(第16話)後悔の始まり~フレディ殿下目線~
「王太子にはジェイクを任命する」
父上からそう告げられた時、僕は自分の耳を疑った。
だけど驚いているのは僕だけで、母上もジェイクもブレイクさえも父上の宣言に顔色一つ変えなかった。
「フレディは学園卒業後すぐに婚約者である聖女と婚姻させる。聖女には、ティアーズ病を始めとした現在の医学では治癒出来ない病を癒すため国中を巡る旅に出てもらう。それに夫であるフレディも同行することを命じる」
何を言っているんだ、父上は。第一王子である僕が、病人のためにルーラと一緒に王国中を巡回する? なぜだ? なぜそんな必要がある?
「ですが! ジェイクには婚約者がいないではないですか。僕でさえ一人では満たせていない王太子に必要な条件を満たすことが出来るはず……」
必死で伝えた僕の思いは、母上の冷たい声にかき消された。
「ジェイクはすでに王太子に必要な条件は、すべて自身で習得しています」
ジェイクが? 僕より二歳も年下なのに?
「それにジェイクの婚約者は、サマセット公爵家のイライザに内定しました」
「サマセット公爵家……。ライアンの妹……」
サマセット公爵家がジェイクの後ろ盾になるのなら、議会も第二王子であるジェイクを王太子とすることを承認するだろう。
「……しかし……。そうだ! ルーラは聖女です。聖女が王妃になるべきだと僕は思います」
父上と母上にジェイクではなく僕こそが王太子に相応しい理由を述べなくては、と必死で考えたけれど絞り出せたのは、自分自身のことではなく婚約者となった聖女の価値だった。
「聖女はこの国の希望です。王妃となって王宮でドレスの心配や側妃を蹴落とすことを考えて過ごすよりも、助けを必要としている国民のために自ら国を回ることこそがその使命です」
僕の言葉はすぐに母上に否定された。
ある日突然、とてつもない苦しみに襲われて、熱と痛みで体中が引き裂かれそうになった。意識も朦朧とする中で、ずっと感じていた温もり。その温もりだけが救いだった。そして、また突然体中が今まで感じたこともないような優しい温もりに包まれて、身体が一気に楽になった。長い苦しみから解放された僕の目の前には、心配そうに僕を見つめるルーラの可愛らしい顔があった。彼女が僕を救ったと聞いて、彼女こそが伝説の聖女だと知って、僕の『真実の愛』はルーラにこそ捧げるべきだと思った。王太子となる僕に相応しい、僕の命を救ってくれた奇跡の人。だから僕はルーラを愛したんだ。だから僕はルーラをずっと守ると誓ったんだ。
……だけど、ルーラと、聖女と結婚をすることで王太子になれないどころか不自由な旅をしなければならないのなら。
……苦しみの中でずっと感じていた温もりが、ルーラではなくデイジーのものだったのなら。
……僕は、僕の『真実の愛』の相手は……。
「……ルーラをジェイクに譲ります」
僕は、人生最大の決意を込めて父上に伝えた。……けれど僕の決意を聞いても誰一人として眉一つ動かさなかった。沈黙を破ったのは、母上の冷たい声だった。
「それはどういう意味か一応聞いてあげるわ」
「ですから、ルーラを、聖女をジェイクに譲るので、僕を王太子にしてください」
「何のために?」
「何のためって……。僕が王太子になるためです。僕は当初の予定通りデイジーと結婚して王太子になります。ルーラの旅にはジェイクが同行すれば問題ないでしょう?」
その場の空気が冷えた気がした。それはきっと気のせいなんかではなくて、僕のことを見る家族の目はとても冷たかった。
「フレディ、貴方は質問の意図も読み取れないのね。ねぇ、『何のために』貴方を王太子にする必要があるの? 王太子になる条件をすべて満たしてすでに第一王子の業務も担っているジェイクではなく、デイジーとジェイクの助けがなければ満足に業務もこなせないフレディを、『何のために』王太子にする必要があるの?」
『何のために』? だって僕は第一王子で、僕が王太子になることが当然だとずっとそう思っていたから。だからジェイクではなく僕が優先されるのは当たり前で……。だから……。ジェイクではなく僕を王太子にする理由なんて……。
家族の冷たい視線にさらされながら必死で考えた僕の口から絞り出されたのは、またも自分自身の価値ではなかった。
「……デイジーを……デイジーが可哀想だと思わないのですか? ずっと僕のために努力してきたデイジーを王妃にしてあげたいと、そう思ったんです」
「フレディ兄さんは本当にどうしようもないね」
必死で絞り出した僕の言葉に応えたのは、四歳も年下の弟ブレイクの呆れたような声だった。
そんなブレイクの発言を、父上も母上も咎めることはなかった。
それまで何も言葉を発しなかったジェイクが、いつかと同じ笑顔で僕に話しかけた。
「兄上は、自分自身の欲のためなんかではなくこの国のために聖女であるルーラ様を婚約者にしたと言ったでしょう? それなのに今さらデイジー様のことを持ち出すなんて矛盾してるよ」
「それは……僕が国王になる前提で……」
「それにデイジー様は可哀想なんかじゃないから、兄上が心配する必要なんて少しもないよ」
「デイジーはずっと僕を慕っていて、僕のために努力をしてきたんだ! それなのに僕と結ばれないなんて可哀想だろう?」
「そんなこと聖女が現れたからと嬉々としてデイジー様との婚約を解消した兄上にだけは言われたくないと思うけどね」
ジェイクの言葉に僕は何も反論出来なかった。
だけどデイジーと直接話をすれば、心を込めてデイジーに謝罪をすれば、そうすればデイジーは僕を許して僕と結婚したいと望むはずだ。
……弱き者達のために国中を駆けずり回るなんて僕には相応しくない。そうだ、あるいはいっそデイジーと結婚をして侯爵家を継ぐという未来も……。
「兄上。僕はね、イライザと話をして彼女となら一緒に国を発展させていけると思ったんだ。一方的に支えてもらうだけの関係なんかではなく、一緒に努力をしていける人、だとね。兄上は違うでしょう? ただただデイジー様の優しさと努力に甘えていただけだよね? そんな兄上をどうしてデイジー様がずっと好きでいると思えるのか、僕には兄上の考えは高度すぎてやっぱり理解出来ないよ」
ジェイクのその言葉を聞いてもなお、僕にはデイジーが僕を見捨てるという未来が思い描けなかった。