はデイジー様のものだよ。……もし、デイジー様がたとえ側妃だとしても兄上の裏切りを水に流して支えたいと願うのなら僕はそれでも良いと思うんだ」
「……ジェイク殿下……」
「だけど、もしもデイジー様が兄上から逃げたいと願うのなら……。その時は……」
そう言ってジェイク殿下は、そっと私にある物を渡した。
植物に囲まれた庭園の中で、それはきっと護衛にすら見られていなかった。