(第12話)あの日の庭園での第二王子
時間が遡り分かりづらくすみません。
「(第2話)それはいつか切り札になるもの」の続きとなります。
「だけど、もしもデイジー様が兄上から逃げたいと願うのなら……。その時は……」
そう言ってジェイク殿下から渡されたのは、小さな小瓶に入った液体だった。
「これは一体……」
「王家に引き継がれる毒薬だよ」
「毒……」
不穏な単語に私はひどく戸惑った。
「……それはどういう……?」
「二か月間身体の機能を止める毒薬。あくまで身体の機能を止めるだけで意識はある状態に出来るんだ」
「……そんな毒、今まで聞いたこともありません……」
「過去には、間者を拷問する時や、他国に潜入する時なんかに使ったことがあるようだよ。拷問であれば意識はあるのに身体は動かせないから地獄だよね。他国に潜入するなら相手はまさか意識があるだなんて思わないから油断して機密を話すかもしれない。平和になったここ数十年以上の間この毒薬は使われていないけれどね」
何でもないことのようにジェイク殿下はさらりと話したけれど、私が聞いていい話ではないはずだし、受け取って良いようなものではないはずだ。
「そのような貴重な物を受け取ることは出来ません」
「デイジー様。僕はね、第二王子としてデイジー様と一緒に兄上を支える覚悟だったんだよ。兄上に足りないところがあることは、父上も母上も弟のブレイクでさえも気付いていた。だけどそれでも、デイジー様が王妃となって、弟である僕達も補佐をすれば国は十分に発展していけると判断していたんだ。それなのに兄上は、今まで散々努力を怠っただけでなく、『真実の愛』だなんて信じがたい理由でそのすべてを台無しにしたんだよ」
言葉を紡ぐジェイク殿下は、今まで私が見たこともないほどに怒りに満ちているように思えた。
「僕もブレイクも、もう兄上を補佐することはやめたんだ。兄上は、国王になれるような器ではないよ」
「ジェイク殿下……」
「僕達は自分の意志で態度を決められるけれど、デイジー様はアスター侯爵や兄上の意向には逆らえないでしょう? だからもし、デイジー様が兄上から逃げたいと願った時には、どうしようもない現実に絶望する前にこの毒薬を飲むという選択肢もあるということを思い出してほしくて」
「……もし私がこの毒薬を飲んだら……」
「この毒薬のことは王家しか知らない。国中の医者にだって原因は分からない。原因不明の病で二ヶ月も目覚めない人間は側妃に相応しくないと判断されるだろうね」
「……側妃に相応しくないと判断されれば、私はフレディ殿下から逃れることが出来る……」
「それに国王と王妃には、デイジー様が目覚めない原因がこの毒薬であることがすぐに思い至るだろうから、アスター侯爵が何を言ったとしても兄上の側妃になりたくないことがデイジー様の強い意志であると証明出来るはずだよ」
まっすぐに私を見つめていたジェイク殿下が、一瞬視線を落とした。
「ただ、一つだけ不安要素があるとしたら……」
「不安要素ですか……?」
「この毒薬のことはもちろん兄上だって知っていて然るべきなんだ」
「フレディ殿下が……」
「王子教育でこの毒のことは兄上も学んでいるはずなんだ。だからもし兄上がデイジー様が目覚めない原因としてこの毒に思い至ったら、この毒の存在を公表してまでもデイジー様の身体に問題がないことを議会に証明してしまうかもしれない……」
王家のみに引き継がれている極秘の毒の存在を公表してまでも私を側妃にしたいだなんてフレディ殿下が望むとは思えないけれど……。
「きっと国王は確信を得るために聖女の力をデイジー様に使わせると思うんだ。そして、どんな怪我や病も治せる聖女でもデイジー様を目覚めさせることが出来なければ、その原因が怪我でも病でもなく、毒だと判断するだろう。そしてそれは兄上にも同じ情報を与えることになる。……もし兄上が、それだけの情報を得てもなお王家の毒にさえも思い至らなければ、さすがに国王も王妃も兄上を見限るだろうね……」
「ジェイク殿下。……私はやはりこの毒を受け取ることは出来ません」
「デイジー様?」
「この毒を持ち出して、しかも王家の一員ですらない私に渡すだなんてそれだけでも重罪ですよね? ましてや私がこの毒を飲んでしまったら、国王陛下からジェイク殿下にどんな沙汰がくだるか……」
「……それは僕を心配してくれているの?」
「私が側妃になりたくないと望むことと、ジェイク殿下がリスクを犯すことはまったく別です。私は、ジェイク殿下を犠牲にしてまで自分が幸せになりたいなどと思いません」
ジェイク殿下は驚いたように私を見つめた後で、ふっと笑った。
その顔は公務などで浮かべる鉄壁の笑顔ではなく、思わず溢れてしまったというようなそんな笑顔だった。
「だから僕は、兄上を支えようと決めたんだ。兄上の婚約者がデイジー様だったから」
「……それはどういう……」
「僕のことは心配しなくて良いよ。国王と王妃は、僕を罰するよりもまず自分達の過ちに気付くはずだから。突然現れた聖女の力よりも、ずっと地道に努力してきたデイジー様の知識や経験の方がこの国にはずっと必要なんだ」
「それは私を買いかぶりすぎです」
「デイジー様は今までずっとアスター侯爵や兄上のためだけに尽くしてきたでしょう? 一回くらいは自分のためだけに周りのことなんて気にせず行動すればいいんだよ」
「……自分のためだけに?」
そんなことが許されるの?
それにもしも……眠ったままの私が目覚めなければ、お父様やフレディ殿下はほんの少しだけでも私の心配をしてくれるかしら? ふとそんなことを思った。
「兄上の使う『真実の愛』だなんて軽薄な言葉を僕は何度だって全力で否定するけどね。そんなものは貴族には、ましてや王家には必要のないものだ。……だけどもし許されるのなら……一生叶わない想いを抱えたまま兄上の伴侶となったデイジー様を支え続けたなら……人生の最後に一度だけその想いをそう呼べるのではないかと……本当に少しだけ……そう思っていたんだ」
ジェイク殿下のその声はとても小さくて、私には聞き取れなかった。ただ、その表情はとても悲しそうに見えた……。
「ジェイク殿下。すみません。聞き取れなくて……もう一度……」
「デイジー様。その毒薬は、デイジー様が使いたければ使えばいいし、使いたくなければ使わなければいいよ。デイジー様が決めればいい」
「……私は……今までフレディ殿下を支えることだけを望まれていました。そんな私が自分で決めて本当にいいのでしょうか?」
「デイジー様の人生をデイジー様が決めるのは当たり前のことだよ。僕だって同じさ。デイジー様が決めた未来が叶うように、僕は僕に出来ることをやるだけだから」
今までいつも優しく接してくれた二歳年下のジェイク殿下を本当の弟のように思っていた。だけど、まっすぐに私を見つめる瞳はなんだか眩しくて、フレディ殿下との婚約が解消になっただけではなく、弟だとは思えなかった。